スポット訪問記 Vol. 20 クラコフとアウシュビッツ 


あのね、「あれっ?」って気がついた人がいるかもしれないけど、今回のために、「スポット観光編」 だったカテゴリーとその中の記事ぜ~んぶを 「スポット訪問記」 って変えちまった。

なぜかというと、後半で書く記事が 「アウシュビッツ」 だから。
「スポット観光編」 とするにはあまりに抵抗があるじゃん。
だからって、ここだけ取り出して「番外編」に入れるのも、今までの流れが途切れてしまいそうだったし… で、

そうしたことで、心おきなく書けたってわけ。

もうよく知られていることとは思うけど、今回は私の目を通して一緒に体験し、感じ、思いを共有してね、心強い読者の皆さま。




×× × ×× × ×× ×× × ×× × ×× ×× × ×× × ××


st16.gif

当時はどのくらいかかったのか覚えていないけど、ワルシャワからクラコフまでは現在特急で2時間45分だとか。

クラコフは日本でいうと京都のような町。
年も押し詰まった1979年12月28日に、ワルシャワで出会った日本人数人と、ディジョンから一緒に行ったY君と訪ねました。

チェコスロバキア国境の山道は大雪で、みんなで風邪ひいちゃった。



ワルシャワ人とクラコフ人は仲が悪く、競争心、敵対心を持ち合っています。
ワルシャワは何もないところからの復興に市民が力を合わせているけど、見てきれいな場所はまだ少ない。
クラコフは東欧らしいエキゾチックな美しい都。
どちらの側にもつけませんね。
全く違う二都市でした。

(旅のメモより)




クラコフ絵葉書

クラコフの絵葉書


クラコフたそがれ風景

たそがれのクラコフの町にたたずむ。

やっぱり古都の趣があるね!
いっしょにいるのはわれらが星・K雄さん(ちょっとおちょくってる?)と、ニューフェイスの在ワルシャワ日本人のみなさん。
この二人はパーティーには来れなかったけど、ワルシャワ滞在中に知り合ったんだ。
女性のほうは、S子さんと同じく、ショパンコンクール出場を目指していた。
(きっとここまで来るからには、ピアノの腕はすごよね!
みーんな輝く星だ。私は何星かな… Σ(¬_¬;) )



クラコフたそがれ風景2

古い教会の鐘の音が聞こえて来そう…


クラコフの通り

町の通り。

これが、現地御用達防極寒仕様モコモコオーバー。
もちろんメッチャ荷物になるから、フランスに帰る時、エステラの家に置いてきた。



クラコフ市場絵葉書

クラコフ中央市場絵葉書。
この建物の中は、民芸品屋さんでいっぱい。


K雄さんからの便り


上の文面は、その上のクラコフ中央市場の絵葉書裏。
(クリックすると大きくなって読める)

K雄さんに送った手紙への返事らしく、1980年2月11日付けで書かれていて、イギリスのオックスフォードにいたと思われる(?)私宛てに投函されたもの。
文中に出て来るM君というのは、ワルシャワにいたビジネスマンさん。

実在したK雄さんからもらった貴重なノンフィクション素材なので、ここに載せて記録として保管しておくね。

…つまり察するに、私はこの年の2月にはフランスのディジョン大学のコースを終えて、イギリスに一時、戻っていたか、
手紙を出した頃、その先自分がどこにいるかわからないので、イギリスの住所を連絡先にしておいたのだと思う。
(過去現在が交差して、自分でもいつどこにいたのかよくわからなくなってるけど、きっとそうなんだろう Σ(・。・;) )



×× × ×× × ×× ×× × ×× × ×× ×× × ×× × ××


アウシュビッツ強制収容所

アウシュビッツ写真葉書

6000ボルトの有刺鉄線(絵葉書)


アウシュビッツ強制収容所は、クラコフの町から西へ50kmほど行ったところにあった。

その場所のことは歴史の勉強やテレビなどの番組とかで知識としては知っていたけど、そこで実際に見たものはほんとに想像を絶するものだったよ。

思い出すと今でも、「人間はそこまで残酷になれるのか」って絶望的な気持ちになってしまうけど、歴史の中では同じようなことが世界各国で起きたし、今でも起きているんだよね。

その悲惨さから目を背けずしっかりと向き合うことが、少しでも未来の同じような出来事を回避する力として働けば、このような負の遺産もひとすじの光を与えてくれるものと信じて、その時のことを載せるね。

(アウシュビッツは私たちが訪ねたこの1979年に世界遺産に登録された)




