2-49 パリで泣く 


夏休みは、最初はパリのオペラ座通りにある大きな免税店でアルバイトをした
んだよー。
夏休みは4か月近くあるから、資金の補充もできるし、それに、憧れのパリに
住めるわけだから一石二鳥でしょ。

宿は、休み中旅行に出るので留守中アパートを又貸ししたいという日本人学生
のアパートを、大学で仲良しになったポーランド人の女の子といっしょにまた借
りした。
(そしてこの年の冬休みには、彼女を訪ねてワルシャワへ行くことになるんだけ
どね)

そのエステラは、もっぱらベビーシッター専門にアルバイトしてたから、私も
時々、手伝わせてもらったんよ。
フランス人の家庭の様子を垣間見ることができておもしろかった。

その時の写真は、イーナトラベルの宣伝 (お気に入り商品の紹介) に入って
いる) を見てね。

私が行ったお宅では、朝はお父さんが近所のパン屋さんに焼きたてのバゲット
(外側がカリカリで中がふっくらしっとりの香ばしいフランスパン)を買いに行くこ
とから始まった。
カフェ・オレのカップの大きさにも驚いた。

メインのアルバイト先は、最初はオペラ座通りの大型免税店。
毎日、日本人用観光バスが店の前のオペラ座通りに横付けされて、お客さんた
ちが降りてどっとなだれ込んで来る。
短い時間内に、ブランド物のバッグやアクセサリーを買って行くんだ。

はじめのうちは、とっても楽しかった。
お昼休みはお花でいっぱいの近くのチェルリー公園のベンチで、ルーブル美術
館を眺めながらお弁当を食べたり、
お休みにまたパリ見物に出かけたりして。

でもね、このパリでのアルバイトは、後半が苦~い思い出になっちゃった。


お話はこんなふう。
その大きな免税店で働いている時ね、オペラ座通りから一本裏道に新しく出店
したばかりの小さな免税店で働いていた日本人女性と知り合ったんだ。
その人は私と故郷が同じで、フランス人男性と結婚していて、お腹が大きかった。
もうひとりの従業員も、フランス女性と結婚している日本人男性だった。

その店のオーナーは、感情の起伏が激しい若い中国人女性だったんだけど、
時々寄っていた私を、
「人手が足りなくて困っているの。こっちの店に来ない?」
って誘った。
何しろ、そのオーナーも妊婦だったからね。

日本人従業員によると、そのオーナー女性はフランス人の公務員の夫を色じ
かけで誘惑し、結婚し、夫は貯金をはたいて彼女に店を持たせた、と、噂され
ているそう。

その夫は噂通り、強烈な個性の彼女に比べると影が薄く、貧弱で冴えない風
貌の男性だったけど、
夫が来ると彼女が 「モン シェリ (マイ ダーリン) 」 と、人目もはばからずに、
体を絡み付けてチュッチュッと熱い抱擁を交わすのには、目のやり場がなくて
参った。

それはそれとして、気に入ってもらえたのが嬉しかったし、小さなお店というの
がよくて、私はそっちに移ったんだ。
裏通りということもあってお客さんは少なく、まだ赤字だそうだけど、私は表を
歩いている観光客に声をかけて店内に呼び込むのが結構うまくて、
それが売り上げにつながると、即、オーナーの機嫌が良くなるから、やりがい
があっておもしろかった。

それでも時々会計の会社の人らしい人が来て、オーナーやダンナさんと深刻
なおももちで書類とにらめっこしていた。
大通りの大型免税店や老舗のブランド専門店に比べればお客さん少ないし、
経営は大変だったと思う。


そんなある日、小さな事件が起こった。
私がたった一人で店番をしていた時、男の客がひとり入って来てさ、ダンヒル
製ライターの陳列棚の品物を事細かに見ながら、「ダンヒルのライターは、他
にもあるか」って聞くの。

私は、「お店にお客さんひとりにして大丈夫かなー…」と、ちょっと迷いながらも、
奥の事務所の棚にある在庫を見に行ったんよ。

そしてね、急いで表に戻ると…

男はいなくなっていて、ライターの陳列箱の一か所が空になっていた。kao05

あっという間のことで、すぐに店の外に飛び出したけど、男の姿は見えなくな
っていた。

あとから考えれば、嘘でも 「在庫はありません」 て言えばよかったんだよね!
店員としても人間としても若くて経験不足な私は、その時はそんな機転を利か
す余裕がなかったんよ。
お客さんを信用してしまった。 涙

その後、胸を痛めながらオーナーの出社を待ってそのことを話して謝まったら
ね、彼女は異常なほど取り乱して、

「何てことでしょう!! あなたが盗ったんじゃないの?!」

って、私を泥棒扱いするんよ。 ><;

晴天の霹靂ってこのこと。
何?この豹変の仕方は…
ほんとにあきれた驚いた。

たった一人で店番するってことは、簡単にはトイレにも行けないってことだよー。
店員をそんな状況に置く店の現状に、問題はないの?

それに、もっとよく考えてみれば、被害がひとつだけでよかったとも思うんだ。
だって、箱の中のライターいくつかを、つかみ取りされたかもしれないんだよ。
(ライター1個が保険の対象になるかどうかは、わからないけれど)

「あなたも不注意だったけど、どうしようもなかったわね。次回は気をつけてね」
って、きっと言ってくれると思ったし、
私も申し訳なさから、もっとがんばるつもりだった。


第二の出来事はそれから1週間くらいした頃、起きた。
ある朝、警察官が来て何やらオーナーとそのダンナと話し始めた。
何と、夜間に店に泥棒が入ったのだそうで、倉庫になっている2Fの窓や入り
口などを調べている。

出勤時からいつもと変わりない様子だったので突然何事かと思ったれど、在庫
品の一部がなくなっているとのこと。
窓が壊され、靴の跡があるらしい。
そして閉店後に店の鍵を持ち帰った私も、尋問された。

(鍵を持っているなら、2Fの窓から入らなくてもいいんでは?
表から堂々とでは目立つから、わざわざ壁をよじ登って2Fの窓を壊して侵入
したとか? 誰かを誘導して? … kao06

参考にだとはわかっているけど、何とも言えない気分になった。

その時ね、日本人男性従業員が、日本人の野次馬に私を指差しながら、人
差し指の先を曲げているのを見てしまった。(泥棒って意味でしょう?)
ひどいよね。すごいショックだった。

(後で聞いたんだけど、彼はその時、「あの子はコレだから」 って言ったそう。
指先を曲げながら。
彼が本当にそう思っていたのかどうか、今でも聞いてみたい。
どうしてそう思うのか。
オーナーの言ったことを鵜呑みにしていたの?)

