2-18 嘆きの紅一点 


クラス分けテストが終わる頃、一人の日本人学生が通訳に呼ばれて事務所に
来た。 長身で、ちょっとニヒルないい男だ。
(その人は、ずっとキザな一匹狼を通していた)

彼の通訳によると、まず、学校のスタッフは、私が英語を一言も話せないのに文章は書けるのでびっくり仰天。
”日本ではどんな英語教育をしているのか” と首を傾げているそう。

私の言いたいことは作文を読んでよくわかったが、

JISU (日本国際学生連合 )は、つい最近、“日本人が何人来る”
と電報をよこしただけで、その生徒の名前もお金も送って来ず、

下宿も突然だったためなかなか見つかりそうにないので、今のところで、マリアとの相部屋でがまんしてほしいとのこと。

窓の壊れた部屋には御手洗君と、これから到着するメキシコ人学生が同居することに。

マリアも一人部屋としてそこを借りたのだし、私も御手洗君も何か月も前にJISUに、“自炊可能、朝食付き、一人部屋” として払い込み済みなのだから納得がいかない。

その上、私たちの支払額が法外だと、マリアは目を丸くしていた。

JISUはふつうの観光代理店と違って、世界中の学生の便宜を図る国際的な学生支援組織の日本支部だ。
信用に値するだけの責任を持って物事を処理してほしいよね。(´ヘ`;)

テストなしで入った初心者クラスは、8人中、スイス人一人、ベネズエラ人一人を除いてあとは全部日本人。
それも男性ばかり。

だいたい全校生徒80人中、日本人女性はもう一人、結婚している桂子さんという人だけだったので、
私は自然と日本人男子学生の中に女の子一人、いつも行動はいっしょというハメになったけど、

アイドルにはほど遠く、みんなに馬鹿にされてばかりいた。

一番キツイことを連発していたのが、親分肌の木村嘉男さんこと
”おっちょさん” 。

「日本の恥。
ミーちゃんハーちゃんみたいに、みんなが行くからってたいした目標もなく、ヨーロッパに来たんじゃろ。
金もろくにないくせに、どないするんや。
そのうち夜の蝶や。その節は知らしてな。 わい、客んなったる。」

「おい美弥、まだなっとらんのか?
どうせボロボロになるんなら、はよなって、日本人に貢げや。」

「いこいこ。その話、俺も乗った!」

とは、いつも逆立ちしているか、パイプをくゆらせている体育の先生、立木さん。

「こんな私、買う人いないって! ガキみたいで。」
「平気や平気! “たで食う虫も” って言うやろ!」

御手洗君も、
「おい、ダンヒル吸えよ。(ポイ)」

などと気取っていたのが、彼らにかかると、

「おーい、ひろと! たばこ!」
「えーっ またぁ? たまには自分で買ったらどーなの?」

「ケチケチすんない、よこせよこせー」
「あーん…  (゚´Д`゚) 」


マリアは、半分は仕方なく、半分は嬉しそうに、私を彼女の部屋に引き取ってくれた。
それから私たちの滑稽にして心暖まる共同生活が始まった。

彼女はアルゼンチンの英語の先生。
最初は彼女の言うことがまるでわからなかった私も、忍耐強く一語一語わかるように教えてくれる彼女のひたむきな態度に応え、
頭痛を抑えながらも一生懸命、辞書を頼りに会話の勉強に励むようになった。

日が経つにつれ、言葉は通じないのにお互いの言いたいことがわかるように
なり、

「マリアと美弥はテレパシーで話している」

と周りの人たちを気味悪がらせた程。

彼女の、痩せるための努力にはすさまじいものがあった。
味のないライ麦ビスケット何枚かだけって日も。

彼女はよく、台所の隅で手紙を書いている私を見て、

「ミヤ、風邪を引くわよ。」
「ミヤ、もう2時よ。 寝なくちゃ明日学校へ行けなくなるわよー。」

夏物しか持っていない私にカーディガンやセーターを貸してくれ、あとで返そうとしても、”それはあげたのだ” と言って受け取ってくれない。

「私はあなたのお姉さんみたいね。
”ああしちゃいけない、こうしちゃいけない” って言ってみたり。

いなくなれば気が気じゃないし…。 (´―`) 」





   その頃の写真数枚


紅一点   
  ほんとかいな?
  この状況

  よく無事でいたもんだ!?


