3-14 マドラスのハリジャンたち(神の子・不可触賎民) 

(前回の話の続きは、次回に)


たそがれものがたり
~ あるハリジャン一家の夕暮れ時 風景~


ハリジャン” (神の子)とは、ガンジーが名付けたインドの階級制度の最下級の極貧の民のことで、別名 ”アンタッチャブル”。
アメリカの映画の名前じゃないよ。
”あまりに汚くて触れない” という意味でそう呼ばれている。

彼らの貧しさは人間とみなされていないために救済の手もほとんど差し出されていなかった。
「金持ちの車がアンタッチャブルの一人や二人引いても警察は動かない」
って、現地の人が言ってたよ。
放浪牛の方がましなくらい。だってインドでは牛が神様扱いされているから、牛が食料店に来て商品を食べても何もできないんだよ。
差し障りのない程度に追い払うしか。

前にも書いたけど、彼らは生まれた時から死ぬまで、その階級でしか生きられない。
劣悪な環境での過酷な仕事しか与えられず、そしてそれは親から子へと受け継がれて行く。

奴隷制度も廃止され民主主義がかなり広まった現在だから、人権を訴える運動も何度も起きて多少は状況が改善されているらしいけど、
「カースト制はインドの主流宗教であるヒンドゥー教の教えから来ているんだから、ヒンドゥー教がなくならない限り変わらないでしょう」
って仏教徒のインド人青年が言っていた。
人権よりも宗教の教えの方が重要なんだね…

「そしてもしカースト制度の壁に小さな穴が開くことがあっても、上流階級の人たちがお金を使っていい教育を受けるから、
結局、ハリジャンたちはよっぽど優秀だとか運がいいとかしない限り、平等なスタートラインにも立てないわけで、上に上がることはすごく難しいし、もし上がれても差別に遭って続かないんだ」とも。


その極貧のハリジャンと言われている人たちの日常をいつも工場の窓から見ていた私は、ある日の午後から夕暮れにかけての様子をカメラで撮ってしまった。

彼らだって私たちと同じ感情を持った人間。
当たり前のことだけど、この映像を通して私の気持ちを共有してほしい。
私は上から珍しい物を見るつもりで彼らを見下ろしていたんじゃないんだ。
「がんばって!」って声援を送っていたつもりだし、子供たちが逞しく
事に成長して行ってくれるよう、祈っていたよ。

彼らにも肖像権はある。
だけど、もう30年以上も前のことだし、親しみを持って見守っていた上でのことなので、ここに載せることを彼らに許してほしい。

ということで、今回は私のカメラが捉えたありのままのインドの姿の一部をお伝えします。




歩道が憩いの場?2

工場前の川辺に住む貧しい人たちの家。

”景観がよくない” と、時々市のトラックが来ていっせいに片付けてしまうのだけれど、すぐにまた元通りになっているという。
(あれ、どこかの国のホームレス関連ニュースでも聞いたような…?)



アップ11

(上の写真アップ)ひとつだけこざっぱりした家があって、
その住人らしい人が歩道に日よけを張り敷物を敷いてくつろいでいる。
どんな人なのかな。傍らにはペットらしい犬もいる。(きっと野良犬だね…)



貧しい家族の家1


手前にいるのが、今日のものがたりの主人公でもある双子の姉妹。
拾ってきたごみや布切れで覆ったこの家に、7人家族で暮らしてい
る。
もちろん、電気も水道もない。

上の写真では、双子はどうやら家の蔭でお昼寝中の白いワンちゃ
んに近づいているところみたい。

家の入口あたりにいるのは、8才くらいに見えるお姉さん。
写真では、摘んできたジャスミンの花で髪飾りを編んでいるところ。
それを毎日市場へ売りに行っている。
お姉さんは双子の妹たちの面倒もよくみている。

日本でいえば中学生くらいのお兄さんもいて昼間どこへ行っている
のか不明だけど (学校だといい)、いつも夕方帰ってお母さんを手
伝っている。

お父さんともう一人の住人(たぶん、おじいちゃん)も昼間何をして
いるのか不明。
お母さんは足に障害があって歩けない。

極貧でも家族のつながり強く、仲むつまじい。

双子の姉妹は栄養失調でお腹だけが異常にふくらんで…そしてい
つも裸で裸足。でもいつも仲良く遊んでいる。




隣は夕飯のしたく

洗濯物は ”立ち入り禁止” のバラ線に干す。
隣のおばさんは夕食のご飯を焚いている。



                    隣のおばさんとその坊や↓ 
貧しい家族3
↑たぶん、撤去の下見に来た市のトラックだろうとのこと。 
           

上の写真では、お姉さんはわらのほうきで家の中を掃いて妹たち
に洋服を着せた後、ボロ布をかぶせたお人形さんの家(中央やや
左よりの白いかたまり)にお人形を入れて遊んでいる。双子の妹の
一人と。
(どこの国でも、子どもの遊びって同じなんだね… ハート

