2-35 チューリッヒ湖でかもめと遊ぶ 


針金細工を思いついたのも、材料を作っているのもドイツ人。
それを通りがかりの日本人が真似をして、芸術的、商品的価値にまで高めるに至ったそう。

スイスでは外国人は正式な学生でないとアパートを借りられないので、作る人たちはどこかヤミで借りて製品密造に励み、道端販売人たちに卸しているんだって。

クリスマスなどのプレゼントシーズンには、三重、四重の人垣ができ、
”1本1,000円 (今の 3,000円くらいだね) のペンダントが飛ぶように、1時間に40~50本は売れる”
というのも、お金持ちの国スイスのこととうなずける。

「作るほう、手伝わないか」 と誘われた私に、

「女の子はそんなことしない方がいいよ。俺がめんどうみてやるから、できる
だけ長くいなよ。せっかく来たんだから」

と言ってくれたのは、建築士のタコさん。
求職中のホーチミンさん、仕送りを待っているヒゲさんも、タコさんに養って
もらっていた。

「そのうち、きっと恩返ししますから」
という、ホーチミンさんの言葉に、

「いいよ。
昔、俺が困っている時、いつも誰かが助けてくれた。
だから今度はできる時に、俺も困っている旅行者にできるだけのこと はして
やろうと思っている。

おまえらも将来、できる時にそういう奴らを助けてやればいいよ」

男らしいねー、気っぷがいいねー… (ちょっとホレちゃったカモ…)


昼は、塗装が剥げマフラーの壊れたブルーのフォルクスワーゲンであちこち
案内してもらい、
夜はタコさんが1時間くらい仕事に行っている間、お留守番。
相棒のプロフェッサーさんが只今用事で遠出中のため、タコさんがひとりで
全部やっている。

「今日は売れたからおごるぞ」

「今日は売れなかったから、ワーゲンレストランで、自家製サンドイッチだな」

(ワーゲンレストランって、もちろん、車のボロワーゲンのことだヨ。
儲からなかった日は、近くのスーパーで材料を買い、サンドイッチを作ってみんなで食べる)


クリスマスの朝は、ひとり早起きして教会へ。

大きな木の扉を開けると、係の人がドイツ語の讃美歌を渡してくれたけど、メロディーは日本のクリスマス讃美歌と同じ。
”荒野の果てに” や ”もろびとこぞりて” を、スイス人に負けずに大きな声の日本語で歌い上げた。

帰りはチューリッヒ湖にそそぐリマート川の岸辺で、人なつっこいかもめと遊ぶ親子や老人たちを見て時を忘れた。

そのかもめたちは、まるで飼い慣れたペットのように人間の目の前に飛んできて空中で羽をバタバタして、えさが差し出されるのを待っているんだよ!

おもしろくて楽しくて、翌日からは私も硬くなったパン切れを集めて、川と湖通い
の毎日。


-クリスマスの星型のクッキーを拾ったかもめは、
  他の数羽に追いかけられて、トップスピードで空中回転、急上昇… 
  必死の逃亡を試みます。

  追う方もさるもの、そのかもめ君の軌道通りピッタリくっついて、
  びゅんびゅん、くるんくるん、リズミカルな大空中戦。

  やっと追手を振り切った彼は、
  私のすぐそばのコンクリートの道路に降りてきたんだけど、
  硬くて大きな星のクッキーは彼の口ばしに全く合わなくて、
  拾い上げるたびにポロンと落ち…

  ぴょんぴょん、パクッ、またポロン…

  とうとうあきらめて、彼は残念そうに空高く舞い上がると、
  鋭く方向転換して思い切りあっちへ飛んで行ってしまいました-


クリスマスが終わると堅朗君はドイツへ戻って行った。

「ドイツに遊びに来てもいいよ」って言ってくれたけど、私はその時の仲間たち
と少しでも長くいっしょにいたかったから、
留まった。 (あれ? それって、ひょっとして…)


そして年の明けた1月5日夜、私はロンドン行きの学割列車に、タコさんとヒゲさんに見送られて乗るところ。
さっきまでふざけていた私が急に無口になり、涙をこらえてしんみり。

「がんばれよ。」

「中近東にはいっしょに行こうな」


本当にいろいろありがとう、スイスで出会った友だちさんたち…



(ひょっとしてのちにこのメンバーで、中近東・インドを旅することに…?)




