2-31 堅朗君に会いにスイスへ 


新しい仲間を紹介するね。

スペインを熱愛し、二年間旅してジプシーの踊りや庶民の生活を撮り続けた
仁さん。
宝石に魅せられ、ロンドンの宝石学校入学のために苦闘中の真さん。
日本舞踊の名取りで、オペアガールだった優香さん。

最近はこの3人とよく、フラメンコのポスターの貼ってある仁さんの屋根裏部屋に集まっては、仁さんのフラメンコギターを聴きながら溜め息をついている。

仁さんの宿がある通りを歩いていると、雨に濡れる古い石造りの建物のてっぺんにある彼の部屋の赤いカーテンの隙間からフラメンコの曲が流れて来る。
哀愁があるんだ、それが。

みんな次の月にはどこで何をしているやら、本人にもわからない身の上だけど、
今、たまたまなぜかお互いに惹かれ合い、なんとなく集まってはいくばくかの同じ時を過ごしている。

スペインにカルメンという崇拝の君を残して来た仁さん。
スペインは保守的で、未婚の女性を訪ねた時は、ドアを10センチ開けておく風習があるとか。

地方に行くと、日本人だというだけで、
「優秀に違いない、娘を嫁にもらってくれ」
っていう人もいるんだって。

彼女の手紙、いつも微妙で、お国柄が異なるせいか、(それとも世界共通か)仁さん、いわゆる行間が読み取れなくて、振り回されていた。

真さんは日本に相思相愛の売れっ子イラストレーターの婚約者を残して来たんだけど、
「私のことは構わずに好きなだけ勉強して来て」 という手紙に、
「彼女らしくない。俺にあいそをつかしたんだ」
と、二週間閉じこもって酒びたりになっていた。
これも、”女心がわからない” と、私たちの意見懇願の口。

優香さんは、この新学期、初めはうまくいっていたオペアの家庭だけど、奥さんが後妻のせいか、嫉妬と八つ当たりを一身に受けるようになり… 只今、二階の窓から夜逃げを考え中。


そんな3人と私が、1974年、冬休み、仁さんのシトロエン、通称ベニア板版(ⅡCV)で、スペインに向かうことになった。
私だけ予算の都合で途中下車。
一人学生列車で帰って来まーす。

スイスでは、今チューリッヒに逗留中の堅朗君と合流する予定だよ!


ベルギーの港町、オーステンドに渡ると、そこはもう、異国風。

ブリュッセルはEECやNATOの本部があり、地理的にもヨーロッパの中心みたいだけど、ロマンチックな中世風のゴチック建築がいっぱい。
小便小僧の噴水も、道端でおどけてみせる子どもたちも、お店の、それぞれ趣向を凝らした伝統的な看板も、どこか小粋で、小さなパリのようだった。

ドイツに入るとまた雰囲気一変。
人々はりちぎそうで、建物にしろお店にしろ、すべてがきちんと、一寸の狂いもなく作られ、あるべきところにあるべこものがある、という感じ。

職人の国で、今でも仕事は親方-弟子システムで、一から徹底的に物の作り方を教わるとか。
ショーウインドウを覗いても、セットになっているものが多くて、そのうちのひとつを買うのは悪いよう。
何か、完璧の匂いのする国だ。

ケルンは、コロン(香水)の発祥地。
600年かけたという、高さ157mもあるゴチック建築の大寺院、素晴らしかった!

初夜(?)はユースホステルの発祥地、デュッセルドルフ。

フランクフルトでは、本場のソーセージやビールをたらふく。

ゲーテ館を見て、さて、スイスの国境を越えたところ、ユースホステルは冬休み休館。

物価の高さに足並み揃え、どんな安ホテルも一級並みの価格なんだ。
それでドイツへ戻ったのだけど、今度はホテルが見つからない。
それで車の中で一夜を明かすことにしたんだけど、ウエファーのような車。
鼻水も凍る寒さだよー。

すると、曇った窓ガラスを眩しいヘッドライトが照らし、見れば、囲まれているじゃないの、パトカーに!!