もう一人の妹は、お姉さんのまねをして大きなゴミを掃こうとして、
ひっくり返っちゃった。
そこで白い犬と遊び始める。(左手前)  


お母さんは足が悪いので、ほとんど一日中座ったまま。
動く時は腿から下を引きずって、腕で歩く。
今日は家族がどこからか拾ってきた廃材を分解したり切ったりしてたんねんに小さいサイズにしている。
そうして焚き木用にしたものを、家族がどこかに売りに行くんだ。

インドではビルの取り壊しがあれば、錆びたクギ一本まで、どんな廃材も貧しい人たちが来て全部拾って行くので、きれいさっぱり片付いて跡には何も残っていないそう。
(またそんなものまで買ってくれるところがあるっていうのがすごいね。)




貧しい家族4


アップ9
(上の写真アップ) 隣のおばさんが世間話に来たところ。


家の入口の布は、双子の一人がたたもうとして大きすぎてすっぽり
かぶってしまい、目をまわして放り出したシーツらしきもの。

姉と妹の一人はお人形さんに子守唄を歌いはじめ、
もう一人の妹は、二匹の犬と楽しそうにころげまわっている。

左下にあるのが、大きなごみとほうき。



*****  *****  *****


貧しい家族5


すっかり日がかげる頃、お姉さんが頭に壷を乗せて水を汲んで来ると、
帰ってきたお兄さんがポリバケツに水を入れて家の表に水を打つ。
こんな家だけど、大切な家族の家。
毎夕、家の中と表を掃いて水を打っている。
(すごい… 感心だよね。私より家事はうわてだよ)



(上の写真を明るくしたもの)
お兄ちゃん水まき

     ↑水を打つ兄          ↑髪をとかしてあげる姉
(水が飛ぶ様子も白く写っている)   
 


右手前は、隣の坊やが黒い赤ちゃん犬を見つけ、しっぽをふり
まわしたり、うしろ足を持って歩かせたりしているところ。

子犬は空腹な上おもちゃにされて疲れ果て、
”たまらんわ。かんべんしてよー」 って感じでこのあと右のゴミの中
に逃げ込んでじゃった。

お姉さんは妹の髪をとかしている。
お母さんはただ黙々と仕事を続ける。




貧しい家族6

アップ2
(上の写真アップ)


ボロ布をつぎ合わせ、ボロ布を詰めたボールで遊んだ双子は、飽き
て、家の入口に並んで座ってお母さんの後ろ姿を見ている。
(暗いのでわかりづらいけど、かすかに小さな人影が二つ浮かび
あがっている)

兄さんは、お母さんを手伝って長い板切れを割っている。
(木箱の左側のシルエット)

双子の姉妹はいつも裸で裸足だけれど、今日はお姉さんに洋服を
着せてもらったんだよね。
でも、やっぱりじゃまっけで、脱ぎ捨ててしまった。
(犬のうしろに放り出してある)




貧しい家族7

アップ3
(上の写真を明るくしてアップ)

お姉さんがボンヤリと川の向こう岸を見ている。 (木箱の右のシルエット)
何を考えているのかなー…

お兄さんは木箱の横でまだお母さんのお手伝いをしている。

双子の妹たちはお母さんに甘えようと近づくけど、お母さんが相手
にしてくれないので、かたわらでただ黙って立って見ている。
(お母さんの右側)

昼間はお母さんの両ひざをまくらに頭をなでてもらってお昼寝だけれど、
仕事をしている時のお母さんはきびしい。




川辺の風景
違う位置から見た川辺の風景


たそがれものがたり おわり 




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3-15 マドラスで事件(2) 

ここから、前回の話の続きになるよ。


そのマネージャーは、やっぱり不正をしていた。
(インドの物価にしては)たくさんの給料をもらっていたのに、それと同じくらいの額を自分のポケットに入れていた。
日本の社長は2年間も騙され続けていたんだ。

社長は警察に通報したけど、手入れ前にマネージャーが手を打ったらしく、警察は 「関知しない」 とした。
(しても意味ないよ。公正な捜査や裁判が行われるとはとうてい思えないもの)

その時にマネージャーが私に言った言葉。
「あなたたちはインドの事情をわかっていない。
従業員たちは安い給料で働くのだから、それでいいのだ。
それがビジネスというものだ。

あなたたちは日本のやり方を適合させようとしているのかもしれないが、インドのことは私に任せておけば良かったのだ。」

いいよ。
彼の言うことは正論かもしれない。
もし資本を出し合うとかする ”共同経営者” だったらね。
でも実際は、彼は月給いくらの雇われマネージャーだったんだから、二重経理はまずいでしょう。
”従業員を育て、大事にしたい” という日本人の心が全くわかっていないのはあなたでしょう!


