3-4 テヘラン(イラン) ~ ヘラート(アフガニスタン) 


テヘランは砂漠地帯にあるように思えるけど、実は海抜1200mの高地に
あって、背後(北)には最高5000m余りの高度を持つエル・ブルースの連
峰が聳えているんだよ。
だから ”中近東のスイス” って呼ばれることもあるんだって。

イランは北部のカスピ海沿岸沿いの一部の地域を除いてほとんど砂漠なん
だけど、カスピ海に面したエリアは緑豊なリゾート地なんだそう。
次回はそんな場所も訪ねてみたいよね。



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イラン地図4

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アフガニスタン目指して砂漠の道

テヘランから、その山岳地帯を北西に見送ってイラン中央砂漠(正式には
ダシカヴィール砂漠)を縦断し、東の隣国アフガニスタンの西の玄関口、
ヘラートへ向かう長距離バスの旅は、1200キロの道のり。
走行時間のみなら20時間くらいの計算だけど、そんなわけには行かないこ
とはもう百も承知。
途中で給油したり、長い休憩を取ったり、タイヤがバーストしたり、国境で手
間取ったりで、ここでは予定は未定。

高原地帯のせいか、途中のセムナンあたりまではまだ少しは緑があったけ
ど、それからあとはずっと砂漠地帯が続いてた。
(ほんとは、寝ていたので、ほとんど覚えていないんだけど)

砂と熱風が入ってくるので、窓は閉め切ったまま。
座席はお尻との接点が汗でびしょびしょになるので、片方に傾いては片方
のお尻のほっぺを離してその体勢をキープ。
そうやって、お尻のほっぺを片方ずつ乾かすんだ。

そして眠くなれば、高温設定の電気毛布さながらの座席に体を丸めて寝た
ので、”腰を伸ばす” という動作が長時間ほとんどなくて、いつの間にか
「自分は海老になってしまったんじゃないか」って錯覚に襲われたし。

夜は一応気温は下がるけど、何しろ昼間は40℃を越える猛暑だからね、
余熱はすぐには冷めず、バスの座席も手すりも、しばらくは熱いまま。

どんな粗末なベッドでもいいから、体をのびのび伸ばして寝たいよーぉ…。

アフガニスタンとの国境に近いイランの北東部にある大きな町、マシュハド
を通って、国境の町、ドガルーンに着く。

イラン側の国境の建物は、お金持ちの国らしく結構立派で、出国は割と簡
単にスタンプを押してくれたけど、
ここからイランへの入国審査は、厳しいということだった。

この国境地帯は、マルコポーロ時代にシーア派の一派であるニザール・イヌ
マイル派の暗殺集団が暗躍したところで、彼らが用いたというハシシュの本
場だそう。(それが暗殺者=アサッシンの語源となったらしい)

アフガニスタン側の建物はとても粗末で、時間がかかった。
係官が、のんきそうにいろいろ話しかけてくるんだ。
暇なのか、何かワイロとしてほしがっているのか…。


向こう側では、いろんな車の客引きが乗客を待っていた。
トラックを改造したものや、これ以上ボロくなるかというどこかの国の中古
バス。

値段の交渉で、ここでもたいそうな時間と労力がかかる。
私たちは裕さんに任せ切りだったけど。

私たちが乗った塵まみれのバスは、通路や屋根の上まで荷物と男性の乗
客でいっぱい。
屋根まで満員にならないと出発しないから、ここでもまたやたらと時間がか
かる。
ヘラートまではあと120km、何もなければ4時間くらいで着くらしい。


アフガニスタンに入ったら、これが道路かってくらい穴ぼこだらけの、舗装さ
れていない道になり、車が揺れるたびにつかまるところもなく、頭にガンガン
響いて、砂煙がすごくて、鼻と口を押さえるのに忙しい。



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アフガンの砂漠

アフガニスタン 車窓からの風景


窓の風景


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こっちの男性たちがターバンをしている理由のひとつがわかったよ!
あれは、日よけとマスクの代わりになるからだよ、きっと。
ターバンの端っこで、顔を覆ったり鼻をかんだりしていたもの。

もうひとつ、おもしろいことがあった。
イスラムの国では女性はバスの後部座席に乗るんだけど、そのバスには
旅人女性客は、私とヨーロッパ人の女の子の二人だけだったんだけどね、
彼女はノースリーブにショートパンツっていでたち。

そしたらね、荷物を置いた通路を挟んでずらりと座ったイスラムの男性たち
が、私たちを見るんよ。
全く遠慮なく、見たい放題まじまじと。いっせいに。
それも、何人かは口をポカンと開けてよだれを垂らして。

イスラムの男性たちは自由に男女交際ができないどころか、外で覆いをし
ていない若い娘を見る機会もない人がたくさんいるみたい。
そうやって私たちは、ずっとずぅ~っと、見られていた。


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チャドルイラスト

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見渡す限り赤茶けた乾燥地帯が続き、バスはお祈りの時間が来ると止まり、
トイレは砂漠の岩の陰で済ませた。
女性は、別の離れた岩陰で交替でね。

途中で、やっぱりタイヤが破裂した。
(どう見たって、重量オーバーだってばー!)

