3-2 アテネ~イスタンブール 


そして数日後、トルコのイスタンブール行きの電車に乗る。
各駅停車で、乗り換えと待ち合わせ、国境でのパスポート検査の時間を入れ
て36時間かかったんだよー!
トルコの電車は、今でも何時間も遅れるので有名だそうだから、その時間も
入ってるね。

コンパートメント式電車の座席に座りずくめで、仲間たちや相席になった同
じく貧乏旅行者たちとしゃべったり眠ったり、窓からの景色を眺めたり、途中
で乗り込んできた地元の人たちと微笑み合ったり、英語の通じる人とは片言
の英語で会話をしながら時間を過ごす。

途中の駅の名前、”テサロニキ” が読めた時には感動した。
聖書に 「テサロニケ人への手紙」 というのがあるから。
本当に実在するんだね! 

当たり前かもしれないけど、「聖書の舞台はこの辺なんだ」 と思ったら、急に
キリストの存在が現実味を帯びて胸に迫ってきた。
タイムスリップすれば、イエスキリストにばったり出会えるかもしれないんだ…



テサロニキ駅看板2 

                    テサロニキ駅かんばんアップ

テサロニキ駅の看板。ギリシャ語と英語みたいだね。


その間に、ここ中東地域の歴史について、裕さんに聞いたりもした。
紛争が多いけど、何世紀も前からの複雑な事情があって、平和な日本にい
るとわからないことばかりだ。
裕さんはパレスチナにすごく同情的で、ヨーロッパやアメリカがこの地域にし
て来た自国の利益優先の歴史的事実に批判的だった。

私もこの旅を通して、少しでもわかりたい、いろんなこと。



 ここでちょこっと勉強タイム 

ものすごい勢力で、バルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで
領土を広げ、約200年間の栄華を極めたオスマントルコだけど、
19~20世紀にロシアやオーストリアとの戦争で次々に領土を失って、
第一次大戦後はフランスやイギリスの占領下に入った。

でも、後に “トルコの父” と呼ばれる勇士ケマル・アタテュルクをリーダーと
する独立戦争で領土を取り戻し、1923年にアンカラを中心としたトルコ共
和国が生まれた。

そのリーダーは西洋との融和を図る政策を取り、スルタン(君主制)の廃止、
アラビア文字からアルファベットへの切り替え、女性の権利の拡大、西洋式
衣服着用の義務付けなどの改革を行ったんだって。

公務員や学校の先生は勤務時に頭を覆うスカーフの着用は不文律に禁止
されているという。
それは、外見がヨーロッパ的であること、つまり “モスレムを強調しないこと
が大事だ” と政府が考えているからなんだって。(インターネット調べ)


すごいね、さすがこの位置で東洋と西洋とつきあって生き残って行かなけれ
ばならない国らしい、思い切った政策ばかり。

政治的には、軍のサイプロス(キプロス)からの撤退、クルド人問題、第一次
大戦中のアルメニア人大虐殺などの問題が障害になり、EUへの加盟がなか
な実現できないでいるという。
(もっと詳しい資料は、“続きを読む” の後半をどうぞ)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


       t12.gif


ボルポラス海峡FLw

ボルポラス海峡 (写真:フォトライブラリーより)


トルコ共和国の国土はヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがっていて、
ここイスタンブールが、東洋と西洋の交差するところなんだ。
つまり、海峡のこちら側がヨーロッパで向こう側がアジア。

丘の上から紺碧のボルポラス海峡を白い客船がゆっくりと航行している風景
を眺めた時の感動が忘れられない。
「これからヨーロッパを後にして、いよいよアジアの大地へ足を踏み入れるん
だ」って思うと感慨深かった。

あちら側とこちら側では町の配色も雰囲気も違う。
本当に “東洋と西洋が出会う町” なんだね!

(地理的にはその国土の97%はアジア側で、ヨーロッパ側は3%しかなく、
国民のほとんどがイスラム教信者で、どっちかっていうとアジアに近いと思う
んだけど、なぜかトルコはサッカーのワールドカップでは ”ヨーロッパ予選”
に出場するんだよね)


町は騒音に溢れ、焼きとうもろこし、絵葉書、傘、ガイドブック、Tシャツ、み
やげ品などを手に、小学生くらいの子どもたちまでが物売りに寄って来てま
わりを囲む。
すごく親切に見える客引きらしい男たちがどこへ行っても寄って来たけど、
裕さんはキッパリと断っていた。

-私なんて、国際間の友好を損ねてはいけないという意識もあってそう失礼
な口のきき方をしてはいけないような気がしちゃうけど、
裕さんはそんな時、人が変わったようにそっけなくし無視していた。
さすがだなぁ。

電車の中で知り合ったフランス人旅行者青年がいろいろ情報を教えてくれて、
ブルーモスクの近くで安宿を見つけ、そこからブルーモスクやアヤソフィア、
トプカピパレス、バザールなどに出かける。