*****  *****  *****  *****

ミニアルバム ドイツ編



デュッセルドルフとライン川

デュッセルドルフとライン河



ライン川のほとり

ライン河のほとりで



フランクフルトの絵葉書

フランクフルトの絵葉書



ゲーテ館中庭

ゲーテ館 中庭




swiss.jpg

ドイツとスイス国境近く、バーゼルのユースホステルの庭で。
冬季休館だった。




*****  *****  *****  *****

2-32 ベルン大聖堂 


バタン、バタンとパトカーのドアの音。
冷気に高らかに響き渡り、体格のいい警官たちが懐中電灯を手に迫り来て、

「何者だ?! ここで何をしている?!」

亮介兄さんたちのワーゲンバスが、日本赤軍に間違えられてドイツ警官にぐるりと囲まれ、全員独房に放り込まれたというのは、つい数週間前のお話。 一瞬、どうなるかと思った!

けど、何も悪いことはしていないので、にっこり笑って、
「旅の者です。」

仲間たちも引きつる顔で、
「ホテルが見つからないので、ここで夜明かしすることにしたのです。」
と、口々に。

パスポート、学生証を念入りに調べられたあと、お巡りさんは、手柄を立てそこねて気落ちしたのか、それとも、赤軍派の攻撃に命を落とさずにすんでホッとしたのか、急に気を緩ませて、

「エクスキューズ ミー。 このところ日本赤軍が暴れているのでね。OK。
なんだったらホテルまで誘導してあげようか?」

「いいえ、結構です。 もう夜も明けますから。

でもなぜ、私たちがここにいるとわかったのですか?
こんなへんぴな町はずれ?」

「近所の人が通報して来たのだ。」

あたりの家々の、ひとつひとつの暗い窓のうしろから、良市民の視線
がいっせいに注がれているような気がしてゾーッ。

「じゃ、良い旅をね!」
「ダンケ。グッバイ!」


それにしても同じ日本の若者でも、世界各地で過激な行動を取り、人々を恐怖におののかせている赤軍派もいれば、私たちのように自分が生きるのに精いっぱいの放浪人もいる。

誰も世界平和、世の中の改革を願っているのは同じだと思うけど、自分たちの主張を通すために罪のない人々の命まで巻き添えにするのはいけないと思う。
パリでも、今まで親日家だった人々でさえ、相次ぐ日本赤軍のニュースに、日本人に冷たくなり、中には下宿を追い出された人もいると聞いた。


朝焼けのスイスの国境を越えると、そこは夢の国。
アルプスの山々を背景に、何もかも研ぎ澄まされた美しさ。
首都ベルンへ下る丘の上から町全体を見下ろした時は、まあ、立体絵画を見ているようだった。
中世のままの旧市街地の塔や、赤茶色の煉瓦屋根の家々、緑の木立が、湾曲して流れるアーレ川に澄んだ影を落として。

旧市街地では、石畳の道に、古い噴水、人形や動物の彫刻のついた時計台が、どこを曲がっても、私たちを子どもに還ったように喜ばせてくれた。


ひとくちメモ
この美しいベルンの旧市街は世界遺産に登録されている。
それに、1905年まで、アインシュタイン博士はベルンに住んでいたんだって。


優美なゴチック大寺院の尖塔めざして路地を迷い行くと、美しい合唱が流れて来た。
がらあんとした礼拝堂で白ガウンをまとった天使たちが、クリスマスコーラスの練習をしていたんだ。

ステンドグラスを通った夕陽のかけらが床にちろちろ、色とりどり、かげろうを落として、息づいて揺れているようだった。


もうすぐクリスマス。
雪よ、降れ降れ。








ベルン大聖堂
 
ベルン大聖堂 (絵葉書)
後期ゴチック建築の傑作。スイスで最も高い尖塔。 







ベルンの劇場

ベルンの劇場 (絵葉書)






2-33 チューリッヒのユースへ 


ベルン駅で、チューリッヒ行きの切符一枚を買うのに、あちこちの窓口に並んでは違うと言われ、インフォメーションへ行けば、「英語を話す人が昼食に行っているから1時間待て」とか…
らちが開かないので、地図を開けて “チューリッヒ” を指差したら、
それは “ツールック” だって!
通じないはずだ… (´ヘ`;)

その普通切符の料金に、またびっくり。Σ(゚ρ゚;)
1時間半の乗車なんだけど、日本で乗る同じくらいの距離の3倍の値段だ。
スイスはさすがお金持ちの国で、物価が高いんだね!

