第3章 中近東諸国&インド 1 ロンドン~アテネ 

カテゴリーは 「中近東諸国&インド」 だけど、出発点の ロンドンから
書き始めるよ。



1976年夏のこと。
74年のクリスマスにスイスのユースホステルで知り合った多幸さんことタコ
さんが、旅先から私をイギリスまで迎えに来てくれて、
バイクの旅途上だったヒゲさんと、スペインで勉強中だった純さんがアテネで
合流して、中近東・インド経由で日本に辿り着く計画を実行することになった。

- ところで、タコさんは多幸さんだから 「おい、タコ!」 から始まって ”タコ”
ってあだ名になってしまったらしいんだけど、それって、 ”とぼけたあほ”
みたいなイメージない?
”裕二”っていう名前なので、私は 「裕さん」 て呼ぶことにするね。


実を言うとこの旅は観光旅行でなく、”陸づたいに日本に帰る” というのが
一番の目的だったから、写真も少ししかない上、仲間たちに必死でくっつい
ているばかりで、自分ではメモもろくに取らなかったので、
ルートや町の名前とか、後から思い出してもわからないことが多い。

実際、アテネから先は旅行者専用のバスには一度も乗らず、現地の人たち
が利用する乗り物を乗り継いでカルカッタまで行ったんだよ。
だから観光の参考にはならないかもしれないけど、
その土地土地で聞いたこと、見たこと、感じたこと、考えたことを書いていくよ。
インドまではホントに ”通っただけ” という感じだから、10話のうちの後半は
全部インドの話になっちゃうと思う。


ワトソン氏はそれはそれは心配そうだった。
「あなたに何かあったら、マムに何て言い訳すればいいんだ」って。
(マムには、”取り乱すから”って、私が帰国することは伝えないことにしよう
っていうことになっていた。
心残りではあったけど、私は次の目標としてフランスに留学するためにまた
戻って来るつもりだったから)

そして、「困った時はこれを売りなさい」 って、純金の指輪を持たせてくれた
けど、それは中古店で買ったダブダブにサイズの大きい指輪。
それも知らない人の名前が彫ってあるの。
(ほんとにワトソン氏の人柄そのもの…ファッション性は皆無で、実質重視)
セントステファンという、旅行者を守ってくれるという聖人の銀のペンダントも
(どこかの中古屋さんで)手に入れてくれた。

裕さんたちとスイスで 「一緒に陸路で中近東・インドを旅しよう」って話してか
ら1年半、別れてから途切れ途切れに連絡は取っていたけど、
本当に実現する日が来たんだ。

「女の子がオーバーランドで中近東・インドへ? 大丈夫?」
とか、知り合いや友だちも口を揃えて言ったけど、
「”連れては行くけど、女の子扱いはしない” って条件付きなんだ」
って、涼しい顔して私。


そういうわけで出発!

持ち物はまた小さなリュックひとつだったけど、さすがに一応、綿の花柄ワン
ピース一着と、それに合うサンダルに、水着と日焼け止めなど、化粧品一式
は持っていた。 最初はね!

できるだけ安い手段でということで、まずロンドンのビクトリア駅から、
“マジックバス” という名のローマ経由アテネ行きの長距離バスに乗る。 
その時の、突飛もないアイデアは…

「ブーツ型のイタリアのヒールの先っぽまで行けば、ギリシャは海を隔てて
すぐ向こう側だから、もしローマまで行ってその先、海を渡れるようだったら、
船でギリシャへ行こう」 ってものだった。
(日数がよけいにかかりそうなので、結局そのままローマからオーストリアま
で北上して、アテネまで南下したんだけど)

何日もかけていくつもの国々を通過するのに、ロンドンからアテネまで
15,000円という信じられないような格安価格だったので、
廃棄寸前のオンボロバスを想像し、さぞ乗り心地も悪いだろうって覚悟して
いたんだけどね、
目の前に現れたのは、そこそここぎれいな観光バスだったから、他の外国人
若者バックパッカーたちも私たちも、キツネに包まれたようで。

「これぞ本当に天からぼた餅(??)だね。思いがけないところで得しちゃう
もんだ。」
なあんて言い合って、喜んでいた。

ところが、ロンドンから海の際までこのバスで行き、フェリーに乗り換えて向
こう岸のフランスの港で待っていたのは!!

これ以上汚くなれるか、というくらい汚れに汚れたバスで…
車体の色も柄も、全くわからない。
それほどまっ黒に、泥とほこりまみれた物体だったんよ。

みんな口々に、
「えーっ! うっそーー!! 信じられなーい!!!」
「イッツ ア ナイトメアー!!!」
(一緒にいた外国人。「悪夢だぁ!」 という意味)
一様に、唖然とするのだった。
(ほんとに、マジックバス=魔法のバス だった。ドロンと変身を遂げちゃって)

あの、私たちに夢を与えてくれたそこそこきれいなバスでずっと旅するので
なく、あれはイギリス国内用の短距離連絡用で、港まで私たちを送るだけ送
って、さっさと引き返してしまったということらしい。
見かけ倒しとか上げ底って、こういうことだよー。
(ちょっと違うような気がするけど…)

大丈夫なのかなあ…アルプスの山道とか、登って行くんだよねー、これで…

今回は長距離バスなので、目的地へ向かって走るのみ。
トイレ休憩はあっても、途中下車しての観光はナシです。
とにかく、座って窓の外を眺めては眠るだけ の旅。

美しいヨーロッパの町や山村風景を、動く絵本の中に飛び込んだみたいに
楽しんだよ。
揺られながら、ほとんど眠っていたような気がする。
そうして目を覚ました時々に窓から見た風景が、フラッシュバックのように
脳裏に焼き付いている。

ある朝、まぶしさに目を覚ますと、何と外は一面の雪景色だった。
(下界は夏なのに!)
真っ白な林に森に、教会の塔。
本当に、クリスマスカードの絵そのものだったんだよ。
あれはオンボロバスが息切れしながらアルプスの山越えをした時のことで、
標高の高いオーストリアの山中だということだった。



img618.jpg
バスの休憩地で買った、オーストリアの絵葉書


img617.jpg   

   
   その絵葉書を、ユーゴスラビアで投函
   した時に貼った、ユーゴスラビアの切手








またある時、目を覚まして寝ぼけまなこに飛び込んでたのが、ローマのコロ
シウム。
「ほら、ここがあの有名なコロシウムだよ」
と言われ、眠い目をこすると、あの写真やテレビで今まで何度も見たことが
ある円形劇場が目の前に聳え、バスはスローモーションのようにゆっくりと
その脇を巡って通り過ぎた。


ローマコロシウム
走るバスの窓から撮ったコロシウムの一部



また別の時、目を覚まして外を見ると、黒い衣で全身をすっぽり包み、目だ
け出した女性たちが、村の道を歩いていた。
運転手さんに聞くと、そこはユーゴスラビアだということだった。
ヨーロッパの国々を通っているつもりなのに、窓からのそんな景色に、ちょ
っと驚いた。

