番外編 2. 亮介兄さんのその後 (後編・現在) 


前3分の2は文章ばかりになっちゃったけど、後のとっておき写真を公
開するための長い序章なので、どうにかがまんして読んで後半に辿り
着いて下さいな。ごめんね、いつものことで。

最初に旅に出るきっかけを与えてくれた人だし、私の人生にどこかで
さり気なく影響を与えている人なので、番外編として亮介兄さんのそ
の後版を設けてます。
フィクションみたいなノンフィクションの後編をどうぞ。



番外編 亮介兄さんのその後 (前編・若い頃) の続き

亮介兄さんは日本へ帰って来て大阪のあいりん地区とかにしなり地
区とかいう、東京でいう山谷のようなところで日雇いの仕事をしながら
暮らしていたこともあった。
冬は路上で凍死する人もいたって。
(私が思うに、兄さんはやりたくもない仕事をして自分の時間をいっぱ
い取られてしまうのがいやだったので、定職にはつかなかったんだと
思う)

そんな時、出入りしていた京都のあるお寺で助けられた。

情けないことに、
「お金がなくてもうこのお寺にも来れないので、お金を貸してもらえな
いか」ってお寺に頼んだところ、そのお寺の和尚さんが兄さんを呼んで
目の前に座らせ、こう聞いたんだって。

「おまえは今までに、何かひとつの仕事を続けてやったことがあるか」

兄さんは、
「そう言われてみれば、ありません」
て答えた。
すると和尚さんは部屋を出て行き、戻って来て黙って兄さんの前に通
帳と印鑑を差し出すと、

「それでは指圧師の免許を取りなさい。その学校へ行くには学費が
140万円くらいかかるから、ここから出して使いなさい。
そのために勉強して国家試験を受ける気があるなら、私が援助しまし
ょう。」

と言って下さったんだって。

それで兄さんは、「どんなに長くかかっても必ずお返しします」
と言ってそのお金をお借りして、働きながら指圧師の夜間学校に3年
間通って、国家試験に合格したんだよ!

指圧師の免許は国家試験で身体のことを隅々まで知らないといけな
くて、お医者さんになる勉強のようにすごく大変だったって。

その和尚さんにはその後、5年かかって全額返したそう。
それってすごくない? 和尚さんも兄さんも。

兄さんはしばらく石川県のお寺に住んで修行者の世話をする係をやり
ながら自分も修行していたこともあったな。
無農薬の畑の世話を任されて。
外国人の訪問者や修行者の通訳もしていた。
今でも時々、そのためのお金を貯めてはそのお寺の座禅会とかに行
っているみたい。何日も泊まりがけで。
(そういう時は、一日7時間も座っていたりするんだって!
俗人の心配で悪いけど、お腹が鳴ったりおならが出ちゃったりしない
のかなー? あ、あまりにレベルが低すぎました (;´ρ`) )

そんなふうにして暖かいうちは働いて、兄さんは今でも冬はインドの
修行場(アシュラム)に行ったりもしている。


兄さんはね、指圧師の免許を取ってからも、それでいっぱい稼ごうなん
て考えずに、またお年寄りしかいなくなってしまった寒村の廃屋を手入
れした家に住んで村のお年寄りたちの家々に呼ばれて、子どもに聞か
せるようなやさしい仏教のお話を織り込んで楽しく世間話などをしなが
ら指圧をさせてもらって生活していたよ。

その村のひとつが朽木村(くつきむら)という名前の村だった。
朽木村は近畿地方で一番大きな原生林がある村で、今でいう眼界集
落だった。(滋賀県の最後の村だったらしい)

兄さんは屋久島にいたこともあったって言ってたっけ。

ほんとに大自然の中で生きるのが合っている兄さんにはピッタリの資
格だったよね。
話し相手の少ないお年寄りたちの心も体も元気にしてあげられたと思
う。(兄の方がいただくものは多かったかもしれないけど)
和尚さん、村の皆さん、本当にありがとうございました。
私からもお礼を言いたいです。

