スポット訪問記 Vol. 17 ロッキー山脈とデンバー周辺  


雄大なロッキー山脈上空を飛んでみたくない?

ロッキー山脈って、”カナディアン ロッキー” と呼ばれるロッキー山脈もあるわけだから、アメリカの南からカナダまですごい距離に渡って連なっている山脈なんだね!

そうなんだ。
調べてみたら、アメリカ合衆国ニューメキシコ州の州都サンタフェの近くから、北西方向に私が夏休みに行って紹介した、カナダのブリティッシュコロンビア州の北東部まで伸びているんだよ。
その長さは、4,800kmを越える!!

そしてコロラド州内のロッキー山脈には、14,000フィート(4,270m)以上の高さの山が 54 もあるんだって!



ロッキー山脈の最高峰は、アメリカ合衆国コロラド州のエルバート山(4399m)である。
「カナディアンロッキー」(Canadian Rocky)と呼ばれるカナダ領内では、ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州の州境にそびえるロブソン山(3954m)が最も高い。
(ウィキペディアより)



ロッキー山脈位置ウィキ

ウィキペデイア: ロッキー山脈の位置


それではロッキー山脈上空をひとっ飛びして、ロッキー山脈の東側にあるデンバーへ。



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ロッキー山脈


アリゾナからコロラド間

グランドキャニオンがあるアリゾナ州から、ロッキー山脈のあるコロラド州へ向かう途中。


ロッキー空から4

雪のロッキー山脈を上空から。 鳥になってる。 わーい!



コロラド州

コロラド州 (Colorado CO)は、アメリカ合衆国西部にある州。
北側はワイオミング州に接し、北東はネブラスカ州、東側はカンザス州、南側はニューメキシコ州とオクラホマ州に、西側はユタ州に接している。
州の南北にはロッキー山脈が貫いており、州全体の平均標高が全米で一番高い、山岳地帯の州である。
州の東の方はグレートプレーンズ(大平原)である。
州都および最大都市は、ロッキー山脈の東側にあるデンバー市。
州の名前は「赤みをおびた」を意味するスペイン語に由来する。
(ウィキペディアより)




Grenwood Springs, Colorado

コロラド州 グレンウッド スプリングス Sopris山 絵葉書


この辺りには ”ナントカ スプリング” という名の地名がいくつか見られるんだけど、その名の通り、温泉地が点在するらしい。
(といっても、水着は要るよー!! ザンネンだったね)
その中でも世界一大きい天然温泉プールがあることで有名なのが、グレンウッド スプリングス。


じゃ、デンバーで飛行機を降りて、ロッキー山中に入って行くよ。




ロッキー山中9



ロッキー山中6



ロッキー山中10



ロッキー山中



ロッキー山中の建物2

ロッキー山中で通りがかった町の建物



ロッキー山中3

かなり高いところまで登って来たゾ



ロッキー山中7

吹雪いてきた



ロッキー山中12



ロッキー山中8

こんなかわいいベル。何に使うのかな?
はるか向こうに見える峰も、標高、高そうだよね。
(クリックしてちょっとでも間近で見て)




神々の庭公園 (Garden of The Gods Park)

また下界に下りた。
ここはコロラドスプリングスの近く。その名にピッタリのような…
神様たちが (遊び心で )(←そんな、恐れ多いコトを汗) 造った庭?




コロラド2


コロラド4


神の庭

なんで穴があいているの?


よいしょっと

よいしょっと


もともとは、ネイティブ アメリカン(インディアン)の聖地だったらしい。
もっと見たい人は、英語の紹介ページをどうぞ。


ガーデン オブ ザ ゴッズ (← クリック)


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番外編 2. 亮介兄さんのその後 (後編・現在) 


前3分の2は文章ばかりになっちゃったけど、後のとっておき写真を公
開するための長い序章なので、どうにかがまんして読んで後半に辿り
着いて下さいな。ごめんね、いつものことで。

最初に旅に出るきっかけを与えてくれた人だし、私の人生にどこかで
さり気なく影響を与えている人なので、番外編として亮介兄さんのそ
の後版を設けてます。
フィクションみたいなノンフィクションの後編をどうぞ。



番外編 亮介兄さんのその後 (前編・若い頃) の続き

亮介兄さんは日本へ帰って来て大阪のあいりん地区とかにしなり地
区とかいう、東京でいう山谷のようなところで日雇いの仕事をしながら
暮らしていたこともあった。
冬は路上で凍死する人もいたって。
(私が思うに、兄さんはやりたくもない仕事をして自分の時間をいっぱ
い取られてしまうのがいやだったので、定職にはつかなかったんだと
思う)

そんな時、出入りしていた京都のあるお寺で助けられた。

情けないことに、
「お金がなくてもうこのお寺にも来れないので、お金を貸してもらえな
いか」ってお寺に頼んだところ、そのお寺の和尚さんが兄さんを呼んで
目の前に座らせ、こう聞いたんだって。

「おまえは今までに、何かひとつの仕事を続けてやったことがあるか」

兄さんは、
「そう言われてみれば、ありません」
て答えた。
すると和尚さんは部屋を出て行き、戻って来て黙って兄さんの前に通
帳と印鑑を差し出すと、

「それでは指圧師の免許を取りなさい。その学校へ行くには学費が
140万円くらいかかるから、ここから出して使いなさい。
そのために勉強して国家試験を受ける気があるなら、私が援助しまし
ょう。」

と言って下さったんだって。

それで兄さんは、「どんなに長くかかっても必ずお返しします」
と言ってそのお金をお借りして、働きながら指圧師の夜間学校に3年
間通って、国家試験に合格したんだよ!