不正が明らかになってから社長を含む日本人スタッフとマネージャーの関係は最悪に。
私が行く前から通訳兼ビジネスアドバイザーだったという日本人の加担も明らかになった。

日本へ帰国するための飛行機のチケットもマネージャーによりキャンセルされ、銀行口座にもアクセスできなくなってしまった。
私たちは事実上、借家に取り残されたというより、監禁、監視されている感じになってしまった。

そこで力を貸してくれたのが、元従業員たち。
夜になると変装して情報を持ってきてくれた。
それで私たちは再度、飛行機の切符を買うことができて、日本へ帰国したんだ。


空港の出国オフィスで、何と私は係官に食ってかかってしまった。
「こういう事情で帰るのです。あなたの国は弱い人たちを見捨て、一部のお金持ちの不正を許す… 何て国なんですか!」
とかいろいろ。
その人たちに言ってもどうにもならないとはわかっていたけど、感情が溢れ出してしまったんだ。

係官は私が泣き出してしまったので、唖然。

社長が後で、
「あの従業員たちのためにここまで泣ける奴がいるなんて、正直あの場面では俺も愕然としたよ。魂がえぐられるような感じだった。」
だって。


これが私のインド・ビジネス編でした。
次回は順番は前後しちゃうけど、マドラスに滞在中訪ねたバンガロールとマイソールを紹介するね。
こんな状況でノーテンキに見えるかもしれないけど、実はそこでつかの間の超切ない恋に落ちてしまう。 

ほどほどに正直にレポートするので、まあ、乞うご期待。
ねこ





(↓追記あり)

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3-16 未来のパレスチナ戦士との恋(前編) (インド) 


前にどこかでインドの電車を写真で紹介したことがあるけど、あれがバンガロールへ最初に行った時のものだったんだ。
一等車だったと思うけど、窓に鉄格子があってね。
男女の席もコンパートメントも分かれていなくて、きちんとした身なりのビジネスマン風青年と隣り合わせになったよ。
ううん、その人と恋には落ちなかった。



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t9.gif


バンガロールは、切なく激しい恋の思い出の地。
誰にだってひとつくらいこんな思い出があっても許されるよねっ!

この町は、インドにしては標高が高く涼しいのでリゾート地として人気がある。
(現在は I T分野で先端を行っているらしい)
公園も建物も洋風のたたずまいで、イギリス人が退職後に住みたいという希望が最も多い避暑地になったこともあるんだって。
実際、イギリス人ばかり住んでいる一区もある。

バンガロールは同じ月(5月)に二度訪れることに。



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元宮殿の県庁縦 元宮殿の県庁 


  元宮殿の県庁の建物


これをデザインした人は、あまりに凝りすぎたということでクビになった
んだって。ガイドブックにそう書いてある。ホントかな。




バンガロールの町 バンガロール建物



  





宿泊先のビルの窓から見たバンガロールの町。    裁判所



桜満開みたい

木の花の種類も多い


こんな花の咲いたこんな木

オレンジ色は紅葉でなくて花の色です。


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バンガロールには1週間滞在したんだけどね、社長の知り合いだというある日本の商社、××貿易のバンガロール支社を訪ね、宿は社員の住居も兼ねているそこのオフィスでお世話になっちゃった。

そのオフィスには英語とビジネスに長けた独身の日本人商社マンが二人いて、スタッフにはチベット難民の人たちを何人か雇っていたので、彼らともいろいろ話すことができて貴重な経験になったよ。



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チベット人女性スタッフ2 チベット人スタッフ二人2  
  ↑ チベット人男性スタッフ二人
  ← チベット人女性スタッフ
    とてもきれいな人



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チベット人スタッフはみな敬虔な仏教徒で、知的で性格も穏やか。
日本人と雰囲気が似ていて、昔からというより前世で知り合いだったような感じがしたよ。

そのオフィスではインド人のまかないのおばさんも雇っていたので、私はインドの家庭料理もごちそうになる幸運に恵まれたけど、
そのおばさんは買い物に行くと自分の家の分まで買った上でおつりを返してよこすのだそう。
たいした額じゃないので、暗黙の了解のような形になっているんだとか。
マドラスの従業員にしろ、日本人に仕えるってほんと、ラッキーだよね。

そこのオフィスの人たちも案内をしてくれたけど、私はほとんど一人でバンガロール観光に出かけた。
その時、日本人旅行者の何人かと出会って、そのうちの一人旅をしていた女性、E子さんを連れ帰ってオフィスにいっしょに泊めてもらったら、2~3日いるうちに彼女はいつの間にか支店長さんの方の日本人青年といい仲になっていたんよ。
めでたしめでたし。

じゃ、もう一人の日本人男性スタッフと私が仲良くなれば良かったって? 話はそううまくはいかないんだわさ。
渋めの硬派でもてそうな人だったけど。

前にも書いたと思うけど、私はまだ風来坊でいたくて、堅苦しい家柄のお嫁さんに収まるのは考えただけで遠慮したかったし、相手だってそんな私はつきあう対象じゃないだろうと思っていたから。

(オックスフォードでいっしょだった優秀で人格的にも申し分なく、将来も有望だったRさん、Tさん、ちゃんちゃんこさん、縁なかったですけど、みなさんいいパートナー見つけてます)