これって、兄さんが言っていた、

「空の鳥を見よ。
撒くことも刈ることもしないのに神は彼らを養って下さる。
明日、炉に投げ入れられる花でさえ神は美しく装わせて下さる。
まして愛をかけた人間を気にとめないことがあろうか。

だから何を着よう、何を食べようと明日のことを思いわずらうな」

っていう聖書の言葉通り。
(見ながら書いていないので、一語一句聖書の引用ではないけど、
そんな内容)

前にも書いたけど、兄さんは、
「聖書に書いてあることが本当ならば、今日の生活のことで悩まなくて
も生きていけるはず」
と、本当に何も持たずにインドへ行ってしまったし、お金がなくても食べ
るものがなくても学びたいことを学びにお寺に出入りしていたら、そうや
って和尚さんが生活して行く術を身に付ける手助けをして下さって、不
思議だなあって思う。
(聖書に書いてあることは、その通りに生きようとする人にとっては本
当なのかも)


さてじゃ、今は?

兄さんは同じような仲間の女性と結婚して、ローンで家を買ってそのた
めに働くなんてことはなく、いつも質素な古い民家の借家に住んで畑
を耕して必要なお金の分だけ指圧に行ってお金をいただいて暮らして
いた。

自由な時間をたくさん持って、いつもインドのグル(師)の書いた本や
仏教の経典を読んだり、瞑想や座禅をして、貧しくても充実した生活を
していたんだけど、
子どもができたこともあり、ある山の上の山林が売りに出た時に、そこ
の土地を山林ごと買って、そこに自分で家を建てることにした。
「子どもが10才になるころに完成すればいい」って計画で。
だって、毎日何時間かそこに出かけて、チェーンソーで木を伐採すると
ころから始めるんだから。

1坪3200円で600坪の山林のうちの250坪。
山林だからもちろんたくさんの木々もいっしょに付いてきた。

基礎も自分でやって、大工さんは棟上げ(骨組み)を二人に3週間だけ
手伝ってもらって、1日1万円と1万6千円ずつ払っただけ。
(一人は友だちだった)
材料や手続き費用を入れて、家を建てるのにかかったお金は全部で
300万円くらいだって。

何年か前に見に行った時は、スーパーでもらって来たハッポースチロ
ールを断熱材として壁の中に入れていた。
その工程にも何か月も費やして。

子どもが中学生になってもまだ壁のしっくい塗りが未完成だったけど、
子どもが高校生になった現在も、まだ壁は石膏ボードのままだ。

兄さんが言うには、
「石膏ボードはクリーム色で、悪くないし、もう慣れたからこのままでい
いんだ。
どうせこの家の周り300mには誰も住んでいないんだし、人に見せる
ための家じゃないから」
だって。
でも私は素晴らしいカントリー風の家に仕上がっていると思う。
人に見せるためじゃないって言うけど、読者の皆さんにはお見せします
よ。

実は、噂を聞いた雑誌社の人やそういう田舎暮らしの若者(?)の特集
を組む新聞社の人たちとかが取材を申し込んで来たことがあったそうだ
けど、兄さんは全部断ったって。
そうだろうね、世間の注目を集めるためにそうしてるんじゃないし、今の
平和な生活を壊されたくないんだろう。

それに今は、そういう、半分はプロに頼んで半分は自分で家を建てる
スタイルがファッションになって来ているとかで、 ”ハーフ ビルド” とか
呼ばれ、「たいして珍しくもないよ」って本人は言っている。
ちょっと違うような気がするけど。
(そうすると兄さんの家は、”クオーター ビルド” くらいんとこ?)