指圧師の免許は国家試験で身体のことを隅々まで知らないといけな
くて、お医者さんになる勉強のようにすごく大変だったって。

その和尚さんにはその後、5年かかって全額返したそう。
それってすごくない? 和尚さんも兄さんも。

兄さんはしばらく石川県のお寺に住んで修行者の世話をする係をやり
ながら自分も修行していたこともあったな。
無農薬の畑の世話を任されて。
外国人の訪問者や修行者の通訳もしていた。
今でも時々、そのためのお金を貯めてはそのお寺の座禅会とかに行
っているみたい。何日も泊まりがけで。
(そういう時は、一日7時間も座っていたりするんだって!
俗人の心配で悪いけど、お腹が鳴ったりおならが出ちゃったりしない
のかなー? あ、あまりにレベルが低すぎました (;´ρ`) )

そんなふうにして暖かいうちは働いて、兄さんは今でも冬はインドの
修行場(アシュラム)に行ったりもしている。


兄さんはね、指圧師の免許を取ってからも、それでいっぱい稼ごうなん
て考えずに、またお年寄りしかいなくなってしまった寒村の廃屋を手入
れした家に住んで村のお年寄りたちの家々に呼ばれて、子どもに聞か
せるようなやさしい仏教のお話を織り込んで楽しく世間話などをしなが
ら指圧をさせてもらって生活していたよ。

その村のひとつが朽木村(くつきむら)という名前の村だった。
朽木村は近畿地方で一番大きな原生林がある村で、今でいう眼界集
落だった。(滋賀県の最後の村だったらしい)

兄さんは屋久島にいたこともあったって言ってたっけ。

ほんとに大自然の中で生きるのが合っている兄さんにはピッタリの資
格だったよね。
話し相手の少ないお年寄りたちの心も体も元気にしてあげられたと思
う。(兄の方がいただくものは多かったかもしれないけど)
和尚さん、村の皆さん、本当にありがとうございました。
私からもお礼を言いたいです。

これって、兄さんが言っていた、

「空の鳥を見よ。
撒くことも刈ることもしないのに神は彼らを養って下さる。
明日、炉に投げ入れられる花でさえ神は美しく装わせて下さる。
まして愛をかけた人間を気にとめないことがあろうか。

だから何を着よう、何を食べようと明日のことを思いわずらうな」

っていう聖書の言葉通り。
(見ながら書いていないので、一語一句聖書の引用ではないけど、
そんな内容)

前にも書いたけど、兄さんは、
「聖書に書いてあることが本当ならば、今日の生活のことで悩まなくて
も生きていけるはず」
と、本当に何も持たずにインドへ行ってしまったし、お金がなくても食べ
るものがなくても学びたいことを学びにお寺に出入りしていたら、そうや
って和尚さんが生活して行く術を身に付ける手助けをして下さって、不
思議だなあって思う。
(聖書に書いてあることは、その通りに生きようとする人にとっては本
当なのかも)


さてじゃ、今は?

兄さんは同じような仲間の女性と結婚して、ローンで家を買ってそのた
めに働くなんてことはなく、いつも質素な古い民家の借家に住んで畑
を耕して必要なお金の分だけ指圧に行ってお金をいただいて暮らして
いた。

自由な時間をたくさん持って、いつもインドのグル(師)の書いた本や
仏教の経典を読んだり、瞑想や座禅をして、貧しくても充実した生活を
していたんだけど、
子どもができたこともあり、ある山の上の山林が売りに出た時に、そこ
の土地を山林ごと買って、そこに自分で家を建てることにした。
「子どもが10才になるころに完成すればいい」って計画で。
だって、毎日何時間かそこに出かけて、チェーンソーで木を伐採すると
ころから始めるんだから。

1坪3200円で600坪の山林のうちの250坪。
山林だからもちろんたくさんの木々もいっしょに付いてきた。

基礎も自分でやって、大工さんは棟上げ(骨組み)を二人に3週間だけ
手伝ってもらって、1日1万円と1万6千円ずつ払っただけ。
(一人は友だちだった)
材料や手続き費用を入れて、家を建てるのにかかったお金は全部で
300万円くらいだって。

何年か前に見に行った時は、スーパーでもらって来たハッポースチロ
ールを断熱材として壁の中に入れていた。
その工程にも何か月も費やして。

子どもが中学生になってもまだ壁のしっくい塗りが未完成だったけど、
子どもが高校生になった現在も、まだ壁は石膏ボードのままだ。

兄さんが言うには、
「石膏ボードはクリーム色で、悪くないし、もう慣れたからこのままでい
いんだ。
どうせこの家の周り300mには誰も住んでいないんだし、人に見せる
ための家じゃないから」
だって。
でも私は素晴らしいカントリー風の家に仕上がっていると思う。
人に見せるためじゃないって言うけど、読者の皆さんにはお見せします
よ。

実は、噂を聞いた雑誌社の人やそういう田舎暮らしの若者(?)の特集
を組む新聞社の人たちとかが取材を申し込んで来たことがあったそうだ
けど、兄さんは全部断ったって。
そうだろうね、世間の注目を集めるためにそうしてるんじゃないし、今の
平和な生活を壊されたくないんだろう。

それに今は、そういう、半分はプロに頼んで半分は自分で家を建てる
スタイルがファッションになって来ているとかで、 ”ハーフ ビルド” とか
呼ばれ、「たいして珍しくもないよ」って本人は言っている。
ちょっと違うような気がするけど。
(そうすると兄さんの家は、”クオーター ビルド” くらいんとこ?)


