2-44 ローアーケンブリッジに合格 


それから数週間後、旅行に出ていた私の留守中のこと。
ウェールズの小さな村の郵便局に、東の国から海を渡って何やら重たい小包が届いた。

ワトソン家では開けてびっくり。
さまざまな美しいパックに入った羊羹が、わんさと出て来たんだ。

“上品な和菓子” と題する英文記事のコピーに始まり、きれいな写真入りの虎屋のお菓子のパンフレットには、
藁敷きは藁敷きでも、日本の畳の上で菓子折箱を差し出している着物美人、衛生的工場での製菓工程の写真も大きく載っていて、虎屋の会社案内にはモダンなオフィスや社員寮、はては海の家、山の家まで紹介されていた。

旅行から帰って来た私に、アネッカは、
「なぜあなたは、こんなことに大金を使うの?」
と、食ってかかったほど。

そしてその荷物の中には、何と、虎屋の社長さんからのじきじきの励ましのお手紙が入っていた。
長くてていねいな文面で、

「日本には外人の虎屋菓子ファンも多いが、文化も風習も違うウェールズの村で大奮闘のあなたを応援します。
これからも日英相互理解のためにがんばって下さい」

どれほど感激し嬉しかったか、わかってもらえるー?!
黒川社長さん、本当にありがとうございました!!

その羊羹が大評判だったのは、何と、近所の子どもたちの間で、
「お姉さんの国のお菓子よ」
と言ってあげたら、みんな「おいしい、おいしい!」 と言って食べた。

子どもは先入観なしに、素直に味わうことができるんじゃないかな。
こっちの方が、本当の感想レポートだったかもしれないね!

もちろんお礼といっしょに、黒川社長さんにそのこと書き送ったよー。


さて、6月に私はオックスフォードに戻ってローアー ケンブリッジを受験。合格したよ!!
これも毎日、日本語いっさいナシの英語の環境にいたのと、ワトソン氏がテキストの答え合わせや面接の会話練習、作文の添削など、受験勉強の個人教授になって下さったおかげだ!

それでね、一番上の試験、ケンブリッジ プロフィシェンシーを目指す決心をした。
前にも解説したけど、この試験は ”精通した”って名前の通り、ほんとにレベルの高い試験なんよ。
日本人はほとんど受からないっていう…。
(まだこの時点で、日本人の合格者は全世界で 2,000人だけだって)
何年かかってもいい、ここまで来たらやっぱり合格したいよね!

それでワトソン家の家族との話し合いの結果、
やっぱり私は夏休み明けの秋の学期から、オックスフォードで学校に行かせてもらうことになった。

その代わり、週末や長いお休みにはできるだけマムに会ったりお手伝いしたりするためにワトソン家に帰って来るという約束で。
自分の家に帰るように。

そしてオックスフォードではワトソン家所有の学生アパートのひとつに住まわせてもらい、簡単なアパート管理を任されることになった。

共有部分はもちろん、明け渡しの部屋の掃除、留守中のワトソン氏の居住空間の掃除、郵便物をウェールズに転送したり、
部屋を借りる問い合わせ電話の取次ぎをしたり、
アパートのどれかの設備が故障したら、ワトソン氏に連絡して水道屋さんや大工さんの修理に立ち合ったり。

もちろん、ワトソン氏オックスフォード滞在中は、私が食事の世話をする。
それで、一般のオペアと同じ条件である、"部屋と食事とお小遣い付き"で、その上、学費も出していただくことに。


マムは、私がオックスフォードに帰ると聞いてひどく取り乱して、
「あの子をお風呂場に閉じ込めて!」
とか、
「あの子を、あの子のお父さんに頼んで買いたい」
なんて、わけのわからないことを言い出した。

アネッカは、
「もちろん、できるだけ安い方がいいけど」
なんて笑って言ったけど。

ワトソン氏は、
「母が人前でこんなに取り乱したのを、初めて見た」
って、痛く感じ入っていた。
そして、
「あなたは不幸続きの我が家に、太陽を持って来てくれた。
本当に感謝しています。 ありがとう」

見も知らぬ土地で、私のおいたちや今まで歩んで来た道について全く知らない人たちと生活して、ここまで言ってもらえるなんてネ。 
(´Д⊂グスン

言葉の壁があっても、人と人はこんなふうに心が通じるんだってこと、そして誠意を尽くして何でも一生懸命やっていれば、いつの間にか道が開けて行くってこと、実感してるし、
今たまたまラッキーなのかもしれないし、こんな状況がいつまで続くのかもわからないけど、今は素直に嬉しいよ。

オックスフォードでまた勉強と仕事、来年6月の受験まで一年間がんばるからね。
(応援して!)