この間のライターのことがあるから、私の立場は超不利。
言葉の通じない国で、まだ信頼関係もできていない人間関係の中だから、こん
な思いをするのかな。     
この時は、本当にくやしくて悲しかったよ。

でもね、私はその時、何かがおかしいと思ったんだ。
だって、オーナーはすごく感情の起伏が激しい人なんだよ。
それなのに、泥棒に入られたのに、全くショックを受けている様子がなくて、何
でそんなに冷静で無表情なわけ?

それは他の従業員も同じで、あとで話したところによると、

「経営がうまく行っていないから思いついた”保険金目当ての茶番劇” だろう」
って。

大きな免税店のただの店員だった奥さんに、店を出すために利用されたとダン
ナさんも気づいて、夫婦仲がうまく行っていないので、奥さんが追い詰められ
て自作自演でやったんじゃないかって。

(不思議なことに、これを言ったのもあの日本人男性従業員。
言う事が、醜いことばかりだと思わない?)


そしてもうひとつ、ひどいことが起きた。

私ね、他の二人の日本人従業員たちはフランス人と結婚して家庭があって子
供がいたり、妊娠していたりしたから、
二人シフトの時の閉店時間になってもお客さんがいた時は、いつも残業を買っ
て出て遅くまで働いて地下鉄に乗って、遅い時間に暗い道を通って帰ってい
たんだよ。
そしてそれはしょっちゅうだった。

そして、給料日が来て、その支払い明細を見たらね、その残業代は全く給料に
入っていなかったんだ。

それでオーナーに聞いたら、

「こちらはあなたに残業するよう頼んだ覚えはない。
それはあなたが好きで勝手にやったこと。 支払う義務はない」

「えーっ、そんな…」 

確かに残業については何も話し合ってなかったけど、必要でそこにいたんだか
ら、当然払ってもらえるものと思っていた。
一生懸命お店のためと思ってやっていたのに、そんな扱いを受けるなんて。

他の日本人従業員たちも、いろいろ口では言って同情もしてくれたけど、私の
ことはオーナーに何も抗議してくれなかった。
生活があるのでクビになりたくなかったし、どうせ私は短期間アルバイトだから、
関わりたくなかったんだね。きっと。
すでに言語面でハンディのある、立場の弱い従業員としては、仕方なかった
と思う。

この二人は労働許可証があるけど、私はもぐりの学生アルバイト。
労働局とかに訴えるわけにもいかない。
結局、残業分については、まるまる泣き寝入りした。


そういうわけで、こんなふうに、
「精一杯がんばってもこちらの誠意が通じないこともあるんだな」
ってことが、この夏のアルバイトの経験を通してわかったよ。
いい顔されておだてられても、相手はただ自分の利益や都合のために利用し
ようとしている場合もあるわけだから、
「自分は好かれているんだ」 とか、甘く考えないことだよね。

(しかし私は現在も変わっておらず、ついセールストークに乗って、あれこれ
買わされている)

こうして、どこの馬の骨かわからない、頼りない立場の女の子は、夢の都・花
のパリで、ちょっぴり苦い経験をしたわけよ。

それでも私にも甘い部分があったし、自分の馬鹿さ加減に気づくのは、悪くない
よね。。。ね!




     ***  ミニアルバム ***



     オペラ座前

エステラオペラ座前

仕事先がオペラ座界隈だったから、よく待ち合わせした。
座っているのがエステラだよ。



   ルクセンブール公園にて

エステラとルクセンブルグ公園

二人とも毎日ケーキばかり食べていたので、
ふっくらしている




トニー   エステラが
  ベビーシッター
  していた男の子。

  かわいいでしょ。













ルーブル美術館 (当時の観光ちらし切り抜き)

ルーブル

この角度でこの花のある景色が、当時いつも見ていたままのもの



パリの住宅街

アパート脇

この左側に、住んでいたアパートがある






ノートルダム寺院裏の小さな公園

ノートルダム寺院裏



ノートルダム寺院の裏側とセーヌ河 (観光ちらし切り抜き)

ノートルダム寺院裏ボート

ふたつ上の写真で、私は上の写真の
木立の間のベンチにいる。

上は夏だけど、下は秋の始まりね。





その免税店


免税店の店先

間口はこんなに狭くて、中も、数歩行けば事務所
のドアに突き当たる、細長い小さな店だった。
30年以上前のことなので、もうここにはないでしょう。

いっしょにいるのが、お腹が大きかったS子さんよ。
元気な赤ちゃん産んだかな。







 お知らせ

「虎屋の羊羹」 の 現代版 続編 が入ってます。
  続きを読む をどうぞ。


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2-50 フランスのディジョン大学へ(1) 


今日は、ディジョン大学 (現在のブルゴーニュ大学)でフランス語コースに通った時の思い出を、アルバム形式で紹介するね。




フランス地図2



ディジョン

ディジョンはパリから南東へ300キロ。
ワインで有名なブルゴーニュ地方にあって、マスタードの産地としても
有名。
それはそれは美しい街で、「プチパリ」と呼ばれ、本当に凱旋門まである
んだ。

私はこの街に住んだことを思い出す時、あれは夢の世界じゃなかったの
かって思ってしまう。



dijon99_20090113133800.jpg

Darcy公園と凱旋門と街並み (絵葉書)


↓このあたりに住んでいた。

ディジョンたぶん市役所

これがなんと、市役所の入っている建物なんだよ!!(絵葉書)
元ブルゴーニュ公爵の宮殿だって。
後ろは、ノートルダム教会  




ふくろう  ノートルダム教会入口にある
  ふくろうの彫り物。
  これに触ると幸せになれるというので、
  磨り減ってしまっている。
  
  ふくろうって、日本でも「不苦労」と
  かけて幸運の使者だよね!
  私もタッチしたゾ。





place of liberation

上の絵葉書の手前に半円形の広場があるでしょう?
元宮殿の反対側。

これが、
Place de la liberation つまり、英語でいうと 
Place of the libetation
”解放の広場” かな?