                     




img025.jpg  

  無礼な
  日本男児の皆さまご面々







オックスフォード遠景絵葉書

オックスフォードの絵葉書の一枚 (クリックすると、拡大できるよ)




2-19 半地下室の仲間たち 


私たちの半地下には3つの部屋があり、全住人は、御手洗君ことひろとと、彼のルームメイトとして後から来たメキシコのプレイボーイ、ベニートと、マリアと私。
そしてもう一人は、小さな奥の部屋を占領していたパリのファッションモデル、ジョセフィーヌ。

彼女目当てか、マリアの親しみ易さに惹かれてか、ひろとと私を馬鹿にすることによって安らぎが得られるのか、そこはいつの間にか日本人のたまり場になってしまった。

クラスメートのスイス人で口髭のステキなオスカーと、その理知的にして優しい恋人、エヴァも、海賊の頭領のようなイメージの、弁護士の卵というベネズエラ人、ロベルトも加わって、週末というとパーティーだ。

「おい、美弥、ワイン買っとけや。」
「おい、美弥、ちゃんとそうじしとけや!」
(もちろん、言ってる人、わかるよね (¬_¬) )


そんなある夜のこと。
マリアも私も早めにベッドに入り、いい気持ちで眠っていたところ、誰かが、

”コンコンコンコンコン!” ”コンコンコンコンコン!”

と、けたたましくドアを叩くんだ。

(日本では少し間隔を開けて、”コン コン” ”コン コン コン” と2回か3回ずつ叩くけど、こっちではここざみに5回がふつう)

寝ぼけまなこでドアを開けてびっくり。
そこにはまだ20才前後に見えるイギリス人青年が、ニコニコ笑って立っていたんよ。

それが謎の大家さん、オックスフォード大学生のウイリアムとの初対面だった。

実はこの半地下は、ふだんは彼と彼の仲間が借りているんだけれど、夏休みの間だけ私たち外国人学生へのまた貸しを引き受けたというわけ。

こうしてウイリアムとその知性派仲間のオックスフォード大学生たちも加わって、クリックロードの半地下は、英会話実践教室、国際問題討論会場、くつろぎの園、そして美人鑑賞の場になったのだった。
 



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ノックの仕方の違いが出て来たところで、今日はイギリスに来て発見
したおもしろい風習やシステムの違いをいくつか紹介するね。



ジョンレノンのめがね

イギリスでは医療費が無料だった。
それは滞在中の外国人旅行者に対しても同じ。

だから、飛行機代を出して来ても安くあがるので、アメリカからわざわ
ざお産に来た人もいるって聞いたよ。

その後、処方される薬代だけ一律10ペンス(当時70円くらい?)
負担になったけど、すごいよね。
私が歯医者さんに行っても、無料だった。

(現在も、NHS=国の医療サービス は診察料無料で、処方箋代が
有料のよう。旅行者は6か月以上滞在で適用らしいです)

お医者さんは薬もむやみには出さず、風邪で行っても、
「フルーツでもたくさん食べて寝なさい。」 くらいしか言わない。
そして、かかりつけのお医者さん制度のようなものが普及していた。

もちろん、お金を出してもっと贅沢な(?)医療サービスを受けたけ
れば、受けられる。

それに関して発見したこともうひとつ。
ジョンレノンの眼鏡ね、あれ、その無料医療費システム上でもらえる
無料の眼鏡なんだって。
ファッションでなく、必要な人に無料で支給される眼鏡だから、あんな
簡素なデザインだったんだ!


老人福祉が充実

イギリスでは、60才(だったかな)以上の老人には、お金持ちにも貧
乏な人にも同じ額の年金が支給されていた。
(どうして同じ額かというと、貧乏な人がお金持ちよりたくさんもらうと、
それを目当てにもっともらおうとして働かなくなってしまうからだって)

そうして、“人間として暮らして行くために必要最低限の金額” を誰も
が平等にもらえた。
だから、子どもが望みもしないのに親の面倒を見ることもないし、親も
肩身の狭い思いをしながら子どもに面倒を見てもらう必要がなかった。
お互いに持たれ合ったり重荷になったりせずに、自立できた。