追記:

虎屋さんのホームページを開いて見ましたら、社長さんのお名前が
黒川さんでした。
当時の社長さんなのか、息子さんなのかはわかりませんが、その節は、
外国の田舎で日本を理解してもらおうと奮闘する名も無い一大和撫子
(??) に大きなエールをお送りいただき、本当にありがとうございました。
おかげさまで、心細い異国の地でがんばる力になりました。
心からお礼を申し上げます。







オックスフォードの学生アパート


下宿の庭


新しく住むことになった、ワトソン家所有の学生アパートの
裏庭を、2階の部屋から眺めたところ。
左の物置がなければ、けっこう広い。

遠くに見える建物もみな同じような造りのアパート。
だいたい3階建てくらいで、屋根裏部屋に半地下室もある。

私の部屋は、半地下室だった。




下宿の庭隣人と


庭のレンガ塀越しに、隣の住人の大学院生と世間話





2-45 マイフェアレディーつけ焼刃編 


そしてクリスマスがやって来た。
もちろん私は、ウェールズへ。

村の教会の庭に集まって行われた一般村民の大合唱は、ワトソン氏の弾くパイプオルガンの調べをバックに、しろうと合唱団とは思えない勇壮さだったよ!
学位をいくつも持ち威厳いっぱいの博士が楽器もこなす、なんて、
(*゚Q゚*) 思いがけない発見ばかりさぁ。

ウェールズ人の声の良さとラグビーの強さは有名らしいけど、それもこの地方人特有のズングリムックリで首の短い、頑丈な体型から来ているみたい。(あ、失礼)

家庭では七面鳥にいろんなものを詰めたものを丸焼きにして、あとは何日もお料理をせず、ぐうたらを決め込んでそればかり食べて過ごすんだ。

(日本のお正月のおせち料理も、同じような思考経路から生まれたのかも…。違うかな。
お正月をお料理せずにのんびり過ごすため…じゃないっか。ないよね…。
うーん、どうなんだろ)


ここでイギリスの料理用肉について、寄り道
私は日本で鳥の丸焼き料理に慣れていなかったので、首と手足を切られたにわとりや七面鳥は見ただけで ゾーッ。
それをさわってお料理するなんて、どうしてもダメ。

イギリスではウェールズに限らず、どこへ行っても目を剥き出しにした動物の首や内臓の飛び出した血だらけの胴体、切り取られた手足などが平気でショーウインドウに飾られているんだよ。
初めて見た時はショックで泣いて帰ったほどだけど、今でもおそるおそる目をそらせて買い物に行くのに変わりはない。
イギリスの小さな子どもたちがなぜあんな残酷な光景に耐えられるのか、理解に苦しんだ。
日本人の本質は残酷だ、という人もいると聞くけれど…。

イギリスの子どもたちに聞いてみると、
「豚や牛は、神様が、食べるために作って下さったものだから殺してもいい」のだそう。 で、鯨を食べる日本人は悪人なん?

大昔から動物を殺して肉を食べているヨーロッパ人の方が、ずっと血を見ることに慣れ、戦争好きだったのでは? って思うけど…。
反論されちゃうかもしれないけど、それが私の正直な感想なんだ。
ドナルドダックの首を切って胴体に詰め物をしたり、三匹の子豚を丸焼きにしたりすること、どうやって受け入れているのかなぁ、子どもたちって…。

まあ、そんなひとり言は脇に置くことにして、
とにかくそういう訳で、イギリス料理のメインのひとつ、鳥の丸焼き料理は私はとうとうマスターしなかった。☆☆☆


話は戻って…

親しい人々でマムのベッドを囲んでささやかに行われたワトソン家のクリスマスパーティーでは、いっしょにハレルヤコーラスを口ずさむ私に、皆びっくり。マムときたら、

「小さい時、“キリスト教を広げよう、世界の果ての中国や日本まで”という歌を日曜学校で教わったけれど、その世界の果てからやって来た小さな女の子が、ハレルヤコーラスを歌えるなんて…」
(私は中学・高校時代を、キリスト教の学校と寄宿舎で過ごしたからね)

と涙をこぼし、声は出ないながら歌詞に合わせていっしょに口をパクパクさせるのだった。

毎年の暮れ、ロンドンのクロンプトンハウスで、英米両国の発展に力を尽くしている重要人物とそのご婦人方を招いての米国大使主催のブリティッシュ・アメリカンボール(英米大舞踏会)が開かれる。
ワトソン氏にも毎年招待状が届くんだけど、伴侶のいらっしゃらない(実は婚約者を殺され、以来独身を貫かれているらしい)ワトソン氏は、その年は私をパートナーとしてお連れ下さったんだ。

豪華なシャンデリアのもとへ集まった紳士淑女八百人。
ディナーの席でテーブルを共にしたCIAロンドン支部長さんは、独眼流正宗のように片目だった。何かの戦いで負傷したのかな…

見慣れたアナウンサーや俳優さんもちらほら。
付け焼刃レディーの私は作法を知らないので冷や汗いっぱい。

ところで私、何を着ていたかって?
オックスフォードに戻り、元美容師さんのお友だちに急きょ着せてもらった借り物の振袖。 紫の地に白銀色の大きな菊が散りばめてあるの。
広島の良子さん、本当にその節はありがとう。

みーんなに助けてもらっているね!







