3-5 ヘラート(アフガニスタン) 


私はその時は思ったよ。
「日本の報道が操作されているなんてそんなことありっこない。
戦時中じゃあるまいし、私たちはどこからでもニュースが手に入るんだか
ら」って。
(今は「彼の言ったことは正しかったのかも」って思う)

裕さんは、その通りだって言った。
「だって、NHKなんて国営放送なんだぜ。
政府に都合の悪いこと言いっこないだろ」


奥さん何人も持てることに関してもね、
私が「かわいそうだ」って言ったら、アフガン青年は、

「イスラムの国では、奥さんが複数でも、女たちはいがみ合うよりは姉妹
のように仲良くしようとする。
国が貧しいから、一人の男性が一人でも多くの女性の面倒を見ようという意
図もある。
それに比べれば、欧米や日本の女性の方がかわいそうだ」

って言うんだよ。

なぜかというと、たとえば奥さんを一人しか持てないとすると、第二代三婦人
はお妾さんということになる。
それらの女性は法律上も保護されず、もし男が死ねば路頭に迷う。

「俺たちの国では、奥さん全員が平等に扱われる」 だって。

そっか、そういう見方もあるのか。
現に大統領も首相も政治家も会社のお偉方も、女遊びしてるよね、先進国
では。
セクハラ問題も絶えない。


ところで、隣同士なのにイランとアフガニスタンの大きな違いに目がテンにな
ることが多々ある。
ひとつはね、アフガニスタンでは大麻(ハッシシ)が政府公認で売られてい
ということ。
日本のたばこのように、専売公社が売っているんだ。
(世界の麻薬の87%が、アフガニスタンで栽培されているらしい)
だからアフガニスタンの男性たちは、ハッシシを日本人がたばこを吸う感覚
で気軽に吸っている。
(旅行者もいいんだ? 日本人も?! 吸ったかどうかは次号でね)

それに比べ、イランでは密輸者は警察に捕まると、すぐに裁判が行われ、
ほとんどの場合が死刑だって!!

祐さんが言うには、アフガニスタンは貧しくて教育も普及しておらず、文盲率
90%以上。
多くの貧しい若者は結婚どころか男女交際もできず、お酒も禁止されている
し、だからって国から出ることもできないので、
軽い麻薬でもたばこ代わりに吸わないと人々には何の楽しみもなくて、生き
る気力をなくして暴動が起こるかもしれないから、政府が許可している
んだろうって。
(麻薬を吸ってぼぉ~っとさせ、思考力を鈍らせる? それが政策?)

アフガニスタンでは王様が1973年に追放されたんだけど、その元国王は、
革命を予感して財産はスイス銀行に預けておいたため、国の財産は持ち逃
げされてしまったそう。
(えーっ、ますますメチャクチャじゃない?!)

(何と1976年、私たちが訪れた年に、アフガニスタンの王政は廃止され、
「アフガニスタン王国」から「アフガニスタン共和国」になったんだよ!)

ヘラートでも貧しい人々が必死で毎日をしのいでいる。
子どもの物売りも多いし、いい若者たちが道端にがらくたを並べて売って
いた。
二束三文に値切るのに、ただ同然まで下げて、それでも一品売ればその日
の食いぶちはどうにかなるっていうありさま。
日本円に換算して10円20円の、石ころと真鋳をくっつけて作った指輪ひと
つ売るために、一日中、観光客を呼びつつ道端に座っているんだ。

そういう若者たちの中には、
奥さんを買うイスラムの国では、俺たちは一生結婚できないよ」って肩を
すぼめて小さな声で言った者もいた。

お巡りさんの年収でさえ2万5000円 という時代に、外国に出稼ぎに行くに
もパスポートを取るのに1800円かかるそうだから、
隣のイランへ命がけで山を越えて密出国する人が絶えないという。
妻子を置いて行き、二度と帰って来ない人も多いとか。
「一日石油出港で働けば3500円になる。一年働けば大金持ちだよ。
待っていてくれよな」 と言い残して…。 