ブルーモスクはドーム型の建物のまわりをミナレットとい
う柱が囲んでいて、ホントに宇宙基地のようだよね。
でも中はすっごく繊細な美しさなんだよ、タイルや手描きの壁の装飾、ステ
ンドグラス、天井から吊るされたろうそくの灯りと、そして人々の信仰からく
る敬虔さ、おごそかさ…

キリスト教の教会のように十字架やマリア像があるわけではなく、お参りに
来た人々は、みな同じ方向(メッカ)に向かっていっせいにお祈りをするんだ。



ブルーモスク観光ちらしより  ブルーモスク内部FS
↑ ブルーモスク 現在 (写真:フォトライブラリーより)

↓ タイムスリップ版
  まだ公園の整備中みたいだけど、木はきっと同じだね!

ブルーモスク2

だんだんワイルドになって来ている。
ワンピースを着ているのは、おしゃれのためでなく風通しがいいから。 
だって、メチャ暑いんだヨー!!汗とか  



アヤソフィアはちょっとブルーモスクに似てるけど、歴史の中でキリスト教の
教会だっものがイスラム教寺院に改修されたので、内部の装飾も両方が
混じっている。
両方の信者が時代を隔ててお参りしたんだね。
何か、象徴的。 (今は博物館になっている)


ボルポラス海峡を見下ろす丘の上にあるトプカピパレスには、
オスマントルコ時代の宮殿に財宝が展示されていて、とにかく冠から始まっ
てお茶のカップにまで、ありとあらゆる種類の宝石がふんだんにはめ込まれ
ていた。
有名なのが、超大粒のエメラルド。
怪盗ルパンも盗みに入ったとか(?)。

ハレムもあって、内部には王様の部屋、その妻の部屋、女奴隷用の部屋な
どがあったよ。



トプカピ幸福の門FLw
トプカピパレス 幸福の門 (写真:フォトライブラリーより)



 ここでちょこっとまた脱線 

そういえば、裕さんが、トプカピパレスを舞台にした怪盗の映画の話をしてく
れたんだけど、それがルパンだったのかなー。

ちょっとおもしろかったので、書いとく。それはね、

トプカピパレスにあるその超大粒のエメラルドを、完全犯罪を企てて、長い時
間をかけて内部設計書や監視システム情報を手に入れ、完全にすべて危険
の可能性をクリアした上で、主人公の強盗が、このパレスの屋根に穴を開け
て侵入。

床に触れれば警報機が鳴るので、ロープのはしごをつたって、ちょうど超大
きなエメラルドの位置に降りて、はしごにつかまったまま、
どうにかそれを手にするんだけど、さあ、ロープを登ろうとしたその時に、計
画は失敗に終わってしまったんだって。

「どうしてだと思う?」
「うーん… どうしてもトイレに行きたくなっちゃって、おもらししちゃったとか?」

「いいや」

「うーん、なんでだろう???」
(答は一番最後に)

それがどんな名前の映画なのかわからないし、細かい筋書きもよくは覚えて
いないけど、裕さんはこんなふうにいろんなおもしろい話題を提供してくれた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


バザールには、彩りも鮮やかなでエキゾチックな工芸品や民芸品がいっぱい。
同じ宿にいた他の旅行者は、ジーパンやヨーロッパの洋服と引き換えに民芸
品を買っていた。

買い物は、最初から高い値段を吹っかけて来るので、せりみたいにしてまと
もな適正価格まで下げるのが大変なんだよ。
最後に、「もう要らない」って去ろうとすると、追いかけて来てまた下げる。
ほんとにほしいのに、裕さんがさっさと行ってしまった時は、泣きそうになった。
(どうもそれも、手だったみたい)


どこの町も同じだけれど、こぎれいな高級店の並ぶ町並みの路地裏に入れ
ば、そこには貧しい人々の日常風景が…。
地元の人々の簡素な家や店や工場がひしめき、ここでもギリシャと同じく、
茶屋や食堂にたむろしているのは男性だけだった。

甘いチャイ(紅茶)やコーヒーが、暑い風土に合っているのか、現地で飲む
と結構おいしかった。
トルココーヒーはどろっとしていて、底にカスが溜まっていて、その上澄みを
飲むみたいな感じ。
いいおじさんもそのコーヒーを一日に何杯も飲む。
それも、甘ったる~いお菓子といっしょに。

そういうコーヒーが苦手な旅人用に、”ネスカフェ” という名でインスタントコ
ーヒーがメニューにあったのが、おもしろかった。
インスタントなのに、そっちの方が高いんだよ。



チャイを飲む


ヒゲさんと裕さんといっしょに、宿の裏庭でチャイ(1杯20円、今は95円くら
いらしい)を飲んでいるところ。
着ているのは、バザールで裕さんが最初の値段の6分の1に値切ってくれ
た、民芸品のドレス。
(それでもまだ高かったって、宿の主人が…)