アウシュビッツを訪れる機会があろうとは…

とても言葉では言い表せません。

何十畳の部屋いっぱいに人間の髪の毛の山。
女性の髪だけで7トン。
中にはお下げを編んだまま、リボンをつけたままのものも何メートルとうず高く積まれていた。
死体から取ったもの?殺される前に切られたもの?…

ガス室に送られる前は、男も女も子どもも全員裸にされ、ガス室までいっせいに走らされたという。
(その写真まであった)


他の展示室に行くと、今度は広い部屋に入れ歯の山。

また別の部屋に行くと、歯ブラシの山、めがねの枠の山、義足の山、と、数え切れない、天井まで届くほど、気の遠くなるような数。

人間の髪の毛で織ったという毛布や、人間の皮膚の油を採って作ったという石鹸も展示されていた。

いろんな種類の拷問室、銃殺する人々を立たせた死の壁、ガス室、死体焼き場、人体実験の記録…

反抗する者は、どうせ殺されるにしろその前にひどい拷問を受けた。
比較的言うことを聞く者には、処刑者の死体を埋める穴を掘る仕事が与えられ、少しは長く生きられたけど、
結局その人たちもそこに投げ込まれた。
あまりの苦しさに、電気が通った有刺鉄線に自ら身を投じて自殺する人も後を絶たなかったという。


小さな女の子が、凍傷のテストのため、裸足で雪の中に12時間立たされ、写真の中でその足は青く3倍にも膨れ
上がっていた。
(どのくらいで死ぬかという実験だったらしい)

プラスチックや毒物を皮膚に移植された若い女性たちの写真もあった。
(命が助かった人たちも、ずっと後遺症に苦しんだという)

反抗も許されず、ただ言うなりになって虐待され、殺されなければならなかった人々。
何の罪もないのに…


同じ人間が同じ人間にこんなことできるの?
何の権利があって…

世界各国語の説明があったけれど、ドイツ語だけはありませんでした。

(旅のメモより)




アウシュビッツ収容所入口

収容所入口。
頭上に 「働けば自由になれる」 という看板がかけられている。



アウシュビッツ建物


建物は博物館になっていて、没収されたらしい身分証明書が壁いっぱいに所狭しと貼られていた。
その顔はみんな笑顔で、(外国の人たちは、日本と違って身分証明書の写真を撮る時は笑顔にする習慣がある)
どこにもいそうな、すぐ隣にいそうなふつうの人たちだったよ。

収容されてからの証明書はみんな頭をぼうずに刈られ、囚人服を着せられて、これから何をされるのかと悲痛な表情をしているけど、労働力にならない老人・女性・子どもの多くは身分証明書も作られずに即ガス室に送り込まれたという。


ドイツ人は過去の事実を認めて今でも亡命している当事者たちを追い、裁判で裁き、「二度と同じ過ちは起こさない」 と国を上げて意志表明しているところが日本と違う」 って、そこにいたアジアのどこかの国の人が言った一言が、胸に刺さってしまった。

私たち、何もせずに傍観者でいてはいけないんだよね…
何ができるかわからないけど、ちゃんと歴史を勉強して、今の日本の国際的な位置を確かめて、機会があったら本当の平和のために声を上げて、行動に出して行こうね!
大切な日本をもっといい国にして行くために。

まずは選挙に行こう!棄権しないで。
(あなたも私もみーんなが、故国日本の星だよ)



゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜


( ↓ 続きを読む>> に追記あり )


×× × ×× × ×× ×× × ×× × ×× ×× × ×× × ××

続きを読む

スポット訪問記 Vol. 21 アムステルダム 


オランダと日本は、古くから特別な関係にあったんだよね。
鎖国中もオランダとだけは交易があったし、医学とかもオランダから学んだんでしょ。

でも乙女の ( 寝る ) 私がイメージするオランダは、風車とチュー
リップ畑…  下の写真のような… ( にっこり




オランダ風車web
オランダ 風車とチューリップ畑 (フリーweb素材より)


turipfiels2.jpg
オランダの風景 (絵葉書)


かつてオランダはの国土の4分の1以上は海面より下にあったんだけど、干拓を繰り返し、海水侵入を防ぐ頑丈な壁を作って国土を守って来たんだよね。

子どもの頃、「ある冬の夜、その壁に小さなひびを見つけたおにいさんが自分の手を栓代わりにその隙間に差し込んで、壁の決壊から町を守るために一晩中そうしていた」っていうお話を読んだことがあったなー。

オランダはゴッホの故郷でもある。
”飾り窓の女たち” でも有名だけど。
(そこには社会問題が隠されているのかもしれないけど、今回は子ども的観点を優先します)


じゃ、出かけてみよっ!




ams空から
アムステルダム 上空



あむすてるだむ空から
アムステルダム中心地 (絵葉書)

「これ、絶対にお伽の国に違いないって!」 と
まぶたをこするわたし。




あむすてるだむ絵葉書
アムステルダム (絵葉書)

ほんと、夢のようだよね!