バンガロールでも同じで、チベット人のスタッフは支店長に、
「なぜ美弥さんとつき合わないのか」 と言っていたらしいけど、やっぱ、機と縁の微妙な調合の都合があるんですよ、キューピットさんの。

この1回目の訪問の時にね、町でインドを旅している二人の日本人青年にも会ったんよ。
インドを旅してるくらいだから日逞しく日焼けしてりりしい好青年たちだったけど、この人たちとも恋には落ちなかったんだなぁ。

そしてその人たちとも今だに年賀状を交換し合って、いい友だちでいるよ。
(前置き長くない?dog



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バンガロールの公園で2

バンガロールの公園で出会った子どもたち。(みんな服を着ている!)


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で、そんな私が理屈も何もなく両想いの恋に落ちてしまったのは、公園のベンチで知り合った二人の日本人旅行青年たちの反対側に座っていたアラブの青年たちの中の一人。
一目ぼれじゃないので、その時はまだ何てことないただそこに居合わせた人に過ぎなかったけど。
彼らはパレスチナ人で、インドの大学に留学生という形で亡命して来ていた。

「パレスチナ人なの!? 」

好奇心いっぱいの私は、反対側にいた日本人旅行者青年たちに背を向けて、パレスチナ人青年たちへの熱いインタビューモードに切り替わってしまった。

最初は冷やかし半分、ナンパ気分で私に話しかけていた彼らだけど、私の問いかけに急にま顔なって… 
彼らの国について話し出した。


その中で出て来たのが、「コーゾー オカモト」という名前だった。
みんな、オカモト コウゾウ 知ってる?
彼はパレスチナに同情して、全世界の注目をパレスチナ難民に集めようと必死のハイジャックを企て、囚われた日本人青年。
岡本公三は今(当時のこと)、敵イスラエルの牢の中。
パレスチナ人民にとっては、彼は英雄なんだよ。


パレスチナとイスラエルとの関係については複雑極まりないけど、歴史はどうであれ、パレスチナが弱者であることに間違いはない。
強い方は大国アメリカを味方に付けて弱い方を圧倒的勢力を持って、痛めつけている。
だから弱くても必死で抵抗する。
すると強い方はその何倍何十倍の報復をする。
ダイナマイトと線香花火が戦っているみたいだと思う。

暴力に大きさは関係ないさ。暴力は悪い。
だけど、線香花火の方に同情しちゃうんだよね…判官びいきっていうか…
故郷をなくす悲しみはユダヤ人(イスラエル人)が一番わかっているはずなのに、だから故郷を得るためには道を選ばないというか…

イスラエルにもパレスチナにも平和を望んでいる人たちがいる。
悲しみの連鎖がどこかで断たれるといい。

そうして願うだけの私の目の前のパレスチナ人の友人たちは、下宿の壁に尊敬する闘争グループのリーダーの写真を貼り、
皆いつの日かパレスチナに帰り、死も辞さずに祖国のために闘う覚悟だという。

「日本の人たちに真実を話してくれ。
日本はアメリカ寄りの政府にコントロールされていて、パレスチナの悲劇が知らされていない。」
ときかない。(あれ、アフガン青年も同じようなことを言っていたな)
日本は自由な国だって信じてくれない。

私はもっと彼らについて彼らの国について生きた証言が聞きたくて、
「お友だちになって。また明日会える?」って聞いた。
そしたら、「じゃ、明日もここで会おう」って言ってくれた。


そして翌日、約束の場所にオートバイで私を迎えに来たのがガレブだった。
20才のパレスチナ人大学生だよ!


↓ 続きは「続きを読む」に


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3-17 未来のパレスチナ戦士との恋 (後編) 

バンガロールでの別れ

このパレスチナ人たちとの別れの日か来たのは出会ってからたったの3日後
のことだった。

それまでには私はガレブから、
「22才になったらパレスチナへ戻り、パレスチナ戦士として国のために闘う」
という決心を聞いていた。
この人を好きになってはいけないって思うでしょ?

私たちはアイラブユーとか何も言わなかったけど、泣きたいくらい切なくお互い
のことを思っていた。
そして別れが辛かった。
だってもう二度と会うことはないだろうって、お互いにわかっていたから。

会おうとすれば会えるかもしれない。
でもそれで、どうするの?
すべてを投げ出して死ぬ覚悟でいる人に、ついて行くの?
それとも私に彼にそれを止めさせるほどの何かがある?
彼の決心も生き方も、そんな生半可なものじゃないでしょう。

ナンセンスとわかっていて私は言った。

「たとえ世界の違う場所で別々の生き方をしても、いつもあなたの幸せを祈っ
てる。
できたら、ムリだとは思うけど、いい娘を見つけてかわいい子どもたちを持って、
人並みにしあわせに暮らしてほしい。憎しみ合いなんてやめて…
死なないで。生きていればいつかきっとどこかで会えるから…」