まあ、このへんで見てみて、その家の写真。
カラーコピーで送って来たものなので様子が伝わるかわからないけど、
たいしたもんだと思うし、何百万円の頭金と何千万円のローンを組まな
ければ一生家が持てないって悲観的になっている若者たちへの励まし
や前向きに何かを始めるきっかけになればいいって思って紹介するね。




  ★   ★   ★ 



最近の亮にい


アハ。まずこちらが、おっさんになった我が愛しの亮介兄さん。
顔を出しても別に構わないというのでそのまま披露しちゃいます。
(なにげにかわいく写ってる)

(「どうせわからないでしょ」って言うんだけど、それって ”読者が少な
くて” って意味? "(,,-_-) グレルヨ")


後ろに見えるのが、兄さんが10数年かけて、山の上にコツコツと通っ
て少しずつ完成させた家。
3~4年前には、未完成の状態で住み始めた。
玄関への階段は右手に。



母屋のリビング

母屋のリビング。使った木はみんなこの土地から切り出したもの。
左奥が階段で、2階にも部屋があって、天井は吹き抜けになっている。 


リビングの外にはウッドデッキっていうの?木の床の張り出し。


亮にいの家

左手奥に建てた離れは、兄さんの勉強部屋。
ここでインドのグルの本を読んだり、それを訳すために英語の勉強をし
たりして、つまりそういう本の翻訳もしている。
もちろん、出版するためではなく、自分で読んでわかりたいから。




離れ

離れアップ。手前は畑。
「たとえば一袋100円の大根の種を買ってきて蒔くと、大根がひと冬
中食べられるんだよ。100円だなんて申し訳ないようだ」 だって。




母屋の窓から

2階の小さい方の部屋。
飾ってあるのは、たぶんインドのグルの写真。
窓からの眺めは山林を切り開いた庭と、遠景には雪をかぶった山々が。
(この写真ではよくわからないけど)



山の景色

遠くの山の景色


浴室からの景色

お風呂場からの眺め。こちら側からも別の山々が見えるらしい。
まわりに何もないので、すりガラスもカーテンも必要ない。



暖炉

夜のリビング。
ストーブは友だちから中古品を譲ってもらったもの。もちろん薪をくべて
いる。近くの土地の所有者に、仕事で伐採を頼まれたりして、
「切ったものは持ってくれていい」と言われ、薪には不自由しないそう。

兄さんひとりだったら離れだけでたくさんだったんだけど、家族がいるし、
私たちの母を引き取ることになった時のことを考えたりとかしていたら、
こんなに大きくなっちゃったんだそうだ。


奥さんは子どもが成人して出て行ったらここを喫茶店にしたいそうだか
ら、そのうち皆さんを招待できる日が来るかも。



゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜ ゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜ ゚・*:.。. .。.:*・゜

 

いかがでしたか。
兄さんの人生、見ているだけ、聞いているだけでおもしろくない?

いろんな人がいるけど、私にとって兄さんは雑念にまみれた日常生活
の中にパッと現れて、忘れていた大事なことをふと思い出させてくれる
不思議な存在なんだ。
だからって、私はいつまでたってもちっとも本当に覚醒する道には辿り
つかない凡人(ふつうの女の子!)のまんまだけど。 



続きを読む>> に追記あり


兄さんがたまあに会った時に話してくれたことで、心に残っていること
を断片的だけど書き残しておくことにするね。
これは、皆さんにわかってもらおうとして書くんじゃなくて、私自身が
人生の中で出会った言葉と世界として残しておきたいから。

ついでに皆さんもつきあって、何か感じることがあればそれもそれで
いいじゃない。
私の読者に限ってむげに「ナンセンス!」と思う人はいないって信じて
る。
それに、私たち日本人というか、人間は誰でも心の中にこういうものを
感知する部分を持っていると思うから。