  振袖6

  




マイフェア レディーが出てきたところで…

イギリスの貴族の家

をちらりと紹介しましょ。 


貴族の家


ある貴族の家。

ブレナム宮殿もそうだったけど、一部の貴族の高額な税金を払うために、
敷地を一般公開して入場料を得ているそう。

すっごいでしょ。 門から建物まで何キロって世界ね。

ここは最初の学校のミニツアーで行ったんだけど、
名前をメモしておくの忘れちゃった。



貴族の家建物

庭園の一部。



貴族の家入口

建物入口。

内部には芸術品のコレクションが展示されていて、
柿麻呂の陶器もあった。



貴族の家の庭ライオン

庭のライオン。
観光客を呼ぶために、広大な庭園の一部をサファリ パークに
しているの。

すごい努力だね!






公爵の家の庭


こちらは、ワトソン家の知り合いの公爵の家。

ご主人は ”サー誰々”、奥様も ”レディー誰々” という称号付きで呼ばれる。

広大な敷地の中には小川が流れ(家の前)、自家発電所、釣りのための小屋、小麦粉を挽くための水車小屋、使用人の家などがあり、羊もたくさん放し飼いにされていた。

到着したら、執事がうやうやしくドアを開け、ディナーの席では、白いナプキンを腕に下げて給仕してくれた。
いろんな種類のナイフやフォークが並べられていて、田舎もんの私はここでも冷や汗もんだったよ。。。

執事さんに親しみをこめて軽く話しかけたら、にっこり笑い返すだけ。
そこで、「イギリスの風習では、使用人はお客様と話してはいけないのですよ」と説明された。

階級制度がまだしっかり残っているんだ。






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2-46 プロフィシェンシーに挑戦・合格 


年が明けて1月。
私はワトソン氏の仕事とマムの看病の補佐としてウェールズとオックス
フォードを行ったり来たりする生活をしている。

学校は、能力いかんよりも空席ができないため入学の競争率が高い
公立の ”オックスフォード カレッジ オヴ ファーザー エデュケーション”。
コース名は、”ケンブリッジ プロフィシェンシーコース” で、その試験
合格に照準を合わせた内容になっている。
公立の学校には私立の語学学校に通っている時からずっと行きたいと
思っていたんだけど、入る手立てもわからなかった。
コネとかはない世界だけど、ワトソン氏が一市民として、

「これほど熱心に勉強したい生徒がいるのだから、学生ビザほしさに
籍だけ置いて働いている外国人学生よりこういう学生を優先すべきだ」

というようなことを学校に意見して下さったらしい。
でも、もし学校が認めてくれても空席がなければ入れないんだけど、
その時は幸いいくつか空席があるとわかり、私の友だちの苦学生も
いっしょに入学の手続きができたんだ。

とにかく、空席があるかどうかの問い合わせ方法もわからないし、
申し込み方もわからなかっただろうから、ワトソン氏の助けがなければ
きっとあきらめていたと思う。

この学校は外国人学生も受け容れるイギリス人向けの教育機関で、
大学を卒業した人も追加の資格や免許を取りに来るカレッジ。
クラスの先生の計らいで、私たちはしばらくの間イギリス人学生といっ
しょに社会学の授業も取ることができた。
それは試験の作文や面接の助けになったと思う。
そしてそこで、イギリス人の友だちもできたんだよ。

プロフィシェンシーの上にディプロマという資格もあるけど、それは、
”免許”やら”学位” という意味で、基本的にはイギリス人向けのもの。
だから、プロフィッシェンシーが英国政府がケンブリッジ大学に委託し
て行われる “外国人向け” 英語試験の中では実質上最上級で、外
国人学生はこれを取っておけば全世界で通用するって話なんだけど、
米英語の影響が強い日本ではまだあまり浸透していなかったりもす
るとかしないとか。

そんなこといいよね、英語の大本山、イギリスの資格だもの。

そのプロフィシェンシー試験は、文学鑑賞や社会問題に関する作文、
面接にも重点が置かれているため、言語の熟達度に加え教養がない
と受からないので、イギリス人も4人に1人しか合格点を取れないとか
で、どこか似通った言語の中で育ったヨーロッパ人が受験するのと違
い、文法も背景も全く違う日本語の中で育った日本人にはかなり難関
の試験だ。

去年の6月にその下のローアーケンブリッジに合格して以来、この最
高の試験に挑戦してみたいと思うようになって、初心者クラスから始
めて1年4か月。
あと5か月後に受験を控え、猛勉強しているよー。

このコースは、授業料も1学期63ポンド(当時で5万円弱)と安いかわ
りに1クラス30人もいて、授業時間も午前中3時間のみと少なく、
だから働きながら通っている人が多いんだけど、私立の語学学校とは
内容が違う。
“短い授業数で勉強に専念” という感じで宿題も多く、学業が主体なの
でパーティーやお出かけイベントはないけど、
授業が午前中だけだからオペアもできるし、もぐりでアルバイトすること
もできるってわけ(!)。
実際、私の他の日本人学生も全員働いている。
1人は大学の食堂で給仕やお皿洗い。
きっとこの仕事には労働許可証が下りているんだろうね。

クラスメートの中にはオペアガールが2人いて、1人は、
「イギリスの一般家庭では食事がつましいというかあまりに簡単で
非効率な料理しかしない」
ってあきれている。
じゃがいもたった1コをオーブンに入れて40分も焼いてバターを乗せ
て食べたり、夕食が缶詰のケチャップ漬け大豆をトーストに乗せて食
べるだけだったりすることがしょっちゅうなんだって。

もう1人も、離婚した家庭のベビーシッター兼家政婦のよう。
それも、イギリス人でなく、移民の家庭なんだって。
それが悪いって訳じゃないけど、何だか原則からはずれてない?

