スポット訪問記 Vol. 11 フランス ブルターニュ地方(2) 


 その他の町

海岸沿いの町を順番通り全部取り上げているとすごい数になってしまうので、印象に残った残りのいくつかを順路通りに簡単にまとめるね。



ディナン
ブルターニュでも最も中世の面影を残しているといわれる町。
満ち潮を恐れ、町全体が30mの高台にあり、岩山の上には城壁も。
港に続く石畳の坂道にはかわいいレストランやカフェ、クレープ屋さん、おやげもの屋さん、アーティストのアトリエなどがが並ぶ。
童話の世界から持って来たような古い時計塔もある。 ディナンの家には、柱や木組みの壁、張り出し窓、石の台座や花崗岩の壁などの特徴があり、中世にタイムスリップしたよう。



ビニック 小さくてかわいい、アンティックタウン。


パンポル(岬の町)とブレア島
パンポルとブレア島絵葉書

パンポルからブレア島へ渡ったんね。



トレギエ
トレギエ

回廊のある寺院が荘厳できれかった。



ロスコフ
ロスコフへはイギリスのプリマス港から直行便が出ているそうで、今時は町を歩いている観光客はイギリス人ばかりだとか。
バッツ島へは15分くらいで渡れる。
ロスコフは、19世紀に特産の赤玉ねぎを売りにイギリスに渡っていった行商人、ジョニーたちの町として知られていて、彼らは自転車に100キロもの玉ねぎを積んで売り歩いたとか。
また、ロスコフはタラソテラピーの発祥の地で、1899年には海水と気候を利用した療養施設ができた。
(だから、イギリスからバカンスと療養に来るんだね)

ノートル・ダム・ド・クロア・バ教会は、他の町の教会とはちょっと違うデザイン。かわいい鐘が欄間風に隙間に下がっていて…。



ロスコフの教会

16世紀にできたゴシック様式の教会。
ルネッサンス様式の小塔を持つ鐘楼は、フィニステール県で最も美しいもののひとつとされています。
壁には捧げものの帆船が浮き彫りにされています。


(写真と説明文は、ブルターニュ地方観光局からお借りしました)



ブレスト
ブルターニュ半島西端にあり、フランス最大の軍港となっている。 
第二次世界大戦中はフランスを占領したドイツの潜水艦基地となったため、連合軍の空襲を受けて町は破壊された。
戦後、1960年頃まで町の復興が続いたという。
古い大きな城塞がある。




アシャント(ウェッサント)島
小さな島。レンタサイクルを借りて島を一周したよ。
写真が白黒で残念。


アシャント島


島への船

島への連絡ボート



ロクロナン
ロクロナン

村の中心、教会のある広場(絵葉書)


現在は、人口800人ほどの小さな村で、「フランスの最も美しい村」の1つに登録されている。
花崗岩を用いたルネサンス様式の建築物や16世紀の教会などが昔のままの姿で保存されている。

私たちが行った時は、この絵葉書通り、他にだーれもいなくて、教会からきれいな音楽と歌声が聞こえて来た。 音符
今は観光客で溢れているみたい。
この広場の井戸、きっとまだあるね。




コンカルノー
コンカルノ(絵葉書)

城壁に囲まれた漁業の町で、フランス屈指の漁獲量を誇る。
海洋博物館あり。



港の漁師さんたち  島の漁師さん


レストランで、”魚のスープ” を注文したら、出てきたスープのだしがかつお風味で、味噌汁に似ていた。


コンカルノ船着場

コンカルノーの船着場



ポンタヴェン
ゴーギャンを始め、多くの画家たちに愛された、”アヴェン川” に街並み映す、小さな美しい町。
教会に、ゴーギャンの ”黄色い十字架”のモデルとなった木の十字架がある。



カルナック
紀元前3000年頃の巨石群あり。
なぜどうやってどこからこれらの石が運ばれて来たのか、謎は解かれ
ていない。
イギリスのストーンヘンジみたいだけど、石の大きさは小さめ。(0.6~6m)