4つめのフラッシュバックは、アテネのリカピトスの丘。
ここも二度目だけれど、霞のかかった夕焼け空をバックに、遠くあの丘のシ
ルエットが浮かびあがって来た時には、

「とうとうフランスの海際から内陸を抜けて、地中海の港町に辿り着いたん
だ」 っていう実感が湧いたよ。


その足でユースホステルに向かう。
ヒゲさんと純さんは、私たちの到着から2日目に合流した。

ヒゲさんは相変わらず日焼けしていてますます逞しくなって、それとは対照
的に、純さんは知的で静かな感じの人だった。
長いまつげの大きな目でじっと人を見て話すので、男でもドキドキしちゃうん
じゃないかなー…。

この町で、中近東諸国やインドに行くのに必要なビザを取り、予防接種を
受けるんだ。
予防接種は2回、それも間に1週間おいて打たなくてはならない。
それで、指定された場所に1回目の注射を受けに行って、じゃ、その間の
1週間をどうやって過ごそうかという相談になり…
私のミーハーの女の子の権化的切望により、地中海の島のひとつに行くこ
とになった。

私は学校の冬休みにクラスメートとミコノス島へは行ったことがあるので、
じゃ、別の島ということで、イドラ島にしてもらう。

楽しかったナー。
エーゲ海のふたつの島に行っちゃうなんて、夢のようだね。
ひとつは、「ちょっといいな」 って思っている人と…!

いつも貧乏旅行だけどさ。


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( この時のミコノス島とイドラ島記事は、"島特集" でこっちに)
スポット訪問記 Vol. 8 ギリシャ/ エーゲ海の島々 フィリピン/ セブ島

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イドラ島見えてきた
日差しが強くて鼻がヒリヒリするので、ハンカチで防御しているとこ


アテネに戻り、残りの日々をパルテノン神殿や、そこに続く坂道にギッ
シリ並ぶ面白いお店を覗いたり、
いろんな広場や、レストラン、クラブ、屋台が並ぶ地区や、港に行って
海を眺めたりしてブラブラ過ごした。



アクロポリスのふもと
アクロポリスの丘のふもと
(また継ぎ当て付き黄色い胸当てジーンズをはいてるー!汗とか




食べ物屋さんではどこへ行っても陽気なギリシャ音楽が流れ、長いお昼休
みや夜は、そこにいた現地の人々が一緒に踊ろうと手を差しのべて来た。
ギリシャ音楽は、ギターの調べに乗って太陽がサンサンと降り注ぐイメージ。
グリークダンスのステップも簡単に真似できてとっても楽しい。

不思議なのは、ギリシャの女性がそういう場所にいないこと。
外で食べたり飲んだりして楽しんでいるのは、男性ばかり。

旅の途上では結構警戒していて知らない人には厳しい表情や言葉遣いを
する裕さんだけど、
私が現地の人たちとしゃべったり踊ったりすると、隅っこで目を細めて笑っ
て見ていた。

希少な裕さん他の仲間の写真は、もう少しあとに登場するからね!
(男の人は、そんなに写真を撮りたがらない)

2度目の注射も済ませ、これからトルコのイスタンブール行き各駅停車の
電車に乗るよ。




    ミニ アテネ案内



アテネからの絵葉書文面

家族への絵葉書文面

「インド方面の為の予防注射に一週間かかるので、地中海の小さな島へ
渡ってのんびり時間をつぶすことにしました」 なんて見栄張って書いてる
けど、ほんとは1泊だけだったんだヨー。 kao06  1泊2ドルのホテル。 




img610.jpg

パルテノン神殿の北側にあるエレクティオン神殿の六体の少女像 (絵葉書)


パルテノン神殿6      パルテノン神殿7


アクロポリスの丘円形劇場

後ろは円形劇場


パルテノン神殿 (世界遺産) メモ

裕さんによると、ここは遺跡ではなく廃墟だって。

そう言われてみれば、大きな円柱などが無造作に転がっている。
ギリシャの人たちは長い間ここを管理せず、19世紀初めまでは誰でも寄って
たかって彫刻を剥いで持ち去り、
残りのものも長い間、風雨に晒されるままになっていたんだって。

そして19世紀の初めに、ほとんどの価値あるものはイギリス人が持って行
ってしまって、本物は大英博物館にあり、ギリシャの博物館にあるものはレ
プリカだそう。

えーっ! そんなことってあるぅ??

そのイギリス人(当時の駐トルコ大使。その頃アテネはトルコの領土だった)
は、文化遺産を強奪したと世界中から非難されているらしいけど、
戦争で破壊されたまま修復もされず、剥いでは持ち去られ、雨風に晒され
ているこの文明の遺産を見るに見かねて、トルコ政府の許可を得て私費で
ここの彫刻等を買い取ってイギリスに運び、買った値段で大英博物館に売
ったっていう話だ。

そして、大英博物館にいい状態で保管されるからその方が良かったと考え
る人も多いらしい。

どちらにしろ、今は返還運動が進んでいるみたいだよ。


そんな退廃的な背景や雰囲気を範疇に入れても、やっぱりここの遺跡は、
小さな人間の及びもつかないような神聖さ、おごそかさがあって、そう、ギリ
シャ神話やソクラテス、プラトンさんて名前が浮かぶからかなー、
何か不思議な動悸を覚えたよ。



ギリシャの食べ物

やっぱり高級料理店で高級料理は食べなかったけど、ギリシャ庶民のお店や屋台のお料理は、美味しいものがいっぱいあった。
中でもナスとひき肉を使った”ムサカ” というのが私は気に入った。

それと、ふつうヨーロッパ人はイカやタコを、”ゲテもの” として気持ち悪がっ
て食べないんだけど、同じヨーロッパでも、ギリシャではイカやタコが美味し
いお料理で出て来て嬉しかったよー。
オリーブ油いっぱい使ってね。

日本人とちょっと近いゾ。



小包切手

日本へ送った小包みに貼った切手



どーでもいいことは、追記↓ 続きを読む >> にいれといたっちゃ。


        

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3-2 アテネ~イスタンブール 


そして数日後、トルコのイスタンブール行きの電車に乗る。
各駅停車で、乗り換えと待ち合わせ、国境でのパスポート検査の時間を入れ
て36時間かかったんだよー!
トルコの電車は、今でも何時間も遅れるので有名だそうだから、その時間も
入ってるね。

コンパートメント式電車の座席に座りずくめで、仲間たちや相席になった同
じく貧乏旅行者たちとしゃべったり眠ったり、窓からの景色を眺めたり、途中
で乗り込んできた地元の人たちと微笑み合ったり、英語の通じる人とは片言
の英語で会話をしながら時間を過ごす。

途中の駅の名前、”テサロニキ” が読めた時には感動した。
聖書に 「テサロニケ人への手紙」 というのがあるから。
本当に実在するんだね! 