私は思ったよ。
「やっぱりオペアガールの実情は、メイドを雇う余裕がない家庭のメイド
代わりなんだ」
って。
だって、オペアガール システムは国際交流の一環として、外国人学
生にイギリス人の家庭を体験してもらうということと、
学生生活を経済的に援助するという目的もあってできたシステム。
だから中流以上の家庭しか雇ってはいけないというのが規則のはず
なのに、この内容じゃたぶん中流未満の家庭でしょ?

きちんとシステムが作動しているかどうかチェックして、立場の弱い
オペアガールを守る労働組合みたいなものを作ってほしいよ。

ところで、公立と違って私立の語学学校は授業料も1学期 280ポン
ド(当時で20万円くらい)と桁が違ったけど、少人数制で午後3時頃ま
で授業があって、個人個人に合わせて手取り足取り指導してくれる。
もちろん、営業目的が占める割合が大きいので、学生を引き寄せるた
めの娯楽イベントも盛りだくさんだ。
遊びや観光を兼ねた楽しい留学なら、そしてお金にいとめをつけない
なら私立の語学学校がいいかもしれないね。


さて、オックスフォードのワトソン氏の書斎には今でも昔の仕事がらみ
の機密書類がたくさんあるそうで、留守中、他の人には決して入らせ
なかったんだけど、家族と認められた私は出入りを許され、お掃除を
させてもらっている。

最初はびっくりしたよ。
部屋の隅々に茶色くて小さな石ころみたいなものが落ちていたから
何かと思って拾ってよく見たら、なんとそれらはカラカラに乾いて固まっ
た使用済みティーバッグだった。
カップは最初に訪問した時に出てきたのと同じく、みーんな内側が茶
渋でまっ茶色!
中古屋さんで買ったらしい、部分的に敷かれた絨毯の端切れの上に
は、汚れ防止のためか新聞紙が敷いてあったりして。
奥さんが亡くなられた独り身の学者さんといえば、こんなもんかもね。

私が来てからは少しは身の回りに構うようになって、壁紙も貼ったよ。
もちろん自分たちで、暇を見ては何か月もかけて。

ワトソン氏は定期的にオックスフォードに戻り、5軒のアパートを回っ
て新旧間借り人交替時には痛んだ家具を交換していた。
そのために私が中古の家具屋さん巡りに付き合うのは定番だ。
いい味の骨董品風のものは決して買わないどころか、
「こんなんでいいの?」
ってくらいボロくてやっと最低限の機能を果すだけのようなものを買い
込む。
その分、家賃を安くして貧乏学生を助けているのだそうだ。

ある時、家賃を払わない亡命者の学生の部屋を一緒に訪ねたことが
あった。
彼女は真冬なのに、電気代を節約してストーブをつけずにオーバーや
毛布にくるまって勉強していた。
ワトソン氏は少し世間話をしたあと、電気のメーターに何かして、電気
が無料で使えるようにしたんだよ。

それから、外壁のペンキ塗りや壁紙貼り、庭の芝刈りなども貧しい学
生にアルバイトでやらせた。
亮介兄さんがウェールズに訪ねて来た時も芝刈りをやらせてくれた。

確かにワトソン氏はケチって評判だけど、本人は、

「“マイザー” と “エコノミカル” は違う。
前者は “ケチ” だが、後者は “経済観念がある” という意味。
私は後者だ。
意味のないものにお金を使わないだけで、価値ある物には出資は
惜しまない」

なあんて、負け惜しみのような説明をしてたっけ。
そしてチャリティーにもお金を寄付している。

知らない人には低い声で、威厳があって、相手を圧倒するようなこわ
いおじいちゃんだけど、本当は公平で人間味溢れる立派な人だよ。


亮介兄さんは夏に北欧へ発ってしまったけど、ロンドンにいる間は時
々、兄さんが仲間たちといっしょに借りていたアパートも訪ねていた。
世界を放浪している人たちとの会話はほんとにおもしろかった。
どーしてーも、いっしょに旅する気にはなれなかったけどね。
私は勉強したかったから。

すっごーくえらく聞こえるけど、肩書きや出世のための勉強じゃないん
だ。
好きなことを極めたい、その分野で少しでも上を目指したいって、情熱
のようなもの?
英語が話せればいろんな国の人たちといろんなことが話せるようにな
り、お互いのことや国のことがより理解できし、心も通じ合える。
それが本当に楽しいんだもん。

プロフィシェンシーに合格すれば、私の中で、”自分がそれだけがんば
った” っていう証明と人生の記念として残るから。


そして6月、合格点ギリギリだったけど合格したよ。

大きな目標も達成できたし、さあ、これからどうしよう… ね!