はい、到着。

空港下りて、びっくりしたことがある。
空港のあい向かいに鉄道の駅があるんだけど、地下にあるという駅の改札口へ行くつもりで表示通りに歩いて行ったらエレベーターがあったから、それに乗ったんよ。
それでね、地下に着いてエレベーターのドアが開いたら…!!
そこは突然、町の中心へ行く電車のホームだったの。

飛行場から電車の駅の入口も改札口も通らず、エレベーターのドアが開いたらそこは電車のホームだなんて…
ほんとに、どらえもんのどこでもドアみたいだった。



アムステルダムは元々は小さな漁村だったが、13世紀にアムステル川の河口にダムを築き、町が築かれた。
16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展した。
現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河や、その運河に沿って並ぷ17世紀の豪商の邸宅、自転車、飾り窓の女性たち、アンネ・フランクの家などで広く知られる。

この町は自転車に乗る人が多く、車道と歩道の間に自転車専用路が設けられている。
中央駅付近には巨大な駐輪場があり、絵葉書などにも自転車をあしらったものがある。
(ウィキペディアより抜粋)




ホテルの広場
ホテルのあった広場・ダム スクエアー



ams駅
アムルテルダム中央駅

あれ? どっかで見たことがあるような…って気がしない?
そう、東京駅はこの駅をモデルにして造られたのです。




川辺の風景FL
町なかを走る運河 (写真:フォトライブラリーより)

自転車が多くて、「要らなくなると市民が自転車を川に投げ込むので、川底がどんどん高くなるんだ」 そう。 



川上ボートの家
川上ボートの家

町なかに運河が占める面積も大きいので、そこを棲みかにする人も多く、一軒家のような舟をたくさん見ました。
違法らしいのですが、川上なら借地料や固定資産税を払わなくて済むので、舟で暮らす人は後を絶たないのだとか。
(これはその時聞いた話で、実際どうなのかはわかんないです)

中を覗くとふつうの家のようにキッチンありリビングルームありで、書斎の本箱にはぎっしり本が並んでいました。
(いいないいなー。自由にどこでも移動できるし)




amsボートの家2
天気のいい日は庭(甲板)で物干し…



ams路面電車


それじゃ、アムステルダム名物のひとつ、路面電車に乗って街を散策してみましょ。


ams国立美術館

広い通りの突き当たりに見えて来たのが国立美術館。
光と陰の捉え方が印象的なレンブラントの絵画を始め、名作が揃ってます。




★***★***★***★***★***★***★***★***★


ここで ”国境を越えた愛” の美談をひとつ。 LOVE


ゴッホ美術館100年祭


これは何の建物かというと…
ゴッホ百年祭特別展示期間中だった、ゴッホ美術館!

ちょうどそんな折に来れたということに感激すると同時に失望したことには、
「入場した人一人ひとりが、ゆとりを持って鑑賞できるように」 との基準で、入場制限をしていたのです。

だからって、まだ陽が高いのに、
「本日の分は売り切れました」って受付の守衛さんみたいなおじさんに言われちゃったの!
「そ、そーんなぁ~っ。  ( 嬉し泣き ) 」

日本に来たモナリザを見に行った時、ロープが張られた通路から、
「はい、移動して下さい!」 と警備の人にせかされつつ、はるか彼方におぼろげに見えるモナリザさんの顔を黒山の人だかりの隙間から垣間見たことを思い出すと、

入場した人たちがじっくりゆっくり鑑賞できるようにと、チケットの販売を調整することには賛成だけど…

「だって私は遠い日本からイギリス経由で27時間もかけて飛行機に乗ってここに辿り着いたんです。
そして乗り換えのアムステルダムには、今日1日しかいられないの。
入口まで来て大好きなゴッホの本物の絵が見られないなんて、悲しくて死んでしまいたい」
と言ったら、顔がゆがんで来た。

そしたらそのおじさんね、「仕方ないなあ」って顔で溜息をついて…
奥の部屋に消えてしまったの。
そして何かを手に持って戻って来て、

「私が知り合いが来た時のために取っておいたチケットだよ。
知り合いはいつでも来れるから、遠い日本からはるばる来たあなたに譲りましょう」
と言って、後光が差すようにさえ見えたそのチケット1枚を渡してくれたのでした。 

おじさん、ほんとうにありがとう!!( キラキラ ウルウル )

(ちなみにモナリザさんにも本場ルーブルで、手の届くような距離で再会を果たしました)



 

ams街角の家
街角の建物



街並み
市立美術館あたり



岸辺の船舶
アムステルダムでは造船も盛ん


これ写真なんだけど、なんだか油絵になりそう?