「ふうん」でいいから、一応私の心のどこかにひっかかった言葉の断片
を目に映してみて。
”目は心の窓”っていうからね。




   ☆ ★ ☆     ☆ ★ ☆     ☆ ★ ☆    ★ ☆ ★   


まず、兄さんが若い放浪青年の頃、話してくれた、「おもしろいなー」
って思ったショートストーリー。


ある日、良寛さんの庵に故郷の修行者が訪ねて来た。
そこで良寛さんが、
「して、故郷の様子はどうじゃ?」
って聞いたんだって。
そしたら、その人は、
「からすはかカーカー、すずめはちゅーちゅー」(ねずみだったかも)
って答えた。
すると良寛さんは、
「よく修行されましたなぁ」
って答えたんだって。


これだけの話。
でもこの中には深い意味が隠されていて、つまりこの人は、”隣の爺ち
ゃんが死んだ” とか ”どこの娘がどこに嫁に行った” とかいう、うつろい
行く人間界の世間話でなく、”変わらぬ自然” のことを言った。
(”国敗れて山河あり” だ!)

 
もうひとつ、「うーん…」と思った話は、インドのアシュラムでの修行の
話。


「そこではどんな修行をするの?」って聞いたら、
最初の3日間は、いくつかのグループに分かれて30分ごとに相手を変
えて同じ質問を繰り返すんだって。
それは、「あなたは誰ですか?」 という質問。

最初はみんな、自分を説明するために、名前や出身地について話し出
す。
ところが、それらが答になっていないことにすぐに気づき、混乱するそう。
だって名前は親がつけてくれたものだし、社会的身分も他人が作った
レッテルにすぎない。
だいたい、生まれて来たこと自体、どこからどうやって来たのか自分の
ことなのに誰にもわからない。
「あなたは、誰ですか?」
わからないのに3日間、同じ質問に向き合うんだって。



私ってこういう人

そう言う時、そういう私を見ているもう一人の ”私” がいるでしょ。
それは誰?


兄さんが言うには、空(くう)とは、
”私なんていない” ということに気付くことだって。(???)

「みんな”自分”なんて、”無いもの” について悩んでいる。
自殺しようって考える人もいる。
”自分” なんて、もとから無いのに」
だって。


それに関連するかわからないけど、もうひとつすごく面白いと思った話
があるんよ。


世界で初めてあった宗教者会議で、
「キリスト教の聖書に、”はじめに光があった” とあるが、その光は誰が
見ていたんだ?」
という質問が出て、みんなまっ青になったんだって。

そこで鈴木大拙という日本のお坊さん(禅を世界に紹介した人)が、
「それは、わしが見ていたんじゃ。わっはっは」
って言って、みんなぶっ飛んじゃったそう。
 

そう、あなたも見ていた 私も見ていたんだって。
(つまり、すべては全体でみんな含まれていて境目がない) 


でも、兄さんの師に言わせると、
”見ている人”って中心を持ってくるから、世界は2つになってしまう。
だから、その ”わし” (自分) さえもいないんだって。
(すごいこと言うね)



ギリシャ哲学では、「万物は流転する」
  自分を中心にして。
  見ている自分がいて。
  向こうに、流転するすべてがある。

仏教では、
  その自分を含めるすべてが流転している
  自分はいない



タクシーに乗り、道が混んで
「なんでこんなに混んでいるんだ!」
と腹を立てた人に、タクシーの運転手さんが
「それはあなたが乗っているからですよ」



無我の世界に ”私” はいない


道元禅師の言葉

仏道を学ぶは 自己を学ぶなり
自己を学ぶは 自己を忘るることなり
自己を忘るるは 方法によって証ぜらるるなり


(その ”方法” っていうのが、禅とかの修行なんだよね、きっと)


無我の世界に 私はいない
二度と生まれ変わることはない
純粋な意識になってしまう
般若心経でいう 不生不滅

自分とは、思考のかたまり、思考の束に過ぎない



空(くう) とは―

時間もない 空間もない 増えることも減ることもない

見ている本体は決して変わらない
見るもの、見られるものはどんどん変わる

対立を捨てる
神と人間 きれいきたない 高い低い…

見るもの 見られるもの それもない
見ている自分自身を、見る主体と客体を超え、その対立を超えて全体
とひとつになる

ダルマ(法)は草花も知っている
人間以外のすべてが知っている
人間だけが思い出せずにいる


(生きているうちに ”空” をつかまなくちゃ)