まあ、このへんで見てみて、その家の写真。
カラーコピーで送って来たものなので様子が伝わるかわからないけど、
たいしたもんだと思うし、何百万円の頭金と何千万円のローンを組まな
ければ一生家が持てないって悲観的になっている若者たちへの励まし
や前向きに何かを始めるきっかけになればいいって思って紹介するね。




  ★   ★   ★ 



最近の亮にい


アハ。まずこちらが、おっさんになった我が愛しの亮介兄さん。
顔を出しても別に構わないというのでそのまま披露しちゃいます。
(なにげにかわいく写ってる)

(「どうせわからないでしょ」って言うんだけど、それって ”読者が少な
くて” って意味? "(,,-_-) グレルヨ")


後ろに見えるのが、兄さんが10数年かけて、山の上にコツコツと通っ
て少しずつ完成させた家。
3~4年前には、未完成の状態で住み始めた。
玄関への階段は右手に。



母屋のリビング

母屋のリビング。使った木はみんなこの土地から切り出したもの。
左奥が階段で、2階にも部屋があって、天井は吹き抜けになっている。 


リビングの外にはウッドデッキっていうの?木の床の張り出し。


亮にいの家

左手奥に建てた離れは、兄さんの勉強部屋。
ここでインドのグルの本を読んだり、それを訳すために英語の勉強をし
たりして、つまりそういう本の翻訳もしている。
もちろん、出版するためではなく、自分で読んでわかりたいから。




離れ

離れアップ。手前は畑。
「たとえば一袋100円の大根の種を買ってきて蒔くと、大根がひと冬
中食べられるんだよ。100円だなんて申し訳ないようだ」 だって。




母屋の窓から

2階の小さい方の部屋。
飾ってあるのは、たぶんインドのグルの写真。
窓からの眺めは山林を切り開いた庭と、遠景には雪をかぶった山々が。
(この写真ではよくわからないけど)



山の景色

遠くの山の景色


浴室からの景色

お風呂場からの眺め。こちら側からも別の山々が見えるらしい。
まわりに何もないので、すりガラスもカーテンも必要ない。



暖炉

夜のリビング。
ストーブは友だちから中古品を譲ってもらったもの。もちろん薪をくべて
いる。近くの土地の所有者に、仕事で伐採を頼まれたりして、
「切ったものは持ってくれていい」と言われ、薪には不自由しないそう。

兄さんひとりだったら離れだけでたくさんだったんだけど、家族がいるし、
私たちの母を引き取ることになった時のことを考えたりとかしていたら、
こんなに大きくなっちゃったんだそうだ。


奥さんは子どもが成人して出て行ったらここを喫茶店にしたいそうだか
ら、そのうち皆さんを招待できる日が来るかも。



゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜ ゚・*:.。. .。.:*・゜  ゚・*:.。. .。.:*・゜ ゚・*:.。. .。.:*・゜

 

いかがでしたか。
兄さんの人生、見ているだけ、聞いているだけでおもしろくない?

いろんな人がいるけど、私にとって兄さんは雑念にまみれた日常生活
の中にパッと現れて、忘れていた大事なことをふと思い出させてくれる
不思議な存在なんだ。
だからって、私はいつまでたってもちっとも本当に覚醒する道には辿り
つかない凡人(ふつうの女の子!)のまんまだけど。 



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番外編 3. TOEICをめぐるおしゃべり (私の英語勉強法) 


皆さん、こんにちは。今日は特別版です。

もともとはこの記事は、「あるTOEIC教材のクチコミ宣伝」として宣伝
料をいただく記事として載せていたんだけど、宣伝期間が6月12日に
終了したので、掲載も終了です。
でもせっかく書いたので少し中身を変えて、私の ”英語勉強法” の話
にしようと思います。

ということで、前半の、「私のTOEIC受験エピソード」はそのまま載せ
ておくけど、後半に新しい内容をつけ加えたよ。
追記はそのままにしておきます。





私もかつてTOEICに挑戦した。
そのスコアは外国の大学入学資格や、通訳とか英会話講師の仕事を
する時の判断基準のめやすとしても使われているから、一度は受けな
くちゃならなかった。

TOEICテストはとっても客観的で効率的で、挑戦者が勉強しただけス
コアに反映されるのでおもしろい。

私は最初に何の準備もなく受験した時は、スコアが830だったんだ。
(まあ一応はケンブリッジプロフィシェンシーに受かっているわけだし、
ずっと勉強は続けてきてるからね)

「2時間の間に、リスニング問題とリーデイング問題合わせて約200
問で、990点満点」 とか、ハードなのは噂には聞いていたけど、その
スピードと音声の悪さに参ったよ。
ゆっくり考えたりメモを取ったりなんて時間は全くなく、会場が広かった
せいかテープの声が篭っていてはっきり聞こえないせいもあり、
半分はパニクったままで終わってしまった。
(現在は受験者の声を反映していろいろ改善されていると思うけど)

悔しかったので、その後一生懸命勉強した。
やっぱり試験は ”傾向と対策” でしょう!

それでTOEIC受験専門のCDや問題集をいくつもこなしたけど、文字
が嫌いな私がリーディングの方のやる気を維持しするのは大変だった
よ。
リスニングの方は結構、クイズ感覚で楽しんで挑戦したけどね!

そして3回目にどうにか910まで到達! おめでとう!!
 クラッカー
(それでも、900のラインを越えるのは難関だった)


外国に留学すれば上達が早いかもしれないけど、いちいち留学しては
いられないんだから、日本で、毎日の生活の中で効果が出る学習方
法を選ばないと。


そのためには、いいコーチ(教材やシステム)が必要だね!

