スポット訪問記 Vol. 14 北米西海岸線の旅(2) 


あのさ、億万長者って言葉あるじゃない?
どんなイメージ?

日本だといくらお金持ちでも国土自体が狭いから、億万長者の豪邸って言われてもどれほどのものができるのかあんまり想像力が膨らんで行かないけど、
アメリカだったらどう?

たとえば、敷地内に自家用飛行機の滑走路を造ってしまったり、大きなプールはもちろんのこと、たくさんあるゲストルームもそれぞれプール付きだったり、
珍しい動物を集めて庭に動物園まで造っちゃっうとか…
内部はヨーロッパゴチック調で中世のお城のようで、美術品、骨董品で飾られ、野外にも見事な彫刻がいっぱい…とか。

アメリカの億万長者だったらどこまで贅沢なものが建てられるんだろうって、想像は無限に広がらない?



ハースト城

それを実現してしまったのがウィリアムス・ランドルフ・ハーストさん(1863~1951)。
1927年に、”お城” って呼ばれているのにふさわしい豪邸を建ててしまった。
それが、サンタバーバラからサンフランシスコへ向かう途中のサン・シメオンというところにある“ハースト城”。



ハーストキャッスル位置2


ハーストさんはアメリカの新聞王と言われた人で、50以上のメディア機関を所有した大富豪だった。

自家用機専用の滑走路を持ち、新聞を毎日空輸させていたそう。
小高い丘の上までの広大な敷地には猛獣などの動物が放し飼いに。

総部屋数は165、建築には28年の年月がかけられたけど、未完成状態なんだそう。
カサ・グランデ(大きな家)と呼ばれるメインの建物には38の寝室があり、屋敷内には会議室や映画館や室内プール、屋上にはテニスコートもある。
野外プールは古代ローマ風の彫刻で飾られ、豪華客室もプール付き。
世界中から集められた美術品や骨董品で飾られている。

彼はそこに当時のハリウッド映画界、政界、スポーツ界のエリートなどのゲストを招いては頻繁にパーティーを開くなどして贅沢三昧の生活をしていたらしいけど、(私たち一般庶民の想像通り?)
やっぱりお金持ち特有の家族の問題がいろいろあったそうで、本当に幸せだったか
どうかはわからないんだそうだ。

彼の死後は州の所有になり観光名所になっているから、一般庶民も中を見学することができるんだけど、
内部の撮影はできなかったから、残念ながら写真は少ししかないんだけど、観光スライドは買えたからそこから大きく想像をふくらませてみてね。



ハースト城遠景

  ↑ 一便前のバス

はるか遠くの丘の上に見えるのがハースト城。
ここからバスに乗って行く。



ハースト城空から

ハースト城 空撮 (観光用スライド)



ふたたび 
   st3.gif

R1絵葉書

 海岸線風景の絵葉書

たぶん、カーメル ~ モントレー間。
“17マイルドライブ”と呼ばれ、岩や松があったりして、ちょっと日本風な絶景が続く。




海岸マーガレットと

左にいるのは、この旅につきあってくれたマーガレット。


州道1号線


ルート1沿い公園


ルート1沿い公園2

海岸沿いの公園
(たぶん、上の地図の、ハースト城の北にある緑地)




サンフランシスコ

あこがれのサンフランシスコに着いたゾー。
この町との出会いは衝撃的だった。
丘を登って行ったんだけどね、てっぺんに着いたとたん、眩しい視界の中に、丘の反対側の坂道の終わりにあるパステルカラーの青い海が飛び込んで来たんだ。
白いヨットが浮かぶ…

それまでは反対側の坂道の道路を見ながらドライブしていたわけだから、突然ぱぁ~っと海のある一幅の風景画が開いた感じ。
その坂道は住宅街らしく、なだらかに下る坂道には花がいっぱい植えられていて、ほんとに絵のようだった。



シスコ絵葉書

サンフランシスコ夜景 絵葉書  
坂の向こうに海がある


トラム 

名物のトラム(ケーブルカー)に乗る



サンフランシスコ湾 ゴールデンGB

サンフランシスコ湾とゴールデンゲートブリッジ


アルカトラズ

サンフランシスコ湾にあるアルカトラズ元刑務所。
アルカポネもここに入っていたんだよね?
波が荒いため、脱走は困難。

その脱走を企てた物語が映画になっていることもあり、“ 独房体験ツアー” とかに人気があるらしい。




地図2




トリニダード

ユリカから30km北にある町。
(左の島のようなトリニダードヘッドを含む右の陸地部分)
カリフォルニア州が認定されて最初に登録された町、つまりカリフォルニア州で一番古い町、そして一番小さな町。
(2000年の調査で人口311人)



