2-40 ミセス ワトソンとの出会い 


家に着くと、何百キロもありそうで、視力を完全に失いかけているという、ワトソン氏の妹のアネッカが私を斜めに見て、

「まあ!!
日本人の女の子が来るっていうから、髪を頭のてっぺんで縛り上げておまんじゅうにして、裾の割れているキモノを着て来ると思ったのに!
どうしてヨーロッパの服を着てるの?!」

それが彼女の第一声だった。
ゆっくりとした口調だけど半分あざ笑っているようで、そして頭の中心がキーンと痺れそうに高い声だ。

それから、
「日本では猫を食べるのですってね。
だから私たち、決してチャイニーズレストランには行かないのよ」

と、ソファの上で無心に眠っている愛猫のジミーを横目で見ながら気味悪そう
に言い、

「日本ていうと、先の尖った山と木の橋とゲイシャの絵しか思い浮かばないんだけど、テレビで見たことあるわ。
みんなわらの床の家や、ボートに住んでいるんでしょう?」

しごくまじめに。
日本と中国の区別もつかないようだし、東南アジアのどこかの国と混同しているみたい。

ワトソン氏は、
「申し訳ない。イギリスの学校では日本のこと何も教わらないから、地方の人々は何も知らないのだ」

と、あとで謝って下さったけど、
あまりの知られてなさに、悲しくなって来た。


ワトソン氏のお母さん、ミセス ワトソンは、95才。
10年前にガン、5年前に脳卒中で右半身不随になられたのに、通いの専門医、看護婦さん、そして家族の手厚い看護と励ましのうちに、病苦と闘いながら命を取り留めて来たんだって。

5年前、付き添いをしていた妹のアネッカが目の大手術を受けて精神混乱に陥って以来、ワトソン氏はすべての役職を投げ打って、オックスフォードの5軒の学生アパートの管理と、お母さんの世話に往復する生活に入った。


さあ、気分の良い時を見計らっての、お母さんとの対面だ。

ミセス ワトソンは、やせ細った顔に重そうな厚いメガネをかけて、幼い子どものようなあどけない表情で口を少し開けたまま、私をじっと見つめた。
私も不思議な感情に打たれ、彼女の潤んだ目の奥に見入った。
老母は本当に泣いていたんだ。

「そんなに遠い国から、一人で来たの?
それも、こんな田舎に、私の世話をしに?」

かぼそい、消え入るような声でそう言って、動くほうの手をモゾモゾするので、アネッカが何事かとふとんをのけると、老母はその手をゆっくり顔に持って行き、涙を拭うために指をメガネの下にくぐらせた。

私はドキッとしたよ。
日本の病院で付き添いをしていた時、うちのおばあちゃんがしたしぐさと全く同じだったから。


それからというもの、私はこのミセス ワトソンの付き添い役になった。
毎朝来る看護婦さんの補助をしたり、他愛ないおしゃべりをしたり、流動食を作り、温度を計って一口ずつ食べさせたり…

口を閉じて首を横に振る彼女に、
「はい、グッドガール! もうひと口。 あーん」


彼女は毎日、そばに来る人に、

「あの子は私を何て呼んでいる?
マム(お母さん)と呼ぶように言いなさい」

と確認したけど、ほんとはどっちがお母さん役かわかったものではなかったさ。 






ミニ ウェールズ案内



ウェールズの位置
イギリス地図


横向きカンガルーのお腹のあたりって感じ?!

(地図はイギリス政府観光庁の公式サイトよりお借りしました)




ウェールズの絵葉書 1

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↑ ウェールズ語で何か書いてあるけど、さっぱりわからないよね!




ウェールズの絵葉書 2

ウエールズ民族衣装の子どもたち

民族衣装を着た子どもたち

白いレースのついた黒いシルクハットがユニークな民族衣装

スコットランドの民族衣装であるタータンチェックは超有名だけど、
ウェールズのはあまり知られていないかな?





ウェールズの絵葉書 3

ウエールズ民族衣装

民族衣装を着た大人の女性





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 下に おまけ ある↓





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2-41 日本は野蛮な国 ?! 