老人はバスが無料とか、いろんな割引サービスも充実していた。

ただ、何でもいいことばかりじゃなくて、問題も。
社会保障が充実している分、税金が高くて、給料の半分という話も
聞いた。
夫婦で働いているともっと高かったので書類上は離婚して、夫婦、
家族が一緒に住んでいるケースもあったよ。



指を使っての数え方

日本では手をグーの形で閉じて、小指から開いて1、2、3と開いて
行くのがふつうだと思うけど、こちらでは親指から開いて行く。
薬指あたりが難しいと思うんだけど、風習って面白いね。


お釣りの渡し方

日本では、たとえば1500円のものを買って2000円出せば、さっと500円のおつりをくれる。

でもこっちでは、
「1500円」と、スタート金額を言ってから、「1600円、1700円」と、払った額の2000円になるまで、お客さんの手のひらの上にお釣りの金額を、出した金額まで渡しながら足して行く。

1572円なら、「1573円」~「1600円」までまず1円玉をいっこずつ返し、それから「1600円」~「1700円」と2000円まで
100円玉をいっこずつ数えながら返して行く。

だからお札が加わると、その上にお札を1枚1枚数えて、渡した金額まで返す動作が加わる。

日本人のお釣りの出し方は ”引き算法”、こちらは “足し算法” とかいうらしいけど、こっちの人は引き算が即座にできないというか、苦手らしい。

数字に弱い私には、とってもいい国! 




     国際下宿半地下室 出入りメンバーレポート


                       
   マリア (下の写真 中央) の大のお気に入り、
   四隅定夫さん(下の写真 右)。
  ジェントルマンで、英語力も抜群。 国際商社内定のエリート。
  なぜかあだ名は ”ちゃんちゃんこ”
               
 
  ↓ パリのファッションモデル ジョセフィーヌ     

地下室の仲間たち

    誰もがうらやむお似合いカップルの オスカーとエバ




パイプ先生とエヴァ     パイプ先生とジョセフィーヌ

ひろ(後ろ)と、いつもパイプの煙をくゆらせていた体育の先生



外国人仲間たち    日本人仲間たち

  ↑ プレイボーイのベニート



下宿の部屋で   
  ← マリアにあげる
     ミトンの手袋を
     編んでるとこ
     だよ

    






3人組

        ↑ 口のわるーいおっちょさん

上の場面で登場していないので、これ入れとくね。
これは学校で開いたパーティーで撮ったもの。

日本人には言いたい放題言ってたけど、外人女性にはモテモテだった。
( きっと英語では、言いたい放題は言えなかったからだヨ。 
ヽ(`エ´*)ノ )






楽しい思い出なので、写真を載せました。
  一部の方々の了解は得ています。 

日記形式なので、イギリスに関する情報は当時のものです。

  おっちょさんはまだ独身で、花嫁募集中です。 
  いかがですかぁ!? 
  ちなみにてっぺんはかなり涼しくなっていますが、中身は変わって
  いませんよー。






2-20 C、S、N&Y のコンサートへ 


9月14日は待ちに待ったC、S、N&Y (クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング) の野外コンサート。

ロンドンのパディントンの駅に迎えに来てくれたA子さん、B君とウエンブリーパークに着くと、野外競技場の入口は寝袋で夜を明かした若者でいっぱい。
ギターを弾いたりトランプしたりして、気長に開場を待っている。

正午に門が開かれると、私たちは一番最後に買った切符で一番前に行こうと意を新たに、群集の中をもみくちゃにされながらステージに辿り着き、決してそこから離れなかった!

ニールヤングは痩せて色が真っ黒で、継ぎ当てだらけのジーンズに、しょっぱいようなスカーフを首に巻いて、私の5メートル先のステージの上にいた。
クロスビーもスティルスも、“ティーチ ユア チルドレン” “ヘルプレス”、“アウア ライフ” など、日本でよく聴いた歌の数々を披露しながら気軽に話しかけて聴衆を笑わせ、乗りに乗っているみたい。
感動して観た映画の場面も次々に甦って来た。

亮介兄さんと弟の貴志といっしょに何度も聴き、その意味を考えたあのベストアルバムのトラックも、ニール ヤングのソロで再現された。
か細そうで、それでいて何か訴えてくる、あの声、あの歌い方だ。

日本を出て18日目に本物のニール ヤングが、私から5メートルのところで歌いしゃべっているなんて、夢みたいじゃない?

