第2章 ヨーロッパ諸国 1 パリへ 


コーヒーが注がれ、配られた夜具の毛布をかぶってじっとると、
何だか大変な事になったという気がしてきた…
ちょっと人さらいにさらわれて、遠い、知らない国へ連れて行かれるみたい…

日本でのこの10年あまりの思い出あれこれ押し寄せて
涙さえ浮かんできた。
今、すべてを置き去って新しい人生に向かって出発。
ポーン、ふんわり雲の上。
日本がぐんぐん遠ざかって行く…

さて、まだあどけなさを漂わせた女の子がひとり、
何食わぬ顔を装いながらも、オロオロ、キョロキョロ、
外国便の上でトイレに立ったり、窓の外を見つめたりしていたら
何が起こるでしょう、時として。

後ろの席の、ヘルメットを大事そうに抱えていた日本人の男の子たちが
話しかけてきた。

「どちらまでですか?」

「はい、あの、パリのお友だちに会いに。
空港まで迎えにきてくれるはずなんです。」

(ウソウソ! 誰も頼る人がいないなんて、重すぎてとても言えないよ…
(;・∀・)
もちろん一応、亮介兄さんと堅朗クンには手紙を出した。
だけど、放浪の旅に出てしまっているかもしれず、たぶん届いてない)

その人たち、むこうで中古のバイクを買って、
ヨーロッパ一周の旅に出るんだって。
彼らの爽やかな若者らしさが、私を救ってくれた。

「でも急だったんで、到着時間を書いた手紙が間に合ったかどうか
心配なんです。
もし会えなかったら、さしあたりユースホステルに行くつもりです。
そこへ行けば旅慣れた日本人がたくさんいて、いろいろ教えてくれる
でしょう?」

「あれ、僕たちもね、まずパリでワークキャンプに参加する予定なんですが、
最初の日はユースホステルへ行くんですよ。
その友だちが来ていなかったら、いっしょにユースへ行きましょう。」

(やったー! ヽ(´ー`)ノ )

夜中に目が覚めると飛行機の外は雲の海。
遠く太陽の光の当たる部分だけが白銀色に輝いて浮き上がり、
朝の面積を増している。
ビートルズはアビーロードの “ヒア カム ザ サン” が聞こえてきそう…

窓ガラスに額をくっつけたまま飽きずに外界の変化に見入っていると、
真っ蒼な海の果て、はるか前方に陸の始まりが現れ、
輝いてまぶしいほど白一色のアラスカ氷山連と平野が、
人の足跡ひとつ許さぬ崇高なまでの威厳をたたえて眼下に広がった。

♪ 今、私の願いごとが、叶うならば翼がほしい
   この背中に白い翼、できるならばつけてください

   あの大空に翼を広げ、飛んで行きたいの
   悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
   行きたい


私は今、鳥。
そして見下ろしているのが、私の住んでいる、本物の地球!
1974年8月28日、地上は晴天なり。


飛行機が速度を落とし、安全ベルト着用指示のアナウンスがあると、
いよいよパリのオルリー空港に到着だ。

地上に足を下ろすと、いるいる…
さまざまな髪の色、目の色、肌の色の人々が、アナウンスの声の交差する
中、空港のロビーや通路を大きな荷物を引きずって行ったり来たりしている。
私にはちんぷんかんぷんの言葉も、あちこちで飛び交っている。




゚・*:.。. .。.:*・゜ 空 ファンタジー ゚・*:.。. .。.:*・゜



sky4.jpg

夜の地平線   右上は月



アラスカ上空

アラスカ上空



アラスカ上空2

同じような写真だけど、空の美しさを見て!