     ミニ オックスフォード周辺 案内


今日は観光案内ではなかなか出て来そうにない2スポットを
紹介するよ。



       小さな飛行場

オックスフォード郊外に小さな飛行場あり。

グライダー

「ちょっとだけ、私も乗せて!」


OXグライダープロペラタッチ





       ウエストン マナー

ウエスタンマナー


”マナーハウス” というのは、昔の貴族や領主の邸宅のこと。

オックスフォード郊外の ウエストン オン ザ グリーン にある、この
ウエストン マナー もそのひとつ。
時々アフタヌーン ティーに出かけたんだ。

現在はホテルになっているので、お茶だけでなく、
重厚な中世のアンティックづくしのお屋敷に泊まれるよ。

部屋を見せてもらったけど、絢爛豪華な調度品の中にあるベッドときた
ら、天井から下がるカーテンのような布に囲まれた、まるでお姫様用の
ようなベッドだった。

建物は11世紀に建てられ、1920~30年代にオーナー家族何代
かにより改築の手が加えられたが、1940年代後半にホテルに
転換。
そして1983年に今のオーナーに買い取られ、現在に至るそう。

第二次世界大戦中は、BBC放送スタッフの宿舎になったというエピ
ソードもある。

オックスフォードあたりに行く予定のある方は、一泊いかが?
ブレナム宮殿も近いです。




ウエスタンマナー建物



ウエスタンマナー庭木

12エカーの敷地の庭園の一部。


ウエスタンマナー庭1

植え込みがね、日本庭園みたいに、きれいな形に刈り込んであるんよ。
動物の形だったりもして。









ワトソン氏応接間

ワトソン氏の応接間のいちコーナー

剥き出しの床に飛び石みたいにラグが置いてあったところに
絨毯を敷き詰め、殺風景だった壁に壁紙も貼りました!
(色・柄はワトソン氏の好み。あしからず)

左は、タイ航空のスチュワーデスさん。







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2-47 祖母とマムとの別れ 


プロフィシェンシーの合格発表を見た時にはびっくりしたさぁ。 驚き
ほんとに。

受験が迫って来た時には焦ってあがいて、大好きな先生宅に個人レッスンを受けに行ったり、ワトソン氏に作文と面接の猛特訓をしてもらったりもしたけど、
こんな高度な試験に、このアホばか天然の私が合格できるなんて。

でもね、そのままの実力だったら3割の可能性も切っていたと思うんだ。
どうにか合格点が取れたのは、やっぱその試験向けの”傾向と対策”訓練のおかげだと思う。
試験に出そうな問題ばっかり、繰り返し繰り返しやっていたんだもの。
過去の問題に照らし合わせ、今年必ず出そうな時事問題とか。
面接のスピーチ課題なんて、「山をかけたらバッチリ大当たり」 だったんだもん、はっきし言って。

つまり、何年間とゆっくり時間をかけて無理なく自然に身に付いた実力だったらいいんだけど、そんなふうに受験用詰め込み式勉強でクリアした合格…
だから、心のどこかに納得が行かない部分があるのは確か。

いっしょに受験した日本人の中で、合格したのは私だけだった。
東大の大学院生や、ドイツ人と結婚してドイツで英/独/日の通訳をしている人も落ちた。
フゥーッ。
ドキドキしちゃう。

嬉しいのは嬉しかったけど、正直な気持ちは、
「ほんとにいいのかなー、こんな実力で…」

謙遜してるんじゃなくて、ほんとにそう思うんよ。
「これから ”プロフィシェンシーに合格した人” って見られた時に、あまりにレベル
低い私はどーしたらいいんだろう…」
なんて心配になってくる。 焦る2

英語で議論とかする前に、社会のことにまるっきし疎い私でしょ。
あー、もっと世界情勢とか歴史とか政治・経済とかに精通しないと、
英語ができても、会話がもたないよー あっ!

証明書の名前に恥じないように、これからももっともっと磨きをかけて勉強を
続けなくちゃ、だよね!


そんなふうにちょっと複雑な気分だったけど、嬉しいことは嬉しくて、応援して
くれたみんなにお祝いされる毎日で、
一応の目標は達成したし、これからどうしようって、考えていた時。
”日本の祖母危篤” の電報が来た。

私は急いで帰国の準備を始めた。
「おばあさん、待ってて!
でも、これから飛行機の切符を買うのではきっと間に合わないよね…」
って真っ青になって、半分は諦めて。

でもね、祖母の霊が不自由な肉体を離れ、身軽になって国境なんて関係ない時空を越えて、私のそばに来てくれているような気がしていた。 (それを物語る心霊体験逸話を <続きを読む> に入れたから読んで)