オックスフォード仲間とは、ここで一時お別れ。
彼らはフランスを通り抜けて、仁さんを待つカルメンのもと、スペインへ。

私は亮介兄さんの友だちの堅朗君と、するともなく待ち合わせをしたチューリッヒのユースホステルへ。

出国前の記事で前にも紹介した堅朗君は、中学・高校時代は、服装自由の私立の男子校だったにもかかわらず、黒縁めがね、ガリガリの秀才タイプで、実存主義がどうの、弁証法がどうのなんて説明をしてくれたっけ。
第一次志望の医大受験には失敗したものの、どこかの国立大学 (後で聞いたら、早稲田じゃなかった) に入ったんだけど、どういうわけか休学届けを出してアルバイトを始め、放浪の旅に出て、”北欧で働いている” とか、”どこかでヒモになっている” とかって噂の飛び交う中、
今はドイツで大学に通っているという情報が掴めた。

そしてたまたまクリスマスまでチューリッヒのユースホステルにいるって聞いて、そこで待ち合わせをしたわけよ。


クリスマスカードのような風景の回り舞台、次々に窓の外に展開する車上、
「コンニチハ、ニホンノカタデスカ?」
と、上品な中老のスイス人男性が声をかけてきた。
それがドクター ハエエリさん。

奥様が亡くなられてから東洋文学に興味を持ち始めたそうで、日本を訪れるのが夢だそう。
「スイスで三味線を持っているのは私くらいなものでしょう。」
と、誇らしそうだった。
「大洗いミタイデショウ?」
と、それに似た名の駅で降りたけど、以来、文通を続け、クリスマスやイースターには必ず、上達した日本語で書かれたカードやチョコレートが届くようになる。


チューリッヒのユースホステルへは、案内書通りに市電に乗って難なく辿り着けた。
町はクリスマスの飾りつけ賑やかで、道の角々にもクリスマスツリーのあかり。

ユースの広間には、金髪のおかっぱ頭、鼻ペチャ鼻たらし、茶色い目に真っ赤なほっぺという、不思議な見かけの子が遊んでいた。
そばにその子とそっくりな日本女性。
未婚の母だそうで、これからその子を背負ってアフリカに行くんだって。
堅朗君のことを聞くと、
「ああ、あの針金師? あそこに伝言があるわよ。」

あったあったー!!
“ロンドンからのミヤちゃんへ、
明日、戻ります“

一応ほっとした。
やっと会えるね、ガリ勉モードじゃない堅朗君に!


チェックインして広間に行くと、おもしろそうな日本人たちが雑談中。

イスラエルのキブツに何年も住んでいたという、ホーチミンさん、自転車で世界一周途上というヒゲさん、

フィンランドの建築事務所に、”雇ってくれ” と押しかけたところ、無言で紙と鉛筆を与えられたので、黙って図面を描いたら、正式採用。二年勤めて年金カードまで来るようになったという、某大学建築学部卒のタコさん。
今は芸大出の相棒、プロフェッサーさんと、絵や手作りのアクセサリーを売って、多い時には1日何万円と稼いでいるそう。

どうやら堅朗君も、そのうちの一人らしいんだ。






   

夜のチューリッヒ駅

チューリッヒ駅 夜景 (写真 from フォト ライブラリー)



チューリッヒユース

チューリッヒのユースホステル ダイニングルーム
一番手前のテーブルにいるのが、
タコさん、ヒゲさん、ホーチミンさん






 