トリニダード島


トリニダードヘッドには、もともとネイティブアメリカン(インディアン)12家族が住み、その中で衣食住すべてまかないむつまじく平和に暮らしていたんだって。

この地は最初はポルトガル人航海士に発見され、その後スペイン人冒険家が上陸して、「ここはスペイン国王のもの」と領有権を宣言した。
キャプテン・バンクーバー(イギリス海軍士官で艦長。探検家として知られている。
カナダの西海岸に複数存在するバンクーバーを含む地名の名祖でもある)は、この地を訪れた時、
「現地人(インディアン)たちはフレンドリーで礼儀正しかった」と書き残している。
その後は近くで金鉱が発見され、金目当ての人々で賑わったり捕鯨の拠点になったりしたそうだけど、

その歴史の中に“ここでインディアンの大虐殺が行われた”って事実がある。

でも2009年現在、この町の歴史をインターネットで調べてもそのことについては全くといっていいほど出て来ない。
この絵葉書の裏にだってそう書いてあるんだから、間違いないよ。
“ そういうことがあった歴史的に意味のある地 ” って。


トリニダード絵葉書裏
 an Indian massacre = インディアン大虐殺



なぜそのことが公の情報の中に出て来ないのか、わからない。

もしかして、”大虐殺”の定義が変わってしまったからなのかなぁ。
つまり、他で頻繁に起こった大規模な”大虐殺”に比べたら、ここでの出来事は小規模過ぎてその表現には合わなくなってしまったのかも。
でも数字の大きさなんて関係ないよね、悲しい、あってはならない出来事であったことは確かなんだから。

だからもしそのことが、現在はそんなふうに観光の蔭に隠れてしまっているのだとしたら、広島のように、そのこともちゃんと伝えてほしいと思う。
そして、訪れた人やこの土地について知りたいと調べた人たちが合掌し,改めて「二度と同じことは繰り返さない」と平和を願い、誓いたくなる、そういう気持ちになる、そのことを大切にしてほしい。
そうじゃなきゃ、平和に暮らしていたのに、侵略者たちの利権のために無残に抹消させられた人たちが浮かばれないよ。




マーガレットと

トリニダード ヘッド をバックに



レッドウッド国立公園

レッドウッド国立公園パンフより2


レッドウッド国立公園パンフより

上の2枚はレッドウッド国立公園パンフより


↓ ヤフートラベル 「世界遺産ガイド」 より

レッドウッド国立州立公園は、カリフォルニア州の北部から海岸線に沿って南北約80kmにわたり広がる面積425平方kmの森林地帯を中心とする国立州立公園。

レッドウッドと呼ばれる樹皮が赤みを帯びた木(セコイアの一種で正式にはイチイモドキという)は、世界最古の樹木とされている。

樹齢600年、周囲13.4mの世界一のレッドウッドの大木は、「ビッグ・ツリー」とよばれ、高さ112.1mあり、自立する樹木としては世界一の高さ。
夏の濃霧と冬の多雨による湿潤な気候がレッドウッドの成育に適しており、かつてはカリフォルニア州北部太平洋岸の広大な地域に分布していたが、無計画に伐採されてしまったために、その大半は失われた。
その保護目的で登録(1980年)された。




国立公園近く

レッドウッド国立公園近く。


ここには樹齢2000年の木もあって、樹皮だけで厚さが30cmあるそう。
それに、高さ112mの木っていえば、30階のビルの高さだよ!!
人間の 小ささ が実感できる。 




マーガレットの家で

天ぷら


レッドウッド国立公園の近くにあるマーガレットの実家に寄り、ここでもがんばって天ぷらを揚げました。

(しょーがないでしょっ。ワンパターンて言われても、他のややこしい和食を作るにも、材料がないんだも~ん!! うーん
それに、天ぷらならほぼ間違いなく「おいしい」って食べてくれるし




ヘザーとへびのジャン君

おっと、びっくりさせちゃったらごめんよ。
マーガレットの友だちのヘザーと、へびのジャン君です。
 えぇ


ジャンはね、赤ちゃんへびの時からこの家で人間と一緒に家族のように暮らしているから、自分がへびだって知らないだろうって。
自分も人間、少なくとも家族の一員だ、と思っているだろうとのこと。

私も襟巻きにして遊んだり、首を持ってま正面から見つめ合ってコミニュケーションをはかってみたけど、
全然ぬるぬるとかしてないし、なついて甘えた表情したりして可愛かった。 
 