私のその言葉には、彼は無言でいるだけだった。

そして、
「きっとまた会えるよね」
「…会えるさ。マドラスまでバイクかっ飛ばしてさ…」 (力なく)

それが私がガレブと交わした最後の言葉だった。




再びバンガロールへ

ところが、思いがけず二度目のバンガロール訪問の機会が、まるで神様が
設定して下さったようにやって来た。
日本に帰国する直前に社長が私たちの帰国ルートをバンガロール経由とし
たんだ。
××貿易バンガロール支社の皆さまに挨拶に寄るためと、マドラスの最後が
大変な日々だったため、休養も兼ねて。

××貿易の皆さま、その節(私は二度)は本当にお世話になりました。






インド大地

空から見たインドの大地


川沿い緑  枯れた川

左 川沿いには緑が。水ってほんとに命の源なんだね!

右 枯れた川。茶色く見えるのは剥き出しになった川底の泥土。
   住民はどうしているんだろう…。



バンガロール上空

バンガロール上空。木々とレンガ色の家々がヨーロッパを思わせる。





『もう一度、ガレブに会える…
でもどうしよう… もう会わない方が、お互いにとっていいんだよね。
そうわかっていて、この間、お互いにどうにか別れを乗り越えたんだよ
…』

私はすごく迷った。
でも、会わずにはいられなかった。
だって、もう二度と会ってはいけない人だと思い、本当に会えないと思ってい
たのに、運命がまた私を彼の元に引き戻してくれたんだよ!

バンガロール滞在はたったの二日間。

私は会社の人たちに、
「前に来た時、友だちになった人たちにお別れの挨拶をしてくる」
と言って出かけた。
オートリキシャに乗ってガレブの下宿先に向かったけれど、留守かもしれない。
心臓が破り裂けそうだったよ。
「やっぱりいてほしい」って願って。

ガレブはいなかったけど彼の友だちがいて、彼を探してくれることになった。
「何があってもガレブなら必ず君を迎えに行くから、夜、出かけるしたくをして
待っていて。
明日、日本に帰ってしまうなら、今日は君の送別会になるだろうから」

それで私は一度、宿に戻って連絡を待ったんだ。
窓の外を眺め、オートバイの音に耳を澄ませ…

一分、一秒が失われて行くたびに、命が削られるような気がした。
私たちに残されているのは、何時間何分何秒?

そして電話が鳴った。
ガレブからだった。
「今、すぐに迎えに行く」って。

その夜のことは忘れられない。
甘く激しく切なく悲しい夜。

送別会の会場は、”さくら” という日本レストラン(実は中国レストラン)で、バン
ドが入っているディスコでもあった。
行ってみると、急なことだったのにたくさんのパレスチナ人たちが集まってくれ
ていた。
何だか「ガレブにはいい友だちがたくさんいるんだな」って安心した。






パレスチナの友人たち12


踊る3 踊る

踊る2
 

ツーショット2 ツーショット4





ガレブは…
彼は初めからがぶ飲みして大暴れ。
バンドにはヤジを飛ばすし、同席の友人にくず紙を投げつけて怒らせたり。
(今、考えてみると彼は、「どうしてこんな集団送別会を設定した?
彼女とふたりきりで過ごしたかったのに!!」って、友だちに怒っていたのかも)

『せっかくいっしょにいられるのに…』 って私もうろたえたけど、

「どうして帰ってしまうんだ。明日?あんな遠い日本へ?
俺の気持ち、わかるめえ」

って、半分泣きべそ。

それでも私たちは何もかも忘れようとするかのように、一緒にいる時間を燃焼
し切った。
もうほとんど会話という会話はせずに、”今、生きてここにいる” ってことを実感
したくてただ一緒に踊り続けるだけだったけど。

私たち、汗と涙でキラキラ光っていたかも。 (キザーッ!)

そして夜もふけて、お店の閉店の時間が来る頃には、ガレブはぐでんぐでんに
酔っ払って、手がつけられない状態になっちゃったんだ。

そこにいた友人たちはみんな彼の気持ちを痛いほどわかって、介抱しながら、

「奴のことは心配しなくていいよ。君はもう帰ったほうがいい。
明日の便に乗るんだろ?」

そして、帰りのオートリキシャを呼んでくれた。

そうして私はそんな彼に後ろ髪を引かれながら、そこを去るしかなかった。

夜道を走るオートリキシャの中でね、私、号泣しちゃったんだよ。
ずっとずっと、目的地に着くまで、涙と嗚咽が止まらなくて、あたり構わず子ど
ものように大泣きしていていたので、運転手さんもきっとびっくりしてたと思う。

『どんな別れだったらよかったの?
この間みたいに、”私以外の人と幸せになって” なんて、ほとんど意味のない
別れの言葉をまた言うことなしに済んでよかったのかも…
彼とのもっと大きな別れの悲しみに対面するようなことにならなくてよかったんだ…』

そんなこんなが頭の中を駆け巡っていた。
『今からでも引き返す? 今生の別れになるよ…!!』

結局私は、未来のパレスチナ戦士の恋人にはなれなかった。

こうしてほんとに短いガレブとの恋は終わったんだよ。
出会ってから友だちになって心が通じて磁石のように強く引かれ合って、
いっしょにいられた時間は本当に楽しくて幸せだった。
それと反比例するように、別れの悲しみが裏側に潜んでいたからだね。

彼がその後どんな人生を歩んでいるのか知らない。
でも、今でもこれらの写真を見て、あの悲しみに裏打ちされた素敵な笑顔を見
せてくれた彼らが、この世のどこかで心から笑っていてくれるといいって思う。





3-18 マドラスで事件(3) 


不正事件発覚後の後始末はどうなったかって?