スポット訪問記 Vol.7 スカイ島、ワイト島とブルターニュの島々  

 
  今回より3回続けて、訪ねたいくつかの島々を紹介するけど、 
  まず、今回の島々の位置を、下の地図を見て確認してね。   
  (おおざっぱ+いい加減な地図でゴメン)
             

                                        
島々の手描き地図

  イギリス スコットランド西海岸にある スカイ島
  イギリスの一番下にちょこっとあるのが、ワイト島

  フランスの地図の左上の、犬の頭みたいなところが、
  ブルターニュ地方なんだけど、
  犬の耳の後ろのへんにある島が、ブレア島
  犬の鼻先にあるのが アシャント島


  ( なーんて学術的説明 ! きゃっキャハ )


 


    イギリス スカイ島


スカイ島への船

スカイ島行き船にいっしょに乗った旅人たち


スカイ島道路

スカイ島の道路にて


スカイ島風景

島の風景


ヒースの花

ヒースの花がいっぱい。 ”嵐が丘” を思う。


 ハリーポッターの空中戦は、スカイ島で撮影されたんだって!




    イギリス ワイト島



ワイト島絵葉書

ワイト島 (絵葉書)
ぐるっと一周できる、きれいで可愛い島です。


ワイト島絵葉書2

藁葺き屋根の民家がたくさんありました。



ワイト島写真
まん中にいるよ




    フランス ブルターニュ地方の島ふたつ


(↓ 上の手描き地図の、犬の頭の部分詳細)

ブルターニュ地図


右上の赤まるが Brehat 島
(実は読めない。 (;・∀・)
フランス語ではhを発音しないし、最後のtもそのあとにeがないと
発音しないので、たぶん、”ブレア島” か、ブリア島

左端の赤まるが アシャント島
(実はこれも英名で、フランス語では”ウェッサント島” と読むらしい)







ブレア島 (正しい呼び名は不明) 絵葉書

Ile-de-Brehat.jpg



島の灯台






アシャント島  

ブルターニュの島地図



アシャント島の海岸

アシャント島岩

波の最も荒い海域。
船乗りの墓場と呼ばれる。
満ち、引き潮の差は10m。




アシャント島

島一周、自転車で回れるよ。






 これらの島々について、興味ある人はたまには自分で調べてみて。


 11/11 後からわかったよ。
   Brehat 島の読み方は、”ブレア島” でいいみたい。
   歩いて2時間くらいで一周でき、レンタサイクルもあり。
   シャガールも住んでたんだって!


 
Brilliant 次回は、エーゲ海の島ふたつと、フィリピンのセブ島に
   行ってみるよ。
   地中海と南の島で泳ぐー!
 Brilliant.






2-34 ”針金師”で荒稼ぎ? 

故郷の話をおつまみに堅朗君と再会の杯をあげたスイス酒場とレストランでは、昔のままの生活が現代人の人々の間に生きて受け継がれているようだった。

狭い路地の入り組んだオールドタウンを歩けば、あちこちのカフェや酒場から陽気な笑い声…。
道端には、辻音楽師や、ビロードの風呂敷を広げて手作りアクセサリーを売っている針金師たち。
堅朗君もその一人。

髪は肩まで。無精髭にヨレヨレジーンズといういでたちの彼は、私に会いに、2時間ほど縄張りを離れて来たところ。

(やっぱ、結局、ロマンチックな再会は無理ってことかぁ…)


「ごちそうさま」

「いいよ、俺、金持ちだから。」

「相棒さん一人にしてきて大丈夫?」

「いいんだ。あそこは1時間2万円くらいにしかならないとこだから。」
(たぶん今の6万円くらい?)