でもこんな美女とならまだしも、私のその時の写真は何度見返してもやっぱりキモイので、皆さまのお目にかけることなく引っ込めておきまーす。 

(と言いつつ、こんな珍しい写真は私の人生でも前代未聞なので、一応、保存しておくことし、追記の最後にこっそり入れといたので、どーしても怖いもの見たさが止められない人は、どうぞ)
(「ひぇ~っ!」 とか言いっこなしよー)




西海岸の旅はいかがでしたか。

だいぶ昔のことなのでどれがどこだったかはっきり思い出せなくて、たくさんは紹介できなかったけど、
ぜひ皆さんもこのルートを辿る旅に挑戦して、もっといい “ あなた版 ”を作ってみて下さい。





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番外編 1. 亮介兄さんのその後 (前編・若い頃) 

*****  *****  *****  *****  *****

(後半が西表島の目も醒めるような美しい風景を背景にした、亮介兄さんが主人公の詩とアルバムになっています。
前半は文字が多いけど後半への序章なので、忍耐強~く読んで後半へ辿り着いて下さいね)



亮介兄さんは帰国してからも就職とかはせずに、
若者たちが都会へ出て行ってしまったあとほとんどお年寄りだけになってしまったり、そのまま廃村になってしまった村で、
藁葺き屋根の空き家などを借りて、作物を作って、自給自足の生活をしていた。
ある時は仲間たちと、ある時は一人で。

ひとつの場所に留まらず、収穫期にそんな仲間たちのコミューン(集合体)を手伝いながら、日本全国あちこちを旅して回っていたこともある。
日本中にそんな、同じような考えや生活スタイルを持つ友だちがいるって、素敵だと思ったよ。

兄さんは、インドにとても惹かれていた。
それは仏教が生まれた国ということもあったけれど、“キリストは19才から30才までインドで修行していた”という説に共鳴したせいもある。
それを聞いた時には私は 「まさか」って思った。
常識人間だもの (ハ?)

でも、数年前に「イエスの失われた十七年」(立風書房)という本の紹介を新聞の書籍欄で見つけて、読んで見たいと思った。
そういう内容らしかったから。
(それっきりまだ読んでませ~ん。(;・∀・) 日々の雑用に忙しくて)


確かに聖書でも、イエス・キリストの足跡は13才くらいまでで途切れ、
その後30才くらいで突然現れて人々に布教(?真理を説くこと?)を始めるようだけど、その間どこで何をしていたかについては歴史的にも謎が多いらしい。

史上最大の「ミッシングリング」といわれている=リングが欠けている。謎を解いて行くとその部分がつながって環になる)

それに、イエス・キリストが生まれた時に東の国から3人の博士がお祝いに来たという話はみんな知っていることだと思うけど、
その“東の国”ってどこだか考えたことある?
インドだとすると、納得できない?

仏教は2500年前、イエス・キリストが生まれたのは2000年前だから、仏教の方が古い。
イエス・キリストがあれだけの覚醒に至るまでどこで勉強し修行したのか。
インドだったって考えれば、私は納得できる気がする。
そして嬉しくなったりも。
(だって私は深いことはよくわからないけど、仏教って日本人の心にピッタリ来ると思うし、漫画の“ブッダ”も好きだし、良寛さんも好き)

使う言葉は違っても、“同じことを言っているんじゃないか”ってことが、仏教とキリスト教の教えの中には多々ある。
イエスもブッダもその時代、その環境にいる人たちに合わせてわかりやすい言葉や表現を使ったんだろうって、兄さんが。
たとえば“覚醒”とか“悟り”の代わりに、“いつも目を覚ましていなさい”
とか、“無”とか“空”の状態を、“心の貧しい人は幸いである”と表現したり。
伝えようとしたことは、同じじゃないかって。

これは兄さんから聞いた、私の言葉足らずの受け売りだけど、私は兄さんの言っていることや求めていること、生き方が、なんかわかる気がしたんだ。

兄さんは、初めてのインドはそういうこともあって行った。
それも、ほとんど何も持たず。

「聖書に“明日のことを思いわずらうな。野の花、野の鳥を見よ。蒔くことも刈ることもせず、明日、炉に投げ入れられるかもしれない彼らでさえ、神は養って下さっている。うまして愛をいっぱいかけた人間を心に留めておられないはずがあろううか”って書いてあるだろう?
“求めよ、さらば与えられん”とも。
僕はだから、明日のことは思い煩わず、ブッダやキリストが見ようとしたものを探しに、大元のインドに行って来る。
もし聖書に書いてあることが本当なら、何も持っていなくても、何を食べようかと思い煩わなくても、それで生きて行けるはず。
僕はそれを、証明するよ。」

家族にそう言って、ほんとに行ってしまったんだって。
祖父母はクリスチャンだったから、何も言えなかったらしい。
(ユカイユカイ!)