聴衆の中には、リズムに乗リ過ぎてぴょんぴょん飛び跳ねる者が大勢いて…
何かおかしいと思ったら、あちこちで紙巻たばこのようなものを吸い回している。
たぶん、ハッシシ(大麻)だって。
熱気と歓声の中を何ともいえないけだるさが支配して、みんな我を忘れて音楽の世界に陶酔し切っている。
こういうのを ”ハイになる” って言うの?

“ああ、私はとても彼らのようにはなれない…”

そんな気がして、自分だけ他の場所にいるように思えてきた。
日本で彼らのレコードを純粋に音楽として聴く人たちの知らない何かを見てしまった感じだ。
メンバーの歌、演奏、おしゃべり、すべて生き生きとして身近で素晴らしかったけれど。

コンサートが終わると、駅は酔いから醒めぬ若者たちでいっぱい。
見知らぬ者同士、親しく話しかけたり、プラットホームの上に輪になって座って、またさっき見た紙巻たばこのようなものを回して吸っている。
ほんと、“ひょっとしてこういう音楽の世界は、私たちふつうの若者とは別世界なのかなー” と、思ってしまった。


オックスフォードに帰って来ると、マリアを始め、みんなが私の行方を案じて待っていた。
マリアはしばらく小旅行に出ていたんだけど、帰って来たら私の姿がないので大そうな憂いようだったそう。
「あの子は突然何をし出すかわからないから」 って。

それからはみんな、
「おい、美弥から目を離すな! 何をするかわからん!」

音楽といえば、私たち日本人はよく、日本から送ってくるテープを貸し合って聴いている。
今、はやっているのが、グレープの “しょうろう流し”。

マリアはそればかり聴いている私に言った。

「私には歌詞はわからないけれど、何だか悲しくなって涙が出そうになるわ。
私も好きよ、この歌。
あなたの思い出に、録音して大切に取っておきたいな。」





    ミニ ロンドン案内


再びロンドンの話題が出たところで、今日はロンドンブリッジとその近
くにあるロンドン塔の特集をするよ。



ロンドンブリッジ絵葉書

タワーブリッジ絵葉書



ロンドンブリッジ背景

きれいな橋だよねー! 跳ね橋なんだよ。



タワー ブリッジ

と言えば、「♪ロンドン橋 落ちる 落ちる 落ちる」 の、あのロンドン
橋と思いそうだけど、
実はその歌に出てくる橋は、いっこ上流に架かっている何のへんてつ
もない橋らしい。

こちらのタワーブリッジは本当に美しい橋だったけど、近くのロンドン
塔と合わせ、スコットランドの独立戦争などに関連して何ともおどろお
どろしい歴史の一面に触れてしまった。

タワーブリッジのタワーの中に歴史博物館があって、牢獄の資料が
あった。
そこで見たものが忘れられないよ。
いろんな種類の拷問の道具があって。

華やかな観光地としてのパリ、ロンドンの蔭にこういうおぞましい歴史
があることも知った方がいいと思う。
日本も同じだけど。
「絶対に戦争はダメだ」って気持ちになる。

今回は、資料としてわかりやすいように、ウィキペディア フリー百科
事典から引用させてもらったから、いっしょに知って。(記事の最後)




メル ギブソンと立ち話

ところで下のウィキペディア情報の中の、ロンドン塔での処刑者リスト
の最初に出てくるスコットランドの英雄、
ウィリアム・ウォレス は、
メル ギブソン 監督&主演の映画、ブレイブハートの主人公。

この作品でメル ギブソンは、第68回アカデミー賞で、監督賞を受賞。
作品全体としても、作品、監督、撮影、音楽(ドラマ部門)、メイクアッ
プ、音響効果の6部門を受賞した。

あの映画、素晴らしかったね。
「ブレイブハート」 のブレイブは、 「勇気ある」って意味。

スコットランドに圧制を敷くイングランドと戦って破れ、囚われ、ここ
ロンドン塔で公開処刑されるんだけど、

「今からでも助けを請え」 と執行人に言われ、処刑台の上でお腹を裂
かれ、生きたまま内臓を引っぱり出されても、ウイリアムは最後の最
後まで屈しなかった。
その後、彼の首は長い間タワーブリッジの欄干に吊るされていたとも
も聞いた。
(スコットランドの人たちはどんなに辛かっただろうね)