ここにはお店やレストランがあって、時々お昼とか食べに行ったんだ。




dijon2.jpg

また別の、ディジョンの絵葉書。
こんなふうに、中世の建物がたくさん残っている。



 
上の絵葉書右下にある、広場の噴水

ディジョンの路地裏
いつも通っていた路地裏の小路
   
  


ディジョン絵葉書

クリスマスには町中がイリュミネーションで飾られて、
ほんとにきれいだった。(絵葉書)







ディジョン大学国際学生証

 ユニバーシテ ドゥ ディジョン学生証
 住所のところにある F.J.T. は、
「フォワイエー ドゥ ジュンヌ トラバイユーズ」
 文字通り、「働く若い女性の寮」 …まだあるかな?
(もう30年以上も前のものなので、個人情報的問題は
 ないでしょう)
 




ディジョン大学学食への通り 
学食へ続くキャンパスの並木道

img422.jpg
学食の外で


仲間たち3  

img425.jpg

大学学生寮 日本人学生の部屋で(髪、切った!)


マドレーヌと
 大学で知り合って大の仲良しに
 なって、よく行動を共にしていた
 マドレーヌ。
 数年後に日本へも来たんだヨ。








ちなみに、寮費は月 35,000円。
学食では、一食200円くらい。
さすがフランス、何でもおいしかったけど…

私は、「かえるが出たらどーしよう…」 ていつも警戒していた。
でも、他の日本人学生は、
「かえるは高級料理だから、学生食堂では出ないよ」
と言っていた。
学食のメニューは世間の物価の鏡だそうで、その時々に一番安い
食材が出てくるのだそうだ。

ある日、不思議な唐揚げが出た。
衣はとってもおいしいんだけど、中身が真っ白でマシュマロみたい
にふわふわしている。
うーん… なんだこりゃ???

何だったと思う?
ぎゃぁ~っっっ!
羊の脳みその天ぷらだってーーっ !!!!






あのね、大学のフランス語コースに申し込み
に行った時ね、申し込みができたのは良かったんだけど、
「大学の学生寮はいっぱいで、空室なくて入れません」
て言われちゃったんよ。
えぇ

それで、どーしたと思う?
大学の事務局の人が、「町の中にフランス人向けの、
”働く若い女性の寮” というのがあるから、そこへ行ってみれば?」
ってアドバイスしてくれたんだ。

そしてそこへ行ってみたら、空室があるっていうの。
フランス人の女の子といっしょの部屋だけど、って。

フランス人の女の子とルームメイトになれるなんて、願ったり叶っ
たりじゃーありませんか?
ふだんだったら、学校終わって寮に帰った時くらいひとりになりた
いって思うかもしれないけど、
何しろ、限られた短い期間に、生きたフランス語をできるだけ身に
つけようって目標を持ってここへ来ているわけなんだからね!

とっても楽しかったよ。
働く若いフランス人の女の子たちと友だちになれて。

フランスでは、日本のように大学の進学率は高くない。

「どうしてそんなに勉強したいの?
知識ばかり詰め込んでも仕方ないじゃない。

少しでも早く自立した方がずっといいし、フランスにはそう考える
若者が多いよ」

って彼女たちは言っていた。
この寮に入れるのは18才から22才までの年令制限付き、働く
フランス人女性だから、

「若いのにしっかりしているなー。
ちょっと日本の同年代の私たちの傾向とは違うかも…」

と思ったことでした。




D寮の窓から 

”働く若い女性の寮”窓からの眺め


寮の窓から2

結構長い時間、夕暮れ時に町中に響き渡る
教会の鐘の音が、この情景にピッタリで哀愁を誘った。




img427.jpg   寮の部屋2

”働く若い女性の寮” の部屋 
イギリスもそうだったけど、家具付き




カトリーヌ  ジャン

そこで一緒に暮らした、フランス人の女の子たち
毎日、フランス語でおしゃべりしてたってわけさぁ。



寮の友だち





ある日ね、町を歩いていたら、あのF画伯のお孫さんと
知り合ってしまい、お宅に招待までされちゃった。
すごくいい思い出になったよ。



画伯お孫さん 
画伯のお孫さん夫妻

画伯ひ孫さんたち
画伯のひ孫さんたち


(写真にぼかしとか入れなくてすみません。
もう 3decades 前のことゆえ、お許しを)


(2)に続く



周辺の溜息の出る美しい町々でのプチ観光はこちら。
気分を変えて、またあとでゆっくりどうぞ。


 Vol.10 フランス ブルゴーニュ地方(1) 
 


2-51 フランスのディジョン大学へ(2) 


ディジョンからの
小旅行の中から
みっつよっつ
ひろってあんないするね 


フランスいったとこ地図
         フランス 行ったとこ地図



ブザンソン

ブザンソン絵葉書


ブザンソンの町 (絵葉書)

ヴィクトル ユーゴーの故郷で、国際指揮者コンクール開催の地
でもあり、その優勝者のひとりが小澤征爾さん。




ブザンソン



ブザンソンの城の入口 
   
    
    ヴォーバンの砦にも行って
    みた。
    入口なんだけど、その城壁
    の厚さときたら、
    すごいね!

















砦の中



ブザンソンあたり

ふとした通りがかりの風景も、まるで絵画に出てきそうじゃない?