「えーっ?! えぇ

「そうか、俺、金に無感覚になっちゃったなぁ」


彼は、ドイツに留学中だけれど、夏休みにチューリッヒのユースに来て、
この優雅な針金師たちにご対面。

「中近東に行きたいけど、金がないなあ」

とつぶやいたところ、

「じゃ、針金売れば? 10日で30万円は貯まるよ。」

と誘われ、クリスマスの最盛期にこうして出稼ぎに来たとか。

ふつう、一人がお巡りさん対策の見張り、一人が売る役で、お巡りさんが現れた瞬間、店(風呂敷)の四隅をつまんでさっさと逃げるシステムだけれど、捕まっても1万円の罰金を払えば、お巡りさんもニコニコして、

「シーユー アゲイン(またね)」

と言うそう。

「1万円くらい、税金だと思えば何でもないよ」

そもそもスイスの考え方がそうなんだって。
お金さえ払えばいいと。
だから駐車禁止の場所も車でいっぱい。

またスイスでは、大学生はイギリスと同じく少数エリート階級。
なのに捕まえた日本人針金師の身分を問うと、ほとんどが大学生なので、スイスのお巡りさんに不思議がられているとか。

少し前までは大学の教授や公立中学の先生もいて、

「東南アジアで思い切り遊びたい」

と、老体に鞭打って、必死で道端に座っていたとかだけど、この間、東南アジアのどこからかユース宛にクリスマスカードが届いた
そう。
みんな大笑いして、

「夢が叶ったんだな」


1年間で1,000万円貯めて日本に帰ってやきとり屋を開いた夫婦とか、待望のアフリカに、召使い、女陣付きの家を買い、別荘代わりにして今だにアフリカ、スイス間を往復している仲間の話…。

堅朗君と別れてユースに帰ってからも、針金師を巡る実録おとぎ話の数々を聞いて、楽しくて仕方ない。

芸大出のプロフェッサーさんは、ペンキを各色、1キロずつ買って来て、建築士のタコさんと構想を練ったあと、
刷毛にて5分で、スイス人好みの鮮やかな富士山や、花一輪を描き上げ、主に住宅地に売りに行く。

初めに押し売り扱いした相手には、あとで頼まれても絶対に見せないそう。
誇り高いんだ。
15,000円の絵が5枚売れたら、1週間はのんびり暮らすんだって。

でも、彼らは言うのです。

「こんな水商売、一時だと思うからできるのさ。
容易に入った金は、出て行くのも早いよ。

何かの目的のためにやるならいいが、なるべくなら、こんなことやらない方がいいよ。」

手先の器用な日本人。
とんだところで、技術を真似し合って荒稼ぎ。

読者ならどうする?
滞る? ちょっとだけ…?



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今週は写真がないので、代わりにといっては何ですが、

スポット観光編Vol. 8 「エーゲ海の島々とフィリピンのセブ島」

を同時にアップロードしました。
ビキニの水着姿も披露だヨ~ン。

(注: プロポーションに関してはがっかりしないでね。
 
だって日本人だもんっ!
 笑う


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スポット訪問記 Vol. 8 エーゲ海の島々とセブ島 


     ギリシャ エーゲ海の島々


丘2
Athens Postcard


アクロポリスの丘

夕暮れのリカピトスの丘 (アテネ) を背景に。
翌日、ミコノス島に向かうよ。






ミコノス島 (冬)

イギリスの学校の休みに行ってきたよ。


ミコノス島絵葉書
     (絵葉書)


ミコノス島では、家も道も教会も、
ろばの顔まで真っ白。
氷の国に迷い込んだみたい。
唯一の交通機関は、ろばさんです。

ミコノス島には教会が100もあります。
それぞれの教会は聖人の名前を持っていて、子どもたちの名前は
それらの中からつけられます。

ちょうどステファンのお誕生日、聖ステファン教会に通りがかりの
私たち招かれて、飲めや歌えやの大騒ぎ。

真っ白な教会で、真っ蒼な海をバックに。

ギリシャの音楽
ギリシャの料理
ギリシャのお酒
ギリシャの漁師さんたち

 ギリシャの踊り
 明るい太陽

ホゼセ ケスケスモ
みなさんのこと、きっと忘れない

南の国のクリスマス






でも、この年の冬は、ヨーロッパに何十年かぶりの大嵐が来て、
船が出なくて、小さな島ので何日も滞在を延ばしたんだよ。
友だちがいたので、その家に泊めてもらえたから良かったけど。



おみやげやさん

島のおみやげ屋さんのおじさん。毎日お茶を飲みに行った。



ミコノスの仲間たち

港の暴風の中で船を待つ私たち



ミコノス絵葉書文面絵葉書切手





12月31日大晦日に、学生専用長距離オンボロバスでアテネを発った。




 

イドラ島 (夏)


イドラ島へ

アテネからイドラ島へ向かう船の上


イドラミズギ

泳いだゾー! エメラルドグリーンと藍色の水が交差する海で!