川下りボート2

昼も夜も、運河巡りの舟に乗ってしまいました!



500_20090721193204.jpg
アムステルダムの夜景 (絵葉書)


アムス夜運河より
夜の中央駅周辺



ams橋昼
↑昼間の橋  ↓夜の橋


夜の橋
イリュミネーションの点いたたくさんの橋の下をくぐって行きます。



ゴッホ跳ね橋絵葉書
ゴッホの 「跳ね橋」 の絵


跳ね橋夜2
夜の跳ね橋


跳ね橋2
その下をくぐっているところ



飾り窓夜
いろいろな飾り窓もきれいでした。


夜の窓辺ams窓の明かり




↓運河巡り舟の中    酒場で→

川下り船夜  夜酒場で

   
実は夜は、乗った飛行機のスチュワーデス (今は ”フライトアテンダント” ?) さんといっしょに出かけたんだよー



アムステルダムは、たったの1泊2日の訪問でした。
「えーっ、なんでそんなもったいないことを!?」
って驚きあきれないで。
これは無料の ”おまけサービス” だったんだから。

外国の航空会社はね、時々、その航空会社の国の紹介も兼ねて、
”ホテル1泊サービス付き” っていう便を提供することがあるんよ。
(もちろん、格安便である上のさらなるおまけサービス)

これはKLM(オランダ航空)のロンドン→成田便だったので、「アムステルダム1泊」 が付いていたわけ。
そのかわり観光のめんどうまではみてくれないから、自分でまわらないといけないけど。

ほんの2日間だったけど、国立美術館、市立美術館、そしてゴッホ美術館へ行って、運河巡りも昼、夜2回体験できて、良かった。
中でも、ゴッホの絵を少ない入場者の一人として間近でゆっくり観れたことが一番嬉しかったかな。

その後またイギリスに友人・知人を訪ねて行った時に、今度はスペインのイベリア航空で行ったんだけど、
その時も、「マドリッド1泊とフラメンコ鑑賞&ディナーサービス付き」っていう格安便で行ったんだよ。
(ディナーのワインで酔っ払ってホテルへ帰る途中で道に迷ってしまい、マドリッドの路地裏をひとり歩きまわった時は、ちょっとこわかったけど)


そういうわけで、次回はたった1泊2日だったけど、マドリッドで見たこと聞いた事も織り込んで紹介するね!



続きを読む >> に追記あり )


続きを読む

スポット訪問記 Vol. 22 マドリッド 


        マドリッド文字

ステッカー

↑道端の露店で買ったスペインらしい色・デザインのステッカー


今回はまたまた、ちらっと垣間見ただけのスペイン。
「行った」とは言えないようなショートステイだったけど、2回、瞼を閉じてマドリッドの町にワープしてそこらを歩いてみたって感じ。

というのは、イギリスに数日間ちょっくら友人知人たちの顔を見に行った時にスペインのイベリア航空便で行ったんだけど、行きも帰りも乗り換えのマドリッドに1泊したから。
(帰りの便の1泊は、イベリア航空のサービスだった。
そうそう、「フラメンコ鑑賞&ディナー付き」の ♪)

仕事をしていたので日数に限りがあったから、イギリス行きが一番の目的。
だからせっかく通ったマドリッドだけど、途中下車して何日ものんびり観光するわけには行かなかったんさ。
そんでも、印象に残ったことを書き残しておくことにするね。


×××  ×××××  ×××××  ×××××  ×××


往路


スペイン空から
スペイン上空  


スペイン空から2
けっこう乾燥してる?


着いてまず感じたのは日射しの明るさ。
飛行機がマドリッドに着いたのは夕方近くだったのに、いつまでも陽が沈まない。
スペインの人たちは、夏は日が長いので長いお昼休み(4時間とか)を取るそうで、夜遅くまで町は賑やかだった。

空港でタクシーに乗って「安すぎず高すぎず、ショッピングに行くのに便利な場所にあるホテル」って英語で言ったんだけど、まーったく通じない。
Σ(○ Д ○;)ガーン

それで、やけのやんぱちでフランス語並べてみたら、通じた!
さすがヨーロッパ!!
買い物に行くにはどこで地下鉄に乗って何て駅で降りればいいかとかも、そのタクシーの運転手さんが教えてくれた。
「フランス語を習っておいてよかった」 て、この時ほど思ったことはなかったよ。
(^▽^)オメデトーゴザイマース