当たり前かもしれないけど、「聖書の舞台はこの辺なんだ」 と思ったら、急に
キリストの存在が現実味を帯びて胸に迫ってきた。
タイムスリップすれば、イエスキリストにばったり出会えるかもしれないんだ…



テサロニキ駅看板2 

                    テサロニキ駅かんばんアップ

テサロニキ駅の看板。ギリシャ語と英語みたいだね。


その間に、ここ中東地域の歴史について、裕さんに聞いたりもした。
紛争が多いけど、何世紀も前からの複雑な事情があって、平和な日本にい
るとわからないことばかりだ。
裕さんはパレスチナにすごく同情的で、ヨーロッパやアメリカがこの地域にし
て来た自国の利益優先の歴史的事実に批判的だった。

私もこの旅を通して、少しでもわかりたい、いろんなこと。



 ここでちょこっと勉強タイム 

ものすごい勢力で、バルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで
領土を広げ、約200年間の栄華を極めたオスマントルコだけど、
19~20世紀にロシアやオーストリアとの戦争で次々に領土を失って、
第一次大戦後はフランスやイギリスの占領下に入った。

でも、後に “トルコの父” と呼ばれる勇士ケマル・アタテュルクをリーダーと
する独立戦争で領土を取り戻し、1923年にアンカラを中心としたトルコ共
和国が生まれた。

そのリーダーは西洋との融和を図る政策を取り、スルタン(君主制)の廃止、
アラビア文字からアルファベットへの切り替え、女性の権利の拡大、西洋式
衣服着用の義務付けなどの改革を行ったんだって。

公務員や学校の先生は勤務時に頭を覆うスカーフの着用は不文律に禁止
されているという。
それは、外見がヨーロッパ的であること、つまり “モスレムを強調しないこと
が大事だ” と政府が考えているからなんだって。(インターネット調べ)


すごいね、さすがこの位置で東洋と西洋とつきあって生き残って行かなけれ
ばならない国らしい、思い切った政策ばかり。

政治的には、軍のサイプロス(キプロス)からの撤退、クルド人問題、第一次
大戦中のアルメニア人大虐殺などの問題が障害になり、EUへの加盟がなか
な実現できないでいるという。
(もっと詳しい資料は、“続きを読む” の後半をどうぞ)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


       t12.gif


ボルポラス海峡FLw

ボルポラス海峡 (写真:フォトライブラリーより)


トルコ共和国の国土はヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがっていて、
ここイスタンブールが、東洋と西洋の交差するところなんだ。
つまり、海峡のこちら側がヨーロッパで向こう側がアジア。

丘の上から紺碧のボルポラス海峡を白い客船がゆっくりと航行している風景
を眺めた時の感動が忘れられない。
「これからヨーロッパを後にして、いよいよアジアの大地へ足を踏み入れるん
だ」って思うと感慨深かった。

あちら側とこちら側では町の配色も雰囲気も違う。
本当に “東洋と西洋が出会う町” なんだね!

(地理的にはその国土の97%はアジア側で、ヨーロッパ側は3%しかなく、
国民のほとんどがイスラム教信者で、どっちかっていうとアジアに近いと思う
んだけど、なぜかトルコはサッカーのワールドカップでは ”ヨーロッパ予選”
に出場するんだよね)


町は騒音に溢れ、焼きとうもろこし、絵葉書、傘、ガイドブック、Tシャツ、み
やげ品などを手に、小学生くらいの子どもたちまでが物売りに寄って来てま
わりを囲む。
すごく親切に見える客引きらしい男たちがどこへ行っても寄って来たけど、
裕さんはキッパリと断っていた。

-私なんて、国際間の友好を損ねてはいけないという意識もあってそう失礼
な口のきき方をしてはいけないような気がしちゃうけど、
裕さんはそんな時、人が変わったようにそっけなくし無視していた。
さすがだなぁ。

電車の中で知り合ったフランス人旅行者青年がいろいろ情報を教えてくれて、
ブルーモスクの近くで安宿を見つけ、そこからブルーモスクやアヤソフィア、
トプカピパレス、バザールなどに出かける。

ブルーモスクはドーム型の建物のまわりをミナレットとい
う柱が囲んでいて、ホントに宇宙基地のようだよね。
でも中はすっごく繊細な美しさなんだよ、タイルや手描きの壁の装飾、ステ
ンドグラス、天井から吊るされたろうそくの灯りと、そして人々の信仰からく
る敬虔さ、おごそかさ…

キリスト教の教会のように十字架やマリア像があるわけではなく、お参りに
来た人々は、みな同じ方向(メッカ)に向かっていっせいにお祈りをするんだ。



ブルーモスク観光ちらしより  ブルーモスク内部FS
↑ ブルーモスク 現在 (写真:フォトライブラリーより)

↓ タイムスリップ版
  まだ公園の整備中みたいだけど、木はきっと同じだね!

ブルーモスク2

だんだんワイルドになって来ている。
ワンピースを着ているのは、おしゃれのためでなく風通しがいいから。 
だって、メチャ暑いんだヨー!!汗とか  



アヤソフィアはちょっとブルーモスクに似てるけど、歴史の中でキリスト教の
教会だっものがイスラム教寺院に改修されたので、内部の装飾も両方が
混じっている。
両方の信者が時代を隔ててお参りしたんだね。
何か、象徴的。 (今は博物館になっている)


ボルポラス海峡を見下ろす丘の上にあるトプカピパレスには、
オスマントルコ時代の宮殿に財宝が展示されていて、とにかく冠から始まっ
てお茶のカップにまで、ありとあらゆる種類の宝石がふんだんにはめ込まれ
ていた。
有名なのが、超大粒のエメラルド。
怪盗ルパンも盗みに入ったとか(?)。

ハレムもあって、内部には王様の部屋、その妻の部屋、女奴隷用の部屋な
どがあったよ。



トプカピ幸福の門FLw
トプカピパレス 幸福の門 (写真:フォトライブラリーより)



 ここでちょこっとまた脱線 

そういえば、裕さんが、トプカピパレスを舞台にした怪盗の映画の話をしてく
れたんだけど、それがルパンだったのかなー。

ちょっとおもしろかったので、書いとく。それはね、

トプカピパレスにあるその超大粒のエメラルドを、完全犯罪を企てて、長い時
間をかけて内部設計書や監視システム情報を手に入れ、完全にすべて危険
の可能性をクリアした上で、主人公の強盗が、このパレスの屋根に穴を開け
て侵入。

床に触れれば警報機が鳴るので、ロープのはしごをつたって、ちょうど超大
きなエメラルドの位置に降りて、はしごにつかまったまま、
どうにかそれを手にするんだけど、さあ、ロープを登ろうとしたその時に、計
画は失敗に終わってしまったんだって。