ウェールズの春はブラックマウンテンの白帽子を残して、森も谷間も村も、すべて緑で埋め尽くされる。
そしてその中に、降って湧いたようにかわいい花が咲き乱れる。

イースターの村のお祭りには、イースターハットのコンテストが行われ、出場者は奥さんの手作りの見事な帽子を被って町を練り歩くんだ。

村では私は大スター。
何しろ今まで中国人も日本人も見たことがないという人ばかりなんだから。
特にエレンという目の釣りあがった女の子は、”ジャパニーズ” という
あだ名のため、私の出現に大喜び。どこでもついてくるし、毎晩のようにワトソン家にやって来て、お皿洗いをする私の横にフキンを持って待機。
役に立とうと一生懸命だ。

(ところで、前にも書いたけど、イギリスでは洗剤液に浸けた食器をすすがずにそのままフキンで拭いてしまう。
エレンもすすぎ前の泡だらけの食器を拭こうとするので、すすぎ終わるまで待ってもらった)


ワトソン家にはいろんな人が訪ねて来た。
みんな私の存在を意識して、どうしても英語では表現できない箇所だけ、ひとこと謝ってからウェールズ語に切り換える以外は、どんなプライベートなことでも英語で話していた。
(ウェールズ語がわからない私への心遣いだね!)

日本にコーヒーはあるか、りんごはあるかに始まり、イギリスではまだぜいたく
品であるカラーテレビを指差して、「日本にもテレビはあるか」と聞かれた時に
は参った。
(そのテレビには、National (松下電器) のロゴが… orz


いっしょに町まで買い物に行った近所のおばさんは、田舎びたデパートのボロいエレベーターに乗ったとたん、

「ミヤ、動かないで! じっとしているのよ!
ところで、日本にもエレベーターある?」

私がハンバーグを作っていると言った時には、アネッカ、不安におののいて、
「ど、どんなハンバーグ?」 (猫も犬も入っていないってばぁ…!!)

でも、そのお手並みと味に、みんなビックリ。
(最低限の調味料はいつも持っているから)
特にキャベツの千切りには、「マジック!!」 と悲鳴。
プラスチックの小さなまな板と切れないナイフで苦労したけど。

イギリスでは味付けも最後に自分で、塩・こしょうをかけるお料理がほとんど
なんだ。

「足の小さい人が美人なんだろう」とか、「肉はイスラム教のため食べないのか」
とか、村人たちの素朴な質問は尽きなかったけど、「日本にもピアノがある」
というと、「ヨーロッパの曲を弾くのか」とまじめに聞かれるし、

ある日などワトソン氏が雑誌を見ながら、「ほほう、日本にもイギリスのパブ
ができたそうだ。おもしろいことだね」

「バーやスナックならもうたくさんあります」と言うと、
「サキ(酒)だけだろう?」


近日に迫ったクイーンの日本訪問について、クイーンが、

「日本へ行っても決して靴を脱がない」

と宣言したというのも話題の種。
それを言った時のアネッカの顔…。

パートのメイドさんも、
「もちろん、許されることじゃないわ」
と、眉ひそめ、神妙~な面持ちで頷いた。

(床に藁を敷いて裸足で暮らしてるんじゃないってばぁ…!)

そしてアネッカは、こわごわ、私の様子を覗きこむようにして、
「…あなたのお母さんも…床に座るの?」

(どんなお母さんの姿を想像してるんだヨ!)

こちらの家の汚い床を考えれば無理ないんだよね、土足だし、犬も猫もいっしょ
で、ソファーさえ、泥と毛だらけだもの。

△帽子をかぶった人力夫行きかう場面(ホンコン)がテレビに映れば、
「ミヤ ミヤ! 早く、早く来て! 日本が出てるわよー!!」
と大騒ぎして私を呼びに来るし。

疲れたなあ…。 







          ミニ ウェールズ案内


          Builth Wells 村

表紙

右上の赤いドラゴンは、ウェールズの紋章。
国のために戦う闘志を意味しているらしい。
(ドラゴンというのが不思議だよね、中国のものだと思っていた)