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チューリッヒ湖のほとりで


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2-36 ワトソン氏との出会い 


大好きな先生の転任にくっついて優香といっしょに転校した学校は全寮制。
寮費は三食付で月 35,000円 なんだけど、週末はまかない婦さんたちもしっかりお休みのため食事は付かない。
なので週末になると、新しいルームメイト、ノルウェー人のビビと部屋の中でピクニックをしたり、仁さんの屋根裏部屋に例のごとく集まって日本料理のまがいものを作ったりしている。


学校の新入生歓迎パーティーはね、各国生徒たちによる故国の伝統的出し物の競演になった。
顔を半分隠した民族衣装のペルシャの女の子の踊りのすっばらしかったこと!
アリババの世界の妖しくセクシーな踊り子が、時空を越えてその場に飛び出してきたようだったよ。

日本はもちろん、名取りの優香の日本舞踊。
彼女は衣装や音楽カセットテープなどの小物一式をそういう時のために日本から送っておいたのだけれど、
これも、日本人形が命をもらって、ガラスのケースから飛び出してきたようで。
その美しさには感激して涙する人もいた程。 (実は私)


その頃だった。
仁さんや真さんが借りているアパート(イギリスでは、”フラット”という)の大家さんの噂を耳にするようになったのは。
その人はワトソンさんといって、ふだんはウエールズに住んでいて、オックスフォードには時々家賃の集金に帰って来るだけなんだって。

アパートを探している、作家の卵の村上君という同じ学校の生徒が、ワトソン氏のオックスフォード出現を今か今かと待っていた時だ。

ワトソン氏は白髪の英国老人で、とても頑固でケチで、部屋の使い方あれこれから廊下の歩き方にしても、「カーペットが傷まないように」とかいちいちこうるさいんだけど、困りごとで相談に行くと、とことん力になってくれるんだって。


そんなある日のこと、やっとワトソン氏をつかまえた村上君の英会話の助っ人としてワトソン氏の顔を見に行っちゃった。

中古なのかアンティックなのかわからない微妙なセンスの家具と古びたたくさんの本の詰まる壁に囲まれた、シンプルだけど落ち着いた感じの応接間に私たちを通して下さったワトソン氏は、光沢のいい革張りのアームチェアに深く腰掛け、ひじの擦れたよれよれのカーディガンにたばこの穴だらけの乗馬ズボンのような時代遅れのズボンで、鼻めがね越しに、おでこに皺を寄せつつ、覗き込むようにして頷きながら、私たちの話を聞いて下さった。

私は習った英語が実際に使えるのが嬉しくて、しどろもどろながらぺらぺら、ペラペラ。
ワトソン氏は時々微笑みながら、わかりやすい、はっきりした英語で応対して下さった。

私はこの、80才にも見える、厳しくも優しそうなおじいちゃんがちょっぴり好きになった。


村上君の部屋の話が決まった頃、内側が茶渋で見事なこげ茶に染まった、もともとは白いマグカップでミルクティーをいただきながら、私はイギリス人のワトソン氏なら、オペアガールかベビーシッターを探しているイギリス人家庭に心当たりがあるのではないかと考え始めた。

油まみれのレストランでのバイトに、いい加減うんざりし始めていたから。





     ミニ オックスフォード案内



新しいクラスメイトたち


新しい学校のクラスメートたちとオックスフォードカレッジ巡り。
スペイン、コロンビア、ベネズエラ、ケニヤなどからと、多国籍。




OX大クレスト


オックスフォード市と、オックスフォード大学 カレッジごとの紋章






       オックスフォード大学の 特種 (とくだね) 

ストリッパー


ある日、ハイストリートを歩いていたら、大学の屋上に裸のカップルがいた。
お巡りさん(右の建物の屋上にいる)に向かって挑発的に踊ったりして。
何かを主張するために、民衆の注目を集めているのかなー…

名門オックスフォード大学生の中にも、こういう人たちがいるんだね!