ところで、ヘラート郊外の一泊1ドル宿でやっとベッドの上に体を放り投げて
倒れこんだ時は、至福の極みだったよ!!
体をのびのび伸ばして寝れることが、こんなに贅沢な喜びだったなんて!
「はぁ~っ…」

ベッドはシーツなしで、丸太の枠に張った手編みの縄の上にマットがあるだ
けの作りで、部屋の電気も薄暗い裸電球だったけど、私は一転、魔法で
海老から幸運なお姫様になったような気分だったよ。。

男性宿泊者たちは、多少の涼を求めて外の木陰で寝ていたけどね、コブラ
やさそりが出るって噂にめげもせず。


ところが私はベッドの上でも夜になってもなかなか眠れなかった。
暑さのため?
うん、それもあるけど、目に見えない敵のためだよ。
(なになに、悪い虫が部屋に忍び込んで来るんじゃないかって?
残念でした)

虫は虫でも本物の虫。
その部屋にはノミやシラミや南京虫が住んでいるらしく、色白もっちり肌とは
行かないまでも、せっかくのお姫様は夜な夜な吸血虫の餌食になったんだ
ー!!

昼間は全く姿を現さないのに、夜、私が眠りに落ちた頃、どこからか出て来
て活動を開始するんだ。
(たぶん、ベッドの縄の隙間だと睨んでいる)

見上げれば天井に巨大なヤモリが貼り付いていることもしょっちゅうだった
けど、もう慣れた。
(最初は叫んだけど、何も害を及ぼさないってわかれば可愛いくらいだ。
「夜中に寝ぼけて落っこちて来て私の顔とかに貼り付かないで」って祈るば
かり)

そしてベッドに横になって殺風景な壁を眺めながら毎日脳裏に浮かぶの
は、日本の食べものの映像だった。
お寿司、天ぷら、お刺身になすの漬物に白い炊き立てご飯…
(魔法のランプ、どっかにないかなー…)


一日の生活費300円くらいでお金もかからないので、先を急ぐこともなく、毎
日たくさん歩いてたくさん昼寝してヘラートに何日か逗留していた、そんなあ
る夜中のこと、

私は屋内で寝ているにも関わらず、まるで真夏の海岸で日向ぼっこをしてい
るような感覚に襲われたんだ。
体中がぽかぽかあったかくて、頭がぼぉ~っとして、まるで舟に揺られてい
るように体のコントロールがきかなくなって、フラフラだよー。

「あれ?何、これ… ヤバいかも…。意識が遠のいて来たゾ。息も苦しくて、
うまく吸い込めない…。 私、このまま死んじゃうのかなー…」

誰かに知らせようにも男性たちは外で寝ているし、叫ぼうとしても大きな声
が出ない。 

それで私はゴムみたいな体をひきずってベッドからころげ落ちて、あたりの物
を窓の外に放り投げてみた。
誰かが気づいてくれるように。

でも、離れた中庭の方にいるから誰も気づいてくれないよー …
 がーん


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         アフガニスタン切手ヘラートからの絵葉書文面部分

アフガニスタンから実際に出した絵葉書文面の一部
1976年7月27日の消印



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金額はすべて、当時/日本円換算

追記にその後のアフガニスタン関連記事あり

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続きを読む>> に追記あり



アフガニスタンの今を思う


今回の記事を書きながら、ここ10年近くの間にこの地域に何が起こった
かについては触れなかった。
過去と現在がごっちゃになっちゃうもんね。

私たちが旅したこの2年後に、ソ連がアフガニスタンに侵攻。
ソ連と、米国の支援するタリバンとの戦いが始まり、その後はそのタリバ
ンと米国が戦うことになる。

(今では、「ソ連のアフガニスタン侵攻は米国が裏で工作したもの」 と、
当時の米国の国家安全保障問題特別担当補佐官を含む数々の証言で
明らかになっている。
旧ソ連と米国の代理戦争にアフガニスタンの地が使われたんだね。

米国はタリバンに対して「テロの一掃」という言葉を使うけど、そのタリバ
ンに旧ソ連と戦わせるために武器を供給していたのは、米国なんだよ。
悲しくなる…)