マドリッドのホテルロビー2

こんな、高級ではないけれどこぎれいなホテルでした。
まずはひと安心。
さあ、町に出かけよう! ♪ルンルン


マドリッド街並み

さすが何だか重厚で、中世の建築様式が残ってるって感じがする。


madrid街並5

ビルも近代的なただのコンクリートってのがあまりなくて、どこそこスペインて感じだよね。


残念ながら、この日の写真はこれで終わりです。
なんでかって、わかるでしょ?
陽が翳って来たので、女性の本能がウズウズしてきちゃったの。

情熱的でイケメンのラテン青年にナンパされ連れ去られて熱い一夜を過ごした のならいいんだけど、そうではなくてー … 
( ´Д`)  

通りにギッシリと軒を連ねるブティックやおみやげ屋さんを時間制限ギリギリまで、我を忘れ、足を棒にして見てまわったの!
だから写真どこじゃなかったわけ。

楽しかったなー…
だってね、色使いが違うんよ。
鮮やかな原色の奇抜なものがあるかと思えば、味わい深い色の組み合わせやデザインのものがあったりして、
洋服なんて試着していたら、ほんとに時間が全然足りなかったよー。
(どちらにしろ庶民向けのお店ばかりで、どこへ行っても高価なブランド品には円も興味もない私だけど)

足が痛くて通りのベンチにしばらく座っていたんだけど、その時すでに夜の9時頃だったと思う。
あたりはまだ夕陽の薄明かりに包まれていて、仕事を終えて家路を急ぐ人と車で通りは溢れていた。

ひとつおもしろいと思ったのが、ほとんどの女性がストッキングを履いていないということ。
スーツ姿にカチッとした革靴のOLたちも、素足。
(日本でも最近そういう人は見るけど、気候からして湿気の多い国では難しいことだよね)
だいたい、ヨーロッパの女性たちは日本の女性たちのようにメークもあまりしていない。
「メークをしているのは、ファッションモデルと娼婦だけ」
って聞いたこともある。
日本の女性誌は外国人モデルの化粧品の宣伝でいっぱいだけど、彼女たちはふだんは素顔でいるのかも。
だって、おしろいを厚く塗らなくても、もともとそういう色をしているんだもんね。
日本人は白人を真似してお化粧してるのかね…
白人に見えるように真夏でもナイロンストッキングを履いて…

「そういう自分もなんなんじゃ」などど自己に問いつつ通りのベンチにぐったり沈み込んで、夕暮れのマドリッドの町を眺めたことでした。
そしてそのあと簡素なレストランで夕食をとり、ホテルに戻ってひとり異国の夜を過ごしたのでした。
(なんか足りないような気もするけど、しようがないね。
帰り便に乗った時のフラメンコショーに期待しよう)

というわけで、行きに寄った時のお話はこれでおしまい。



×××  ×××××  ×××××  ×××××  ×××


復路


スペイン空から帰路


そして、再びスペインへ。
晴れた空の下、飛行機はぐるっと旋回。
海と陸地が、目の前に広がって迫る。


イギリスからの帰りの便では、望んだわけではなかったのに魔法のように王子さまのような見目麗しいスペイン人青年と隣合わせに。
空港職員(飛行機の整備員)として移動中とのこと。

おかげでスペインについて聞いたり、いろんなおしゃべりをしたりしながらの楽しいフライトになったよ。


空港でおにいさんと
↑ こちらがその、魔法で御用達のように現れたセバスチャン。



シベーレス広場

フラメンコショーに行く夜までに時間があるので、マドリッド市内観光に出かけるね。
飛行機の上で「短い時間だったら、どこへ行ったらいい?」ってセバスチャンに聞いたら、「中央郵便局」( (;・∀・)ハッ? )って教えてくれた。
郵便局には絵葉書を出す用事があるのでちょうどいいと思って行ったら、驚いたのなんのって Σ(@∀@-;)

「あ、あれが郵便局?!?  まるで宮殿じゃない?!!」


マドリッド中央郵便局

(英語の観光案内には、「通信プラザ」つまり「通信宮殿」って書いてあった。
この建物は最近、市庁舎になったらしい)


中央郵便局

建物の前に大きな彫刻らしいものもあって、噴水もある!!