インドでは警察があてにならないことは前にも書いたけど、元マネージャーの手回しで我々日本人の方が極悪人に仕立て上げられてしまって、皮の在庫もミシン、皮すき機も、ドイツに出品した高価なバッグも、全部取られちゃったんだよ。

でも私、社長さんに言ったんだ。

「見て、インドの貧民たちを。
どんな苦境の中でも親子でむつまじく暮らしているじゃないですか。
物やお金なんて、どうせこの世のまぼろし。いつも通り過ぎて行くもの。
私たち、すべてを取られたとしても、まだ帰る国がある。命がある。

♪何もなければ失うものは何もない

って、ボブディランも歌ってますよ。元気出して、嫌なことは忘れましょ」

この世の不条理さに嘆く日々だったけど、インドにいて私も仏教的な啓示を受けたんだろか。(!?)


インドって汚い国。暑い国。遅れている国。
(悪いけど、メモにそう書いてあるのでそのまま載せる)
でも、そう、何かある。惹かれるものが。

マドラスの女子工員たちの見せてくれた同情の涙、言葉。


私たちがあなた方良い日本人をだましたような気がして胸が痛いです。
インド人はあのマネージャーのような人ばかりではありません。
きっとまた戻って来て新しい工場を作って下さい。
もっとよいマネージャーを見つけて。
私たち、いつまでもあなた方を待っています


それが宝物。
私たちがインドで最後に得た、ひとつの確かな手ごたえ。

最初はうそをついたりごまかしたり材料や道具をちょろまかしたりして平気だった彼女たちが、我々日本人は彼らを大切に思っているということを知るにつれ、心を開いて信頼に応えてくれるようになったこと、
毎日毎日いっしょに笑っていたこと、忘れない。

私たちはインドの実情に合わせず、自分たちのやり方を通してしまった悪者なのかもしれない。
でも、国に関係なく、人としての生き方までは曲げられないでしょう。

私たちはビジネスでは失敗したかもしれないけれど、人間としての心意気では決して、元マネージャーにもインドにも負けていないと思うんだ。
どう?



笑顔の社長

こちらが、ビジネスでは不運だったけれど、職人さんとしても人間としても一流の社長さんです。
(××貿易 バンガロール支社オフィスにて)

この頃には社長もすっかり吹っ切れて、すごくいい顔をしてる。
このことを記事にする了解は得ているんだけど、写真を載せていいかまでは聞いていないので、いい笑顔をお見せできないのは残念だけど、少しぼかしたよー。


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最後のおまけ 復刻版

一度は載せたんだけど、長くなってしまったのでカットしちゃったもの。
「マドラスで通訳」の巻ね、2回の連載だったのを、題名も少し変えて4回に分けたので、この記事もここに改めて復活させておきます。
(よかった、よかった)



ゾウの花子 ミニミニアルバム マイソール  ゾウの花子


ヤフーインド地図
ヤフー インド地図


マイソールはバンガロールから南西に140kmくらいのところにある、
こちらも緑の多いヨーロッパ風の町。
最初にバンガロールを訪れた時に、日帰りバスツアーで行って来た。



マイソールマハラジャの家

マイソールパレス (マハラジャ宮殿)

こちらの素晴らしい写真も見せていただいてください。
マイソールパレス (←クリック)


このあたり一帯の広い地域を治めていたマハラジャは、イギリスと戦って2度、勝ったんだって!
でも3度目に負けてしまい、イギリス統治下でその地域の藩主となったそう。
”みんなの歌” にも出て来なかったっけ?
よくお祭りに、ターバンを巻いて豪華な衣装を着て飾りのいっぱいついた象に乗ってるインドの王様の絵とかあるでしょ? 
へび使いと並んでインドのイメージそのもののような… 
あれがマハラジャさん。



マイソールのヒンドゥー寺院


ヒンドゥー寺院

ヒンドゥー寺院

子どもとお兄さんが「おみやげ買って」「写真撮って」 と寄ってくる



手作り楽器を売る子どもたち

観光地の道端で手作り楽器を売る子どもたち

左の、ココナツをくり抜いて作ったバイオリン。あまり可愛いのでつい買ってしまいました。
今でも思い出に飾ってる。



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これで中近東諸国&インド編は終わりです。

ストーリー編はここで終わるけど、残りはまたいろんなエピソードを入れながらスポット観光編で続けて行くので、これからももう少し一緒に旅を続けて下さいね。
kao03


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スポット訪問記 Vol. 13 北米西海岸線の旅(1) 