ストラスブール

ストラスブールは、ドイツとの国境近くにある町で、イル川の中州にある
旧市街地(アルザスの伝統家屋が密集したプチット・フランス地区)
は、1988年に世界遺産に登録された。



ストラスブール寺院

ストラスブールのノートルダム大聖堂 (絵葉書)

地元産の砂岩で作られているため、外観がバラ色で、
地盤が弱いため尖塔が片方しかないのが特徴。
聖堂内には人の人生を表現したからくり時計(天文時計)
が設置されている。(ウィッキペディアより)




ストラスブール寺院のステンド

そのステンドグラス (絵葉書)



ストラスマド

旧市街地。写っているのはマドレーヌ。





アヌシーシャモニー

ここでみんな気付いたと思うんだけど、ディジョンはドイツやスイスとの
国境に近いんだ。
だから週末にちょっと国境を越えて、隣の国へ行ったりもしたよ。



アヌシー

これはフランスとスイスの国境にある、アヌシーという町。

フランスのベニスとも呼ばれていて、町中を運河が走っている風光明媚な町。
この町を訪れた時はね、ちょうど秋の収穫のお祭りをしていた。
放し飼いにしていた牛を山から呼び戻した後のお祭りなんだって。
(地元の人によると、山で夏を過ごした牛は風邪を引かないそう。
薬草を食べているから)


まるで中世の路上に迷い込んだようだった。
その時の様子を書いた絵葉書の文面を載せるね。



夢の世界より

デイジョンからジュネーヴまでは「ちょっとそこまで」という距離なのです。
大学が始まるまで日にちがあるので、スイス・フランス国境のアヌシー
という町から山の中に入ったところに住むジャックモンド家を訪ねました。
その自然のすごさ… 紅葉、谷間の深さ、赤い屋根の農家…
何千メートル、眼下にひろがって、荘厳というしかないの。

牛は鐘を首に下げ、カランコロンと歩くし、今夜は町のお祭りで、古い建
物のひしめく石だたみの広場のガス灯の下で、アコーディオンとギター
の陽気な伝統音楽の調べにのって、民族衣装の地元民たちがワインを
樽からついでは踊りあかし。
市が出て、にわとり、やぎ、うさぎから直径1mのチーズ、木のアンティッ
クの道具で作ったほっぺのおちそうなアップルジュース、陶器、ケーキの
出店で通りいっぱいにぎわって…
馬車が走り石だたみの道にカッポカッポこだまして映画の中に入り込ん
だみたいでした。

今日はスイスの白ワインとチーズフォンデュ。家の窓からよく晴れた日に
はモンブランが見えるのですって。
明日はシャモニーへ…



スイス シャモニー

シャモニーの町からからモンブランを臨む


ということで、フランスのアルプスにも登って来たよ。
登山鉄道は、日本製だった!



モンブラン絵葉書2
モンブラン (絵葉書)


アルプス絵葉書

フランスアルプス (絵葉書)


モンブラン絵葉書

モンブラン山頂を臨む (絵葉書)


アルプスのふくろう

山の上に、山岳地帯に住む動物の小さな動物園があった。
そこにいたふくろう。

眉毛がきりっと上がり、じっとこちらを見るそのまなざしが
何ともいえない。








これで第2章ヨーロッパ編はおわりです。
出発から始まって、今まで長い間読んで下さってありがとう。
ハッピーで終わって、良かったよね!

人の写っている写真だけど、今までぼかしたりして来たんだけどね、
みなさんの表情が素敵なので残念だし、だいぶ昔のものでもあるの
で、今回はそのまま使わせていただいちゃいました。

それから、
カーン大学のあるノルマンディー地方でもなく、ディジョン大学のある
ブルゴーニュ地方でもない、ブルターニュ地方の旅特集は、スポット
訪問記に、もひとつだけ追加版を作っておくね。

フランスには、ハッとしたりうっとりして見とれてしまう美しいところが
ありすぎて、紹介してるとキリがないんだけど、
私にとっては、ここがフランスで一番印象に残る地域だったから。

スポット訪問記 Vol.11 フランス ブルターニュ地方(2) 

ヨーロッパ編の終わりに、"最後のヨーロッパとっておき切り抜き部分"
を一緒に旅して下さい。


さあ、これから第3章で、あの危なそうな、命がいくつあっても足りな
そうな(!!)中近東・インドへの旅をがんばって書くので、
引き続き、そちらも旅のお伴をよろしくお願いします。 
とっても心強いです。(* ^ー゚)





スポット訪問記 Vol. 9 フランス ノルマンディー地方(1) 

     フランス ノルマンディー地方


ノルマンディー行ったとこ地図2



今回はフランスの北西部にあるノルマンディー地方とブルターニュ地方の
いくつかのスポットを、2回に分けて、私なりの狭~い視点で紹介しまーす。

(というのは、写真を撮るための旅ではなかったので、その時撮った写真が
少ししかないのよ~… ごめんネ)

今日は ノルマンディー地方
カーン大学に6か月近く通っていた間に、学校の遠足や、友だちたちといっしょ
に出かけた時の希少写真+調べた資料です。

前半はちょっと文字が多いけど、後半にはけっこう視覚素材も多いので、前半
はちょっとがまんして勉強をいっしょにしておくれよ、たまには。(;・∀・)

(カーンについては、第2章 ヨーロッパ編 「Vol. 48 フランスのカーン大学へ」
で紹介)

詳しいご案内でなく、ちょっと覗き見する感じにしかならないと思うけど、この
ふたつの地方の魅力が少しでも伝えられればいいな。
だって、ほんとに素敵なところだったんだもの。訪ねるにも住むにも!


私は 「どこにもう一度行きたい?」って聞かれたら、即、

フランスのノルマンディーとブルターニュ地方の海岸線沿いに、
島々にも渡りながら、1か月くらいかけてゆっくり旅したい


って答えるよ。

ノルマンディー地方は、ブルゴーニュ地方、ブルターニュ地方と並んで、私が
大好きな地域。
海岸を始めとする風景が絵のようだし、昔の建物や風習が大切に受け継がれ、
食べ物もお~いしい!!