Cibelesの噴水と中央郵便局(絵葉書)

もっと近くに行ってみよう!(絵葉書)


Cibeles記念碑

シベーレス記念碑っていうんだって。(絵葉書)
私はこの建物と彫刻と噴水に圧倒されてしまって、すっかり魅せられちゃった。



Cibelesと通信パレス
違う角度から (絵葉書)


Cibeles記念碑縦(絵葉書)
また違う角度から (絵葉書)

シレーベスとはローマの自然神、シベールから名づけられたもの。

(レアルマドリッドチームが試合に勝つたびに、ファンがこの噴水の周りに集まって祝うそう)



Gran Via - グラン ヴィア

ショッピング街で大型ホテルや劇場が建ち並ぶマドリッドの中心街なんだけど、その建築様式自体が見どころ。
「通りを歩く時は上も見て」ってセバスチャンのアドバイス通り時々顔を上げ上を向いて歩いた。

アルカラ通りとスペイン王宮をつなぐこの大通りの建設には、19世紀のプロジェクト発案から実際にできるまでに大変な道のりがあったらしい。
その計画を実行するには中心地にあるたくさんの建物を潰さなければならなかったので、発案から何十年という歳月が経っても工事が始まらなかった。
だからメディアが皮肉を込めてこの地を 'Gran Via'  英語でいうと 'Great Road' つまり「偉大なる通り」 と名付けたとか。
1904年にやっと承認され数年後に工事がスタート、最終的に完成したのは1929年だそうだ。


マドリッド中心部の通り(絵葉書)
Gran Via (絵葉書)
角の注目を引く建物は「メトロポリス ビル」


マドリ街角
その前にいるよ。



ビルの上の彫刻
屋上の彫刻

セバスチャンに教えられた通り、通りを歩きながら上を見上げてみたら!!
オフィスビルの屋上にこんな彫刻が…


ビルの上の彫刻アップ
そのアップ

すごい… すごすぎるよ。
だって実物大のような馬が何頭もいななきつつ、本当に重い馬車を引いて走っているみたいなんだよ。
あんな大きなものを、ビルの屋上の装飾に持ってきてしまうなんて…


ヨーロッパの建築ってすごいね。何だか発想と規模が違う。
きっとまだ見ぬイタリアやオーストリアにもこういう圧倒される建物がたくさんあるんだろうけど、芸術と日常生活の境目がないみたいだ。

ガウディの建築とかも、見てみたいもんだよね。



マドリおみやげ屋さんで
おみやげ屋さんで

私の好きな手作りの民芸品がいっぱい。
ついこのレースのストールを買ってしまいました。
どう? まとえばスペイン風女性に見えてこない?



マドリホテルロビー階段
かっこだけはフラメンコ ディナーショーに出かけるのにバッチリ 手書き風シリーズ26ピース
のいでたち。ホテルロビーにて。



フラメンコショー(絵葉書)
フラメンコ ショー (絵葉書)


フラメンコレストラン内部
フラメンコ レストラン 内部


レストランの柱
レストラン内部の柱と天井の装飾


フラメンコ ショーは素晴らしかった。
情熱と哀愁。何かわからないんだけど、魂を突き動かされるような感覚があるよね。
雨の日にオックスフォードの安アパートの屋根裏部屋からよく聞こえて来た、仁さんのフラメンコ ギターの調べを思い出すなー…


さて素敵なスペイン料理ディナータイムを終え、私はレストランを出てホテルへの帰路に着いたんだけど、
ワインを飲んでしまったので酔いが回って来ちゃった。
(アブネー アブネー)

航空会社で用意してくれたホテルがね、どれもよく似た路地を入って行って何番目かの角を曲がったところにあったんだけど、どの路地か全くわからなくなってしまっていた。

「ここかな」「あっちかな」
って路地裏を歩いていたら、なんと、道端に物乞いがいっぱいいた。
それもボロをまとったりヒゲもじゃだったりのイメージの人でなく、一見ふつうの人たち。

ジーンズスタイルの30代くらいの青年も首から「HUMBLE」(「謙虚」とか「へり下った」 という意味) と大きな文字で書かれた札を下げ、お金を入れてもらうための空き缶を前に頭を深く垂れてじっとしていた。
そんな年の若者がそんなことをしていることに驚いた。
仕事がないのだろうか。

母子の物乞いもいた。
幼児~小学生くらいの子どもたちが壁にずらりと並び、その横で母親らしい女性が手のひらを出し、子どもたちを指差して、「お金を恵んで下さい」 というジェスチャーをしていた。
この人たちは服装から、ジプシーかどこかの国からの移民のようだった。

その時印象に残ったのが、その子どもたちの顔。
みんなあどけなかったけど、「こんなところでただ壁にひっついてじっとしているのはイヤだよー」って表情をしていた。
現にそわそわして動き出そうとする男の子を、母親がたしなめていた。
これも生きて行くための「仕事」なんだろうか。
子どもたちは学校へ行っているのかな…

どこの国もそうだけど、表通りは華やかでも裏通りにはこんな風景があるんだね。


幸いそんな時のためにホテルのパンフレットをバッグに入れておいたので、大きな通りに出てお店などで道を聞きながらやっとのことでホテルに辿り着くことができた。
それにしても、わかりにくい場所にあるホテルだったなー…。苦笑