雲海

雲海   ほんとに私、”雲の上の人”




雲のベール

霞のベールの下に、緑の地表が…






2-2 耳も口も不自由なパリの人 


何はともあれ、活動開始。
入国手続きと両替を済ませ、リュックサックを取り戻し、
後ろの席にいた二人の日本人青年と、見知らぬパリの友人なる人を捜し、
すぐにあきらめて
ユースホステル方面へ行くバスの乗り場を捜す。

ユースホステルは若き旅人の溜まり場。
宿代も安くていいんだけど、ほとんど町の中心を離れた郊外の
そのまたはずれにあるのが特徴。
そのユースも同じで、パリの地下鉄オステルリッツ駅で郊外電車に
乗り換え、北上してショワズィル・ル・ロワ駅で下車。
何とパリの中心から12キロも彼方だ。
まずパリの中心行きのバスを探さなくちゃ。

ところが国際空港の敷地内でも、私たちの片言英語、通じないんだよ!
空港バス発着所の係員でさえ、英語でたずねるとフランス語で答えてくる。
噂は聞いていたけど本当だった。

フランス人は自分の国の言葉に誇りを持っているから、
たとえわかっても、
フランス語以外の言語で質問されると答えてくれないんだって。
これじゃ、六か国語辞典を片手にフランス語で質問ができても、
返事がわかりませ~ん!

行き先の地図を見せて、「アー、アー…」
返事をする人も、「あっち →」 「こっち ←」 と指さしてくれたり、
「アン、ドゥー、トゥア」と、指を折って停留所の番号を教えてくれるのでは、
もう先が思いやられるよー。

バスに乗ってからも、それでいいのか心配顔。
おかしな連帯感で、三人、顔を合わせるのだった。

バスが街道に乗り出すと…、
ああ! これがパリ… (ため息)
その街並みの美しさ!
バスの窓から見る家々の唐草模様の黒鉄白鉄のテラスも、通りも、
どこもかしこも花あふれ、
道行く人々も子どもも、建物の色やデザインも、一段、トーンが明るく、
芸術の世界に入り込んだよう!

どこを曲がっても絵になるような ひとこま ひとこま が展開するので、
私は半分、放心状態。

大パノラマ天然色映画のスクリーンの前に座っているみたいで、
簡単には、”ここが現実の世界なんだ” って信じられないよ!

地下鉄の駅に着いて切符の売り場で行き先を告げようと、
地図を広げて行き先の駅名を見せると、
切符売りのぶあいそうなおばさんは取り合おうともせず、
ポンと黄色い切符を投げてよこした。
パリの地下鉄は、どこへ行こうと同じ、均一料金だったのだ!

地下鉄に乗って感じたことは、外人が多いということ。
(私たちもそのうち)
白人に入り混じって、黒人やアラブ系の人々のファッションも
それぞれセンスが良くて個性的。
さすがパリだ。

一番驚かされたのは、ルノアールやセザンヌの絵から抜け出してきたよ
うな天使のような子どもたちがたくさんいること。
色が白くてつややかな金髪、整った顔立ち、ガラスのような瞳に長いまつ
げ… とても同じ人間には思えない。
生きた芸術品そのものじゃないか!
その子もこの子も、日本に来たら即モデルさんだよ。

さて、乗客が自分でドアの留め金をはずして開けるパリの地下鉄電車を
オステルリッツ駅で降りたら、
今度はショワズィル・ル・ロワ駅行きの郊外電車に乗る番だ。

ところが切符を買うのにも、切符売り場の機械がいくつもあって、
どれからどう買うのか、かいもく見当がつかない。
書いてある文字はもちろん、ぜーんぶフランス語。

三人揃って駅の屋根の下。
無言。
次には外に出て道路端に座り込み、
本や地図を広げて腕組み。

道行く人や駅員さんに聞いたところで、こちらがフランス語を理解できない
と知っていて、ペラペラ、フランス語で答えられるに決まってるんだから、
いじけもします。









   夕暮れの街並み



       女の子



   男の子



1148207.jpg


(写真 FROM PHOTO LIBRARY)