BuilthWells_20081111092915.jpg


今回は、ウェールズ中部、Wye 谷にある Builth Wells という小さな村を
訪れてみましょう。
Wye というのは川の名前で、見事な鮎と鮭がとれる。




ひつじ市場

この地方の中心を担う羊の市場



オークション

家畜のオークション




セントメアリー城

セント メアリーという名のお城もある


ちょっと歴史に触れてみよ。

<最後の プリンス オブ ウェールズ>

石の城壁と城の建設は、ウェールズの支配者であったイングランドの
エドワード一世が、一流ミリタリー建築家であったマスター ジェームズ
de サンジョージに1277年に、もうひとつの城建設と同時に命じたが、
それを含む彼の手による北部の複数の城は、1282年に最後の
ネイティブ(現地の) ウェールズ人プリンス Llywelyn が戦死するまで
着工されなかった。

プリンス Llywelyn は、1258年に皇位を継承。
彼はイングランドのキング エドワード一世と二つの大きな独立戦争で
闘い、後の戦い(1282-4)の只中の1282年12月11日に戦死。
その後、エドワード一世の息子である エドワード二世が プリンスオブ
ウェールズ を継承したが、ウェールズ人がイングランドと同化すること
はなかった。

Builth Wells から 2マイル半の Climery 村に、


Ger y fan hon y lladdwyd Llywelyn ein llyw olaf 1282"

”Near this spot was killed our Prince Llywelyn 1282”
(プリンス Llywelyn は この近くで 1282年に殺された)


と刻まれた彼の碑がある。
ウェールズ語がどれほど英語と違うか、知ってほしいこともあって載
せたよ。



(ところで、現在はチャールズ皇太子が ((イングランド人の)) プリンス
オブ ウェールズ だけど、
最近、何かの式典のためにウェールズを訪ねた時、初めて、英語で
なくウェールズ語でスピーチしたそうだ) 






↓続きを読む>> に追記 あり


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2ー42 アンヌイル 


ウェールズに来てから半月ほど過ぎた。

マムは頭のはっきりしている時は、元気な頃の人柄がうかがえるようだった。
聞き取れないような声でだけれど、とんちのきいた冗談を言い、顔をくちゃ
くちゃにして笑う。
あまりしなびていて小さい顔なので、笑っているのか泣いているのかわから
ないんだけど、笑っているんだ。
私のこと、“シバの女王” だって。 髪が黒いから。

イースター礼拝に行くワトソン氏を呼び、
「髪はとかしましたか?
靴は磨きましたか?
どれ、一回りしてごらん」
70才台の息子もマムにとってはまだ子どものまま。

何十年か前に、エジプト人のお医者さんに嫁いだもうひとりの娘さんの元へ
休暇にマムを連れて行った時も、
パイロットの免許を持っているワトソン氏が操縦室を見学に行こうと席を立つと、
大勢の乗客の前で、

「そこらをいじっちゃダメですよ。
何もいたずらするんじゃありませんよ!」
と、人差し指を上下に振って ”メッ” をしたそう。

その村では昔、炭鉱が盛んだったので、裏の山にその跡があり、今も掘った
時の土を盛り上げた山から煙がたなびいて、美しい山々の斜面や野原に牛
や羊が平和そうに草をはんでいるけれど、

その裏山で他の子どもたちと駆け回って遊んでいたワトソン氏に、マムは窓
から白いハンカチを振ってお茶の時間の合図をしたとか。

マムはギリギリまで痩せ細って身動きできず、ほとんど眠っていたけれど、
目を覚ますと私の手を握ってじっと見つめた。

若い時は日曜日には教会へ三度も行ったという彼女だけど、私が教会に
行こうとすると手を離さず、

「あなたが外出するととてもさみしい。私といっしょにいて」

と嘆願したり、

「暖かくなったらベッドごと車に乗ってピクニックに行きましょうね」

という私の言葉に、「どうしても明日行く」 とだだをこねて、周囲をてこずらせ
たこともあった。

彼女は私を “アンヌイル”(ウェールズ語で “愛らしい” とか “大切な” という意味だって)と呼んで、とても大切にしてくれた。

ヒステリー気味のアネッカに時々辛く当たられたけど、マムはワトソン氏を
呼んで、

「ワラティグ ハー(彼女を大切に扱いなさい)。
彼女は招待されて来たのであって、メイドではありませんよ。
仕事は強制ではなく、家族の一員としてできることを頼むだけですよ。
フェアでなくちゃいけません」