マドリッドの夜景
通りがかった広場


こうして、スペインの最後の一夜が過ぎて行ったのでした。



×××  ×××××  ×××××  ×××××  ×××

後談

その翌日に乗った成田行き飛行機の中ではね、日本のスペイン大使館員の奥さんという人と隣合わせの席になった。
もちろん教養あり良家の子女であろう彼女はエレガントな服装で英語も話せたから、私は彼女とスペインについて話しながら、

「スペインには素晴らしいものがいっぱいあったけど、裏通りのあの風景が忘れられない。
外交も大切だけど、ああいう人たちがもっと人間らしく生きて行ける社会にするようご主人と力を尽くしてね」

なんていっぱしのことを言っていた。
(ふつうの女の子もちょっぴり大人になったみたい!)


これで、イギリスへの往復途中下車、たった1泊ずつ×2度のマドリッド訪問記を終わります。
なのであんまり観光はしていないんだけど、その時買った絵葉書をまた追記に入れておくね。

みなさんはスペインには行ったことありますか?
私は今度はゆっくり行きたいな。 



゚・*:.。. .。.:*・゜    ゚・*:.。. .。.:*・゜   ゚・*:.。. .。.:*・゜   ゚・*:.。. .。.:*・゜


 続きを読む >>  に追記あり

続きを読む

スポット訪問記 Vol. 23 ふつうの女の子たち海を渡る/香港(1) 

★***★***★***★***★***★***★***★***★

突然こんにちは!
私は美弥の娘のミオです。
このブログも次回が最終回ということですので、また少し現在に近づき、今回は飛び入りで私がご案内をさせていただきますね。

”ふつうの女の子” も結婚して二人の子どもの母になりました。
わんぱくを絵に描いたような兄と、”親しい人以外とは、微笑んでいるだけで自分からはほとんど何もしゃべらない不思議な女の子” と言われる私です。
(身内や仲間たちとは、結構おもしろおかしく笑っていますけど)


この記事はその兄が中学生、私が小学校高学年の時のお話です。

母は時々、私たちを遊びを通して英語に親しませていましたが、近所のお母さんたちに、
「うちの子にも一緒に教えてよ」 と言われ、自宅で英語教室を始めました。
それは私が小学校を卒業するまで続けたのですが、私の同級生の女の子たちが5年生のある日、こんなことを言い出したのです。

先生、どっか外国へ連れてってよー!

多くの場合、そこで終わるかも、でした。
だって子どもたちを連れて外国へ団体旅行?
大金かかるから大人だって行けないし… ( 苦笑
それによその家の子どもたちを預かって見知らぬ国へ海外旅行なんて、
今思えば大変な責任ですよね!?

だからって母はそこで 「そんなの夢よ」 で終わらせなかったんです。
「そうね、じゃ、一緒に真剣に考えてみよ。実現できるかどうか。
え?ハワイや南国のビーチで泳ぎたい? そりゃ無理でしょ…」
苦笑 × 2 )

学校のお休み、それも飛行機代が高いメジャーのお休みでなく、3~4日で帰って来れて、旅費が安く済む近場で、一応英語を話す国。
「どっかないー?」
シンガポールは往復するだけで16時間(当時)かかってしまうので没。

ちょうどいい国がありました!
イギリスですよ。といってもまだイギリス領だった香港です。
翌年中国に返還される、という年でした。

「まだイギリスのうちに、香港を見ておきたいね!」
「うん、行きたい、行きたい!!」 の大合唱。
(9人のクラスでしたが)

ラッキーなことに英語教室の生徒のひとりのお父さんが旅行会社にお勤めだったので、利益は度外視のツアーを組んで下さり、その上そのお父さんも添乗員として同行して下さることになりました。
資金としては、私たち子どもは結構な額の ”お年玉貯金” を持っているので、その一部を使います。

ということで、8人のふつうの女の子たちの夢が実現する運びとなりました。 !!
(残りのひとりは一人っ子だったせいもあり、親の猛烈な反対に勝てなかったの)


さあ、旅行社のお父さんと、やはり心配で付いて来て下さった生徒のお母さん一人、そして子どものようなお母さん(母)の、海を越える旅の始まりです。

出発前には準備の会を開き、みんなで香港の歴史や現状について勉強しました。
そういう時間も楽しかったです。


では、皆さんもご一緒に、11才の女の子たちと一緒に出発しましょう。
(以下は子どもに戻り、母のことは ”おかん” と呼びます)


空港で勉強

バスで名古屋空港に行き、搭乗までの時間、待合室にいるところ。
右側のぽわ~んとしているのがあちしです。
頭に巻いているのは、目印のお揃いのバンダナ。
(これもこどもたちで考えたの)

友だちのたまちゃんは、ミニ英会話の本で熱心に勉強中。
スチュワーデスさんに話しかけられた時の準備だって。


乗る飛行機

これから乗る飛行機。右側から折りたたみ式の廊下が延びてきてくっついたのでびっくり。
ふ~ん、そういうしくみなんだ… 何でも珍しくて楽しいな!