イギリスってひとつの国みたいだけど、実際はU.K.(ユナイテッド 
キングダム) といって、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド、
イングランドという違う国の集まり。
国旗のユニオンジャックも、紺地に赤い十字とか白い十字や X など
の4つのデザインが重なったものなんだよ。

スコットランドもウエールズも北アイルランドも、イングランドに征服され
たんだ。

ウエールズにはウエールズ語があり、英語は第二外国語みたいに
学校で習うんだよ。

今でも、スコットランドには ”イングランドに勝った日” という記念日が
あり、お祭りをしてるんじゃないかなー。
(当時はあった)


自由のために勇敢に戦った戦士、ウイリアム。
歴史の勉強にもなるから、この映画、観てほしい。


なぜこのことを書くかというとね、歴史を知ってほしいことももちろんあ
るけど、
私が、メル ギブソンと立ち話したことがあるから なんよ!

彼が売れ出した頃、「マッドマックス」 というタイトルの映画があって、
私はその頃、派遣社員として映画会社(ワーナーブラザーズ東京支
社)で名ばかりの英文秘書をしてたんだ。
(もしこれを見た当時のスタッフいらしたら、メール下~さい!!)

彼はそのプロモーションのために日本に来てた。

事務所に立ち寄った彼を上司に取り次ぎ、待ってもらってる間の
他愛ないおしゃべりで、たぶん
「日本へは何回目?」 とか、「日本食は好き?」 とか、
「いつ帰るの?」 とか、そんなことだったと思うけど。

英語だと上下感がなく、会話もこんな気軽な感じになってしまう。
特に若者同士だったし。

私の印象としては、その頃の彼はどこにでもいそうなジーンズ姿の
若者で、ガールフレンドといっしょだったよ。



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2-21 スクールライフ 


この3週間のコースは、生きた英会語片言取得、パブ巡り、テムズ河下り、シェークスピア劇場での観劇、ロンドンのコンサート、セントジャイルズ フェア、いくつものパーティーのうちにまたたく間に終わってしまった。

クラスの担任は、カナダ人の美人教師、シンディー。
日本式の ”先生” という呼び方は、ヨーロッパ、アメリカではタブーで、「ティーチャー!」 と尊敬のつもりで呼ぼうものなら、「私にはこれこれという名前がちゃんとあります!」 と怒られてしまうそう。

先生と生徒に限らず、年上であろうと年下であろうとみんな呼び捨てなので、初めは変な気がしたけど、慣れるとなかなか親しみがあっていいんよ。
ただ、日本人同士で 「みや!」 だの 「さだお!」 なんて呼び合っていると、恋人同士みたいでハッと気恥ずかしくなったこともある
けど、(私だけかぁ (´-`).。oO)

生意気な男子を呼び捨てにできるのはいい気分。

でもそこで日本の “さん付け” はいいなあと思うようにもなった。
恋人であれ夫婦であれ、“○○さん” と恥らって呼んでみるところにデリケートな心模様が伺えるというもの。

呼び捨てには
”どんなに親しくても人はそれぞれ別個の人格である”
という、微かな尊敬の色味を添えた微妙な距離感のようなものがないような気がするんだ。
上の人も下の人も男女も関係なく、みんな平等ですっごく親しいっていうのもいいかも知れないんだけど、
呼び方ひとつでその人とその人の間にある、それぞれ雰囲気の違う空気がパシャッと消えてなくなってしまうような…。

うまく説明できないけど、味気ないっていうのかなー…
ウン、一言で済ますならそんな感じ。

日本で女が男の人、特に上司や先生を呼び捨てにしたら、きっと特別な関係と思われるか、そうでないなら 「生意気だ」 って言われるよね!