時間を忘れて自然の中でのんびり過ごすにはとってもいい田舎だと思うよ。 

ここノルマンディーではなぜかブドウが採れないそうで、その代わり、リンゴが
栽培されていて、リンゴのお酒シードルの産地で、カマンベールチーズのふる
さとでもあるそうです。






いっしょに歴史にちょっと触れてみよう。


ノルマンディー

(「ノルマン人の国」の意)
フランス北西部、イギリス海峡に臨む地方。
1066年、ノルマンディー公ギョーム(ウィリアム)がイングランドを征服して
ノルマン王朝を開いて以後イギリス領。
百年戦争中、フランスが奪回。
第二次世界大戦末の1944年、英・米・仏連合軍の上陸地点となった。
(広辞苑より)



ノルマンディー公

ノルマンディー公(duc de Normandie)は、フランスのノルマンディー地方を
領有していた君主の称号。

ノルマン人(ヴァイキング)の一部族の首領であったロロは、しばしば北フランス
に侵入し沿岸部を荒らし回った。

885年パリを包囲された西フランク王国のシャルル3世は、911年、キリスト教
に改宗したロロ(改名してロベール1世)にノルマンディー地方を与えてノルマン
ディー公として封じた。
以後、ノルマンディー公は勢力を得て、1066年、ギヨーム2世の時、イングラン
ドに侵入しこれを征服した。

ギヨーム2世によるイングランド征服をノルマン・コンクエストと呼び、これによ
ってノルマン朝が成立した。

以降ノルマンディーとイングランドとを統治するようになったのだが、百年戦争
の結果ノルマンディーはフランス王の支配下に入った。
(ウィキペディアより)



ノルマンディー上陸作戦

ノルマンディー上陸作戦とは、第二次世界大戦中の1944年6月6日
に行われたオーバーロード(大君主)作戦を指す(Operation Overlord)。
ナチス・ドイツによって占領された西ヨーロッパへの米・英・仏連合軍による)
侵攻作戦。

最終的に、300万人近い兵員がドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島
のノルマンディーに上陸した。
史上最大の上陸作戦であり、作戦から60年が過ぎた現在までこれを超える
規模の上陸作戦は行われていない。
(ウィキペディアより)



”ノルマンディー上陸作戦” は、そのタイトルの映画にもなっているよね。
攻めたのは、米・英・仏の連合軍。
上陸作戦のそのもののコードネームは 「ネプチューン (Neptune)」だって。

迎え打つドイツ軍はというと…

「海岸線にすきまなく防御施設を作らなければ意味がないが、それには膨大な
資材と労働力が必要だった。
ソ連と全面戦争をやりながら連合軍の空襲にも備えなければならないドイツに
とって、これは少し荷が勝ちすぎる建設工事だった。
主に捕虜や徴用占領国民を使って工事が進められたが、重要な部分の設備
がかなり強固にされたのにくらべて、その他の部分のおざなりさが目立っていた。」

そうです。
(die Militärische というHPから引用)

何にしても、すっごーい戦場になったのは確かなんだね。
こんなきれいな場所を血で染めてほしくない。
平和が続きますように。




 
オンフルール


古い漁港の町。港沿いに建つ家々の姿が水に移る姿が美しく、
モネなど多くの印象画家が好んで画いた。  
 
海の幸のお料理がおいしくて、特にムール貝が忘れられない。


オンフルール絵葉書2

オンフルール 絵葉書



オンフルール


オンフレール2



ムール貝

ムール貝の一皿

注文すると、こんなふうに中皿に山盛りで出て来るんだヨー!
(ナプキンは大きめなので、塩の容器やメニューらしきものの大きさを見て。
二枚のお皿の間には、レースが敷いてあってお洒落)

新鮮でプリプリしていて、オリーブ油とガーリックがきいていて、ほっぺが
落ちそう。 それも庶民価格。 

空になった貝がらをはさみにして、他の貝の身をつまんで食べるんだ。 
汁もすすりながら。 
 ハート


日本だったらいくらするんじゃー?!
 




バイユー


第二次大戦で最初に解放されたことで有名な町。
もうひとつこの町を有名にしているのは、
幅50cm、長さ70mもある 王妃マチルダのタピスリー

(刺繍で描かれた歴史絵巻物で世界遺産に登録されている)

1066年の、「ノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服」に至る過程が、
58の場面に分かれて刺繍で描かれているんだ。

たくさんの戦士や馬が描かれたこの壮大な織物は、古代の染料の色合いが
何とも味があるし、一人一人の勇者や戦士、一匹一匹の動物の表情も違って
いて個性があっておもしろく、

どんな人たち(女性?)がどんな環境の中で、一針一針刺繍した
のかな


なんて思いを馳せたよ。

バイユーには高い尖塔のノートルダム大聖堂があるんだけれど、
写真は撮りそこねた。
1077年にイングランド王でもあったノルマンディー公ウィリアムの立ち会いの
もと献納されたもので、13世紀から15世紀にかけて、増築・改装が繰り返さ
れたけど、
1944年の空襲の被害を完全に免れることができたおかげで、現在でも完全
な姿を見ることができる。

タピスリーは、ノルマン人にウィリアム王の栄光を伝え残すために
大聖堂に飾られていたということだけど、現在はこの大聖堂の近くで展示、一
般公開されている。

(フランスはどの町も教会の塔が町の中心に聳え、そのまわりに人々の生活
空間が広がっているという感じだけれど、
”ノートルダム” という名前の教会は多いよね。
ちなみに、”ノートルダム” は、”我らの母” =マリア様 の意味)


ここでは、そのタピスリーの一部を紹介するよ。
すごいなぁ」 ってとっても感心したから。
細かいところまでよく見て楽しんで。



バイユー刺繍絵1

Odon主教が、ウィリアム公と遠征隊長に囲まれて食事への感謝を捧げている
ところ




刺繍絵6

ハロルド(誰?イングランドの王様?)が、不運の兆しについて知らされている
ところ




刺繍絵2

Guy de Ponthiew が ハロルド を捕らえ、自分の城であるBeaurain城に連れて行く
ところ




バイユー刺繍絵3

馬とノルマン戦士たちが悲惨な戦況に巻き込まれ、混乱しているところ



刺繍絵4

ノーマン人の攻撃に屈するブリトン人 (ローマ軍侵入の頃、英国南部に住んで
いたケルト人) が、町々の鍵を引渡しているところ




刺繍絵5

ハロルドの解放を要求するために、ウィリアム公の使者が馬を飛ばしている
ところ (へ?何で??)