歴史的にも現在の表情も、いろんなものが混在し、バランスを取ろうとして
いる活気溢れる町、イスタンブール。
そういえば、イギリスの学校でクラスメートだったトルコ人の男性は、オスマ
ントルコの末裔のような精悍な顔をしていたナー。

次回はイランのテヘランに向う。







ヤフートルコ地図

ヤフー 地図 (クリックするともう少し大きくなる)

丸印が付いているのが、通ったり立ち寄ったと判明している町。
砂漠があるため、移動は直線ではつなげられないから、実際はどんな経路
だったのかは不明。 
黒海沿いのどこかの町で、黒海の海辺に泳ぎに行ったんよ。(次回ね) 

アララト山を遠くに見ながら国境を越えたので、イラクとの国境近くを通った
のだと思う。






怪盗が失敗した理由は、
エメラルドをゲットして、あとはハシゴを登って逃げるだけって時に、天井の
穴から鳥が一羽入り込んで床の上に舞い降りて警報機が鳴って、御用にな
っちゃったんだって。

その映画、見たいな。





<参考に>

現在はアテネ~イスタンブール行きの列車で、車中2泊で32時間22分
というのがあるらしい。
また国際バスならまる一日、24時間で着くみたい。





外務省HPより


(2)キプロス問題 

キプロスは1960年に英国から独立し共和国となった。
当初、両系(ギリシャ系約80%、トルコ系約20%)住民間の融和を図るため、
大統領はギリシャ系、副大統領はトルコ系から選出されるなど、両系の平等
な権利を保障するための制度が存在したが、1963年にギリシャ系の大統領
がトルコ系住民の権利を制限しようとしたことにトルコ系住民が反発して内戦
が発生し、1964年、国連キプロス平和維持軍(UNFICYP)が駐留を開始した。

 1974年、ギリシャ軍事政権の支援を受けた勢力がクーデターの動きを見せ
たことに対し、トルコは、トルコ系キプロス住民の保護を理由として軍をキプロ
スに進攻させ、北部を中心に全土の37%を占領した。1983年、北キプロスは
「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言し、キプロスは南北に分裂する
こととなった(「北キプロス・トルコ共和国」を承認しているのはトルコのみ)。

これ以降、国連等の仲介により両系間の和平交渉が数度にわたり行われて
いるが、解決に至っていない。

 2004年4月24日、アナン国連事務総長の仲介努力の一環として提示された
仲介案が、住民投票によりトルコ系キプロスで受け入れられた一方、キプロス
共和国(ギリシャ系キプロス)では否決された。
同年5月28日、アナン事務総長は、住民投票で前向きな姿勢を示したトルコ
系キプロスに報いるため、各国に対しトルコ系キプロスの国際的孤立解消に
向けた措置を取るよう呼びかける事務総長報告書を発出した。
しかし、現在に至るまで実質的な措置は採られておらず、トルコ系キプロスの
孤立は継続している。他方、キプロス共和国は、2004年5月1日にEU加盟を
果たしている。


(3)アルメニア人虐殺問題 

アルメニアとトルコの間では「オスマン朝によるアルメニア人虐殺」の事実関
係をめぐり主張が対立しており、両国間の国境確定問題も未解決である。
また、アルメニアがトルコの友好国アゼルバイジャンとの間でナゴルノ・カラバ
フ問題を抱えていることもあり、外交関係は断絶状態にあるが、関係改善への
糸口を探るための接触も行われている。歴史問題に関し、トルコはEU加盟問
題との絡みもあり、「アルメニア虐殺」を検証するための専門家委員会の設立
を提案した(2005年)が、アルメニア側の応じるところとなっていない。

 なお、各国在住のアルメニア人は自国の議会等に「虐殺」の事実を公認す
る決議等の採択を働きかけている。2006年10月に仏下院が「アルメニア虐殺」
を否定することを処罰する法律を可決させたためトルコ仏関係が悪化した。

 米国議会で審議が進められたアルメニア虐殺関連決議案もトルコの反発を
招き、採択を中止させるため2007年2月にはギュル外相(当時)が訪米した
他、多くの議員や政府関係者も訪米して働きかけを行った。2007年8月には、
米国議会に大きな影響力を有するユダヤ系ロビー・グループADSL会長が、
虐殺を認める発言をし、トルコ政府関係者は遺憾の意を表明した。

2007年10月10日、米下院外交委員会は、「アルメニア人虐殺」に関する決
議案を賛成多数で採択した。これに対し、トルコ政府は猛反発し、ブッシュ政
権も土米関係悪化を懸念して、本会議での採択反対に向け議会に対して働
きかけを行い、下院本会議での採択は当面棚上げとなった。




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