とにかく始めよう。そして続けよう。
プログラム化されたシステムに乗って効率よく。

(ここで、その教材をひとつの選択肢として紹介したってわけです)





ここから新記事


まあ、問題集とかスコアのあるものは結果が数字で出てくるから、そ
ういう勉強法もひとつの方法だけど、
もうひとつ、私のとっておきの勉強法を教えるね。


それは、NHKのラジオ講座を聴く事だぁ~っ!!!

「え~っ! ラジオ講座ぁ? そんなの聞くのめんどいよー」

って人がほとんどだろうね。
考えただけでも面倒くさい。
毎日同じ時間にラジオの前に座らなくちゃならないなんてね!
わかるわかる。
それだったら私もしてない。


私のとっておきのラジオ講座攻略法はね…
セットした時間が来たら自動的にラジオと録音のスイッチが on になり、
セットした時間になるとまた自動的にスイッチが off になるオーディオ
機器用のタイマーを使ったんだ。
そして1回15分のラジオ講座を2講座くらい録音しておいて、それを
聴ける時に、ウォークマンで聴いた。
ごはんの支度をしながらとか、洗濯しながらとか、散歩しながらとか
車の運転中とか。



ラジオ講座のいいところは、自分のレベルや好みに合わせた講座が
選べることと、内容がいつも新鮮なこと。
先生も個性がいろいろでおもしろかったよ。
冗談や効果音で楽しませてくれた講座もあったし。
(トヤ ケン先生[?お名前は音の記憶でしかわからない] の「英会話
入門」。ついほほえんでしまうのでそのために時々聴いてみた)

つまり、買って来たテープ教材だと内容が古くなってしまったり同じ内
容で何度も聞いているうちに飽きてしまったりするけど、
ラジオ講座だとそんなことがない。
いつも新しい内容で、最新の話題やその時節に合った話題でテキスト
を作ってくれる。
そして、ラジオの前の一人ひとりに話しかけるように(個人レッスンと同
じ)手取り足取りていねいに教えてくれて、役割練習の時も間を取って
忍耐強く待ってくれる。

さすが天下のNHK。(構成担当者も)先生もネイティブスピーカーの出
演者もその分野の超一流さんたち。
だから、内容も短い時間内で最大の効果が出るように工夫に工夫が
重ねられているし、解説もじょうずだし、会話は絶妙だし、そして土日
は通常コースはお休みなので聞くのを休んでもOK。
(土曜日は、私がずっと聴いていた頃は、特別版として英語の歌特集
とかスペシャルゲストへのインタビューとかやってくれていた)

今はラジオ講座はろくに聴かず、英語の世界からはもうすっかり引退
気分でのんびりしちゃっている私だけど、
ラジオ講座を毎日テープに録っては何度も聴いていた頃がすごくなつ
かしい。
大杉正明先生と杉田敏先生に、ほんとにお世話になりました。


そしてその頃は、夜10時の「ビジネス英語」の後にちょうどNHKの英
語ニュースがあったので(10分間くらい)、それもついでに録っておい
て聴いた。

テレビで日本語で見聞きしているその日その日のニュースの内容をそ
っくり英語に置き換えてしゃべってくれているようなものだから、ほとん
ど意味はわかるしくみ。
わからないことがあったら、その音からその単語や表現を調べて探し
出す。
テキストはないんだから(ニュースだもん)綴りなんてわからない。
だから、わかろうと一生懸命聞いて体中を耳にする。
(I am all ears)
最高のリスニング訓練でしょが。



たまにテキストを本屋さんでパラパラ見たら、ラジオではわからないこ
と(先生たちの素顔とかその月のテーマに関する詳しい情報とか)も
載っていたりしたので、ついほしくなって時々買ってしまったことも何
度かあったけど、文字の教材は結局、全く見ないで古新聞やちらしの
仲間になってしまった。

この時期に限らず、ほんとに私は ”子どものように” 語学を勉強してき
たと思う。
文字や理論(目と頭)でなく、音やリズムと印象(耳と身体)で。
そしてそれは今でも同じだ。

10分あったとして、文字で書いて理解して覚えようとすると、10分間
に文章が何回書ける?
でも、それを口で言って覚えるとしたら、書く場合の何倍も文章を繰り
返せるよ。


ひとつ具体的な例を書いておくね。

Where did you go, yesterday?
(「昨日、あなたはどちらへ行かれたのですか」 あるいは、「あんた、昨
日どこ行ったんよ?」)

という文章があったとする。
学校で勉強した限りでは、これは、
ホエアー ディッド ユー ゴー イエスタデイ?」
だ。
でもね、実際にネイティブの口から聞こえてくる音は、
ウェアディジャゴウ イエスタデイ?」
だよ。

”ホエアー” ”ディッド” ”ユー” ”ゴー” と、いっこいっこの正しい綴りを
確認しながら一語一語単語を紙に書いて行くのと、
「ウェアディジャゴウ?」 と、聞いたままの音を繰り返して何回か言って
みるのと、どっちが効果的だと思う?