イドラ島について

この島は東西約23km、南北約5kmの細い形をした島で、
18~19世紀中世にこの島を拠点として財を成した海上貿易商たちの
邸宅が立ち並んでいる。

映画の舞台にもなり、この島に絵を描きにきてそのまま移り住んでし
まう芸術家も多いので、“芸術家の島” とも呼ばれているそう。

島を巡る環状道路はなくて、ミコノス島と同じく唯一の交通機関が馬か
ろばなので、船が着くと港にろばが並んでお客さんを待っている。
荷物を運ぶのもタクシーもろばなんだ。

遠い昔、夢見たエメラルドグリーンの海で泳ぐことにした。
ミコノス島へ行ったのは真冬だったから、エーゲ海で泳ぐのはこれが
初めて。
ビーチへは、船で送り迎えしてもらわなければ行けないというので、
私たちは港に近い海岸の岩場で泳いだ。

最初からいきなり深いので、泳げない人には無理だろう。
海の色はコバルトブルーとエメラルドグリーンが、混ざったり、境界線
を作って色分けされていたり…
たぶん温度により水の色が違い、海流が交差したり合流したりするか
して、海の中でそんな現象が起こっているんだろうね。

もっといい海の色の写真が撮れなかったのが残念!





    フィリピン セブ島


観光地図の前で

空港の観光地図の前で


セブ島マクタンビーチ

マクタンビーチ


セブ島プライベートビーチ

プライベート ビーチらしい


昼寝する人

気持ちよさそうに昼寝する人


やしの木

やしの木の下で。
実は落ちてこなかった。 
(ストロー差してココナツジュース飲みたかったけど…)




ブーゲンビリアの小道

ブーゲンビリアの咲く通路


プールも

プールもあったりして…


聖子ちゃんと

現地でいっしょになった、ちょっぴり聖子似のツアー仲間


セブ島の子どもたちと

海岸でセブ島の子どもたちと


現地でお世話をしてくれたお兄さん

現地でお世話になったお兄さんです




セブ島について (ウィキペディアより抜粋)

南北に225kmに渡って伸びる細長くて大きな島で、面積は4,422
平方キロメートル。
セブの住民はセブノアと呼ばれ、ビサヤ人、中国人、スペイン人、
ネグリト人の混血の子孫。

主な宗教はローマ・カトリック。

スペイン人到来以前よりセブは明、シャム、アラビア、マレーなどの
交易の拠点として栄えていた。


1521年、マゼランは、マクタン島のムスリムの領主、ラブ=ラブと戦っ
て死んだ。
部下たちがスパイスや宝石を島民に差し出そうとしても、マゼランの
遺骨は取り戻すことができなかったという。


太平洋戦争中の1942年4月、日本軍がセブ島に上陸した。
日本軍による占領の時期、フィリピンで最も人口が密集したセブ島は、
重要な物資補給地点・軍事拠点となっていた。

1945年3月、占領から3年後にアメリカ軍が上陸。
日本軍はレイテ島から退却してきた部隊も含めて交戦したが兵力や
武装に劣り、セブ市はアメリカ軍に奪回された。
制海権を握られた日本軍は他の島への退却をあきらめ山岳部にこもり、
地元民によるゲリラや米兵との間でのゲリラ戦を続け、終戦を迎え
多数が降伏した。


祈平和




2-35 チューリッヒ湖でかもめと遊ぶ 


針金細工を思いついたのも、材料を作っているのもドイツ人。
それを通りがかりの日本人が真似をして、芸術的、商品的価値にまで高めるに至ったそう。

スイスでは外国人は正式な学生でないとアパートを借りられないので、作る人たちはどこかヤミで借りて製品密造に励み、道端販売人たちに卸しているんだって。

クリスマスなどのプレゼントシーズンには、三重、四重の人垣ができ、
”1本1,000円 (今の 3,000円くらいだね) のペンダントが飛ぶように、1時間に40~50本は売れる”
というのも、お金持ちの国スイスのこととうなずける。