インドでは、お寺で葉っぱのお皿を持って並ぶと、修行者に食べ物を施してくれるそう。
兄さんはそうして、ほとんどいつも余分なものは何も持たずに何度もインドへ行って、いろんな素晴らしいグル(師)に巡り会っている。

アメリカの山中で、ヒッピーたちと生活していたこともある。
その時は、“日本人の若いブッダがいる” と、ふもとの町からタクシーで話を聞きに来た人たちもいたそう。

(これは仲間が教えてくれた。本人はそう呼ばれることはとんでもないと思っていたし、嫌だった。ついでに、そのお客さまたちって、若いアメリカ人の女の子たちだったらしい。おっと
ちぇ

当時はヒッピーとか自然に帰れとか、禅とかが若者の心を掴んでいたこともあるけど、
兄さんはそういう一時のスタイルとしてでなく、その後もずっとそういう生き方を貫いているんだ。
だからって、hお酒も飲まない、たばこも吸わない聖人君子になろうとなんて全然してなくて、たばこもお酒も大好きだし、ガールフレンドだっていたよ。
同じ空気を持った人(たち)だったけど。

“こうでなくてはいけない”とかこだわったり、“きれいと汚い”“幸せと不幸”とか分けるのがよくないんだ、とも言っていた。
そうするから争いが起こるし、“幸せ”という概念を持つから“不幸”って概念も生まれる。

世界は愛に溢れた“全体”で、“ひとつ”なんだって。
(??だけど、わかるような気がする。雨が降って土の中のみみずがおしっこをして、それが肥料になって草花の栄養になり、川は流れて命を育み、海に行って蒸発してまた空に戻る。人間も自分で生まれて自分で生きるわけじゃない。その環の中の一部だろう)

だから、食卓に出されたものはお酒でも肉でも、何でも感謝していただいていた。




亮にいと仲間たち

山村で自給自足の生活をしていた頃の亮介兄さん(後ろまん中)と仲間たちの写真。みんないい顔をしている。



ある時なんて、山深くて郵便屋さんも2週間に一度しか行かない過疎の村の入口付近に小さな土地を借りて、丸太で自分で家を建てて一人で住んでいたよ。(私はそこに、訪ねて行った)

読みたい本を読んだり瞑想や座禅をしたりしているから、全然退屈じゃないどころかとても充実した毎日なんだって言っていた。
自然に溶け込んで、自然の一部になっているような感じで、家の脇を流れる清流にイワナがいて、兄さんはちょっとした怪我なら薬草で治していた。

「ミヤ、見てごらん。山から熊が下りて来て木の幹を掻きむしって剥いでも、しばらくすると表面が盛り上がって来て、いつのまにか元に戻っている。
自然の力はすごいよ。
人間の病気や怪我だって、自然に治る力はあるはず。副作用のある薬なんか使わなくても」

とか言っちゃって。

でも、雪深い冬はさすがに「お前、死ぬぞ」って友だちが迎えに行ったらしい。

兄さんは特定の宗教に関係なく、物や世間一般の価値観に振り回されることなく、ブッダやキリストが伝えようとしたことを、目も耳も体も、今生きている存在全部を傾けて、自分なりに掴もうとしていたんだと思う。
(これは私の表現で、合っているかわからないけど)

兄さんは、理屈や知識や思考が邪魔だって言っていた。
それは、英語に訳された禅の紹介の本にも書いてあったな。

「早く真理を教えてくれ」という弟子に師が言うの。
「あなたのカップは “自分” でいっぱいだ。
そのカップを空にしなければ、私はそこに何も入れられないでしょう」
って。

フルートのたとえ話もあったな。
フルートは中が空だから、神様(宇宙)の息吹が通って美しい音色を奏でるんだって。

“私、私” を捨てて無になりなさい ってことだよね、きっと。
その、“無” っていうのも何なのか、よくわからないことだけど。


このアルバムは、そんな背景の中で私が最初にインドから帰って兄さんと実家で再会した時にもらった写真を、兄さんと別れた後で眺めて、
思うがままに、メモ書きみたいなノリで作って残しておいたもの。
だから、表現が幼くても言葉足らずでも、その時の私の感性あるがままで、ブログ記事に転写して行くね。

人にはいろんな生き方があって、それぞれが違うからいいんだよね。
どっちがいいとかどういうのがいいとかでなく。
私は亮介兄さんみたいな生き方もいいと思うけど、同じにはなれないし。