「どうしてだと思う?」
「うーん… どうしてもトイレに行きたくなっちゃって、おもらししちゃったとか?」

「いいや」

「うーん、なんでだろう???」
(答は一番最後に)

それがどんな名前の映画なのかわからないし、細かい筋書きもよくは覚えて
いないけど、裕さんはこんなふうにいろんなおもしろい話題を提供してくれた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


バザールには、彩りも鮮やかなでエキゾチックな工芸品や民芸品がいっぱい。
同じ宿にいた他の旅行者は、ジーパンやヨーロッパの洋服と引き換えに民芸
品を買っていた。

買い物は、最初から高い値段を吹っかけて来るので、せりみたいにしてまと
もな適正価格まで下げるのが大変なんだよ。
最後に、「もう要らない」って去ろうとすると、追いかけて来てまた下げる。
ほんとにほしいのに、裕さんがさっさと行ってしまった時は、泣きそうになった。
(どうもそれも、手だったみたい)


どこの町も同じだけれど、こぎれいな高級店の並ぶ町並みの路地裏に入れ
ば、そこには貧しい人々の日常風景が…。
地元の人々の簡素な家や店や工場がひしめき、ここでもギリシャと同じく、
茶屋や食堂にたむろしているのは男性だけだった。

甘いチャイ(紅茶)やコーヒーが、暑い風土に合っているのか、現地で飲む
と結構おいしかった。
トルココーヒーはどろっとしていて、底にカスが溜まっていて、その上澄みを
飲むみたいな感じ。
いいおじさんもそのコーヒーを一日に何杯も飲む。
それも、甘ったる~いお菓子といっしょに。

そういうコーヒーが苦手な旅人用に、”ネスカフェ” という名でインスタントコ
ーヒーがメニューにあったのが、おもしろかった。
インスタントなのに、そっちの方が高いんだよ。



チャイを飲む


ヒゲさんと裕さんといっしょに、宿の裏庭でチャイ(1杯20円、今は95円くら
いらしい)を飲んでいるところ。
着ているのは、バザールで裕さんが最初の値段の6分の1に値切ってくれ
た、民芸品のドレス。
(それでもまだ高かったって、宿の主人が…)



歴史的にも現在の表情も、いろんなものが混在し、バランスを取ろうとして
いる活気溢れる町、イスタンブール。
そういえば、イギリスの学校でクラスメートだったトルコ人の男性は、オスマ
ントルコの末裔のような精悍な顔をしていたナー。

次回はイランのテヘランに向う。







ヤフートルコ地図

ヤフー 地図 (クリックするともう少し大きくなる)

丸印が付いているのが、通ったり立ち寄ったと判明している町。
砂漠があるため、移動は直線ではつなげられないから、実際はどんな経路
だったのかは不明。 
黒海沿いのどこかの町で、黒海の海辺に泳ぎに行ったんよ。(次回ね) 

アララト山を遠くに見ながら国境を越えたので、イラクとの国境近くを通った
のだと思う。






怪盗が失敗した理由は、
エメラルドをゲットして、あとはハシゴを登って逃げるだけって時に、天井の
穴から鳥が一羽入り込んで床の上に舞い降りて警報機が鳴って、御用にな
っちゃったんだって。

その映画、見たいな。





<参考に>

現在はアテネ~イスタンブール行きの列車で、車中2泊で32時間22分
というのがあるらしい。
また国際バスならまる一日、24時間で着くみたい。





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3-3 イスタンブール~テヘラン 


トルコのイスタンブールから中距離(?)バスに乗ってイランのテヘランまで
5日かけて行ったんだけど、その距離は何キロくらいあると思う?

何日もかけてトルコというひとつの国を縦断して、そのまま旅を続け、隣の国、
イランの首都まで一気に行ってしまったってわけだ。
このバスでの総走行距離、2400キロ
それって、日本の北海道から九州までくらいの距離。
たーいへんな旅だった。
かよわい女の子が ( 無言、汗 ) よく耐えたと思うよ。

イスタンブールからテヘラン行きのバスは、この後に乗ったアフガニスタンや
パキスタンのバスに比べればまだ結構きれいだった。
なぜかというと、国土の一部がヨーロッパの仲間に入っているということもあ
ると思うけど、この真夏の砂漠道路を何千キロと走るには、お払い箱寸前の
バスじゃ無理だからだと思う。

現に走っている最中に何度もバスはエンコして、タイヤがひとつずつ割れた。
単なるパンクじゃなくて。
町を外れると、土と砂の道になったから。
その上、ガソリンが切れ、他の車が通るのを待ってまる半日炎天下で過ご
した日もあった。
避難するにもバスの中は蒸し焼き釜みたいだし、陽射しをよける場所もない
わけだから、参ったよ。


じゃ、そのことも順番に、数少ない貴重な写真に沿って書いて行くね。



゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜


   黒海の一隅で  泳ぐ 


黒海の砂浜2

イスタンブールの近くの町で、次のテヘラン行きのバスの出発の日まで
滞在した宿屋のおじさんが、宿泊客を車に乗せて黒海の海際まで連れて
行ってくれた時の写真。

海は、たいしてきれいじゃなかったので写真は撮らなかった。
(きっと都会の近くだからだね)

でも、砂漠地帯に入る前に、ちょっとだけでもリゾートの雰囲気ありの海辺で
泳ぎ治めできてよかったかも。


黒海の砂浜

この頃はヨーロッパでも日本でもビキニは当たり前だったけど、これから行
くイスラムの国では、絶対にこんな格好×だよ!



゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜


 イスタンブール テヘラン バスの旅

トルコはまだヨーロッパの面影が多少残っていて、山肌や農村風景の中に
緑も見られたけど、イスタンブールから離れるほど視野の中で乾燥した赤茶
色や黄土色の土や砂の面積が増えて来た。
長い間、そんな無味乾燥な岩山と砂漠の道をバスはただひたすら走り続ける。

最初にびっくりしたのは、一日に数回、決まった時間にバスが止まり、イスラ
ム教の乗客がゾロゾロと降りて、地面に布を敷き、いっせいにメッカの方向に
向かってお祈りをしたこと。

次にびっくりしたのは、川のあるところでバスが止まったのはいいんだけど、
5メートルくらい川上で足を洗っている人がいるのに、
地元の乗客たちがその流れのすぐ下流で水を飲んでいたこと。
中近東やインドには、”水は5m流れればきれいになる”って考えがあるって
聞いたけど、本当だったんだ。

重ねてびっくりしたのは、バスが走り出したあと、バスの通路の真ん中に大
きなドラム缶が置かれていて、さっき汲んだ水がいっぱい入っていたんだけ
どね、バスの車掌が、「水、要る人いますか」って声をかけたんだ。
外国人(ヨーロッパ人や私たち)は、素直に水筒を差し出した。
そしたら、その車掌さん、いきなり私たちの水筒をまるごと、紐もいっしょにそ
のドラム缶の中に入れてボコボコって水を入れて、「はいよ」って返してよこし
たの…