おまじないみたいだけど、後の方が魔法みたいにほんとに通じちゃって、
たぶん、”Perdon?” (ハ?今、何ておっしゃったんですか?もう一度
言っていただけますか?) と聞き返されることはない。

会話の勉強は耳でいっぱい聞いて、それを口で聞いたままの音で言
ってみてそれを何度も繰り返してリズムとか強弱とかのノリで身につ
けてしまった方がいい。
本の文字を見たり書いたりして頭で理解して覚えようとするより。
これって ”子ども式勉強法”。
赤ちゃんは文字が読めなくても文法を知らなくても、聞いたままの音を
真似して覚えて行くんだもの。

だから、いっぱい聴いて。
映画も最初に日本語版で観て、次に英語のオリジナル版で観ると、
内容もわかるし、
「あ、こういう場面のこういうセリフは、英語ではこう言うんだ」
って、映像付きでよくわかる。
好きな映画だったら、何度観ても楽しいし。

私たちのまわりには、生きた教材がいっぱいあるよ。
テレビの英語番組や英語ニュースでもいいし。
(ラジオ講座録音のいいところは、その間ずっとテレビやラジオの前に
座っていなくてもいいところ。
好きな時間にどこででもそして何度でも聴ける)

もちろん、一番いいのは、ネイティブスピーカーの友だちや恋人を持つ
ことだろうけど、なかなかそう簡単にはいかないもんね。


まあ、生意気そうなことを言っちゃったけど、TOEICのリスニングがほ
ぼ満点に近かった私の言うことだから、騙されたと思ってやってみなよ、
ラジオ講座を聴く勉強法。

あのね、ピアノのレッスンもそうでしょ。
週に1回長時間練習してあとの6日は何もしないのと、一回少しずつ
でも毎日やるのと、どっちが効果的だと思う?
後者だと指も柔らかいままだし、間が空いていないので、前回分を思
い出すのに時間をかけなくて済む。

ラジオ講座も毎日1プログラム15分。
たかが15分、されど15分だよ。
1週間には、週5日としても75分だよ。
英会話学校の1回分のレッスンに匹敵するじゃん。
1年間聴いてごらん、何時間になる?

だから、その頃の私の一番の英語の先生は、NHK第二放送のラジ
オ講座(ラジオ英会話とビジネス英語)と英語ニュースだったって言え
る。
英語ニュースも入れて一日たったの40分分だったけど、毎日内容が
新しいわけだから、続きを聴くのが楽しみだった。
講座は両方ともストーリー仕立てだったしね。


でも、これらの講座は ”TOEIC受験専科” とか特定の資格取得仕様
ではないので、それプラス ”傾向と対策” の勉強ってことになるよね。
ケンブリッジ プロフィシェンシーもそうだけど、いくら日常会話を完璧に
話せるイギリス人も、試験となれば落ちるんだから。

ありきたりだけど、


塵も積もれば山となる 

継続は力なり


だよ。


「英会話の勉強はどうやってするのが効果的なの?」
とか
「あなたはどうやって英語を勉強したの?」

ってよく聞かれるので、そんな時、私がいつも答えることを記事にして
みました。
それぞれの人にそれそれ合った勉強法があると思うけど、一般の英会
話を短い時間(1日15分)を使って簡単に(わざわざ英会話学校に通
わなくていい)安く(ラジオならほとんどただ)身につけたいなら、ラジオ
講座が最適だって思うよ。

がんばってね!!


(あれ? これってNHKのラジオ講座のクチコミ宣伝みたいになっちゃ
ってるけど、そうじゃないよー。NHKさんには何ももらっていませ~ん。
ホントのことを書いただけだよ)



続きある

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スポット訪問記 Vol.18 ワルシャワで人々を訪ねるの巻 


1979年にフランスのカーン大学とディジョン大学でフランス語を勉強してその合い間の夏休みにパリでアルバイトをしたことは、第2章の”パリで泣く” の巻で書いたよね?
その時、エステラというポーランド人の同級生といっしょに、夏休みの留守の間だけという契約で日本人学生のパリのアパートをまた借りして住んだことも。

その年の冬休み、エステラがフランスへの留学を終え故国に帰国する際に誘われて、私もワルシャワまでついて行っちゃったんよ。
(もう一人、日本人の同級生の男の子もついて来たけど)

真冬のワルシャワは凄まじかった。気温も、生活物資の乏しさも。
そんな中で、私たちが行くからって歓迎の準備をしてくれたエステラとそのご両親には、思い出すと今でも胸が熱くなるほどの歓待を受けた。

その時の様子をこれから話すね。

もちろん昔のことだから、現在の観光情報にはならないよ。
でも、その時しか見れなかったその時代の顔やら、今行っても絶対に経験できないようなこととかも生き生きと絵葉書やスクラップブック調のアルバムに書いてあるので、
その時の感じを伝えるためにそれもそのまま載せてたりもしてみるね。
写真の中では確かにそして永遠に私はそこにいるので、その世界に入り込んで一緒にいるつもりで、見たこと聞いた事を楽しんでくださいな。



★***★***★***★***★***★***★***★***★


まず、1980年1月3日に、ワルシャワから日本の家族に出した絵葉書とその文面。
(脚色なし、現地での生レポートそのまま。読みやすいようにスペースは入れとくね)



ワルシャワからの絵葉書文面


(最初のスペースに「命がけ」って後から足した一言が入れてある。
ちょっとおもしろがっておどけてる感じで…)



命がけ 連日のふぶきに閉じ込められています。
窓は氷でふちどられ、マイナス20度以下… 北部をおおっている寒波が今夜南下し、ワルシャワも零下30゜ 大雪にまたみまわれるであろうとポーランド語をしゃべるニュースが伝えたばかり… パリに行く(帰る)電車はありません。

とにかく去年の12月31日にパリを出たモスクワ行きが3日かかってもまだワルシャワに着かないのだそうですから… 
交通は完全にマヒ…国内でも6時間~15時間の電車の立ち往生もざら…

クラコフからふつうなら4時間のところ12時間かかって翌日の夜あけにワルシャワ郊外に着いた電車が動かず、マイナス20℃の雪の中(冷蔵庫の冷凍室もマイナス15℃ですって?)、歩いて町までたどりついたの。

ほほも、鼻、のど、はいの中まで冷えた空気で痛くて 足は身体を支えられないほどもう無感覚… 
覚悟していつ着くかわからないパリ行きの汽車にそのうち乗りますが、持ち込む食料も物資不足で買えないし、この寒さの中、国に石炭が不足していて、暖房きいてないんです。
1月いっぱい授業見逃しになるかな…
郵便もふだんでさえ15日はかかるといいます。
このハガキと本人とどちらが先に無事に かのフランス国はディジョンの町に(帰り)着けるでしょうか?!合掌…

(全く調子が変わる、上部の書き足し部分)
お正月も結構豪勢にやっています。
今日はワルシャワ大学日本語学科教授(東大助教授さん)のお宅で、おぞうに、ちらしずし、あわびのつくだに、お手製塩辛、カレーライス、おしるこ、日本酒(特級ハクツル)ごちそうに!



