2-20 C、S、N&Y のコンサートへ 


9月14日は待ちに待ったC、S、N&Y (クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング) の野外コンサート。

ロンドンのパディントンの駅に迎えに来てくれたA子さん、B君とウエンブリーパークに着くと、野外競技場の入口は寝袋で夜を明かした若者でいっぱい。
ギターを弾いたりトランプしたりして、気長に開場を待っている。

正午に門が開かれると、私たちは一番最後に買った切符で一番前に行こうと意を新たに、群集の中をもみくちゃにされながらステージに辿り着き、決してそこから離れなかった!

ニールヤングは痩せて色が真っ黒で、継ぎ当てだらけのジーンズに、しょっぱいようなスカーフを首に巻いて、私の5メートル先のステージの上にいた。
クロスビーもスティルスも、“ティーチ ユア チルドレン” “ヘルプレス”、“アウア ライフ” など、日本でよく聴いた歌の数々を披露しながら気軽に話しかけて聴衆を笑わせ、乗りに乗っているみたい。
感動して観た映画の場面も次々に甦って来た。

亮介兄さんと弟の貴志といっしょに何度も聴き、その意味を考えたあのベストアルバムのトラックも、ニール ヤングのソロで再現された。
か細そうで、それでいて何か訴えてくる、あの声、あの歌い方だ。

日本を出て18日目に本物のニール ヤングが、私から5メートルのところで歌いしゃべっているなんて、夢みたいじゃない?

聴衆の中には、リズムに乗リ過ぎてぴょんぴょん飛び跳ねる者が大勢いて…
何かおかしいと思ったら、あちこちで紙巻たばこのようなものを吸い回している。
たぶん、ハッシシ(大麻)だって。
熱気と歓声の中を何ともいえないけだるさが支配して、みんな我を忘れて音楽の世界に陶酔し切っている。
こういうのを ”ハイになる” って言うの?

“ああ、私はとても彼らのようにはなれない…”

そんな気がして、自分だけ他の場所にいるように思えてきた。
日本で彼らのレコードを純粋に音楽として聴く人たちの知らない何かを見てしまった感じだ。
メンバーの歌、演奏、おしゃべり、すべて生き生きとして身近で素晴らしかったけれど。

コンサートが終わると、駅は酔いから醒めぬ若者たちでいっぱい。
見知らぬ者同士、親しく話しかけたり、プラットホームの上に輪になって座って、またさっき見た紙巻たばこのようなものを回して吸っている。
ほんと、“ひょっとしてこういう音楽の世界は、私たちふつうの若者とは別世界なのかなー” と、思ってしまった。


オックスフォードに帰って来ると、マリアを始め、みんなが私の行方を案じて待っていた。
マリアはしばらく小旅行に出ていたんだけど、帰って来たら私の姿がないので大そうな憂いようだったそう。
「あの子は突然何をし出すかわからないから」 って。

それからはみんな、
「おい、美弥から目を離すな! 何をするかわからん!」

音楽といえば、私たち日本人はよく、日本から送ってくるテープを貸し合って聴いている。
今、はやっているのが、グレープの “しょうろう流し”。

マリアはそればかり聴いている私に言った。

「私には歌詞はわからないけれど、何だか悲しくなって涙が出そうになるわ。
私も好きよ、この歌。
あなたの思い出に、録音して大切に取っておきたいな。」





    ミニ ロンドン案内


再びロンドンの話題が出たところで、今日はロンドンブリッジとその近
くにあるロンドン塔の特集をするよ。



ロンドンブリッジ絵葉書

タワーブリッジ絵葉書



ロンドンブリッジ背景

きれいな橋だよねー! 跳ね橋なんだよ。



タワー ブリッジ

と言えば、「♪ロンドン橋 落ちる 落ちる 落ちる」 の、あのロンドン
橋と思いそうだけど、
実はその歌に出てくる橋は、いっこ上流に架かっている何のへんてつ
もない橋らしい。

こちらのタワーブリッジは本当に美しい橋だったけど、近くのロンドン
塔と合わせ、スコットランドの独立戦争などに関連して何ともおどろお
どろしい歴史の一面に触れてしまった。

タワーブリッジのタワーの中に歴史博物館があって、牢獄の資料が
あった。
そこで見たものが忘れられないよ。
いろんな種類の拷問の道具があって。

華やかな観光地としてのパリ、ロンドンの蔭にこういうおぞましい歴史
があることも知った方がいいと思う。
日本も同じだけど。
「絶対に戦争はダメだ」って気持ちになる。

今回は、資料としてわかりやすいように、ウィキペディア フリー百科
事典から引用させてもらったから、いっしょに知って。(記事の最後)




メル ギブソンと立ち話

ところで下のウィキペディア情報の中の、ロンドン塔での処刑者リスト
の最初に出てくるスコットランドの英雄、
ウィリアム・ウォレス は、
メル ギブソン 監督&主演の映画、ブレイブハートの主人公。

この作品でメル ギブソンは、第68回アカデミー賞で、監督賞を受賞。
作品全体としても、作品、監督、撮影、音楽(ドラマ部門)、メイクアッ
プ、音響効果の6部門を受賞した。

あの映画、素晴らしかったね。
「ブレイブハート」 のブレイブは、 「勇気ある」って意味。

スコットランドに圧制を敷くイングランドと戦って破れ、囚われ、ここ
ロンドン塔で公開処刑されるんだけど、

「今からでも助けを請え」 と執行人に言われ、処刑台の上でお腹を裂
かれ、生きたまま内臓を引っぱり出されても、ウイリアムは最後の最
後まで屈しなかった。
その後、彼の首は長い間タワーブリッジの欄干に吊るされていたとも
も聞いた。
(スコットランドの人たちはどんなに辛かっただろうね)