“取り乱すから” と、マムには私の帰国については知らされなかった。

それからまもなく、祖母の死の知らせが来た。
飛行機をキャンセルして、喪に服す日々。


しばらくこれからどうしようかって考えていたんだけど、お葬式には間に合わな
かったし、今から帰国しても本人とはもう会えないんだもの、

「どうせ帰国するなら、前から行きたかった中近東とインド経由で日本に帰れ
ないかな」

って考え始めていた。
もちろん、女の子ひとりでは無理だから、ちょうどそっちに行く旅人たちにくっついて連れて行ってもらう形になるし、たぶん寄り道なし観光なし、最低限の経費で、ただルートを行くだけの貧乏旅行になるだろうけど。

それで一昨年スイスのユースホステルで出会ったタコさんと連絡を取り、
タコさんを通じて、スペインに逗留していたヒゲさんにも話が伝わり、ヒゲさん
の友人でバルセロナ大学で絵を勉強しているという純さんという人も加わり、
中近東・インド経由で日本に帰る話が実現しそう。

離れ離れになったあとも、結構筆まめな私はスイスで出会ってたいそう気の合った仲間たちとたまぁに手紙のやりとりはしていたんよ。
いつかきっときっとほんとに中近東・インドを一緒に目ざしたくて。

ヒゲさんはオートバイが壊れたせいもあり、またスペインが気に入って、知り合った純さんのアパートに居ついていたとか。
純さんは版画の勉強をしているんだけど、一度日本へ帰国したいそうだ。

そんなこんなで、みんなのタイミングがピッタリ合っちゃったよー。
さあ、どーする?
中近東とインド… 特に頑強でもインテリでもない女の子には勇気が要るね!
(だから深く考え過ぎないでいいのかもしれないけど)

私は今、”帰るモード” になっている。
私の中では、
「機は熟した。やるなら今っきゃない。チャンスはそうしょっちゅうは来ないよ」
って感じだ。

ワトソン氏もいつか言っていたよ、
「幸運の女神様には前髪しかないんだ。
すれ違いざまにその前髪を掴まないと、チャンスは逃してしまう。
これ、イギリスのことわざ」
って。

ワトソン氏は、北欧から私を迎えに来てくれたタコさんと会い、まるで面接試験のようにいろいろ問答して、
彼の人間性と、旅人として持っているしっかりとしたポリシーのようなものに感銘を受けたみたいで、心配だからと賛成し兼ねていた態度を和らげてくれた。

死ぬかもしれないって思わなかったかって?
うん。
私は、あの仲間たち (というか、タコさん) とならきっと大丈夫と思ったし、
「”見る前に飛べ” だ」 とか、
「やりたくてもできないまま事故とかで死ぬより、好きなことをしていて死んだ方がいい」
って思ってしまう。相変わらず、ね。
それに、私はリーダー格のタコさんに思いを寄せていたと思う。
彼といっしょなら、世界中のどこへ行っても大丈夫。

そうしてとうとう、計画の実行が決定したんだよ。


私が試験合格に喜び、これからする新しいことにあれこれ思いを膨らませてい
る頃、祖母は天国に旅立ち、
それから中近東・インドへ旅立ったちょうどその頃、ウェールズのマムのところ
へも天国から迎えが来ていたんだ。
私はもう旅の途上にいてその知らせを受けたのはだいぶ後だったんだけど、
マムが息を引き取ったのは、私の出発の4日後だったんだって。

私が帰国の途についたと聞いてかどうかは、心苦しくて今だに聞けないでいる。

私は祖母とマムの両方の死に目に会えなかったけど、ふたりは今でも遠い空の上から私を、私がどこにいても見守ってくれていると思う。
きっと言葉の違いなんか関係なく、いっしょにハラハラしたり笑い合ったりしながらね。

その後ワトソン氏は、マムのお墓参りに行く時は必ず両手に花束を持って行って、「こっちは私から、こっちはミヤからだよ」
って捧げて下さっているそう。
どこにいても、

「あなたに何かあったら、私は天国のマムに何て言い訳すればいいんだ」

って心配してくれる。


マムはこんな遺言を残した。

「ミヤは大切な家族なのだから、彼女の医療費と学費を惜しんではなりませ
んよ。
もし彼女が病気になったら、一番いいお医者さんに連れて行きなさい。
もし彼女が勉強したいというなら、学費を出してあげなさい。
でも、私立はだめ、公立ですよ」

最後がワトソン氏のお母さんらしいでしょ。

それでね、私はその後、ワトソン家に奨学金を出してもらってフランス語を習う
ために1年間、フランスに留学させてもらうことになる。
もちろん、公立大学だよ (国立!)。


イギリスでのお話はここでおしまい。

これから私は中近東・インド経由でいったん日本に帰り、またインドに渡って
そこで働いてお金を貯めてヨーロッパに戻り、フランスでフランス語を勉強する
んだけど、
その1年間の学生生活フランス編を、このヨーロッパ編 の残り3話に凝縮するね。




       ミニアルバム



ステファン君

 夜、遊びに来てくれた近所のステファン君。

 この数ヵ月後、彼は脳腫瘍で亡くなってしまう。
 もうこの笑顔はこの世では見れないんだ。

 「でもきっといつかまた会えるよ。。」

 (ワトソン家のソファーで)