私にはハロルドという人が何者なのかわからないので
ちんぷんかんぷんなんだけど、わかったらまた情報を付け足しときますねー。
(それより、どなたかわかる方は教えて下さい)



注: 歴史にうといので順番はわかりませんzzz






! (2)へ続く  

スポット訪問記 Vol. 9 フランス ノルマンディー地方(2) 


シェルブルグ



映画 ”シェルブールの雨傘” で有名なこの町は、ほんとに
雨が多いんだって。
重要な商業港であり軍港でもあるそう。




シェルブルグ(絵葉書)

明け方のシェルブルグ港のたたずまい(絵葉書)


シェルブルグ海岸港バック

上の絵葉書そのままの景色が、後ろにあります。


船の上

シェルブルグ湾から城砦跡を見に船でポンポンポンしぶきあげ、鼻凍らせて。
いっしょに船に乗った女の子。子どもも、芸術作品みたい。




ナポレオンの像

渡った島(名前忘れた)にあった、ナポレオンの像


シェルブルグ花市場

シェルブルグの花市場 向こうに見えるのは劇場みたい


シェルブルグ小さな教会

シェルブルグの可愛い教会 (その時持っていた観光ちらしの切り抜き)





クータンス


クータンスの寺院

クータンスの寺院 (その時持っていた観光ちらしの切り抜き)

ね、どんなに小さな町にも、こんなふうな立派な教会があるんだ。







アブランシュ


アブランシュの海

アブランシュの海 (モンサンミッシェル湾)

これは実際に、バカチョンカメラで撮った写真。
フランスの海はきれいでロマンティック…。

地図でいうと、アブランシュの町は、クータンスからモンサンミッ
シェルへ行く途上、モンサンミッシェルのちょっとだけ上にある。






モンサンミッシェル


海の中の城。

11~12世紀頃のロマネスク様式建築。
戦争中は砦としても使われたが、現在はベネディクト派の修道院。
モンサンミッシェルは 「スポット観光編 Vol.2」 で取り上げました。



モンサンミッシェルちらし切抜き

その時持っていた、フランス製観光ちらしの切り抜き



モンサンミッシェルの海4


私たちが行った時は、夕方7時頃、30分くらいの間にザザーッと
波が押し寄せて周り中が海になってしまったので、自然の神秘に
驚いたけど、

昔は船で岸から行き来していたのにその後通路を作ったために、
波の動きが制限されて、まわりが水で囲まれないようになってしま
ったんだ。

それで、フランスの遺産(世界遺産でもある)だからって、通路をや
めて、これから何年もかけて昔の状態に戻す工事を始める(始めた
?)という。
そういうことには国民もお金が使われるのを惜しまないって。

いいことだよね!



モンサンミッシェルの海3


モンサンミッシェル遠影






ルマンディー地方の民家


ノルマンディー地方を旅していて、わぁっ と思ったのが、藁葺き屋根の
民家。
庭にはお花がいっぱいで、中には伝統的な食器棚やお皿が飾られて
いて、ほんとに絵本に出てきそう。

なのでここではそのいくつかを、絵葉書コレクションで紹介するよ。



ノルマンディー民家



民家2



民家4



民家3



民家5



あなたはどれが好き? どの家に住みたい? 






少しは楽しんでもらえたかな…
私といっしょにノルマンディーを旅してくれた?
風景画のような景色の中で、歴史に触れ、美味しいワインと魚介
料理に舌鼓を打ちながら。

ありがとう。





スポット訪問記 Vol. 10 フランス ブルターニュ地方(1) 


フランスの大学の学期
は、長い夏休みを挟んで前期後期に分か
れていたんだ。

私は前期の春学期にカーン大学に通い、ほぼ6月~9月まである
長い夏休みの間の2か月半くらいパリでアルバイトして、あとは
周辺の旅をして、後期の秋学期はディジョン大学へ行ったわけ。

今日は、パリで働いたあと、ディジョン大学のコースが始まる前に、
ずっと夢見ていた ブルターニュ地方海岸線沿いの旅 に出かけた
時のことを特集するね。
また観光案内っぽくなくなっちゃったけど、観光案内は他にもいっ
ぱいあるからいいよね!
私の視点から発見した、私なりのブルターニュ案内をどうぞ。

なお、前半はまた文字が多いけど、後半には写真も結構あるので
がまんしてちゃんと勉強しながらそこまで辿り着いてね。


 




         ブルターニュ地方

ブルターニュ指摘地図

        フランス全体地図とブルターニュの位置
             (西の端、ピンク部分)






行ったとこ地図1



         ブルターニュ地方アップ
           (上の地図のピンク部分を取り出したとこ)





   右上のサンマロからまん中下のカルナックあたりまでずっと
   海岸線に沿って旅をしたんだよ。
   岬から島々にも寄りながらねっ! 
   (今思えば 「うっそーっ!!」 って感じ)

   サンマロの東、カルカルから、ビニックのちょっと南のル ヴァル
   アンドレ までは、”エメラルド海岸” と呼ばれているそうだけど、
   そんなふうに特定しなくても、ブルターニュの海岸はどこも
   みーんな夢のようにきれいです。






     ハート ハート  私のブルターニュ ハート ハート  


ブルターニュ地方の町典型


これが私のブルターニュ地方の町のイメージとピッタリの一枚。
その時持っていた観光ちらしを切り抜いたものなんだけど、メモし
ておかなかったので、どこの町かはわからなくなっちゃった。

カンペールが、”ふたつの川の合流点” という意味なので、この
写真がそうだと思っていたんだけど、カンペールの大聖堂の塔は
ふたつあるんよ。 (どこの町だかわかる人、教えて下さーい)


ヨーロッパではほとんどの町にといっていいほど、町の中心に寺院
の塔が聳え、そのまわりに人々の生活圏が広がっている。
海が近ければ、絵画のように美しい川辺の風景があり、舟に乗って
川下りをすれば、岸辺には古城が木々の間に間に見え隠れしたり
する。


私がブルターニュに惹かれる理由は、ノルマンディー地方と同じく、
入り組んだ海岸線に沿った美しい景色や中世の街並み、個性的な
陶器で出されるおいしいお料理もあるけれど、

それらをより魅力的にしたのは、その特異な歴史と言語



というのはね、ブルターニュにはフランス語とは違うその土地の
言葉があるんだけれど、なんと、それがウェールズ語に似ている
ことに気付いたんだ。
それから私の謎解きが始まった。