雲の海

空高く飛んだ!
わぁ~っ どらえもんの ”雲の王国” みたい!
外に出て雲の上で遊べたらなー…


雲の王国

雲の海に朝陽が差して来たよ。 きれいだぁ…



ホテル着

飛行機を降りて香港市内中心地のホテルにチェックイン。
私たちの部屋は10階でした。
たまちゃんとユイちゃんは、緊張していつまでもリュックを下ろさない。


町の中心地

さっそく街に出かけます。
商店街は古いビルが多くて、こんなふうにごみごみしていました。


市内のビル 


古いビルと新しいビル

新しいビルはすごく近代的なのに、古いのはあまりに古くて驚きました。


香港ビル風景

新しいビルはこんなふう。


香港ビル風景2

こんな色のビルも。


香港住宅ビル

ふつうの住宅も何十階建て。

香港では地震がない上、地上の土地が不足しているので、住宅が足りなくなるとどんどん空へ向って住宅を増やして行くしかないんだけど、高い階ほど家賃は低くなるんだって。
日本だと高い階のほうが眺めがいいからって高級な気がするけど…

古いアパートの建物を見ておもしろかったのが、ベランダの洗濯物の干し方。
長い竿を窓から直角に空中に伸ばして干していました。


もうひとつおもしろかったのは、空港やバスの中の表示や宣伝が英語と漢字で書かれていたんだけど、
漢字を見るとだいたいその意味がわかったってこと。
もちろん漢字は中国から来たんだから当たり前だけど、「これってこういう意味だよね」ってみんなでクイズみたいに解読してました。


スタッフオンリー

ところで ”手紙” は中国では ”トイレットペーパー” のことらしいです。


果物屋さん


お店がたくさんあったけど、私たちが驚いたのは果物の値段の高さ。
香港ではあまり作物はとれずほとんど輸入に頼っているとかで、日本のりんごが1コ 500円 で売られていたよ!


あと他にもうひとつおもしろいと思ったのが、香港では8がラッキーナンバーだってこと。
(日本でも漢字の八は末広がりで縁起がいいとからしいけど、数字だったら7でしょ)
車のナンバープレートや電話番号は買えるんだけど、8の数字はだからとても高いんだって。

おかんは、「連れて来た子どもたちの数が8人だったから、運が味方についてくれてるかも」 って言ってました。
なぜかって、移動するたび、角を曲がるたびに大人たちは、おまじないみたいに、「いち、に、さん、し … はち!」 って唱えていたから。
私たちの頭数を数えながら。
ちゃんと8人いるかどうかの確認のため、ね。

私たちはそんなことおかまいなしに、あっちへ行けば何か見つけ、こっちへ来ればまた何かに気を取られて足を止めていましたが…
(ゴメンナサイ キャッ



神様2

観光地に出かけました。 これは神様がたくさんいらっしゃる場所。


香港神さま集合地

こんな、日本の観音様のような像もありました。
雰囲気が日本のお寺や神社と違うので載せました。


海辺

ここは、海岸にある香港の名所。


香港海辺少女たち

美少女軍団 (ねこ) 全員集合。 一番左にいるのが私です。
(頭の形がおかしいのは、バンダナでハチマキをしてるからだいっ)おとん似だって言われるけど、おかんにも顔の輪郭とかがどこそこに似てるって言われます。


屋台船

さあ、なんて言ったって、香港に来たら ”食べること” が楽しみだぁ。
(あ。そりゃ子どもも大人も同じ)
湾に浮かぶイリュミネーション華やかな屋形船のレストランに連れて行ってもらったよー。


屋形船のテーブルで


香港食事テーブル


香港食事テーブル2

この日にかかわらず、毎回こんなごちそうを食べてました。


王宮衣装の少女たち

あるレストランでは、貸し衣装で王宮のお姫様に。


ジャッキーチェンの店

ジャッキー チェンさんのお店にも行きました。

あとね、ホテルに帰ってテレビをつけたら、クレヨンしんちゃんや、らんま1/2 をやっていた!



(2)に続く…


★***★***★***★***★***★***★***★***★


★ 下にあります。


続きを読む