★***★***★***★***★***★***★***★***★


そういうわけなんだ。
ポーランドに着いたのはいいけど、連日すごい寒さでね、この年は気象の記録から見ても特別な年だったみたい。

エステラの家は石炭をどうにか手に入れたみたいだけど、他のワルシャワ在住日本人ビジネスマンのアパートへ行ったら暖房なしで、吹雪がビュービューゴゥゴゥと唸り声を上げて窓枠やガラス戸を揺らす家の中で、オーバーにくるまってみんなでこごえて過ごした。

外を歩くのは自殺行為で、それでも用事で外出しなければならない時は、強いポーランド人の男たちはポケットにウオッカの瓶を入れて出て、それをストレートであおりながら冷凍庫のような外気の中を歩くんだって。
だからウオッカはポーランドの特産なんだそうだ。(ほんとかな)

お正月に書いた絵葉書の文面をそのまま載せたので話が前後しちゃうけど、クリスマスのあとにワルシャワからクラコフへ小旅行に出かけ、ワルシャワに戻って来た日の外歩きはすごい体験だった。
絵葉書に書いてある通り、吹雪で一寸先も見えない中、頬はチクチク痛いし、息をするたびに鼻と口の中の息の通る道をヒリヒリ痛めながら、
駅の手前数キロ地点で止まってしてしまった電車を降りて雪に埋まった線路の上を歩いたんだよ。
鼻水も白い息もその場で凍って、鼻と口のまわりにへばり付いてさ、鼻水をすすると鼻の奥で ガリッていう音がするんだよ。
本当だってば。鼻水が瞬間冷凍された音だよ。

エステラと彼女の両親は、私たちが訪ねるためにいろいろ用意してくれた。
そのひとつはクリスマスのごちそうの準備なので、特に私たちが行かなくてもやったことかもしれないけど、材料を買うためにその寒さの中、交替でお店の前の行列に並んだって。

みんなは想像できないだろうけど、この頃はソ連にもポーランドにも、物が不足していて、
食料品屋さんに行ってもほとんどの棚がからっぽで、缶詰や瓶詰め製品が申し訳程度に置いてあるだけだった。

肉やソーセージはほとんど手に入らず、「あの店にある」って情報があるとすぐに行列して何日も並ぶのが当たり前なんだって。
エステラの両親も鯉を買うために3日、ハムを買うために2日並んだのだそう。
(ポーランドには、クリスマスに鯉を食べる習慣がある)

ワルシャワでは牛乳、砂糖などの必需品は配給制だった。
(小麦粉とかもそうかもしれないけど、見たのは牛乳と砂糖チケット)もちろん国民の最低限度の生活を保障するためだろうけど、きっと買い占めとかを防ぐためもあるんだね。
だって品薄なんだから、自由に売ればお金のある人がみんな買いしめちゃうでしょ。

エステラの家族がしてくれたことその2は、
”ワルシャワに住んでいる日本人を、自宅のクリスマスパーティーに呼ぶこと”
そんなに物資が乏しい中でよ。




クリスマスの飾りつけ

エステラの家(アパート)の居間


飾りつけ

みんなで、クリスマスツリーの飾りつけをしているところ。


Y君とK君

右がディジョンからいっしょについて来た、ポーランドに一年住んでいたことがあるというY君



お母さん

エステラのお父さん(左)と、そのむこうにお鍋を覗き込むお母さん。

ポーランドでは夫婦揃って働くのが当たり前。
国のために労働するのだ。
二人で働いて一か月の収入が日本円換算で5,600円だって。
(日本の大卒初任給が110,000円の頃)




全員集合

写真を撮ったY君以外が全員、テーブルに揃いました。
右からエステラの両親、エステラ、私、ワルシャワ在住のビジネスマン、留学生のK雄さんとS子さん。

K雄さんは東大の露文科の学生で、国から給付金をもらってワルシャワ大学に留学している超優秀、超将来有望な祖国の星的存在だ。
(今はどうなっているんだろ?きっと偉い人になっているんだろうね!)

「ポーランドは物価が安いから、日本から送ってくるお金、何倍にもなっちゃうでしょ?」
って聞いたら、
「いえいえ、給付金はこちらの物価に合わせてこの国のお金で給付されるので、ポーランド人と同じ生活ですよ」
だって。
え? じゃ、1か月何千円とかで暮らしてるんだ?

S子さんは、世界最高とも言われている ”ショパンコンクール” に出るために、コンクール開催地のワルシャワに音楽留学中。


私が描いたK雄さんの似顔絵

私が描いたK雄さんの似顔絵 (ウヒャ きゃー!





エステラのいとこの家

エステラの親戚の家にも呼ばれて行ったんだけど、その頃のワルシャワの一般家庭の内部がどんなふうかわかるので、紹介するね。
日本のふつうのアパートの中と似ていない?



エステラのいとこ

エステラのいとこと。


タクシーを待つ

これは絵葉書に書いてあるように、お正月にワルシャワ大学で教えていらっしゃるO教授のお宅へお呼ばれに行くところ。(ラッキー!!)