イギリスってひとつの国みたいだけど、実際はU.K.(ユナイテッド 
キングダム) といって、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド、
イングランドという違う国の集まり。
国旗のユニオンジャックも、紺地に赤い十字とか白い十字や X など
の4つのデザインが重なったものなんだよ。

スコットランドもウエールズも北アイルランドも、イングランドに征服され
たんだ。

ウエールズにはウエールズ語があり、英語は第二外国語みたいに
学校で習うんだよ。

今でも、スコットランドには ”イングランドに勝った日” という記念日が
あり、お祭りをしてるんじゃないかなー。
(当時はあった)


自由のために勇敢に戦った戦士、ウイリアム。
歴史の勉強にもなるから、この映画、観てほしい。


なぜこのことを書くかというとね、歴史を知ってほしいことももちろんあ
るけど、
私が、メル ギブソンと立ち話したことがあるから なんよ!

彼が売れ出した頃、「マッドマックス」 というタイトルの映画があって、
私はその頃、派遣社員として映画会社(ワーナーブラザーズ東京支
社)で名ばかりの英文秘書をしてたんだ。
(もしこれを見た当時のスタッフいらしたら、メール下~さい!!)

彼はそのプロモーションのために日本に来てた。

事務所に立ち寄った彼を上司に取り次ぎ、待ってもらってる間の
他愛ないおしゃべりで、たぶん
「日本へは何回目?」 とか、「日本食は好き?」 とか、
「いつ帰るの?」 とか、そんなことだったと思うけど。

英語だと上下感がなく、会話もこんな気軽な感じになってしまう。
特に若者同士だったし。

私の印象としては、その頃の彼はどこにでもいそうなジーンズ姿の
若者で、ガールフレンドといっしょだったよ。



(↓ 続きを読む >> に追加情報)



追加情報

ここからは勉強コーナーです。
ウィキペディアから引用させてもらいました。
この機会にいっしょに知っておきましょ。



タワーブリッジ

タワー・ブリッジ (Tower Bridge) はイギリスのロンドン市内を流れる
テムズ川に架かる跳開橋。
1886年に着工、1894年に完成した。
可動部分は初期の頃水力を利用して開閉していたが、現在は電力を
利用している。

第二次世界大戦中はドイツ空軍の爆撃目標、あるいはV2ロケットな
どの目標となり、1944年8月2日にV-1ロケット1発が車道部分に命中
して被害を受けた。

タワーの高さは40mあり、左右にあるゴシック様式のタワー内部は
展望通路・歴史博物館がある。

塔のデザインは名前の由来ともなっている付近のロンドン塔の景観と
調和するように配慮されている。

近年においてロンドンの観光定番スポットとなっている



ロンドン塔

ロンドン塔

(これは私が撮った写真。ウィキペディアのはもっときれいだよ)


ロンドン塔(Tower of London)はイギリスの首都ロンドンを流れるテム
ズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。
正式には「女王陛下の宮殿にして要塞(Her Majesty's Royal Palace
and Fortress)」と呼ばれるように現在も儀礼的な武器などの保管庫、
礼拝所などとして使用されている。
またその景観からホワイト・タワーとも呼ばれる。


<沿革>

1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを
外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成
した。

その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世
が完成した。

長い歴史の間に国王が居住する宮殿としても使われ、身分の高い政
治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用された。

エリザベス1世は即位前に一時メアリー1世によってここに収監された
ことがある。

最後にロンドン塔に収監されたのは第二次世界大戦中、イギリスに飛
来して逮捕されたナチス・ドイツの高官ルドルフ・ヘスである。

また、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。

現在も英国王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉に
なるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイ
ヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、
見学できるようになっている。

1988年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されている。
すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。


<ロンドン塔のカラス>

ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラス(Raven)が
一定数飼育されている。
ワタリガラスは大型で肉食の鳥であるが、1666年に発生したロンドン
の大火事で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたといわれ
ている。

当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考
えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロン
ドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、
一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。

またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王
が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、
ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、
古くから不吉な事が起こるとされている。

現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の
王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないように
されたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、
近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての
飼育に切り替えられた模様である。

約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、
野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成
功している模様である。
なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを
出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。


<ロンドン塔で処刑された人々>

ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。
以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。

1305年 ウィリアム・ウォレス  スコットランド独立の英雄。
 最後はイングランド軍に捕まりロンドン塔で四つ裂きの刑(hanged,
 boweled, and quartered )にされた。

1471年 ヘンリー6世  ランカスター朝最後の王。
 薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、処刑される。

1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード  共にエドワード4世の王子。
 父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。
 王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。
 1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。

1535年 トマス・モア 
 ヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。

1536年 アン・ブーリン  ヘンリー8世の2番目の妻。
 姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。
 アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン
 塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。

1542年 キャサリン・ハワード  ヘンリー8世の5番目の妻。
 アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとさ
 れるロッチフォード子爵未亡人ジェーン・カルペパーと共にタワー・
 グリーンで処刑された。
 1554年 ジェーン・グレイ ヘンリー8世の死後、有力貴族の思惑で
 イングランド女王に擁立されたが、対立したメアリー1世によりタワー
 ・グリーンで処刑された。

 なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。





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