時々、土壁の家々が点在する小さな村や、羊やヤギの群れに会う。
イランの景色とは違って、どこかのどかで牧歌的。

聞くところによると、イランはお金持ちなのでまだ灌漑とか進んでいるから
砂漠にも少しは緑があるけど、アフガニスタンではそういう整備がされてい
ないし、夏はモンスーンはあっても年間雨量より蒸発する水の量の方が多
いから、ますます砂漠化してるんだって。
それにアフガニスタンには鉄道もないそう。


へラートに着いたぞー

それでね、滞在先に決めた安宿の食堂で、やっとまともな食事ができると思
って、メニューの ”ミート アンド ベジタブル” っていうのを注文したところがね、
(それまでは何を食べていたかというと、ヨーグルトに蜂蜜付きのパンだけと
か、羊の肉をつくね風に串に刺したシシカバブとか、そのサンドイッチとかば
っかだったから)
出て来たのが、日本のおてしょうサイズ(お刺身のしょう油差し皿くらいの大
きさ)のお皿に乗った、肉の断片と野菜を煮たものと、パンだったんだ。

「詐欺だぁ」 と思う前に、私は涙が出てしまった。
砂漠で作物はほとんど採れないって聞いたけど、いくら安宿とはいえ、
”ミート アンド ベジタブル” と名の付く料理がこれ?



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ミートアンドベジタブル

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それでも私たちはヘラートが気に入って、しばらく逗留して長旅の疲れを癒
すことにした。

何と表現したらいいかわからないけど、アフガニスタンはイランと雰囲気が
全然違う。
古い映画に出てくる日本の何十年前の田舎に姿に似ているというか、すっ
ごく素朴でのどかだったんだよね。
人々の生活は何十年どころか、何百年て変わってないんじゃないかなー。
コーラがあるくらいで。
(中身の量が瓶によって違うので、オートメーションで作られたのかどうかは
怪しい)

宿の人たち、バザールの人たち、そして行きつけの食堂街の人たち…と、
出会った人たちがみんないい人ばかりだった。


地元の人たちは、私たちが日本人であることにまず驚く。
そして、「日本人の女の子と話すのは初めてだ」ってもっと驚く。

たまあに日本人らしい観光客が乗っているツアーバスが通ることはあるけど、
クーラーの効いたきれいなバスの中から外を見ているだけで、日本人がバ
スから下りて来たことはないという。
そしてそういう観光客たちは暑さと下痢にやられているらしく、みんなゲッソ
リへたばって見えるって笑ってた。
(へーえ、アフガニスタンを通るパック旅行もあるんだ…)

そういう人たちが泊まるホテルでは、清潔なレストランで高級料理が出され
るんだけど、それでもほとんどの外国人は下痢をするそうだ。

アフガニスタンでは料理に羊の油をよく使うんだけど、慣れていない日本人
にはそれが下痢の原因になるし、それと飲み水のせいもあるらしい。


古都ヘラートは15世紀にはティムール帝国の首都として栄え、学問芸術の
中心地にだったんだって。
なのでこの町は ”シルクロードの真珠” って呼ばれたこともあるらしいよ。
私には、ただの田舎の町にしか見えなかったけど。

町の中心にあるバザールは、観光客を意識して少しは見栄えがよかった
けど、町外れの地元の人用商店街はみすぼらしいテントのような幌で囲ん
であるだけで、土の道にも品物を並べてた。


私たちはバザールで、最初は客引きのために英語で話しかけて来た若者
や、いつも暇そうにチャイハネや路上の木の下にたむろしているおじさんた
ちと仲良くなって、毎日のように散歩に出かけてはお茶飲みやおしゃべりに
寄っていた。

親しく話した後は、「遠いところから来たんだから大事なお客さんだ」 と言っ
て、いつの間にか私たちのお茶代は誰かが払ってくれていた。
いつも行ってた町外れの食堂では、ラバーブという弦楽器に太鼓を合わせ
る民族音楽を、私たちのためにわざわざ演奏してくれたこともあった。

宿のスタッフも、洗濯のおばさん(顔だけ出して全身にチャドルでない布を
被っていた)と坊やを含め、言葉が通じないのに表情とジェスチャーでのコ
ミュニケーションをはかり、「困っていることはないか」といつも優しく言ってく
れた。


アフガニスタンにはね、日本に好意を持っている人が多いんだよ。
どうしてかって…

一番の理由は、「アメリカ(米国)と戦ったから」 そして、「アメリカに原爆を落
とされたのに、戦後は見事に立ち直って平和な国を築いている から」

アメリカとの関係については 「?」 って感じもあるけど、こんなところでそん
なふうに敬意を表されると、
「ほんとに、もっと平和を大切にしなくちゃ」って思う。


英語を話す若者たちとは、熱い議論をした。
(彼らは観光客相手の商売のために、必要な英語を独学する)

みんなアメリカに批判的で、それに追随する日本にもちょっぴり反感を持っ
ていたけれど、アメリカに原爆を落とされた国としてやっぱり同情的で、
それゆえに被害者意識を共有しているつもりなのか、私たち日本人には
不思議な親近感を持ってくれているようだった。

私は彼らの一人の言葉が忘れられない。
それまできさくに話して笑っていた表情を真顔に変えて、彼は真剣な眼差し
で言ったんだ。

「日本は自由な国だと言うけれど、それはアメリカの管理下でのことだろう。
報道はアメリカや日本政府に都合がいいように操作されていると思う。
それらに騙されず、もっと広く客観的に中東の国の情報を手に入れ、この地
域で何が起こっているのか、事実を知ってほしい」って。



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アフガン人青年と裕さん

英語を話すアフガン青年、ムスタファと、アフガニスタン
の民族衣装を着たわれらが(もとい、私の)ヒーロー、裕さん


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Comments

その後のアフガニスタン

ずっと胸を痛めています。
平和だったころのアフガニスタンの風景も人々の暮らしや表情も、今では戻らぬ歴史の一部に。
この頃の思い出は、かけがえのないものです。
  • [2016/02/15 10:44]
  • URL |
  • 60才台の美弥
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