「うぇ~っ…」

そんなことで驚いててどーするんよ、ミヤ!
これからトイレもない砂漠の岩蔭でトイレも済まさなくちゃならないんだヨ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


トルコバスの窓から

窓から撮った外の景色


トルコの道

ほとんど草木の生えていない丘陵地帯が続く。
ここは、おしっこに停まったところ。



ずっと同じような景色なので、どこを走っているかわからないので、
道路標識を撮っておいた。



トルコ砂漠地帯

なぜか写真がシミだらけなんだけど、数少ない貴重な写真なので、
選んでいられないんさ kao06 実際のことろ…。 ゴメンよ。



img676.jpg

エルズルム、カルス、イグディールって読める。


アフガンアグリ標識

昔ながらの素朴な村人たちの生活。右端に道路標識が。


アグリ標識

上の写真アップ。”アグリ” って書いてある。



で、どのへんにいたのか地図で調べてみたら、これらの地名の載ってる
地図があったよ。(グーグル地図)


トルコイラン国境周辺地図


上の標識を見たのは、もうすぐイランとの国境ってあたりだったんだね。
トルコとイランの国境からテヘランまでは、直線距離で700kmくらい。
国境からさらに2日かかった。




アララト山

トルコとイランの国境にあるアララト山。
わかりづらいけど、低い山並みの上に空に浮かぶように白い山の頭が
見える。標高5000m以上あるらしい。

この山はあることで有名。
そう、この山の山頂あたりでノアの方舟の破片が見つかったんだって。
見つかったけど、世界の歴史に影響があってはいけないと、考古学者たち
がその発見を隠しているそう。
今はもう、ノアの方舟が漂着した(伝説の?)山として有名だよね。




img662.jpg

これ、何してるところだと思う?
バスのガソリンが切れてしまって、助けを求めるために次の車が通る
のを待っていたところ。
待てど暮らせど来ないので、乗客は川で泳いだり、洗濯して洗濯物を
バスの荷物入れの扉に干したりしていたんだ。
近くに川があったことが不幸中の幸い。

今、通りかかった車(右)に、どこかへの連絡を頼んでいるとこね。



子供と牛と川

川で牛を泳がせているい牛飼いの子ども。
そうやって牛に暑さをしのがせているんだって。
学校へは行っていないのかな…。

帽子やタオルを被っているのは、牛を羨ましそうに眺めながら暑さを
じっと耐えている乗客たち。



img663.jpg

トルコとイランの国境。

国境閉門に間に合わず、夜を明かしたその朝撮った写真。 
遠くに見えるのは雲じゃなくてアララト山だよ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


国境を越えてイラン国内に入ったとたん、道路が急に立派になったの
で驚いた。
それまでは土と砂の道を、熱くて触れないパイプにつかまることもでき
ずに、大揺れに揺れる座席の上で体のバランスを取りながら汗にまみ
れて何時間も座っていたんだけどね。

裕さんが、「石油があるから金持ちなんだよ」 って。

ヨーロッパ人旅青年はおどけて、
「ウイ アー フライイング!」
(つまり、道路がいいのでバスが滑らかに走って、空を飛んでいるよう
だってこと)
今まで通って来た道とは大違いで、道路沿いには水銀灯の街路灯も。

でも遠くに見える岩山の中腹には洞窟のような穴がたくさん空いていて、
土の家もいくつか見え、そこには貧しい庶民たちが電気も水道もなしで
暮らしているとのことだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


イランの道路

国境からすぐの町の道路


イランの岩肌に家

岩肌に穴が開いていて、そこに人が住んでいるのだという。
(旗の右下あたり)


裕さんが言うには、イランはお金持ちの国だけど、一握りの富裕層が
富を独占していて、国民には教育も普及していなくて貧しい生活を強
いられていて、そしてイラン人は、人をだますことが平気なんだって。

えーっ…。
それって偏見じゃないのぉ?
裕さんは、他の国で会ったイラン人によっぽど悪い印象を持っている
んだね、きっと。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ここでちょこっと勉強タイム 

イランとイラクは名前も似ていて隣り合っているから、同じアラブの国って思
われがちだけど、民族はヨーロッパと同じアーリア系。
イランは、1945年に創設された ”アラブ連盟” にも入っていない。

(へーえ…
「アラビアンナイトっていえば、ペルシャだ」って、「魔法の絨毯も、ペルシャの
絨毯だろう」って思ってたけど、ペルシャって、アラブの国じゃないんだ…??)

アラブ諸国をどうやって区分けするかってことは、イスラム教の宗派で分け
る場合もあるそうだけど、はっきりしていないんだって。

この3年後の1979年にホメイニ師によるイラン革命が起こりパーレビ国王が
追放されたんだよね。
1979年にはアメリカ大使館人質事件が起こっている。
1980年にイラン・イラク戦争勃発。
この戦争は7年戦争と呼ばれ、1988年まで続く。

国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて今日まで続いている。

(続きがもう少し、続きを読む>> の中に) 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


賑やかで大きな都市、テヘランのバスターミナルに着いたけど、
右も左もわからないので、今回はホテルを探すのにタクシーに乗ろうというこ
とになって、地図を指差しながら町の中心まで乗ったらね、
ほんの数キロ乗っただけなのに、そのタクシーの運転手はね、法外な料金を
請求したんだよ。
乗る前に交渉した、”だいたいの値段”の何倍だ。

着いたとたんに、もうイヤ~な感じ。
裕さんの言ってること、間違ってないのかも…。

ガソリンは安いはずだし裕さんは物価も知っているから、すごいけんまくで
抗議したけど、運転手はそ知らぬ顔。
そこでけんかしてもらちが開かないので仕方なく言われた額を払った。
後で他の旅人に聞いたんだけど、イランのタクシー運転手は、最初に交渉し
て合意した料金を、走り出してから高く吊り上げて行くんだって。
乗ってしまったら途中で降りるのは難儀だから、弱みに付け込むわけだ。

裕さんは最初からイランという国が嫌いだと言っていたけど、私もいつの間
にか警戒心で武装し始めている。
そりゃ、いけないことだと思うんだけど…。

イスラムの国では悪いことにはとても厳しくて、嘘をつくと舌を切られ、泥棒
をすると指だか手を切られ、奥さんが浮気をしたら奥さんと相手をその場で
殺してもいいって聞いたけど…
自国民以外の人には悪いことをしても構わないって考えなのかな… 
わからん。

そして喧騒の中に溢れかえる車、車の運転の乱暴なこと。
平気で割り込みはする、信号は守らない、で、歩行者は全く無視だ。
誰も交通ルールを守っているようには見えない。