ワトソン兄妹と近所の家で

 この日、揃ってお茶に呼ばれて行った、牧師さんのお宅。

 やっと登場しましたぁっ! 後ろにいるのがワトソン氏とアネッカだよ。

 ワトソン氏は、正装すると別人のよう。
 欲目で言えば、晩年のチャールトン ヘストンって感じかな。




  あとふたつお話を 、下の <続きを読む> に入れてといた。

ひとつは、私のあとに、たっての希望でワトソン家にオペアガール
として入ったけど、うまくいかなかった子からの手紙。

私はここんとこ、運が良くていいことばっかり続いているように見
えるかもしれないけど、実は大変だったこともあって、それを彼女
がちょっぴりだけど代弁してくれている部分もあるので、裏話とし
て追記に入れておくね。


   
もうひとつは、帰国した直後に、亡き祖母が私に会いに来たらし
い話だよ。kao05

信じるか否かは、あなたにおまかせ。 


続きを読む

2-48 フランスのカーン大学へ 

 
ヨーロッパ・中近東・インド経由で一度日本に帰国した私は、しばらく働いてお金を貯めてフランスに渡り、1年間のワトソン家からの奨学金援助も受けつつ大学のフランス語コースに通った。

たったの1年間だから違う町に住んでみたくて、夏休みまではノルマンディー地方にある カーン という町のカーン大学に通い、
夏休みは パリ の免税店でアルバイトして、
残り後半はフランス中部の ディジョン で、ディジョン大学 (現在はブルゴーニュ大学と改名されたらしい) に通った。

それらの地方や町、大学についてなどの情報は、今の時代だから、インターネットを始めいろんな方法で簡単に手に入るでしょ。
だから、ここではそういうのは簡単にして、それにまつわる中心にするね!





フランス地図

(クリックすると大きくなるよ。 
気が付いた? 北には海を挟んでイギリスがあり、
ワトソン家のあるウエールズもすぐそこ。






まず、 どうしてフランス語を勉強しようと思ったか

それはね、英語とスペリングがそっくりだったり、同じだったりする単語がたくさんあるってことがわかったから。

ううん、だからって、英語とフランス語は、同じヨーロッパの国だから似ているんだろうと思うと、それは甘いんよ。
個々の単語はいいんだけど、文法は然違う。
フランス語には男性名詞と女性名詞があって、使う名詞によって形容詞も変わって来たりするし、R の発音が難しいし、H は発音しなかったり、いろいろめんどうではあったけど。

ここで私が見た、
英語の読み書きを長年勉強した日本人がフランス語を学ぶ上での醍醐味
を、ちょっとだけ解説してみるね。 おもしろさが伝わるといいな。


たとえば、「私は美弥と申します」 は、英語では、
アイ アム ミヤ」 あるいは 「マイ ネイム イズ ミヤ

でも、フランス語では、
ジュ スイ ミヤ」 あるいは 「ジュ マ ペール ミヤ

”私” とか ”あなた” とか "BE 動詞” とかの簡単な単語は、全然違うよね。

ところが、難しい単語ほど似ているというか、つづりはそっくり同じだったりするわけよ。 読み方(発音)が違うだけで。

たとえば、
「組織」の organaization は フランス語でも同じ。
でも読み方が、

オルガナイゼーション」(英) と 「オルガニザシオン」(仏)

「大臣」の ministerミニスター」 は、
       ministereミニステア

「環境」の environmentエンヴァイロメント」 は、
       environnementオンヴイロモン

こんな風に、たとえ読み方はわからなくても、見れば意味がわかる。
日本人だったら、わかる単語がたくさんある。
それだったら、初心者のうちはさっぱりわからなくても、レベルが上がるにつれて、難しい単語も簡単に使えるようになるんじゃないかって考えたわけ。


それを裏付けるエピソードをひとつ。
実際、こんなことがあったんよ。

ある日私は文章の中に、 subtil という単語を見つけたの。
あれ? これって、英語の subtle とそっくりじゃない?
英語の「微妙な」って単語だけど、英語では b を読まずに、「サトゥル」
って発音するから、受験用教材に必ず出てて、覚えてた。

それでね、いちかばちかで聞いてみたの。先生に。
「これって、”デリケート” みたいな意味ですか?」って。

そしたらね、先生が、

まあ!! 入門クラスにいるのに、どうしてあなたはこんなに難しい単語を知っているの? 
そうよ、その通り、これは、一種の デリカット って意味よ!」

フランス語では、英語と違って、まん中の  もちゃんと発音して、
スブティル」 だった!