バスは走っていなかったのでタクシーで行こうとしたけど、タクシーはライフライン物資を運ぶのに総動員されてしまったとかで、待てども待てどもぜーんぜん来なくて、いつ来るかもわからなかった。
のんびり待つしかなかったっちゃ。
(そんでも約束の時間があったので、結局歩いて行った)

ちなみに薄いオーバーコートを着て行った私はやむにやまれず、エステラに連れて行ってもらった市場でモコモコオーバーを買ってしまいました。
『フランスに持って帰っても、これは要らないなあ』って思いながら。
(もちろん化繊の安物だけど、命を守るためだ)



訂正:
ごめん。一度はこの写真のオーバーがその買ったオーバーだって書いちゃったんだけどね、
『それにしてはこの写真のオーバーは素敵すぎるような…』 と思って写真を整理していたら、これはエステラのお母さんから借りた本物の毛皮のコートだったことを思い出しました!

というわけでその ”にせものモコモコ毛皮オーバー” は次号記事の中での披露となります。
まるでだるまさんみたいで、やっぱり本物とは大違いだったワ。
(´Д⊂グスン

でもこの国ではファッションよりも防寒目的生活必需品的要素が大きいわけだし、物価全体が安いから、本物の毛皮のコートも破格の安さだと思う。
私は全然趣味じゃないけど、この寒さだったらほしくなる気持ちわかるような気がするなぁ。




教授宅

教授の宿舎の一室
(え?日本じゃないの?! なぜか扇風機があって謎だ…)




石炭を運ぶ馬車

石炭を運ぶ馬車が町なかを走る。


極寒のワルシャワで過ごした、あったかい年末年始のお話でした。



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来週号ではワルシャワの町を少しだけ紹介したあと、上の絵葉書文面に出てくる、日本の京都のようなクラコフという町に行った時のことと、それからもう一か所、どうしても行きたかった場所のことを書くね。
(どこだかわかるよね… ここまで来たらやっぱり行くでしょう?)

じゃ、また来週!


(↓追記もあり)

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スポット訪問記 Vol.19 ワルシャワ市内へ 


ポーランドは貧しい国でした。
ソ連の援助を受けながらソ連を嫌っています。
食べ物もふだんはじゃがいもばかり。
いいところでソーセージ2切れ。
肉や魚はなかなか市場に出ず、出ても行列に並んで待ってやっと。
言論の自由もなく、ストライキや学生運動をすれば警察が武力で弾圧。
テレビではいかにも労働者や学生が悪かったようにニュースで伝えるそう…
マイナス30℃、冷凍室よりも低い温度の中、石炭がなく吐く息も凍り吸う息も肺を痛めたポーランドの冬。

(旅のメモより)



ポーランドが民主化されたのは、1990年。
この記事はその10年前の、ワルシャワの町の様子だよ。



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st17.gif 

 
ショパンの心臓

ポーランドで有名な人っていえばショパン、キュリー夫人、コペルニクス、
それに元ローマ法皇のヨハネ・パウロ二世だね。
フレデリック・ショパン(1810-1849)はほとんどピアノ曲だけしか作らなかったことから、”ピアノの詩人” と呼ばれている。

1830年10月に一時的別れのつもりで ”告別演奏会” を開き、11月2日にワルシャワを発ったのだけれど、激動的な時代の波に飲み込まれ、結核を発病し39才の若さで異国で亡くなっショパンは、この後二度と祖国・ポーランドの地を踏むことはできなかった。

彼の望郷の思いは強く、自分の遺体を運ぶのは無理としても、心臓だけでも故国ポーランドに帰してほしいって遺言を残したんだって。
それで彼の心臓はポーランドへ運ばれ、ワルシャワのクラコフ郊外通りの聖十字教会の柱に埋め込まれたんだそうだ。

数々の中のいずれかの戦争の時、「ワルシャワが攻撃されるからショパンの心臓を他に移しなさい」って敵のドイツ兵将校がこっそり教えてくれて、そのおかげでショパンの心臓は無事だったんだって。
”戦場のピアニスト” もそうだけど、戦争という不合理な出来事の中でも世界中に敵・味方を越えた人間ドラマはあって、感動するよね。




メインストリート

ワルシャワ中心街

クリスマスにしては飾りつけも質素で暗く、人通りもまばら。



ワルシャワ大学

ワルシャワ大学で

エステラとキャンパスで。(寒そう!)
エステラのお母さんが貸してくれた毛糸の帽子に毛皮のコート。
(あったかそう!)

エステラはフランスのディジョン大学 (現在のブルゴーニュ大学)で私と一緒にフランス語を勉強していたけど、もともとはワルシャワ大学の学生だったんだ。




ワルシャワパレス (文化科学宮殿)

ワルシャワパレス

後ろに見えるのが、スターリンからワルシャワ市民への贈り物として、スターリンによって押し付け建てられたワルシャワ名物のワルシャワパレス(文化科学宮殿)。
醜いと市民に嫌われている。

高さ234m、ワルシャワ一高い37階建の巨大なコンクリート製の建物なので、不幸なことに市内のどこからも見える。

(内部にはテレビ局や科学博物館、劇場、コンサートホール、映画館、水泳プール、オフィス等いろいろな施設があるらしけど、現在は市民ももう慣れたというかあきらめて、昔よりは親しみの度合いを増してはいるという説も…)



ワルシャワ市民の間で語られるジョークにこんなのがある。

「ワルシャワで一番美しい景色は?」
「ワルシャワパレスの展望台からの眺めだよ。
その景色にゃ、ワルシャワパレスが入っていないからさ」
(;・∀・)