ウェールズ語がイギリスにもともと住んでいたケルト人の言葉で、
あとから攻めて来たゲルマン人(アングロサクソン人)の言葉
(英語のもとになった)と全然違うことは、ウェールズのところで
説明したよね。
ブルターニュ地方を旅していて、ブルターニュ地方の言葉の発音
がそのウェールズ語独特の発音と似ている上、話し方もウェール
ズ語と同じで歌うようであることにびっくり。

それでね、調べて見てまたびっくりしちゃった。
だって、私の感じたことは正解で、ブルターニュはフランス国内に
あるのに、言語はほんとにウェールズ語と同じ仲間だったんだ。
なんでー??」って感じ。

それで今回は、観光もいいけど、その点に焦点も当ててみるね。
私が耳で発見したおもしろい事実だったから。




      ★ ちょこっと歴史の勉強入れるよ ★ 


この地方は5世紀までローマ帝国の統治下にあって、イギリス
(ブリトン)からアングロサクソンに追われてこの地に来たケルト人
が開拓した国だったんだ!
だから「ブリタニア」(ブリトン人の国。フランス語ではブルターニュ)
と呼ばれ、1532年の合併条約でフランスに組み入れられるまで、
独立した国、“ブルターニュ公国” として栄えていた。

そしてそこで話されていた言語も、インド・ヨーロッパ語族ケルト語
派ブリタニック語群ブレイス語で、イギリスのウェールズ語に近く
ラテン民族で形成される他のフランスの地域の言語とは異なると
いう。
私が、何の予備知識もなく、ブルターニュの人々が話すのを聞いて
それに気づき不思議に思ったってことがすごくない?

ブルターニュはもともと、イギリスのストーンヘンジのような先住民
の巨石文化があった地としても知られているので、そういう歴史
的な背景とケルト文化を融合した独自の文化・風習が育まれてい
たんだ。

フランス政府は地方の独自性を認めない中央集権的な言語政策
を取り、学校教育を通じてフランス語を普及させたため、ブルター
ニュでもブルターニュ語は日常生活であまり使われなってしまった
んだけど、
近年は少数言語として復活の努力がなされていて、例えば一部の
公共機関や銀行などではフランス語とブルターニュ語が並列表示
されているそう。
そこもウェールズとそっくり。

その上ね、1532年にブルターニュがフランスに統合されてから、
フランス皇太子は、代々ブルターニュ公を名乗るようになったんだ
って。
それも、イギリス皇太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗るのと
全く同じ
だね!

ブルターニュは、小さなブリトンだったんだ。
(ブリトンをイギリスと言ってしまうと弊害がある。ブリトン=イングラ
ンドじゃないものね。イギリスができる前にイギリス南西部に住ん
でいたケルト人のことだよ)

イギリスとフランスで海を隔てたブルターニュとウェールズが、今で
もこんなふうにつながっていたんだ。
もちろん、ウェールズのワトソン氏に、そのことを書いて送ったよ。
「よく気がついたね」 って喜んで下さった。

「ゲルマン人とケルト人」について、もう少し知りたい人は、続きを読む>>
に資料を入れておいたので、興味がある人はそちらも見て。



じゃ、ブルターニュの歴史的背景はこのくらいにして、訪ねた町や
村を紹介するね。






サンマロ

サン・マロは、モンサンミッシェルから11キロと少し。車で20分くらい。

藍色がかったエメラルドグリーンの海がキラキラまぶしい港町。
歴史的背景も面白い。
旧市街は、12世紀に築かれた城塞にぐるりと囲まれている。



サンマロ絵葉書

サンマロ (絵葉書)


16世紀には"コルセール"(外国船から獲物を奪う権利を王から
与えられた民有武装船、つまり、政府公認の海賊)が活躍した。

商人たち、そしてこのコルセールの拠点地として、サンマロは17~
18世紀にかけてフランス随一の港町として繁栄を極めたそう。

激しい潮の干満の差を利用して、長い間サン・マロは敵の手に落
ちたことがなかったんだけど、
第二次世界大戦では街を占領したドイツ軍を撃退するためにアメリ
カ軍が爆撃して、街の8割が壊滅してしまったんだって。

そして戦後、サン・マロの人達は、
瓦礫の石をひとつひとつ積み上げて、旧市街地を17~18世紀の
スタイルで再現したそう。
そんな住人たちの故郷の街再建への思いには、どこでも心を打た
れるよね。

旧市街を囲む12~18世紀にかけて建てられた城壁はその大部分
が戦禍を逃れ、当時のまま残されている。



サンマロ絵葉書2

サンマロ 城壁と旧市街地 (絵葉書)


サンマロ切抜き

旧市街地 (その時持っていた観光ちらし切り抜き)


城壁の上は、きれいな海を見ながらぐるりと散歩できるし、
グラン・ベ島とプチ・ベ島はサン・マロの浜辺の沖合いにあって、
引き潮になると浅瀬を歩いて渡ることができるよ。



サンマロ城壁路

写真=フォトライブラリーより





カンペール

     最も私を魅了した


“カンペール”は、当地のことばであるブルトン語で「ふたつの川の合流点」
て意味だって。
“ペール”って“ペア”のことだよね。


サン・コランタン大聖堂周辺の旧市街は、大聖堂を中心に
石畳の小道に沿って木骨組を取り入れた中世風の家並が続いて趣きがある。
建物は1階から屋根に向けてだんだん大きくなる伝統的な建築方式のもの
が多い。



カンペールパンフ


サン・コランタン大聖堂は、ブルターニュ初のゴシック様式の大聖堂。
1240年に着工。
高さ80メートルのふたつの尖塔は1854~1856年にかけて完成した。




カンペールの寺院前カフェ

サン・コランタン大聖堂前のカフェでカフェオレを注文。



カンペールカフェ2  

  そのカップの大きさに
  驚いているとこ。
















器はもちろん、この地特産の”カンペール焼き”
素朴な手描きの陶器で、ギャラリーやお店がたくさんある。




Lodec川2

Odec川 (絵葉書)

”フランスで最も美しい川” って書いてある ↑


川辺のお城3

川下りの舟に乗ったら、岸にお城がいくつも見え隠れ


川下り船上

ほら、あそこにも。




     ブルターニュの特産品


もちろん、一番はクレープ!