たとえば、U.S.A.の地図を眺めた時に、”カリフォルニア州”はなぜか名前を昔から知っていて(オレンジのせいもある)、太陽がサンサンと降り注ぐイメージがあって、
”行けるものなら行ってみたいなー」とか思わない?
西海岸沿いにあって、ロサンゼルスやサンフランシスコがある州だよ。
私が地図を見て思うのは、
「わぁ~っ、この海岸線に沿って旅したいなー…」




usa地図線入り



ウンウン、行ってみたい、私もドライブしてみたい。
じゃ、出かけましょう。

まずロサンゼルスに飛行機で着いたら、やっぱりハリウッド、ユニバー
サルスタジオ、ディズニーランドへ行って。
サンディエゴ(この間のWBCの試合があったところ)では海辺のシー
ワールドと沖までホエールウオッチングに。
そしたらメキシコの国境はすぐだから、夕飯を食べにメキシコに行っち
ゃうね。
そしてまた米国のサンディエゴとサンゼルスに戻って、そこから海沿い
に北上する。
気ままに途中で道を外れたり、知人友人の家に寄ったりしながら。

レンタカーや宿泊の経費、かかった時間などは今とはずいぶん違うと
思うので参考にはならないだろうからそういう情報はあまり書かない
ことにするけど、大自然はほとんど同じのはずなので、
その時の私といっしょにいるつもりでほんのひと時、西海岸沿いの旅を
楽しんで下さいな。

それじゃ皆さん、準備はいいですか?
  ワーーープ!!


ルート1その6 R1-1_20090427223245.jpg



西海岸ユリカまでweb

今回の経路。 南はサンディエゴから北はユーリカのそのまた
北にあるレッドウッド国立公園まで。
(ほぼカリフォルニア州の端から端までだね!!)




サンディエゴ

サンディエゴの町 サンディエゴ教会


サンディエゴの白い教会500
サンディエゴの町はスペイン統治のおもかげが残っている


くじらを見に 
ハーバークルーズで沖にくじらを見に。 


ハーバークルーズ切符500
   ↑その時の切符。 


くじらのしっぽ
 
                   ↑ くじらのしっぽ。


すごいスピードなのにゆったりと群れをなして泳ぎながら山のような背中を水上に見せたり潮を吹いたりしていたんだけど、見るのに夢中でカメラを持つ手元はお留守に。
その大きさには畏怖さえ感じ、すごい迫力だった。

鯨はこちらが害を及ぼさないってわかればこちらの存在は気にしないんだっって。そういう関係って、いいね。 




シャチのキス シャチライド練習

サンディエゴ シーワールドへ。 (↑パンフの一部)

イルカやアシカたちも賢く可愛かったけど、中でも私をすっかり虜にした
のはシャチ。
大きいのは体長が30mもある彼らが、いろんな芸をするのは圧巻。




ちょこっとメキシコ

サンディエゴからすぐ(車で30分くらい)のところにアメリカとメキシコの国境があって、陸路で歩いて行けるんだけど、手続き後は柵の回転ドア押して隣の家の庭に行くって感じだった。

国境には何斜線もあるすごく巾の広い道路があったけど、そこに人間が何人かで歩いている絵(子連れの家族のシルエットのように見えた)の標識があったので、
「あれはどういう意味?」って聞いたら、
「あれは、”人をひかないように注意”って意味よ。メキシコから密入国しようと、この道路を命がけで越えようとする人が絶えないの」
だって。若いアメリカ人女性のほうの道連れが。

よく日本で山中の道路に、熊や鹿に注意って看板は見たことあるけど、
”人間に注意” の看板には驚いたなぁ。
空には、そういう密入者を見張るヘリコプターが飛んでいた。

メキシコに入ったとたん、町の色彩が変わる。茶色系になる。
アメリカを背にして来たら、すごく貧しい感じだった。



メキシコ

向こう側:道路に面した長屋のような商店街におみやげ屋さんが所狭
しと並ぶ。
手前:レストラン内で演奏する極小オーケストラの皆さん



テュアナでレストランに入ったら、流しの演奏家グループが来て、
「お嬢さんたち、一曲いかが?」
せっかくなので、メキシコの音楽を演奏してもらった。

タコスを始め、辛いものをいっぱい食べちゃった私は、歩いて国境を越えて帰ったサンディエゴのホテルで腹痛を起こしヨレヨレに…。 




ロサンゼルス

ロサンゼルスの町の案内は他の人がたくさんやってくれているので私はちらっとだけにしておくね。


ハリウッド 

ロサンゼルスに来たら、やっぱりハリウッドでしょう。
右がもうひとりの道連れの綾子さん。OLやめて私について来た。
足元は、ハリウッドスターたちの手形のタイル。




ロス天ぷら

ロサンゼルスで訪ねた知り合いのご夫婦。
泊めて、ロサンゼルスの町案内までしていただいたお礼にとテンプラを揚げたとこ。
材料を買いに行ったふつうのスーパーに、お豆腐はもちろん、いろんな種類のお味噌が並んでいたよ!