テヘランでは若い女性は洋服を着ている人もいたけど、年配らしい女性たち
はチャドルという、目の部分だけ網になっている布で体全体をすっぽり覆っ
ていた。
私はイギリスのクラスメートにイラン人の女の子がいたので、イランの女性が
どんな外見なのか少しはわかっていたけれど、
何だか浅黒くて濃い髭を生やしたこの地域の男性に少し感じが似て、精悍な
顔立ちの女性が多く、ひょっとしたら民族衣装で顔を隠している方が神秘的で
美しく見えるような気がしてしまった。
(それって、女性の人権を軽んじてる? スミマセン…)

ある時、アイスクリーム屋さんに入ったら、チャドルを着た女性3人を連れた
男性が入って来た。
女性たちは、店の奥のカーテンの向こうでアイスクリームを食べた。

イスラムの国では奥さんを何人も持てるから、全員奥さんだったんだろうね。
私は、「奥さんを3人持てる甲斐性のある男性ってどんな顔をしてるんだろ
う?」って思って、その男性の顔をまじまじと見てしまった。

誰でもほしい人数だけ奥さんを持てるわけじゃないんだよ。
3人もらったら3人を平等に扱わなくちゃいけないんだ。
大奥みたいに気に入った側室のところにだけ行ってはいけないんだ。

一人に毛皮のコートを買ってあげたら、あとの二人にも同じように買ってあげ
なけらばならない。
もし一人の子どもにランドセルを買ってあげたら他の奥さんの子どもにも同じ
ように買ってあげなければならない。
(あ、例が悪いか…)
3人の奥さんに子どもが3人ずついたらたーいへん!

結納だって、「牛30頭」 とかを嫁さんの実家に収めるそうだから、よっぽどの
甲斐性がなければ何人も奥さんを持つことはできないんだよ。

それに、夜も平等に順番に回らないといけないんだって。
だからそこの日本のお父さん、そこのところをわきまえて、むやみに羨ましが
らないでね!


そうして、イラン人にもいい人がいるのかどうか、あまりわからないうちに、
私たちはアフガニスタン方面行きのバスに乗ってしまった。
裕さんが 「こんな国に長居は無用だ」 って言って。

今度はもっとゆっくり来て、イランの魅力的な観光地を回って、イランのいい
人たちにも出会いたい。
(イランの人には悪いけど、これがその時の実際の状況なのでそのまま書
いとくよ)


さあ、そんなわけで、次回はアフガニスタンのヘラートへ向かうよ。
テヘラン~ヘラートはバスで1200キロ。
私たちはアフガニスタンが気に入ってそこで長居をすることになるんだけど、

そこで私は死にそうになるんだ。
どうなってしまうのか。
(愛のドラマもあるゾ)

次回を楽しみにしててね!





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3-4 テヘラン(イラン) ~ ヘラート(アフガニスタン) 


テヘランは砂漠地帯にあるように思えるけど、実は海抜1200mの高地に
あって、背後(北)には最高5000m余りの高度を持つエル・ブルースの連
峰が聳えているんだよ。
だから ”中近東のスイス” って呼ばれることもあるんだって。

イランは北部のカスピ海沿岸沿いの一部の地域を除いてほとんど砂漠なん
だけど、カスピ海に面したエリアは緑豊なリゾート地なんだそう。
次回はそんな場所も訪ねてみたいよね。



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イラン地図4

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アフガニスタン目指して砂漠の道

テヘランから、その山岳地帯を北西に見送ってイラン中央砂漠(正式には
ダシカヴィール砂漠)を縦断し、東の隣国アフガニスタンの西の玄関口、
ヘラートへ向かう長距離バスの旅は、1200キロの道のり。
走行時間のみなら20時間くらいの計算だけど、そんなわけには行かないこ
とはもう百も承知。
途中で給油したり、長い休憩を取ったり、タイヤがバーストしたり、国境で手
間取ったりで、ここでは予定は未定。

高原地帯のせいか、途中のセムナンあたりまではまだ少しは緑があったけ
ど、それからあとはずっと砂漠地帯が続いてた。
(ほんとは、寝ていたので、ほとんど覚えていないんだけど)

砂と熱風が入ってくるので、窓は閉め切ったまま。
座席はお尻との接点が汗でびしょびしょになるので、片方に傾いては片方
のお尻のほっぺを離してその体勢をキープ。
そうやって、お尻のほっぺを片方ずつ乾かすんだ。

そして眠くなれば、高温設定の電気毛布さながらの座席に体を丸めて寝た
ので、”腰を伸ばす” という動作が長時間ほとんどなくて、いつの間にか
「自分は海老になってしまったんじゃないか」って錯覚に襲われたし。

夜は一応気温は下がるけど、何しろ昼間は40℃を越える猛暑だからね、
余熱はすぐには冷めず、バスの座席も手すりも、しばらくは熱いまま。

どんな粗末なベッドでもいいから、体をのびのび伸ばして寝たいよーぉ…。

アフガニスタンとの国境に近いイランの北東部にある大きな町、マシュハド
を通って、国境の町、ドガルーンに着く。

イラン側の国境の建物は、お金持ちの国らしく結構立派で、出国は割と簡
単にスタンプを押してくれたけど、
ここからイランへの入国審査は、厳しいということだった。

この国境地帯は、マルコポーロ時代にシーア派の一派であるニザール・イヌ
マイル派の暗殺集団が暗躍したところで、彼らが用いたというハシシュの本
場だそう。(それが暗殺者=アサッシンの語源となったらしい)

アフガニスタン側の建物はとても粗末で、時間がかかった。
係官が、のんきそうにいろいろ話しかけてくるんだ。
暇なのか、何かワイロとしてほしがっているのか…。


向こう側では、いろんな車の客引きが乗客を待っていた。
トラックを改造したものや、これ以上ボロくなるかというどこかの国の中古
バス。

値段の交渉で、ここでもたいそうな時間と労力がかかる。
私たちは裕さんに任せ切りだったけど。

私たちが乗った塵まみれのバスは、通路や屋根の上まで荷物と男性の乗
客でいっぱい。
屋根まで満員にならないと出発しないから、ここでもまたやたらと時間がか
かる。
ヘラートまではあと120km、何もなければ4時間くらいで着くらしい。


アフガニスタンに入ったら、これが道路かってくらい穴ぼこだらけの、舗装さ
れていない道になり、車が揺れるたびにつかまるところもなく、頭にガンガン
響いて、砂煙がすごくて、鼻と口を押さえるのに忙しい。



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アフガンの砂漠

アフガニスタン 車窓からの風景


窓の風景


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こっちの男性たちがターバンをしている理由のひとつがわかったよ!
あれは、日よけとマスクの代わりになるからだよ、きっと。
ターバンの端っこで、顔を覆ったり鼻をかんだりしていたもの。

もうひとつ、おもしろいことがあった。
イスラムの国では女性はバスの後部座席に乗るんだけど、そのバスには
旅人女性客は、私とヨーロッパ人の女の子の二人だけだったんだけどね、
彼女はノースリーブにショートパンツっていでたち。

そしたらね、荷物を置いた通路を挟んでずらりと座ったイスラムの男性たち
が、私たちを見るんよ。
全く遠慮なく、見たい放題まじまじと。いっせいに。
それも、何人かは口をポカンと開けてよだれを垂らして。

イスラムの男性たちは自由に男女交際ができないどころか、外で覆いをし
ていない若い娘を見る機会もない人がたくさんいるみたい。
そうやって私たちは、ずっとずぅ~っと、見られていた。


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チャドルイラスト

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見渡す限り赤茶けた乾燥地帯が続き、バスはお祈りの時間が来ると止まり、
トイレは砂漠の岩の陰で済ませた。
女性は、別の離れた岩陰で交替でね。

途中で、やっぱりタイヤが破裂した。
(どう見たって、重量オーバーだってばー!)