改めて書き出すね。

(英) subtle   「サトゥル
(仏) subtil   「スブティル

フランス語の方が、そのままじゃん、読み方は。

ちなみに、delicate (デリケート) は、
delicat (デリカ = 男性形) delicate (デリカット = 女性形)

table 「テーブル」 は、同じつづりで
table 「ターブル」。

ほんと、そのまま読めば、どうにかなる。

長くなったけど、
そういうわけで、私はフランス語に挑戦することにしたんだ。

その上、フランスといえば芸術とファッションとお料理にも惹かれるでしょ。住んで楽しそうじゃん。


じゃ、そろそろカーンの話をするね。

カーンは、フランス南西部の海岸沿いにある、ノルマンディー地方にあり、イギリス海峡を挟んで、向こう岸はイギリス。
映画 ”シェルブルグの雨傘” の舞台になったシェルブルグや、モンサンミッシェルも近くて、クラスメートたちとお休みに行ったし。

丘の上に古い城跡と近代的なカーン大学がある。
それがすごい特徴的。
だから町に下りて行く時はいつも、城壁の脇を通って行ったよ。



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下の写真右上の城跡の向こうに、近代的な白っぽい建物群があるで
しょ。それが
カーン大学
そこに四角いグリーンの部分が見えるよね。  
                     
   
カーン絵葉書


下の写真で、私たちはその四角いグリーンのキャンパスの上の
部分、橋のような渡り廊下の前にいるよ。



カーン大学日本人学生仲間2 
       
カーン大学にいた日本人学生たち何人かと

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ところで、日本の空港でイミグレーションを通過した時、係官が私の国際学生証を見て、
「ほー、フランスの国立大学ですか。すごいですね!」
って言ったけど、フランスには私立の大学はないので、みんな国立大学なんだよ。

そしてフランス語を勉強したい外国人学生は、国立大学文学部に併設された語学コースを取ることになる。
大学本科に入る前の準備段階的に設けられているのかもしれないね。

カーン大学では、フランス語の入門と初級クラスを修了した。
イギリスで受験のための詰め込み勉強をしたので、フランス語は試験や資格取得には関係なく、のびのび滞在を楽しみながら勉強することにした。

大学の学生寮にも入れたよ。
ここでは隣の部屋の住人、ノルウェー人のオーセルという女の子と仲良しになって、しょっちゅう一緒に食事をしたり買い出しに行ったりした。

学費は、マムの遺言もあり、ワトソン家で援助してくれた。
私の恩返しは、一生懸命勉強すること、そして大学生活の様子をまめにワトソン氏に報告することだった。

ワトソン氏は私からの手紙をとても楽しみにしてくれて、それはワトソン氏が亡くなるまで続いたよ。お子さんがなかったしね。
あしながおじさんだ。

イギリスとフランスに住んでみて感じる大きな違いって、何だと思う?
それは食べ物だよ。

フランスでは何もかもがおいしい。
食器も出し方も場所の雰囲気作りもセンスが良くて、食べることは人間の生活にとって大きな要素を占めているから、つまりはそこで生活していること自体が楽しいってことだよ。
ワインも安くて美味しくて、レストランでは、ランチタイムサービスでさえ、デキャンタに入れた安いワインが水代わりに飲まれていた。

(誰かが、「この1本500円のブルゴーニュワインも、輸出されて日本に行くと2000円になるんだぜ」なんて言ってた。ホントかなー…)

そして、ワインはグラス一杯なら、飲んで運転してもいいんだってよ。
へー、おもしろいね。
ワインを飲むことが、日常生活の一部になりきっているんだね。
日本だったら、人によって一杯でもすごく酔っちゃう人もいそうだけど、きっとフランス人は、一杯くらい何でもないんだ。

それにちょっと関係あるかもしれないけど、フランスでひとつびっくりしたし大変だったのは、水道の水が飲めないこと。
だから、スーパーまで週に何度か買い出しに行く時に、水と牛乳の入った重いレジ袋を持って帰らなくちゃならない。
しょっちゅう行くのは大変だから多少は買いだめするでしょ。
だからその袋の重いこと。

日本で蛇口をひねりさえすれば水道の水が飲めるって、すごいことだよ。

カーン大学キャンパスと寮を、写真でもうちょっと紹介しとくね。
ここから行った、「ノルマンディーとブルターニュ地方そちこちの旅」は、そこそこ枚数があるので、スポット観光編に入れることにするっち。
                                            


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カーン大学キャンパスシンボル

これ、四角いグリーンの芝生にあるカーン大学のシンボルの造形物。
ふもとにいるのが人種多様なクラスメートたち。



img394.jpg

同国人学生たちと。


カーン大学学生

異国人学生たち。遠くに見えるのも大学の建物。
(移動が大変?)





寮入口でオーセル  オーセル

私たちがいた学生寮。(入口にいるのはオーセル)
オーセルは男の子みたいでね、買い物の袋をいつも持ってくれた。




カーン大学寮の窓から

寮の窓辺。まわりには近代的なビル。


カーン大学生証

学生証。「ユニバーシテ」 って書いてある。
日本人なら中学生でも、見ただけでわかるよね!

個人情報ではあるけれど、もう30年以上前のデータなので、
とっくの昔に消滅していて問題ないでしょう。




 この周辺の町のプチ観光は、またあとでゆっくりこちらをどうぞ 

 スポット訪問記 Vol.8 フランス ノルマンディー地方(1)  

 スポット訪問記 Vol.9 フランス ノルマンディー地方(2)