亮介兄さんを登場させたので、その後についてもお話しなくちゃと思い、
今日はこんな形で紹介します。
彼の世界をのぞいてみて下さい。

じゃ、アルバムスタートするね。



*****  *****  *****  *****  ***** 

(1976年初秋版)


日本国へ  - インドから帰国 


インドからの帰国便



実家

故郷のわが家は、変わらぬたたずまい(今はもうないの)



沖縄から帰った兄さん

あーっ これは誰だ!? 私の兄(亮介)です。 
(さわやか系の少年だったのに、すっかり日焼けして逞しく…)

アメリカで平和行進に参加するための資金を稼ぎに、沖縄の西表島へ、さとうきび刈りのアルバイトに行って来たって。



沖縄の 西表島 (いりおもてじま)


西表島海岸と花

西表島の空と海と海岸と花 むこうにいるのは兄さんの友だち


西表島おじさん

さとうきび畑のおじさん



亮にい1

これが、私の兄です


海岸を歩く



自然、生活、瞑想… 仏教の経典、般若心経、聖書、インドのグル(師)の著書をいつも片手に やさしい目

自然にとけ込む
自分をからっぽにするときフルートは
神、宇宙のエネルギー、愛を身体いっぱいに受け、
通して、
美しい音楽を奏でる

からっぽのフルートにこそ、
神の息吹きはふきこまれて 
響く




西表島海岸



無… 空(くう)…  それは祝福  
それが出発


それはすでに、あなたの中にある
あなたが、それに気づかないだけ
あなたはすでに、ブッダ(覚醒者)なのだ




西表島さとうきび畑



あるがままに自然に
ゆったりと生きなさい

空の鳥のように 野の花のように
今を精一杯生きなさい


明日のことを思いわずらわず 
あくせくせず 
宇宙と融合して




亮にい10



波の音 風の音 青い空

ビコーズ  
レットイットビー  
アクロス ザ ユニバース




亮にい7



あなたの知らないところで 
あなたの中を 
あなたの生命は流れている

ボブディラン


いつも目を覚ましていなさい   

イエス・キリスト


何も持っていなければ 失うものは何もない   

ボブ ディラン




亮にい6



毎日毎日が全く新しい
新しい生命が満ちあふれている
瞬間 瞬間を 完璧にトータルに燃焼している


何も、明日のことなど気にしていない
人間だけが、ムリをして思いわずらっている
自分以上のものになろうとして… もっともっと物がほしくて…
壁にぶちあたり、川をさかのぼろうとしている




亮にい8



よく見てごらん
壁に体当たりしなくても ドアや窓が見えてくるから

ゆったり水面に浮かんでごらん
川は流れ、あなたを自然に大海につれていってくれる

空も海も山も 川も鳥も草も
みんな宇宙の一枝 
そしてあなたも 全体の中の一部
同じ生命のリズムにのって

人生は祝福 カーニバル!




亮にい12
 
澄んだ水に さんごしょう 
目もさめるほど蒼い熱帯魚


亮にい

↑クリックして拡大すると見えるよ 青い魚たち




19才~21才までヨーロッパを放浪した後、インドの師の元へ“答”を探しに。
そして今、アメリカへ、自給自足の農場をつくりに。

仲間たちは多い。

今の時代に何が必要かって、“生きる力”(文明の利器に頼らずに)だって。
彼らは畑を耕し、みそ、しょうゆも作り、自分たちの手で家を建て、子供を産み育て、ヨガや瞑想や禅の精神に沿った日々を送っている。

自然と一体化した生活の中で。

仲間たちの目 みんなきれいでした。
がんばって。

彼は今、大自然の中で生き抜くため、その法則を学ぶため、アメリカレッドインディアンたちの中で生活しているそうです。




*************************

さてこんな兄さんが、それじゃ中高年になった今はどうしているのか、続きは、

亮介兄さんのその後 (後編・現在編)

としてお送りします。
ノンフィクションなので、こういう生き方を貫いている人が現実社会の中で生活して行けているのか、興味のある方はお楽しみに。

(↓続きを読む>> に追記あり)

************************* 

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スポット訪問記 Vo.l 15 フーバーダム 他 


広ーいアメリカにいると、距離感がおかしくなるよね。西海岸沿いにドライブしたら、それが日本の本州の長さと同じくらいの距離だった、なんてことになるんだもん。

そんなアメリカだからなのか、長距離を行くなら電車より飛行機の方が安いっていうのもおもしろい。(この頃で半額~4分の1)
ということで、ラスベガスにはロサンゼルスから飛行機で飛んだよ。


lasvegas.jpg
ラスベガス 空より


ラスベガスはイリュミネーションがすごくきれいだった。
もちろん、スロットマシンくらいに少しはお金を使ってみたけど、高級カジノのガラス張りの別室で盛装してポーカーをやっている人たちがいて、ほんとにポーカーフェイスだった。
近くにいた傍観者通訳が、