時々、土壁の家々が点在する小さな村や、羊やヤギの群れに会う。
イランの景色とは違って、どこかのどかで牧歌的。

聞くところによると、イランはお金持ちなのでまだ灌漑とか進んでいるから
砂漠にも少しは緑があるけど、アフガニスタンではそういう整備がされてい
ないし、夏はモンスーンはあっても年間雨量より蒸発する水の量の方が多
いから、ますます砂漠化してるんだって。
それにアフガニスタンには鉄道もないそう。


へラートに着いたぞー

それでね、滞在先に決めた安宿の食堂で、やっとまともな食事ができると思
って、メニューの ”ミート アンド ベジタブル” っていうのを注文したところがね、
(それまでは何を食べていたかというと、ヨーグルトに蜂蜜付きのパンだけと
か、羊の肉をつくね風に串に刺したシシカバブとか、そのサンドイッチとかば
っかだったから)
出て来たのが、日本のおてしょうサイズ(お刺身のしょう油差し皿くらいの大
きさ)のお皿に乗った、肉の断片と野菜を煮たものと、パンだったんだ。

「詐欺だぁ」 と思う前に、私は涙が出てしまった。
砂漠で作物はほとんど採れないって聞いたけど、いくら安宿とはいえ、
”ミート アンド ベジタブル” と名の付く料理がこれ?



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ミートアンドベジタブル

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それでも私たちはヘラートが気に入って、しばらく逗留して長旅の疲れを癒
すことにした。

何と表現したらいいかわからないけど、アフガニスタンはイランと雰囲気が
全然違う。
古い映画に出てくる日本の何十年前の田舎に姿に似ているというか、すっ
ごく素朴でのどかだったんだよね。
人々の生活は何十年どころか、何百年て変わってないんじゃないかなー。
コーラがあるくらいで。
(中身の量が瓶によって違うので、オートメーションで作られたのかどうかは
怪しい)

宿の人たち、バザールの人たち、そして行きつけの食堂街の人たち…と、
出会った人たちがみんないい人ばかりだった。


地元の人たちは、私たちが日本人であることにまず驚く。
そして、「日本人の女の子と話すのは初めてだ」ってもっと驚く。

たまあに日本人らしい観光客が乗っているツアーバスが通ることはあるけど、
クーラーの効いたきれいなバスの中から外を見ているだけで、日本人がバ
スから下りて来たことはないという。
そしてそういう観光客たちは暑さと下痢にやられているらしく、みんなゲッソ
リへたばって見えるって笑ってた。
(へーえ、アフガニスタンを通るパック旅行もあるんだ…)

そういう人たちが泊まるホテルでは、清潔なレストランで高級料理が出され
るんだけど、それでもほとんどの外国人は下痢をするそうだ。

アフガニスタンでは料理に羊の油をよく使うんだけど、慣れていない日本人
にはそれが下痢の原因になるし、それと飲み水のせいもあるらしい。


古都ヘラートは15世紀にはティムール帝国の首都として栄え、学問芸術の
中心地にだったんだって。
なのでこの町は ”シルクロードの真珠” って呼ばれたこともあるらしいよ。
私には、ただの田舎の町にしか見えなかったけど。

町の中心にあるバザールは、観光客を意識して少しは見栄えがよかった
けど、町外れの地元の人用商店街はみすぼらしいテントのような幌で囲ん
であるだけで、土の道にも品物を並べてた。


私たちはバザールで、最初は客引きのために英語で話しかけて来た若者
や、いつも暇そうにチャイハネや路上の木の下にたむろしているおじさんた
ちと仲良くなって、毎日のように散歩に出かけてはお茶飲みやおしゃべりに
寄っていた。

親しく話した後は、「遠いところから来たんだから大事なお客さんだ」 と言っ
て、いつの間にか私たちのお茶代は誰かが払ってくれていた。
いつも行ってた町外れの食堂では、ラバーブという弦楽器に太鼓を合わせ
る民族音楽を、私たちのためにわざわざ演奏してくれたこともあった。

宿のスタッフも、洗濯のおばさん(顔だけ出して全身にチャドルでない布を
被っていた)と坊やを含め、言葉が通じないのに表情とジェスチャーでのコ
ミュニケーションをはかり、「困っていることはないか」といつも優しく言ってく
れた。


アフガニスタンにはね、日本に好意を持っている人が多いんだよ。
どうしてかって…

一番の理由は、「アメリカ(米国)と戦ったから」 そして、「アメリカに原爆を落
とされたのに、戦後は見事に立ち直って平和な国を築いている から」

アメリカとの関係については 「?」 って感じもあるけど、こんなところでそん
なふうに敬意を表されると、
「ほんとに、もっと平和を大切にしなくちゃ」って思う。


英語を話す若者たちとは、熱い議論をした。
(彼らは観光客相手の商売のために、必要な英語を独学する)

みんなアメリカに批判的で、それに追随する日本にもちょっぴり反感を持っ
ていたけれど、アメリカに原爆を落とされた国としてやっぱり同情的で、
それゆえに被害者意識を共有しているつもりなのか、私たち日本人には
不思議な親近感を持ってくれているようだった。

私は彼らの一人の言葉が忘れられない。
それまできさくに話して笑っていた表情を真顔に変えて、彼は真剣な眼差し
で言ったんだ。

「日本は自由な国だと言うけれど、それはアメリカの管理下でのことだろう。
報道はアメリカや日本政府に都合がいいように操作されていると思う。
それらに騙されず、もっと広く客観的に中東の国の情報を手に入れ、この地
域で何が起こっているのか、事実を知ってほしい」って。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

アフガン人青年と裕さん

英語を話すアフガン青年、ムスタファと、アフガニスタン
の民族衣装を着たわれらが(もとい、私の)ヒーロー、裕さん


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


3-5 ヘラート(アフガニスタン) 


私はその時は思ったよ。
「日本の報道が操作されているなんてそんなことありっこない。
戦時中じゃあるまいし、私たちはどこからでもニュースが手に入るんだか
ら」って。
(今は「彼の言ったことは正しかったのかも」って思う)