クレープ

どこへ行ってもおいしくて、食べるのが楽しみだった。
(牡蠣とか帆立とかオマール海老とかは高いので、食べなかったし
 kao07




     ブルターニュの民族衣装


各教区ごとに違うデザインの、レース編みの帽子や民族衣装


民族衣装のレース帽子


カンペールお祭り
      絵葉書 ↑ 

    
  
      ← ちらしの切り抜き ↓



   ブルターニュレースの帽子




レース帽子のおばあちゃんたちと

バス停で会ったおばあちゃんたち。

お出かけにはよそいきのレースの帽子をかぶるし、畑仕事の時も、
ふだん着のレース帽をかぶっているんだって。




ブルターニュ民家と子ども

道を通りかかったら、子どもたちが民家の前に椅子を出して座っていた。
お祭りの風習のひとつで、子どもたちは衣装を見てほしくてこうして
家の外に椅子を出して座るそう。

女の子の衣装は、みごとな総レース仕立てだった。






! (2)へ続く  


スポット訪問記 Vol. 11 フランス ブルターニュ地方(2) 


 その他の町

海岸沿いの町を順番通り全部取り上げているとすごい数になってしまうので、印象に残った残りのいくつかを順路通りに簡単にまとめるね。



ディナン
ブルターニュでも最も中世の面影を残しているといわれる町。
満ち潮を恐れ、町全体が30mの高台にあり、岩山の上には城壁も。
港に続く石畳の坂道にはかわいいレストランやカフェ、クレープ屋さん、おやげもの屋さん、アーティストのアトリエなどがが並ぶ。
童話の世界から持って来たような古い時計塔もある。 ディナンの家には、柱や木組みの壁、張り出し窓、石の台座や花崗岩の壁などの特徴があり、中世にタイムスリップしたよう。



ビニック 小さくてかわいい、アンティックタウン。


パンポル(岬の町)とブレア島
パンポルとブレア島絵葉書

パンポルからブレア島へ渡ったんね。



トレギエ
トレギエ

回廊のある寺院が荘厳できれかった。



ロスコフ
ロスコフへはイギリスのプリマス港から直行便が出ているそうで、今時は町を歩いている観光客はイギリス人ばかりだとか。
バッツ島へは15分くらいで渡れる。
ロスコフは、19世紀に特産の赤玉ねぎを売りにイギリスに渡っていった行商人、ジョニーたちの町として知られていて、彼らは自転車に100キロもの玉ねぎを積んで売り歩いたとか。
また、ロスコフはタラソテラピーの発祥の地で、1899年には海水と気候を利用した療養施設ができた。
(だから、イギリスからバカンスと療養に来るんだね)

ノートル・ダム・ド・クロア・バ教会は、他の町の教会とはちょっと違うデザイン。かわいい鐘が欄間風に隙間に下がっていて…。



ロスコフの教会

16世紀にできたゴシック様式の教会。
ルネッサンス様式の小塔を持つ鐘楼は、フィニステール県で最も美しいもののひとつとされています。
壁には捧げものの帆船が浮き彫りにされています。


(写真と説明文は、ブルターニュ地方観光局からお借りしました)



ブレスト
ブルターニュ半島西端にあり、フランス最大の軍港となっている。 
第二次世界大戦中はフランスを占領したドイツの潜水艦基地となったため、連合軍の空襲を受けて町は破壊された。
戦後、1960年頃まで町の復興が続いたという。
古い大きな城塞がある。




アシャント(ウェッサント)島
小さな島。レンタサイクルを借りて島を一周したよ。
写真が白黒で残念。


アシャント島


島への船

島への連絡ボート



ロクロナン
ロクロナン

村の中心、教会のある広場(絵葉書)


現在は、人口800人ほどの小さな村で、「フランスの最も美しい村」の1つに登録されている。
花崗岩を用いたルネサンス様式の建築物や16世紀の教会などが昔のままの姿で保存されている。

私たちが行った時は、この絵葉書通り、他にだーれもいなくて、教会からきれいな音楽と歌声が聞こえて来た。 音符
今は観光客で溢れているみたい。
この広場の井戸、きっとまだあるね。




コンカルノー
コンカルノ(絵葉書)

城壁に囲まれた漁業の町で、フランス屈指の漁獲量を誇る。
海洋博物館あり。



港の漁師さんたち  島の漁師さん


レストランで、”魚のスープ” を注文したら、出てきたスープのだしがかつお風味で、味噌汁に似ていた。


コンカルノ船着場

コンカルノーの船着場



ポンタヴェン
ゴーギャンを始め、多くの画家たちに愛された、”アヴェン川” に街並み映す、小さな美しい町。
教会に、ゴーギャンの ”黄色い十字架”のモデルとなった木の十字架がある。



カルナック
紀元前3000年頃の巨石群あり。
なぜどうやってどこからこれらの石が運ばれて来たのか、謎は解かれ
ていない。
イギリスのストーンヘンジみたいだけど、石の大きさは小さめ。(0.6~6m)

ストーンヘンジの石は、軒並み40トン級だったりするからね。
ストーンヘンジも紀元前3100年頃のものと推定され、アングロサクソン人が最初ブロトンに移住した時には、もうブリトンにあったんだ。
そっちも大きい分だけ謎も輪をかけて大きい。


ストーンヘンジ (ウィキペディアへ飛ぶ)



 

みなさんも時間をたっぷり取って、ブルターニュの旅にお出かけになっては?
時間といっしょに十分なお金の用意もね。
美味しいものを食べたり、しゃれていてこぎれいなプチホテルに泊まったり、時には島々へ渡ってみたりもしたいでしょう?

あー、私も、もう一度行きなおしたいなぁ…
そういう私ももう少し資金を持って、今度はまた別の素敵な誰かさんといっしょに…。
(あれ? 今の聞き捨てならなかった) 
 

  



  < 珍重品コーナー >

ブルターニュ地方を旅した時に実際に持ち歩いていた地図。
書き込みいっぱいでボロボロ。


8月末から9月初めまでの1週間くらいかけたんね。
交通手段はレンタカー。
仲良し4人組だったけど、メンバーについてはご想像にお任せしましょう。
(幸せな顔ぶれを想像してね! 
ぽ



ボロボロ地図




 

↓ 続きを読む>> に追記あり

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