「あ、あのドレスアップした女性ね、何ともない顔してるけど、今、何百万円すったとこ」

なんて言うので、びっくり仰天。
1日で、億単位で儲ける人や損する人もいるんだって。

全然、羨ましいとは思わなかったよ。
お金をそんなふうに弄ぶ身分に生まれなくてありがとう、だわさ。

ラスベガスは一流の豪華ショーでも有名だけど、無料のショーもあるので、お金を使わなくてもその町にいるだけでけっこう楽しめるよ。
光の芸術を眺めるだけでも、訪れた価値があると思う。

まあ、ラスベガス案内は溢れるほどあるだろうから、私はラスベガス周辺の3つのスポットについて書くことにする。
オールドネバダとフーバーダムとグランドキャニオン。
グランドキャニオンだって大勢の人が行く観光地に違いはないけど、
その悠久の時の流れの中の、大自然の壮大な息づかいというか、
そこに佇んだだけで何かぐっとくるものを感じた特別な場所なので、
グランドキャニオンは、次回まるごと1回をあてさせてね。

ということで、今回は次の2か所をどうぞ。



いざ、西部劇の町へ
   オールド ネバダ

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酒場の前で、酔っ払いにからまれる


オールドネバダ3
町の中心の広場には絞首刑場が…


オールドネバダ
どれ、ためしてみっか


オールドネバダはラスベガス市街地から西に40km、車で35分くらいのところにある小さな西部劇村で、日本の東映映画村みたいなとこ。

1800年代の教会では今でも挙式が可能。
モーテルやレストランもあり、週末や祝日には、「ギャング」ショーが開かれ、子どもは「悪人」を探す手伝いをすることができるらしいよ。(現在)



オールドネバダ絵葉書
オールドネバダ 絵葉書 

(でもね、ガンで人を撃つっていうのが娯楽になるのかどうか…
日本の時代劇で、正義の味方が悪代官の家来をバッサバッサと切るのを見ても痛々しいと思うけど… 家来は主人の命令をきいてるだけでしょう。
忠義者じゃないですか。なのに、家族もいるのに切られちゃって…
遺族年金とか、ちゃんともらえるのかなー…

そんでもね、私、クリントイーストウッドの “夕陽のガンマン” は大好き。
口笛入りの音楽も哀愁があっていいし、主人公のあのくわえたばこポーズがたまらない! …美弥のひとりごとでした)




要塞4
近くにこんな要塞もあったりして


要塞5
幌馬車もあって


将校2
通りかかった将校さんに言い寄られたりもする

(ここでも “アパッチ” の襲撃に備えたってイメージがして、ちょっと複雑な気持ちになりました …同じく美弥のひとりごと)



いざ、スーパーマンに出てきたあの大きなダムへ
    st25_20090518205836.gif


フーバーダム位置Google
ラスベガスとフーバーダム位置 (Google 地図)


フーバーダムは、ラスベガス市内からは東南へ約 56km、車で約 50分くらいのところにある、アメリカ最大、西半球最大のダム。
どのくらい大きいかって… 
高さ 221m、長さ 379m。

日本には 約 2,500基のダムがあり、それらの貯水量の合計が、
約 204億トン

そこで、この巨大ダムひとつの貯水量はどのくらいでしょうか びっくりはてな

答はナント、約 400億トン
ダムが多い国、日本中のダム全部を合わせた貯水量の2倍近くなんだヨー ひとつで。

参考に、黒部ダムはアーチ式コンクリートダムで、高さ(堤高)は
186mで日本一。(おー、高さではたいして負けていない)
総貯水容量は約 2億トン。

国の規模が違うし大きけりゃいいってわけじゃないけど、フーバーダムは壮大な上、美しさも兼ね備えていると思う。

ここで発電された電力はラスベガスを始め、遠くはロサンゼルスやアリゾナ州まで供給されているんだって。(すごい距離だよ)

1931年に着工、1936年に竣工。
ものすごい数の建設労働者たちが毎晩ラスベガスで遊ぶようになったために、ラスベガスは繁栄し、ダムが完成してからも豊富な電力の元でカジノホテルを始めとする新しいビジネスが次々と誕生した。
フーバーダムがなかったら、光の都、ラスベガスは生まれなかったとも言われている。
(現在は、フーバーダムからの電力の割合は、それほどではないらしい)

