スポット訪問記 Vol. 10 フランス ブルターニュ地方(1) 


フランスの大学の学期
は、長い夏休みを挟んで前期後期に分か
れていたんだ。

私は前期の春学期にカーン大学に通い、ほぼ6月~9月まである
長い夏休みの間の2か月半くらいパリでアルバイトして、あとは
周辺の旅をして、後期の秋学期はディジョン大学へ行ったわけ。

今日は、パリで働いたあと、ディジョン大学のコースが始まる前に、
ずっと夢見ていた ブルターニュ地方海岸線沿いの旅 に出かけた
時のことを特集するね。
また観光案内っぽくなくなっちゃったけど、観光案内は他にもいっ
ぱいあるからいいよね!
私の視点から発見した、私なりのブルターニュ案内をどうぞ。

なお、前半はまた文字が多いけど、後半には写真も結構あるので
がまんしてちゃんと勉強しながらそこまで辿り着いてね。


 




         ブルターニュ地方

ブルターニュ指摘地図

        フランス全体地図とブルターニュの位置
             (西の端、ピンク部分)






行ったとこ地図1



         ブルターニュ地方アップ
           (上の地図のピンク部分を取り出したとこ)





   右上のサンマロからまん中下のカルナックあたりまでずっと
   海岸線に沿って旅をしたんだよ。
   岬から島々にも寄りながらねっ! 
   (今思えば 「うっそーっ!!」 って感じ)

   サンマロの東、カルカルから、ビニックのちょっと南のル ヴァル
   アンドレ までは、”エメラルド海岸” と呼ばれているそうだけど、
   そんなふうに特定しなくても、ブルターニュの海岸はどこも
   みーんな夢のようにきれいです。






     ハート ハート  私のブルターニュ ハート ハート  


ブルターニュ地方の町典型


これが私のブルターニュ地方の町のイメージとピッタリの一枚。
その時持っていた観光ちらしを切り抜いたものなんだけど、メモし
ておかなかったので、どこの町かはわからなくなっちゃった。

カンペールが、”ふたつの川の合流点” という意味なので、この
写真がそうだと思っていたんだけど、カンペールの大聖堂の塔は
ふたつあるんよ。 (どこの町だかわかる人、教えて下さーい)


ヨーロッパではほとんどの町にといっていいほど、町の中心に寺院
の塔が聳え、そのまわりに人々の生活圏が広がっている。
海が近ければ、絵画のように美しい川辺の風景があり、舟に乗って
川下りをすれば、岸辺には古城が木々の間に間に見え隠れしたり
する。


私がブルターニュに惹かれる理由は、ノルマンディー地方と同じく、
入り組んだ海岸線に沿った美しい景色や中世の街並み、個性的な
陶器で出されるおいしいお料理もあるけれど、

それらをより魅力的にしたのは、その特異な歴史と言語



というのはね、ブルターニュにはフランス語とは違うその土地の
言葉があるんだけれど、なんと、それがウェールズ語に似ている
ことに気付いたんだ。
それから私の謎解きが始まった。

ウェールズ語がイギリスにもともと住んでいたケルト人の言葉で、
あとから攻めて来たゲルマン人(アングロサクソン人)の言葉
(英語のもとになった)と全然違うことは、ウェールズのところで
説明したよね。
ブルターニュ地方を旅していて、ブルターニュ地方の言葉の発音
がそのウェールズ語独特の発音と似ている上、話し方もウェール
ズ語と同じで歌うようであることにびっくり。

それでね、調べて見てまたびっくりしちゃった。
だって、私の感じたことは正解で、ブルターニュはフランス国内に
あるのに、言語はほんとにウェールズ語と同じ仲間だったんだ。
なんでー??」って感じ。

それで今回は、観光もいいけど、その点に焦点も当ててみるね。
私が耳で発見したおもしろい事実だったから。




      ★ ちょこっと歴史の勉強入れるよ ★ 


この地方は5世紀までローマ帝国の統治下にあって、イギリス
(ブリトン)からアングロサクソンに追われてこの地に来たケルト人
が開拓した国だったんだ!
だから「ブリタニア」(ブリトン人の国。フランス語ではブルターニュ)
と呼ばれ、1532年の合併条約でフランスに組み入れられるまで、
独立した国、“ブルターニュ公国” として栄えていた。

そしてそこで話されていた言語も、インド・ヨーロッパ語族ケルト語
派ブリタニック語群ブレイス語で、イギリスのウェールズ語に近く
ラテン民族で形成される他のフランスの地域の言語とは異なると
いう。
私が、何の予備知識もなく、ブルターニュの人々が話すのを聞いて
それに気づき不思議に思ったってことがすごくない?

ブルターニュはもともと、イギリスのストーンヘンジのような先住民
の巨石文化があった地としても知られているので、そういう歴史
的な背景とケルト文化を融合した独自の文化・風習が育まれてい
たんだ。

フランス政府は地方の独自性を認めない中央集権的な言語政策
を取り、学校教育を通じてフランス語を普及させたため、ブルター
ニュでもブルターニュ語は日常生活であまり使われなってしまった
んだけど、
近年は少数言語として復活の努力がなされていて、例えば一部の
公共機関や銀行などではフランス語とブルターニュ語が並列表示
されているそう。
そこもウェールズとそっくり。

その上ね、1532年にブルターニュがフランスに統合されてから、
フランス皇太子は、代々ブルターニュ公を名乗るようになったんだ
って。
それも、イギリス皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗るのと
全く同じ
だね!