リメンバー(思い出す)とは、”再びメンバーになる” ということ。

インドの、ニガルガ ダッタ マハラジというグルに弟子が
「悟りを開いたってどういうことですか」って聞いたら、
師は答えたんだって。
「私は元に戻っただけですよ」


物心つく前に戻っただけ。
人間には生まれてしばらくすると ”私” ”私” が出てくる。
「これは僕のもの」「これは私のもの」と兄弟同士から対立を始める。
”自分” を中心に置くと、世界はふたつになってしまう。

花 きれいだと思う
花と自分を分けている
思う自分がいる
また分けている



兄さんの好きなインドのグルの言葉

ただ生命だけがある
それを生きるものはいない  

- ラグナ マハリシ



兄さんは言っていた。
「日本にはすごい文化がある。 TAO と禅。
ケン ウィルバー(ドイツ人) が書いた
"Simple Feeling Of Being" を読んでごらん」 (読んでませーん ( ´Д`) )




   ☆ ★ ☆     ☆ ★ ☆     ☆ ★ ☆    ★ ☆ ★   


以上、思い出すままに書いてみたけど、漢字や表現に違いがあったら
すみません。
”私が心で受け取ったもの” の羅列なので、一語一句が正確かどうか
調べることはここではしないけど、”意訳” ということで許してもらえると
ありがたいです。

なお、兄さんが本で読んだりインターネットで検索して翻訳を試みてい
るサイトを紹介しておくね。
(最近やっとパソコンが買えて、そういうものがいつでも読めることに日
々感動しているらしい)

興味がある人は見て下さい。




Sri Ramanamaharshi (英) (読めなーい (´ヘ`;) )

ニサルガ ダッタ マハラジとのトーク (Uチューブ)(英)

サンフランシスコ 禅センター (英)

ケン ウィルバー (ウィキベディア)
(英語版を、私が日本語版を探して置き換えといた)

ニサルガ ダッタ マハラジ (ウィキペディア)(英)

ニサルガ ダッタ マハラジの書籍 (英)


あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え
ナチュラル スピリット刊 (本)








Comments

iinjanai

世の中のすべては無常ですから。「我」というものを認めることはできません。無我だから。すべてが自分であるということです。すべてが自分になれば 不安の材料になるものは何もありません。それを本当に証明することが悟りです。                どうぞその人になってください。
君見ずや絶学無為の閑道人 妄念を除かず 真をもとめず。 

Re: iinjanai

kousuke さんへ
さりげなくありながら、心の奥深いところに触れるコメントをありがとうございました。
何度も読んで噛みしめたいと思います。
美弥

Re: iinjanai(2)

つづき
無常というのは ”同じでない、常に変わっている” ということですよね。”すべてが自分” ということは、自分と他の物との境目がなく、すべては全体でひとつだから=自分はないけれどもすべては自分ということですね。
人間の体の成分は土と同じということなので、放っておけば人間は自然に土に帰り自然と一体化してしまうということや、羊水が海の成分に近いということから、人間だってアメーバとかと同じなんだろうって思います。生まれたての赤ちゃんを水に投げ込むと溺れないそうですね。まだ羊水の中にいた時のことを覚えていて。
アダムとイブではないけれど、人間だけがリンゴを食べた時から知恵と同時に不安も身につけ、自分と他のものを分け隔てることを始めたんだなーって思います。
リンゴを食べる前の状態に戻ればいいんですよね? その方法が一般人にはなかなかわかりませんが、それはきっと ”求めていない” からなんでしょうね。
本当に求めれば見つかるのでしょう。あなたや亮介兄さんのように。

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