↓ ウィキペディア 「文化科学宮殿」 の中の「ワルシャワと文化科学宮殿」より抜粋

ワルシャワ市街のランドマークとして、文化科学宮殿は当初から論争の的となった。
ワルシャワ市民を始めとするポーランド国民は、文化科学宮殿をソビエト支配の象徴であると考え、この建築を嫌悪した。
社会主義体制崩壊の現在に至るも、このような否定的な見方は存在しており、ポーランド人の中には、政治的見解に関係なく、文化科学宮殿がワルシャワの伝統的な景観を損ねているとして批判する人々が存在する。


(結局現代でもやっぱり嫌われてるのか…困ったモンだね、壊すわけにもいかないし。
スターリンさんの存在誇示のおもわく面からは、成功ってわけだ…)




旧市街地

思い出に残っているのが、エステラに市街地に連れて行ってもらった時のこと。
薄暗い街路灯の灯りの中に浮かび上がる石畳の広場 (電気はソ連からもらっていたのでふんだんにはないらしい) 道に並ぶ市場の店々、広場を行き交う馬車と人々…。
ほんとに中世の旧市街に足を踏み入れたような感じだったよ。


ワルシャワ旧市街地市場FL

ワルシャワ旧市街地市場 (写真:フォトライブラリーより)
クリスマス前後はもっとお店が出て、もっと人がいた。



現在ワルシャワ北部にある旧市街(1611年のワルシャワ遷都より前に作られた歴史的市街地)とその北隣りの「新市街」(1611年のワルシャワ遷都以後に作られた歴史的市街地)は、大戦後生き残った市民によって絵画や写真などの記録から ”壁のひび一本に至るまで” 忠実に再現されたものなんだって。

戦いに次ぐ戦いで90%が破壊されたというワルシャワの町を、どんなに手間や時間がかかっても元通りに復元させたいっていう市民のひたむきな願いと努力に胸を打たれた。

この旧市街と新市街とクラコフ郊外通り、新世界通り、そしてワルシャワ市内に点在する複数の宮殿群を含む ”ワルシャワ歴史地区” は1980年、私が行ったこの年に、ユネスコの世界遺産に登録されたんだよ。




ワジャンキ公園

175万平方キロの広さを持つワジェンキ公園は、ヨーロッパで最も美しい公園のひとつと言われている。


ショパンの像アップ

これ、ワジャンキ公園にあるショパンの像。
しだれ柳の下に、ショパンが座っている。

春になるとこの中にしまってあるピアノが出され、野外コンサートが開かれる。
公園の中には宮殿や野外劇場もある。 

その宮殿は最後のポーランド王が建てたものだけど、ロシアに売られ、第二次世界大戦中には美術品のほとんどをナチスドイツに持ち去られ、その後、放火によって内部が焼失したんだそう。
(踏んだり蹴ったりだね)

その宮殿も、ワルシャワ市民が復元したのかな。


ショパンの像

真冬だったので全部はまわってみなかったけど、春には今は空っぽの花壇にも花が咲き揃って、さぞきれいなんだろうね。




滑る鳥たち2

傑作写真 題名: ありゃりゃりゃりゃー?!

公園内の池の氷の上を滑っている鳥たち。
泳げないので不思議がっている。




ニケの像

像

ニケは、ギリシャ神話の 「勝利の女神」 で、左手を高くかざし、右手に剣を振りかざしている。

剣の矛先は、ドイツに向かっているそう。

”戦う” といっても侵略のためではなく、”侵略された祖国の町を取り返すため、守るため” 戦ったワルシャワ市民の誇りが強く感じられる。



ニケの像が見える広場

国立劇場の入り口あたりから、ニケの像をバックに



国立劇場

劇場外観

ショパンコンクールもワルシャワ音楽祭、もここで開かれる。


劇場の外で

コンクリートの壁がツギハギだらけだった。(柱をよく見て)
中身は世界でも一流だけど。



国立歌劇場とニケの像(絵葉書)

より近代の、もっといい季節の国立劇場とニケの像の絵葉書

(当時の貧しい時代と違って、たぶんその後、ツギハギだらけの建物は修復されたと思う)




バレー公演2

その内部。バレー公演。

バレー公演1

文化的な活動には政府も国民の参加を奨励、力を入れていて、入場券は日本円で70円だった。



無名戦士の墓

戦士の慰霊碑


戦士の慰霊碑2

サスキ公園内にある。
時代が変わっても、自由のために戦って果てて行った人たちをいつまでも覚えておこうという市民の心が、追悼の火を絶やさない。




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謎の言語環境

ポーランド切手2


”エクスプレス”(特急・速達)は、英語では e の上のチョンを取って最後に s をもうひとつ加える。
フランス語はそっくり同じだよ。
(え?ひょっとしてこれ、ポーランド語でなくフランス語? だとしたら、なんでフランス語なのよぉ~っ?? ポーランド語にしてはあまりにフランス語とそっくりじゃない?! どなたか教えて!)

なんだかよくわかんないけど、
さすが、ヨーロッパ人同士は、言語が違ってもこれだけ似てるんだから、他の国の言語もすぐにマスターできるはずだよね。



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ゴメン…  (またかいな d001

予定ではクラコフ他編もこの回にいっしょに載せるするつもりだったんだけど、ワルシャワ市内編を書いているうちにまたまた長くなっちゃっいました。
なので、急ぐ旅でもないことだし(その時の私は永遠にそこにいる)、クラコフ他は、また次回にさせてもらいます。

(モコモコ着ぐるみ風安物化繊オーバー着用写真、なかなか出て来ないよね… コリラックマ



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(↓すぐ下の 続きを読む>> に追記あり)

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