ブルターニュは、小さなブリトンだったんだ。
(ブリトンをイギリスと言ってしまうと弊害がある。ブリトン=イングラ
ンドじゃないものね。イギリスができる前にイギリス南西部に住ん
でいたケルト人のことだよ)

イギリスとフランスで海を隔てたブルターニュとウェールズが、今で
もこんなふうにつながっていたんだ。
もちろん、ウェールズのワトソン氏に、そのことを書いて送ったよ。
「よく気がついたね」 って喜んで下さった。

「ゲルマン人とケルト人」について、もう少し知りたい人は、続きを読む>>
に資料を入れておいたので、興味がある人はそちらも見て。



じゃ、ブルターニュの歴史的背景はこのくらいにして、訪ねた町や
村を紹介するね。






サンマロ

サン・マロは、モンサンミッシェルから11キロと少し。車で20分くらい。

藍色がかったエメラルドグリーンの海がキラキラまぶしい港町。
歴史的背景も面白い。
旧市街は、12世紀に築かれた城塞にぐるりと囲まれている。



サンマロ絵葉書

サンマロ (絵葉書)


16世紀には"コルセール"(外国船から獲物を奪う権利を王から
与えられた民有武装船、つまり、政府公認の海賊)が活躍した。

商人たち、そしてこのコルセールの拠点地として、サンマロは17~
18世紀にかけてフランス随一の港町として繁栄を極めたそう。

激しい潮の干満の差を利用して、長い間サン・マロは敵の手に落
ちたことがなかったんだけど、
第二次世界大戦では街を占領したドイツ軍を撃退するためにアメリ
カ軍が爆撃して、街の8割が壊滅してしまったんだって。

そして戦後、サン・マロの人達は、
瓦礫の石をひとつひとつ積み上げて、旧市街地を17~18世紀の
スタイルで再現したそう。
そんな住人たちの故郷の街再建への思いには、どこでも心を打た
れるよね。

旧市街を囲む12~18世紀にかけて建てられた城壁はその大部分
が戦禍を逃れ、当時のまま残されている。



サンマロ絵葉書2

サンマロ 城壁と旧市街地 (絵葉書)


サンマロ切抜き

旧市街地 (その時持っていた観光ちらし切り抜き)


城壁の上は、きれいな海を見ながらぐるりと散歩できるし、
グラン・ベ島とプチ・ベ島はサン・マロの浜辺の沖合いにあって、
引き潮になると浅瀬を歩いて渡ることができるよ。



サンマロ城壁路

写真=フォトライブラリーより





カンペール

     最も私を魅了した


“カンペール”は、当地のことばであるブルトン語で「ふたつの川の合流点」
て意味だって。
“ペール”って“ペア”のことだよね。


サン・コランタン大聖堂周辺の旧市街は、大聖堂を中心に
石畳の小道に沿って木骨組を取り入れた中世風の家並が続いて趣きがある。
建物は1階から屋根に向けてだんだん大きくなる伝統的な建築方式のもの
が多い。



カンペールパンフ


サン・コランタン大聖堂は、ブルターニュ初のゴシック様式の大聖堂。
1240年に着工。
高さ80メートルのふたつの尖塔は1854~1856年にかけて完成した。




カンペールの寺院前カフェ

サン・コランタン大聖堂前のカフェでカフェオレを注文。



カンペールカフェ2  

  そのカップの大きさに
  驚いているとこ。
















器はもちろん、この地特産の”カンペール焼き”
素朴な手描きの陶器で、ギャラリーやお店がたくさんある。




Lodec川2

Odec川 (絵葉書)

”フランスで最も美しい川” って書いてある ↑


川辺のお城3

川下りの舟に乗ったら、岸にお城がいくつも見え隠れ


川下り船上

ほら、あそこにも。




     ブルターニュの特産品


もちろん、一番はクレープ!

クレープ

どこへ行ってもおいしくて、食べるのが楽しみだった。
(牡蠣とか帆立とかオマール海老とかは高いので、食べなかったし
 kao07




     ブルターニュの民族衣装


各教区ごとに違うデザインの、レース編みの帽子や民族衣装


民族衣装のレース帽子


カンペールお祭り
      絵葉書 ↑ 

    
  
      ← ちらしの切り抜き ↓



   ブルターニュレースの帽子




レース帽子のおばあちゃんたちと

バス停で会ったおばあちゃんたち。

お出かけにはよそいきのレースの帽子をかぶるし、畑仕事の時も、
ふだん着のレース帽をかぶっているんだって。




ブルターニュ民家と子ども

道を通りかかったら、子どもたちが民家の前に椅子を出して座っていた。
お祭りの風習のひとつで、子どもたちは衣装を見てほしくてこうして
家の外に椅子を出して座るそう。

女の子の衣装は、みごとな総レース仕立てだった。






! (2)へ続く  


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