と言って下さったり。
相変わらずそばに来る人に、「あの子は私をマムと呼んでいるか」と確かめ
る毎日だったけど、私の髪を撫でながら、

「この目の前にいる女の人を、あなたは何と呼んでいるか」
と聞かれた時には気恥ずかしくて…
「マムです」
と答えると、頷いて眠りに落ちた。

『一日も長く生きてほしい。この人のためなら何でもしてあげたい…』
見も知らなかった病床の老母との心の通い合いが、私にとってもかけがえの
ないものになっていたよ。






          ミニミニ 観光案内



  
ウエールズ絵葉書ブラックマウンテン

ウェールズの田園風景とブラックマウンテン(絵葉書)



ブレコン絵葉書

一番近い大きな町、ブレコン(絵葉書)



ウェールズの海岸

ウェールズの海岸(Port Eynon~Rhossili)(観光パンフより)


ウエールズ海岸2



メイドシンディー

メイドのシンディーと、ワトソン家のキッチン裏で

まだおまけあり

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2-43 虎屋の羊羹 


ウェールズにいる間はね、ちゃんとお休みとお小遣いをいただいていたので、訪ねて来たオックスフォードの友人たちなどと時々小旅行に行くことができたんだよ。
近くのお出かけには、ワトソン家でも連れて行って下さったし。
(マムをメイドさんにお願いして、ね)

イギリスではあちこちに、昔のかつてのおもかげがすっかり消え失せたお城や修道院が風雨に晒されるままになっている。
何世紀も前のものがたくさん…
かつての力や栄光、貴族の宴、豪華に着飾り踊ったであろう貴婦人たちの面影を追い、歴史の秘める哀愁に打たれたよ。
”国破れて山河あり” や、荒城の月の歌詞が聞こえて来るようだった。

夏の海岸線はオアシス。
海岸ギリギリまで緑で、塩の香りも波の音もしないので、絵を見ている
ような錯覚に陥る。
(前回のミニアルバムにも載せた)

地方ではバスに乗って来る人全員顔なじみで、ひとりひとりと世間話を交わしながら陽気にバスを走らせていた運転手さん、途中でバスを止め、「ちょっと待っててね」と言っていなくなったまま、20分経っても戻って来なかったりするんよ。
平気な顔をしている他の乗客に聞くと、
「お茶でも飲みに行ってるんでしょう」
というのどかさ。

ここウェールズでも、一日に何度もミルクティーを飲まないと何も進行し
ない。

マムの具合は相変わらず… 
お天気のいい日は、庭いっぱいに風を切る洗濯物のそばでロッキングチェアの中に埋もれて、芝刈りをする私を眺めたり、
またある日は、意識が薄れて誰が何を言ってもわからなかったり…

家からね、夏物と日本食品の間に混じり励ましの手紙とお小遣いが届いたよ。
祖母はガンの手術後は再発のきざしもなく、祖父に世話をしてもらいながら、細々と感謝の日々を送っているって。
私が「ウェールズの小さな村で看病のお手伝いをしている」 と聞いて、

「えらいことだね、美弥ちゃんはどこへ行ってもそういうことを頼まれる運命なんだね」

って笑ったそう。(おばあさん、ごめん、そばにいなくて)


さて、小包みに入っていたインスタントラーメンは好評だったんだけど、
虎屋の高級羊羹、これいかに。

「なぜこんな銀紙に包んであるの?」
「濡れてて気持ち悪い」
「味も匂いもないわね」
「いずれにせよ、毒じゃないでしょ」

(看護婦とアネッカの会話)

ワトソン氏、もおそるおそる角をかじり、
「悪くはないよ」

おみやげに持って行った近所の家々でも、5ミリかじっただけで、ゴミ箱行き。
全く同じ感想を述べるんさ。

日本の代表的銘菓の傑作、日本の誇り、虎屋の羊羹…
私の心は痛んだ。
これは国際的一大事、すぐに虎屋の社長さんに報告書を送らねば…!