ダムの建設作業にあたって、熱射病のため122人が死亡。
(黒部ダムでも工事の事故などで171人が亡くなっている)

型式は重力式アーチダムで、ダム湖はミード湖と呼ばれ、その名は建設当時の大統領ハーバート・フーヴァーにちなんでいるそう。



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数千万年かけてグランドキャニオンを造ったコロラド川
(飛行機の窓より)



コロラド川
そのコロラド川流域にフーバーダムはある


HL22



HD6.jpg
よくこんな岩場を切り開いてこんな巨大なダムを造ったもんだよね。



フーバーダムウィキペディア

フーバーダム (写真:ウィキペディアより) 
わぁ~っ!



フーバーダム公式ウェブサイト
(写真:フーバーダム公式ウェブサイトより)



HD横2



HD縦
高さ221m! スーパーマンが決壊を止めようと格闘した。



HD3_20090518163611.jpg
ミード湖


HD4.jpg
ここ左側が、高さ221mのコンクリートの壁



HD5.jpg
エレベーターで降りて施設の内部を見学したり、資料館を見たりできるよ。



小さな西部劇の町と大きなダム、楽しんでもらえたかなー。
次回はグランドキャニオンで、人間の小ささを共に思い知りましょう。
寝る





スポット訪問記 Vol.16 グランドキャニオン 


グランドキャニオンについてはあまりに有名なので「今さら」と思うかも知れないけど、他の絶景や名所と同じで、いくら耳で聞いて写真で見てもそれは机の上に乗るサイズの縮小版を見ているだけ。
あそこで感じたものは、私の限られた言葉ではとても言い表せないな。



グランドキャニオン位置Google

グランドキャニオン位置(地図:Google)


それでもそこでその時感じたことを残しておきたいし、まだ行ったことがない人たちにはどうにか伝えたいので、ウィキペディアの情報と数枚の写真といつもの私らしい感想混ぜ込みおしゃべりで探訪記を書いてみるよ。
(といってもただ長い時間、風に吹かれて岩の上に座っていただけだけど)

地球上にこんな場所があるってことを少しだけでも実感して、機会があったらぜひ行ってみて。
そこへ行くと人生が変わるって言われている。

あ、おかしなことだけど、今日はここに出てくる ”数字” の美しさにも着目してみてね。
それらの持つ力や意味や神秘を感じてみて。
紙の上に書けば小さな記号だけど、それが意味する壮大な時、空間、距離をイメージで形にしてみるのもおもしろいかも。
文字や数字って、形のないものも形で表そうとするものだよね。
紙の上の文字や数字を見るとそのものがわかったつもりになっちゃうけど、形がないんだからほんとはわかんないものだよね。 ぽ

いつも見慣れている数字の羅列だけど、ここでじっと見つめて、それらが象徴している本体はどんなものなのか実感しようとしてみたら、何が起こるかって…

私は私が無くなってしまうと思ったよ。
私が無くなってしまうというより、「私なんてもともといなかったのかも」
って感じた。


はい。じゃ、写真と、数ケタの数字の中に隠れている途方もない世界に冒険に出て下さい。
冒険に行くあなた(主人公)が存在すれば、の話ですが…

(いないことがわかれば、あなたはすでに風景や空間と一体で、風景や空間があなた自身です) (← てか、かなりヤバイ…  ほっ )


では、情報は恒例でウィキペディアさんにお世話になりつつ、世紀の
渓谷へ空間移動いたしましょう。



★***★***★***★***★***★***★***★***★



image179.jpg



グランドキャニオン

ブラックキャニオン国立公園 絵葉書 

グランドキャニオンの延長にあるまた別の渓谷だけど、川が岩を削って渓
谷を造った様子がわかるので、載せたよ。



グランドキャニオンの起源は今から7000万年前、この一帯を含む広い地域が地球の地殻運動により、'カイバブ・アップリフト'とよばれる隆起を形成したことに始まる。

4000万年前、雨水を集め、流れ出るコロラド川による侵食が始まる。
峡谷は
500万年前にほぼその全容を現し、現在見られるような姿にな
ったのは、約
200万年前である。
そして今もなお侵食は続いていて、深く深く掘り続けた現在の時点で、最
古でおよそ
20億年前の、つまり原始生命誕生時の地層を侵食していると
言われている。


(たかが水、されど水。意思も感情もないのに、見よ、その力)
  (↑ コレ、私の声) 

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歴史 [編集] (一部)
ヨーロッパ人では1540年9月、スペイン領だったこの地域をコンキスタドール、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドの命を受けて、金を探していた軍人ガルシア・ロペス・デ・カルデナス とその一隊が探検した。
3分の1程サウス・リムを下り、水が無くなったために上に戻った。
先住のホピ族が金は出ないことを教えたために、彼らは去り、それ以降ヨーロッパ人からは忘れ去られていた。

1869年、アメリカ軍人ジョン・ウェズレー・パウエル (John Wesely Powell) がスペイン領だったこの地域の調査(最初の科学的な調査)のために訪れた。



動植物 [編集]
国立公園内には1500種以上の植物、355種の鳥類、89種の哺乳類、47種
の爬虫類、9種の両生類、17種もの魚類
が確認されている。

(こんな厳しい自然環境の中で!!)