ストーンヘンジの石は、軒並み40トン級だったりするからね。
ストーンヘンジも紀元前3100年頃のものと推定され、アングロサクソン人が最初ブロトンに移住した時には、もうブリトンにあったんだ。
そっちも大きい分だけ謎も輪をかけて大きい。


ストーンヘンジ (ウィキペディアへ飛ぶ)



 

みなさんも時間をたっぷり取って、ブルターニュの旅にお出かけになっては?
時間といっしょに十分なお金の用意もね。
美味しいものを食べたり、しゃれていてこぎれいなプチホテルに泊まったり、時には島々へ渡ってみたりもしたいでしょう?

あー、私も、もう一度行きなおしたいなぁ…
そういう私ももう少し資金を持って、今度はまた別の素敵な誰かさんといっしょに…。
(あれ? 今の聞き捨てならなかった) 
 

  



  < 珍重品コーナー >

ブルターニュ地方を旅した時に実際に持ち歩いていた地図。
書き込みいっぱいでボロボロ。


8月末から9月初めまでの1週間くらいかけたんね。
交通手段はレンタカー。
仲良し4人組だったけど、メンバーについてはご想像にお任せしましょう。
(幸せな顔ぶれを想像してね! 
ぽ



ボロボロ地図




 

↓ 続きを読む>> に追記あり

勉強ついでに一緒にもちょっと確認しよう。
よりよく理解するために。





ケルト人とゲルマン人について、補足説明 
(ウイキペディアより抜粋)


ゲルマン人
409年にローマ帝国がブリタニアを放棄した後、現在のデンマーク、
北部ドイツ
周辺にいたゲルマン人が、グレートブリテン島に渡ってきた。
彼らは先住のケルト系ブリトン人を支配し、ケルト文化を駆逐した。
これが英国における最初のアングロ・サクソン人である。
彼らの言葉が英語の基礎となった。


ケルト人
ケルト人は中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)
を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族
である。 




またある資料によると、

「堅牢な建造物を次々に造ったローマ人、組織作りに長けていたゲ
ルマン人に対して、ケルト人たちは、自由な気風を持ち、自然を畏れ、
神秘的なものを敬い続けた民族であったを言われている。」

ストーンヘンジやカルナックの巨石群を見てもわかるね。 





「地名の世界地図」 文春文庫より抜粋


その昔ギリシア人が地中海を中心に活躍していた頃、ローマ人は
未開のヨーロッパの広い範囲にはケルト人が住んでいると考えた。
やがて、紀元前3世紀ごろ、ローマを中心にローマ人が領土の拡大に
乗り出すと、ケルト人はアルプス山脈の北部へ追いやられた。

-略-

紀元前2世紀には、ヨーロッパに北と東からゲルマン人が押し寄せ、
再びケルトは現在のフランス中部、北部そしてブリテン諸島(現在の
イギリス)に追いやられた。
しかし結局、ブリテン島もローマに支配され、ケルト人はローマ化され、
その文化を失っていった。

紀元3世紀にローマ帝国が衰退し、その影響力が衰えると、ゲルマン
民族の活動が激しくなってくる。
ゲルマン人の一派アングロ・サクソン人がブリトン島に渡ってきてケル
トと抗争を繰り返した。
この頃のケルトはブリトン人と呼ばれた。

最終的にブリトン人はアングロ・サクソン人に敗れ、ウェールズ地方や
アイルランドなどに押し込められてしまう。

ここで、今のブルターニュの土地へも逃れて行ったわけだ

しかしその頃の伝統文化は、今日まで伝えられている。





またある資料によると、今日、400万人のブルトン人がブルターニュに、
そして、400万人~1000万人のブルトン人が世界のあちこちに移り住
んでいるといわれいるそう。







Comments

Comment Post















管理者にだけ表示を許可する