東西の通り道であるアフガニスタンは、古くはペルシャ帝国のダリウス王
に始まり、アレキサンダー大王、モンゴル軍のジンギスカン、イスラム勢
力などに次々に侵略され、町を焼かれ、皆殺しされる歴史を繰り返して来
た。
19~20世紀初期に入ってからも3度イギリスと戦争するなど、ずぅ~っと、
諸民族や外国の覇権争いの舞台にされて来たんだ。
そして今回もまた…

私が今回お話の中で寄ったイラン北西部のマシュハドの町には多くのア
フガニスタン難民が押し寄せ、現在も難民を救う組織のオフィスがあるし、
国境のドガルーンの町は、何十万(何百万)人というアフガニスタン難民が
イランへ逃れて越え、そして故郷への帰国路に通った町。
ヘラートの近くにも大きな難民キャンプがあったし、今もあると思う。

私は(複雑な情勢の議論は別に置いて)、この時会った人たちはどうなっ
たのかと思う。
遠い国から来た旅人たちを癒してくれたおじさんやおじいさんたちは?
いっしょに遊んだ宿の坊やは?
あの田舎の風景は、今もあるの?

2008年8月22日に行われた米軍主導の多国籍軍によるイスラム教徒集
会会場への空爆で、女性や子どもを中心とした民間人90人以上(内、子
ども60人)が死亡するという事件がヘラートで起きている。
(「90人以上」はアフガニスタン政府と国連調べ。米軍は当初「民間人犠
牲者の数は7人」と発表した)

ムスタファ君はどこかの戦士になってどこかで戦ったんだろうか…。
生きていると思う?

いいリーダーのもと、いい国を築いてほしいけど、宗教間の争いとかもあ
ってなかなかそううまくは行かないみたいだよね。

一日も早く一般国民が平和に暮らせる日が来ますように…。





インターネットで調べていたら、通信社のこんな記事があった。
(今から見れば古いけど、私が行ってから4年後のものなので、その後の
状況をつなぐ助けにして)



2000年9月28日朝 マシュハド 稲田信司記者

アフガンから隣国イランに大量に流れ込んだ難民が少しずつ帰り始めて
いる。
自国民の失業や治安悪化を懸念し、帰還を早めたいイラン、内戦で経済
基盤が崩壊し、急激な帰還は慎重なアフガンの支配勢力タリバン。
両者の思惑には、ずれも見える。
「忘れられた最大の難民問題」(緒方貞子・国連難民高等弁務官)の解決
は、これからが本番だ。


2000年9月18日 緒方貞子高等弁務官がドガルーンに現地入りしたこ
の日、1400人の難民が故郷の土を踏んだ。  以下略





もうひとつ、IMO(国際移住機構)のニュースレターより


2007年4月に始まったイランからの退去強制により、13万人を超えるアフガ
ン人不正規移住労働者とその家族が、アフガニスタンへの帰還を余儀な
くされました。
多くの帰還民は着の身着のままでイランを追われ、現在も再定住先の当
てのない多くの帰還民が、食糧や水にも事欠く状況で国境付近に留まっ
ています。

IMOは主にファラ州、ニームルーズ州、ヘラート州で、帰還民の危機的ニ
ーズを満たすために緊急人道支援を行っています。
これまで5,000以上の世帯に対し毛布・衣類・調理器具などの生活物資や
農機具、シェルター、仮住居の建設用資機材などを提供しました。
厳しい冬に備えて越冬用の物資の配布も行いました。

今後もイランからの退去強制は続くと見られ、IOMは日本政府の支援によ
り、帰還民への当座の生活支援を継続すると同時に、より長期的な視野
から就業支援や帰還先コミュニティでの生活環境改善支援を行います。

IOMはアフガニスタン政府や国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)、
他の国連機関との協力のもと、帰還民支援を行っています。






(アフガニスタン政府が)中でも日本に期待したいのは、イラン国境のドガルーン
とアフガニスタンのヘラートを結ぶ120キロの道の整備だそうです。

(元?)民主党参議院議員 内田正光さん (情報の日付は不明)







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