虎屋の名声についても羊羹についても何の基礎知識もないウェールズの庶民が、羊羹を、
"得たいの知れない、水っぽくて気持ちの悪い、味も香りもない、不衛生な工程で作られた野蛮な国のお菓子"
と思っても、無理はないかも。

日本は藁を敷いた床の上で暮らし、沢山の貧民がボートに住んでいると信じて疑わない人たちだもの。
いかに吟味された原料から、近代的、衛生的設備の中で、白衣とマスクの従業員たちの手によって謹製されているか、
また、ただ甘ければいいような洋菓子と違い、和菓子のデリケートさや、いただき方、器などへの心配りなど、どうして説明できよう。

あぁ~ん、くやしいよーぉ!
うまく説明できない自分に、そのつたない英語力に、がっくりこ。

それでウェールズの庶民の羊羹との遭遇に際しての正直な反応の一部始終を綴り、

「虎屋さんともなれば、英語のできる秘書さんもいらっしゃるでしょう?
英文の羊羹の説明書を送っていただけないでしょうか。
日本を正しく理解してもらうため、また羊羹の汚名を晴らすため、どうしても必要なのです」

というお願いといっしょに、虎屋の社長さん宛てに送っちゃった。
封筒の裏には、
「社長さん、国際的一大事です」
と、私が泣きわめいているイラストを入れて。

さあ、果たして、天下の虎屋さんから、
しがない、いち大和なでしこ(?)の 絶望の淵からの叫び への
お返事は来るのでしょうか??





ミニ観光案内  デボン州とその周辺 つづき  
 

      イギリスの地図

180px-Map_of_Wales_within_the_United_Kingdom.png 200px-Torquay_-_Devon_dot_20081125021218.png

前と同じ地図をイギリス政府観光局HP&ウィッキペディアから
お借りしました。



イギリス本土がカンガルーで、赤いお腹の部分がウェールズだとする
と、ふくらんだ膝とふくらはぎのあたりがデボン州
その先がコーンウォール半島ってとこかな。

前回出て来たトーキーが右の地図の白いマークで、ニューキーは、
足の先っぽにある。
(なんという地理説明なんでしょう!!)




Devon絵葉書

デボン州の絵葉書






Devonの海岸2

デボン州の海岸 絵葉書



Devonの海岸







ストーンヘンジ絵葉書

デボン州、ソルズベリー地方にある ストーンヘンジ。世界遺産。



ストーンヘンジ

お休みに訪ねて来てくれた友人たちのオートバイの後ろに乗っけて
もらって行ったので、ヘルメットを持っている。


こんな巨大な石を古代の人がどこからどうやって運んで来たのか、
どうやって積み上げたのかとか、形状、材質を始め、
配置も天文学的に計算されたりしていて、謎が多い。

ストーンヘンジ (ウィキペディアへ飛ぶ)




ストーンヘンジイラスト

(スクラップブックに描いたのをそのままコピーしたので、こんな紙で
ゴメンね
焦る3





デボン州、バース(Bath) の町の橋

川では子どもたちがカヌー遊びをしている。


Bath.jpg  


Bathの町


イギリスでは珍しい温泉の町。 お風呂(bath) という単語はこの土地
の名前から。 街並みは世界遺産になっている。




Bathローマン風呂

バースのローマン風呂


バース(Bath)は、イングランド西部、サマセットにある都市である。
人口は9万人強。
三つの源泉から供給される温泉で著名であり、イングランド有数の
観光地である。

最近までは温泉施設跡を見ることしか出来なかったが、市内中心部に
鉱泉を利用した温泉総合スパ施設サーメ・バース・スパが作られて、
入浴する事も出来るようになった。(ウィキペディアより)



たぶん、水着を着てだと思うよ。







CORFE城

コルフ城跡 絵葉書  

デボン州の向かって右並びにある、ドーセット州に。

978年にエドワード王によりコルフ村を見下ろす丘の上に建設されたが、
内乱で廃城になり、そのままに。








ソルズベリー寺院

              ソルズベリー寺院アップ


   外壁の彫刻が美しい ソルズベリー大聖堂

   ソルズベリーも、街並みが世界遺産になっているんだよ。