ガレージ内部

このお宅のご主人の車が置いてあるガレージ。
こんな工具の数と並べ方がアメリカ人らしいのかな。




ユニバスタジオ絵葉書

ユニバーサルスタジオへ

まだ日本にはできていなかった頃だから、いろんな映画の舞台装置とか舞台裏とかが見れて、そりゃもうメチャクチャ面白かった。 


ユニバ絵葉書



 ユニバS   ユニバパンフ 



ユニバ絵葉書3


顔メーキング    岩運び


以上は、絵葉書と観光スライドと案内パンフ切り抜きからでした。


あと、ディズニーランドにも行ったけど、ここのディズニーランドは1955年に最初にできた記念すべき第一号。
ここもすっごく楽しかった。

じゃ、北へ向かって出発するね。




サンタモニカビーチFLweb
サンタモニカのビーチ (写真:フォトライブラリーより)


ルート1沿いの町の港

海岸沿いの町の港。たぶんサンタモニカかサンタバーバラ。
港に住んでいる天然のアシカにちゃんとニックネームがついていて、名前を呼ぶと挨拶に現れたり愛嬌を振りまいたりして人気者になっていた。




サンダバーバラ

ロサンゼルスから2時間ほど北上するとサンタバーバラの町に着く。
この町はまるでスペインの町のよう。
1925年に大地震が起きた後、住民投票を経てスペイン風の町の建設が始まり、今ではスペインよりもスペインらしい趣が漂う町に。



サンタバーバラFLweb

サンタバーバラの家々の屋根(写真:フォトライブラリーより)


ロスからソルバング2


ルート1(州道1号線)は、海岸線をロサンゼルスからサンフランシスコのはるか北まで走る道路。

(著者は一部の区間が101号と重なっているので悩み、途中から赤でなぞる手を止めてしまいました!? そーいう単純なヒトです 一応ドナルド ひよこ

その風光明媚さは有名で、今までどれだけ多くのコマーシャルに使われたかでその程がわかる。(車が颯爽に走るのとか)
紺碧の海を左に、ガードレールもないような崖ギリギリの道路が延々と続くんだよ。




R1-3_20090428233005.jpg


ルート1その2



ソルバング

サンタバーバラからさらに2時間くらいドライブして、ルート1をそれて少
し内陸に入ったところにソルバングという町がある。(上の地図)
町に踏み入ったとたん、

「あれ? ここはどこ? 私は誰?」 状態に。

ほんとにアメリカにいたはずなのに、アンデルセンの童話の世界の中に迷い込んじゃったみたいなんだよ。

ここは、アメリカに移住したデンマーク人たちが、故郷を偲んで1911年に作った町だそう。
ロサンゼルスにも日本庭園があったし、大きな町にはチャイナタウンとかもよくあるけど、町ひとつそっくり、異国の町に仕上げちゃうなんてねー!! 
アメリカってすごい。

デニッシュって、デンマークのお菓子でしょ。
そのパン屋さんから、デンマークのパンやお菓子のいい匂いがしていたよ。



ソルバング絵葉書2

               ソルバング

ソルバング絵葉書

               ソルバング2 

ソルバングの夜



モロー ベイ

ロサンゼルスとサンフランシスコのちょうど中間点あたりにある湾。
小さな漁村で、スポーツフィッシングでも人気がある。



ソルバングからモローベイ
(R1は、海岸寄りの薄黄色のライン)


marro bay
 
独特の景観を作っている孤高の巨岩、”モロー ロック”


marro bay2


marro bayのホテル
モローベイで泊まったモーターホテルの絵葉書



ここからね、しばらく北上した森の中に住む、亮介にいの友だちの家にも寄らせてもらったよ。

亮介兄さんはあれからヨーローパの旅を終えて日本に帰り、山の中で廃屋になった民家を仲間たちで借りて農業をやっていた。
インドに何度も修行に行っている。

そんな仲間のうちの二人がこの家のお父さんの ”きこりさん”(アメリカ人)とその奥さんの晴子さん。
焚き木を切って暖炉にくべ、畑で採れた野菜を食べてるという、自然に近い生活をしていた。


きこりさんの子どもたち


子どもたちはね、両親を名前で呼んでいるんだよ、
”ジェフ” ”はるこ”って。(つまり対等で呼び捨て)

小さい時から、識別不能、ごまんといる ”パパママやおとうさんおかあさん” という呼び方でなく、それぞれが別個の名前と人格を持った人間て意識を持たせたいからだって。



きころさんの家
きこりさん家族の家



次回は亮介兄さんのその後についてのおしゃべりも入れながら、ルート1北上の旅を続けるね。






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