英語に「行ってらっしゃい」「いただきます」「ごちそうさま」「ごくろうさま」がないのも、何か物足りない気がした。

「グッド デイ!」 (いい一日を!) とか言ったりすることもあるけど、それは 「いってらっしゃい」 のように決まった言い方ではなくて、「バーイ」 (さよなら) とか 「スィーユー」 (またね)、「おかえりなさい」 も、「 ハーイ」 (やあ) 、「ごちそうさま」 も「サンキュー」 (ありがとう)など、他の場面でも使う言葉と共用している。

こういう、その時その時にピッタリの気持ちをさり気なーく表す日本の言葉って、いいよね。


シンディーはさすがに初心者クラス担当。
言葉でわからないところを実演で理解させよとしてか、実に表情とジェスチャーが豊かな先生だった。
鼻の下にうっすらと生えたうぶ毛をそのままにしていたので、なぜそうなのか聞いてみたかったけれど、ぐっとがまん。

外人女性の中にはよくそういう人がいた。
特にイスラム圏の女性は肌に刃物をあてるのを禁じられているとかで、彫りの深い端整な顔立ちに黒ヒゲは、奇妙なものがある。
彼女たちにとっては自然で少しも変ではなく、変に思う方が変なんだろうね。
もっとびっくりしたのは、ノースリーブを着た時に、外国人女性の中には脇の下
が自然のままになっている人がかなりいたこと! (◎皿◎)

基準ておもしろいね。
誰が決めるんだろう。

おっちょさんたちの家庭滞在先のお昼に呼ばれて出された、ご飯を牛乳で煮て、いちごジャムを乗せていただくお料理にもびっくりしたけど。
そういえば、メキシコ人の仲間に呼ばれてメキシコ料理をごちそうになった時は、茹でた小豆にタバスコをかけて食べていたのに驚いた。
彼らにしてみたら、小豆を砂糖で煮てあんこにすることの方がずっと「ゲーッ」って感じかもしれないね!


シェークスピア劇場にての観劇には、日本人参加者全員揃って申し合わせたように正装。
いつもとおんなじシャツに、今は貸し自転車のペダルに引っかけて継ぎ当て付きの胸当てジーパンの私を見て、みんな、
「なんや、またこれか!」
「みじめ、みじめ!」


正式名、国立ロイヤル シェイクスピア劇場は、シェークスピアの故郷、ストラトフォード アポン エイヴォン (エイヴォンは川の名前) にあり、ピンクの厚い絨毯が敷き詰められ、豪華なシャンデリアきらめき、モーニング姿で決めた紳士やイブニングドレス優雅な淑女方が休憩時間にバーでカクテルを傾けていた。

それにしてはお芝居の舞台装置、衣装があまりに粗末なので首を傾げていたら、シンディーが、
「シェークスピア劇場は立派な舞台からではなく、裏町のガラクタを集めて庶民を楽しませるところから始まったのよ。
この作品はその時代の背景のままで上演されているの。」


また余談だけど、シェークスピアの時代の人々は衣服を縫い込んで着ていたので、年に一度、5月の衣替えの時にお風呂に入っただけなんだって。
あの時代独特の衣装の、首の周りにある襞(ひだ)のたくさんついた襟は、汚れるとぐるっと回していたそう。

”6月の花嫁” という言葉の語源もそのへんから。
5月にお風呂に入ってきれいになったところで結婚式を挙げたらしい。
正真正銘の歴史的事実だってよ。

そういえばアニメで、ロンドンの町を少年が桶を担いで歩きながら、
「お風呂~ お風呂~」
とか叫んでいる場面があった。
彼の仕事は、部屋の真ん中に出されたバスタブに、沸かしたお湯を運んで注ぎ込むこと。

つまり、よく映画でも見るように、この種の西洋式風呂に入った人は、泡だらけのお湯の中から出てそのまま体をバスタオルでくるんで拭いてしまうということがわかる。
流しがないんだから。
それは一般の家庭でも同じだったよ。

風習の違いって面白いね。


ごめんねー、話が逸れてばっかりで。 (ノ´∀`*)





オックスフォードの学生生活


舟遊び

パンティングする学生

パンティングと呼ばれる舟遊びをするオックスフォード大学
学生たち(絵葉書)



舟遊びする子どもたち

舟遊びする子どもたち



白鳥親子



テムズ川の白鳥



グースの親子




レッスン風景

教室と先生

教室と担任


教室のレッスン風景

がんばってまーす


シャイクスピア生家3

シェークスピアの生家(たぶん)と
正装日本人男子たち




正装日本男児二名

ウーン… 馬子にも…かも…
  (一応、誉めている)