リスなどの哺乳類が走っているのを見かけることもあるが、国立公園内では動物に触ることは禁止されており(罰金250ドル)、また狂犬病にかかっている場合があるため6時間以内に血清を打たないと死に至ることもある。
ただし、餌付け等はなされていないためこちらから手を出さなければ襲い掛かられることはない。



降雨量はサウス・リムで年間 380mm、最も深い場所で年間 200mm
(東京の年間降水量は、1467mm)

10,500年前には人類がいたと思われ、ネイティブ・アメリカンは少なく
とも4000年前にこの地域に住んでいた。


グランドキャニオンはアメリカにおいて初期に設定された国立公園の一つで、 (私が行ったこの年)1979年に世界遺産に登録された。



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グランドキャニオン絵葉書


渓谷の平均深度はおよそ1200m、長さ446m、幅6km~29kmに及ぶ。
最深地点は1800m。



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つまり、最初、川は1800m上空にあったんだけど、何千万年~何億年の間、コロラド川の水が硬い岩を1800m侵食して、今日もそうしてできた谷底を、川は変わりなく流れている。

あなたがいてもいなくても。
あなたが生まれる前から。
そしてあなたが死んでからも。

ただ、その途方もない年月の間の、着々とした侵食がこれからまた何億年と続くのか、明日止まってしまうのか、
それは誰にもわからない。



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時を忘れて太陽の光と影を映して刻々と移り変わる谷間を眺めていたらね、数人の観光客グループが来て、その中の一人の老人が私の隣でやはり無言で佇んでいた。

私は岩の上に生えた一本の木を見て思わず、

「よくこんな堅くて乾燥した岩の上で生きていますよね。
ここで生まれた人たちも、この厳しい自然環境の中で子どもを生み育て、服を着せ、食べさせて生きているんですね。
そしてここで生まれた人たちにとってはここが故郷で、よそに行けばここが懐かしくて、帰れば『故郷だ』ってほっとするんでしょうね」

って私が言うと、
その老人は、みんなと一度その場を離れた後、ひとりでまた戻って来たんよ。

「どうしたんですか」

って聞いたら、

「あなたの言葉を噛みしめながら、もう一度この風景を見ようと思って。
あなたは日本人ですか?
日本の方はそういう感じ方をして、この景色を見るのですね」

だって。

たいしたことを言ったつもりはないんだけど、

♪ ”松の木は岩を砕いて生きて行く”

という歌が頭に浮かんだのよ。
そこで生まれたら、そこで生きていくしかないっていうか…。

それって、日本的発想なのかなー…


実は私はそんな松を ”けなげだ” とは思うけど、そのようにがんばろうとは思わない。
無理してそこにいなくても、人間は動けるんだから場所を変えればいいと思っちゃう。 たはー

でも、故郷に関しては違うよね。
後からは変えられないし、やっぱり思いは万国共通だと思うんよ。
だから、この近くの保留地に押し込められたインディアンの人たち(この呼び方はやはり差別的と問題になり、現在は”ファースト ネイション” とか、呼び方についてはいろいろ議論されているらしい) は、気の毒だって思った。



それでは別の日に見た、壮大な大自然の織りなす絵巻物を、今度は岩の影が左側に見えるバージョンでどうぞ。

空の色、岩の形、影のでき方… 何億年という間、全く同じ景色は二度となかったよね。
それに見る視点や角度もあって、でも自然は人間の存在なんかに関係なく存在している。
小さな人間のふたっつの目。
それって何なんだろう…

でも私は、生きているからこの景色が見られたし、その悠久の時の流れの中の一瞬、私が見た景色は、針の先よりも小さな私の中でいっぱいになった。
(表現力ないけど、これが私の精一杯の表現だヨー)

もう、言葉を使うのはやめるから、残りの写真をどうぞ。
あなたの小さな目に映るグランドキャニオンを捉えに、出かけて下さい。



 

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続きを読む>> に追記あり



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