「作るほう、手伝わないか」 と誘われた私に、

「女の子はそんなことしない方がいいよ。俺がめんどうみてやるから、できる
だけ長くいなよ。せっかく来たんだから」

と言ってくれたのは、建築士のタコさん。
求職中のホーチミンさん、仕送りを待っているヒゲさんも、タコさんに養って
もらっていた。

「そのうち、きっと恩返ししますから」
という、ホーチミンさんの言葉に、

「いいよ。
昔、俺が困っている時、いつも誰かが助けてくれた。
だから今度はできる時に、俺も困っている旅行者にできるだけのこと はして
やろうと思っている。

おまえらも将来、できる時にそういう奴らを助けてやればいいよ」

男らしいねー、気っぷがいいねー… (ちょっとホレちゃったカモ…)


昼は、塗装が剥げマフラーの壊れたブルーのフォルクスワーゲンであちこち
案内してもらい、
夜はタコさんが1時間くらい仕事に行っている間、お留守番。
相棒のプロフェッサーさんが只今用事で遠出中のため、タコさんがひとりで
全部やっている。

「今日は売れたからおごるぞ」

「今日は売れなかったから、ワーゲンレストランで、自家製サンドイッチだな」

(ワーゲンレストランって、もちろん、車のボロワーゲンのことだヨ。
儲からなかった日は、近くのスーパーで材料を買い、サンドイッチを作ってみんなで食べる)


クリスマスの朝は、ひとり早起きして教会へ。

大きな木の扉を開けると、係の人がドイツ語の讃美歌を渡してくれたけど、メロディーは日本のクリスマス讃美歌と同じ。
”荒野の果てに” や ”もろびとこぞりて” を、スイス人に負けずに大きな声の日本語で歌い上げた。

帰りはチューリッヒ湖にそそぐリマート川の岸辺で、人なつっこいかもめと遊ぶ親子や老人たちを見て時を忘れた。

そのかもめたちは、まるで飼い慣れたペットのように人間の目の前に飛んできて空中で羽をバタバタして、えさが差し出されるのを待っているんだよ!

おもしろくて楽しくて、翌日からは私も硬くなったパン切れを集めて、川と湖通い
の毎日。


-クリスマスの星型のクッキーを拾ったかもめは、
  他の数羽に追いかけられて、トップスピードで空中回転、急上昇… 
  必死の逃亡を試みます。

  追う方もさるもの、そのかもめ君の軌道通りピッタリくっついて、
  びゅんびゅん、くるんくるん、リズミカルな大空中戦。

  やっと追手を振り切った彼は、
  私のすぐそばのコンクリートの道路に降りてきたんだけど、
  硬くて大きな星のクッキーは彼の口ばしに全く合わなくて、
  拾い上げるたびにポロンと落ち…

  ぴょんぴょん、パクッ、またポロン…

  とうとうあきらめて、彼は残念そうに空高く舞い上がると、
  鋭く方向転換して思い切りあっちへ飛んで行ってしまいました-


クリスマスが終わると堅朗君はドイツへ戻って行った。

「ドイツに遊びに来てもいいよ」って言ってくれたけど、私はその時の仲間たち
と少しでも長くいっしょにいたかったから、
留まった。 (あれ? それって、ひょっとして…)


そして年の明けた1月5日夜、私はロンドン行きの学割列車に、タコさんとヒゲさんに見送られて乗るところ。
さっきまでふざけていた私が急に無口になり、涙をこらえてしんみり。

「がんばれよ。」

「中近東にはいっしょに行こうな」


本当にいろいろありがとう、スイスで出会った友だちさんたち…



(ひょっとしてのちにこのメンバーで、中近東・インドを旅することに…?)




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チューリッヒ湖のほとりで


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