裕さんは、その通りだって言った。
「だって、NHKなんて国営放送なんだぜ。
政府に都合の悪いこと言いっこないだろ」


奥さん何人も持てることに関してもね、
私が「かわいそうだ」って言ったら、アフガン青年は、

「イスラムの国では、奥さんが複数でも、女たちはいがみ合うよりは姉妹
のように仲良くしようとする。
国が貧しいから、一人の男性が一人でも多くの女性の面倒を見ようという意
図もある。
それに比べれば、欧米や日本の女性の方がかわいそうだ」

って言うんだよ。

なぜかというと、たとえば奥さんを一人しか持てないとすると、第二代三婦人
はお妾さんということになる。
それらの女性は法律上も保護されず、もし男が死ねば路頭に迷う。

「俺たちの国では、奥さん全員が平等に扱われる」 だって。

そっか、そういう見方もあるのか。
現に大統領も首相も政治家も会社のお偉方も、女遊びしてるよね、先進国
では。
セクハラ問題も絶えない。


ところで、隣同士なのにイランとアフガニスタンの大きな違いに目がテンにな
ることが多々ある。
ひとつはね、アフガニスタンでは大麻(ハッシシ)が政府公認で売られてい
ということ。
日本のたばこのように、専売公社が売っているんだ。
(世界の麻薬の87%が、アフガニスタンで栽培されているらしい)
だからアフガニスタンの男性たちは、ハッシシを日本人がたばこを吸う感覚
で気軽に吸っている。
(旅行者もいいんだ? 日本人も?! 吸ったかどうかは次号でね)

それに比べ、イランでは密輸者は警察に捕まると、すぐに裁判が行われ、
ほとんどの場合が死刑だって!!

祐さんが言うには、アフガニスタンは貧しくて教育も普及しておらず、文盲率
90%以上。
多くの貧しい若者は結婚どころか男女交際もできず、お酒も禁止されている
し、だからって国から出ることもできないので、
軽い麻薬でもたばこ代わりに吸わないと人々には何の楽しみもなくて、生き
る気力をなくして暴動が起こるかもしれないから、政府が許可している
んだろうって。
(麻薬を吸ってぼぉ~っとさせ、思考力を鈍らせる? それが政策?)

アフガニスタンでは王様が1973年に追放されたんだけど、その元国王は、
革命を予感して財産はスイス銀行に預けておいたため、国の財産は持ち逃
げされてしまったそう。
(えーっ、ますますメチャクチャじゃない?!)

(何と1976年、私たちが訪れた年に、アフガニスタンの王政は廃止され、
「アフガニスタン王国」から「アフガニスタン共和国」になったんだよ!)

ヘラートでも貧しい人々が必死で毎日をしのいでいる。
子どもの物売りも多いし、いい若者たちが道端にがらくたを並べて売って
いた。
二束三文に値切るのに、ただ同然まで下げて、それでも一品売ればその日
の食いぶちはどうにかなるっていうありさま。
日本円に換算して10円20円の、石ころと真鋳をくっつけて作った指輪ひと
つ売るために、一日中、観光客を呼びつつ道端に座っているんだ。

そういう若者たちの中には、
奥さんを買うイスラムの国では、俺たちは一生結婚できないよ」って肩を
すぼめて小さな声で言った者もいた。

お巡りさんの年収でさえ2万5000円 という時代に、外国に出稼ぎに行くに
もパスポートを取るのに1800円かかるそうだから、
隣のイランへ命がけで山を越えて密出国する人が絶えないという。
妻子を置いて行き、二度と帰って来ない人も多いとか。
「一日石油出港で働けば3500円になる。一年働けば大金持ちだよ。
待っていてくれよな」 と言い残して…。 


ところで、ヘラート郊外の一泊1ドル宿でやっとベッドの上に体を放り投げて
倒れこんだ時は、至福の極みだったよ!!
体をのびのび伸ばして寝れることが、こんなに贅沢な喜びだったなんて!
「はぁ~っ…」

ベッドはシーツなしで、丸太の枠に張った手編みの縄の上にマットがあるだ
けの作りで、部屋の電気も薄暗い裸電球だったけど、私は一転、魔法で
海老から幸運なお姫様になったような気分だったよ。。

男性宿泊者たちは、多少の涼を求めて外の木陰で寝ていたけどね、コブラ
やさそりが出るって噂にめげもせず。


ところが私はベッドの上でも夜になってもなかなか眠れなかった。
暑さのため?
うん、それもあるけど、目に見えない敵のためだよ。
(なになに、悪い虫が部屋に忍び込んで来るんじゃないかって?
残念でした)

虫は虫でも本物の虫。
その部屋にはノミやシラミや南京虫が住んでいるらしく、色白もっちり肌とは
行かないまでも、せっかくのお姫様は夜な夜な吸血虫の餌食になったんだ
ー!!

昼間は全く姿を現さないのに、夜、私が眠りに落ちた頃、どこからか出て来
て活動を開始するんだ。
(たぶん、ベッドの縄の隙間だと睨んでいる)

見上げれば天井に巨大なヤモリが貼り付いていることもしょっちゅうだった
けど、もう慣れた。
(最初は叫んだけど、何も害を及ぼさないってわかれば可愛いくらいだ。
「夜中に寝ぼけて落っこちて来て私の顔とかに貼り付かないで」って祈るば
かり)

そしてベッドに横になって殺風景な壁を眺めながら毎日脳裏に浮かぶの
は、日本の食べものの映像だった。
お寿司、天ぷら、お刺身になすの漬物に白い炊き立てご飯…
(魔法のランプ、どっかにないかなー…)


一日の生活費300円くらいでお金もかからないので、先を急ぐこともなく、毎
日たくさん歩いてたくさん昼寝してヘラートに何日か逗留していた、そんなあ
る夜中のこと、

私は屋内で寝ているにも関わらず、まるで真夏の海岸で日向ぼっこをしてい
るような感覚に襲われたんだ。
体中がぽかぽかあったかくて、頭がぼぉ~っとして、まるで舟に揺られてい
るように体のコントロールがきかなくなって、フラフラだよー。

「あれ?何、これ… ヤバいかも…。意識が遠のいて来たゾ。息も苦しくて、
うまく吸い込めない…。 私、このまま死んじゃうのかなー…」

誰かに知らせようにも男性たちは外で寝ているし、叫ぼうとしても大きな声
が出ない。 

それで私はゴムみたいな体をひきずってベッドからころげ落ちて、あたりの物
を窓の外に放り投げてみた。
誰かが気づいてくれるように。

でも、離れた中庭の方にいるから誰も気づいてくれないよー …
 がーん


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         アフガニスタン切手ヘラートからの絵葉書文面部分

アフガニスタンから実際に出した絵葉書文面の一部
1976年7月27日の消印



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金額はすべて、当時/日本円換算

追記にその後のアフガニスタン関連記事あり

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続きを読む>> に追記あり



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