2-3 パリのトイレは優雅なり 


そこをちょうど通りかかったのが、アメリカ人の若者。
道端に地図を広げてうなっている私たちに、

「May I help you? (お助けしましょうか?)」

と、笑って手を差し延べてくれた。
片言英語で ”切符の買い方がわからない” と説明すると、彼は幼い子どもに教えるようにコインをひとつひとつ数えながら、
正しい機械に入れて切符を買ってくれ、プラットホームの番号と電車の時間を調べてくれた。

「グッドラック!」
と手を振って去って行った、その親しみあふれる笑顔の爽やかだったこと!
フランス人男に、そんな表情は見られないのだ。 O(`ω´*)o

長時間の緊張続きで喉はカラカラ、お腹はペコペコだったので、行く先に一筋の光が見えてきたところで、ひと休みしようと入った駅前のカフェのボーイもそうだった。

唯一わかる世界共通語のコーヒーを注文したんだけどね、一応はお客様の私たちに、ろくに返事もせず、こちらはありったけの愛嬌で物 (実はトイレ) をたずねているのに、無表情で指さすだけ。



-ちなみに、トイレはフランス語で、トワレ。
  スペルは英語と同じでも、最後の ”t” は読まない。
  “オー・ド・トワレ” (オー・デ・コロン) の “トワレ” だね。
  “トワレ” は、洗面や化粧をイメージした単語で、
  “オー”っていうのは、“水”のこと。

  もうひとつおまけにつけ加えると、“オー・デ・コロン” の コロン は ドイツの
  “ケルン” のことだよ。
  このあとケルンに行った時に知った。
  ケルンが、オー・デ・コロンの発祥地なんだって。



さて、そうして入ったトイレが何たるや!! 愕然とした。
蝶ネクタイのボーイさん、しゃれた通りの、籐椅子、虹色のパラソルつきのテーブルが並んだカフェのムードに似合わぬ、
原始的、薄汚れたコンクリート四面の、地べたしゃがみ式だった。
またその紙の茶色くて硬いこと。
わら半紙というより、水をはじくつるつるの油紙のようなのだ。

古びた鉄タンクの擦り切れた縄ひも (ほんとだよ) を引っ張ると、轟音と共に水が押し寄せ、狭い室内の床は、足の形をしたコンクリートの台だけ残して大洪水。

聞くところによると、パリ中心街のカフェや下宿やさんでも、この種のトイレとトイレットペーパーは珍しくないそう。

注文したコーヒーは、何の飾りもないちいさな白カップに、角砂糖つきで出てきた。ミルクは見当たらない。
そうだ! ミルク入りのコーヒーがほしい時には、“カフェ・オ・レ” と言わなければいけなかったのだ。
味は…
日本の喫茶店のコーヒーのほうがずっとおいしいような気がしたよ。

席を立ち伝票通りにお金を置くと、ボーイさんがフランス語でいちゃもんをつける。どうも、チップを払えと主張している様子。
当然だ、という面持ちで。 ( ;∀;)



-私、チップというのは、ボーイやウエイトレスさんに親切にしてもらった時
 に、こちらからすすんであげるものだと思っていた。
 これはフランス国内どこへ行っても同じで、ウエイターやウエイトレスさんへ
 のサービス料金というのは正式に記されたメニューの項目の料金の他 に
 必ず取られた。
 時にはメニューの値段の中に初めから含まれている場合もあったけど、レス
 トランで “安い” と思って注文したら、払う段階になって、10~15%額が
 増えていた、という事も多いので、要注意だ。
 また、メニューは、フランス語で、“ムニュ” と読み、ふつう、
 “スリーコースの定食” のことなので 間違えないようにね。
 英語の “メニュー” は、フランス語では、CARTE (カルト) 。
 だから、 “ア・ラ・カルト” って、
 ”定食でなく、メニューの項目からあれこれ選んで”
 という意味だったんだ。
 なので、日本語式に、「メニューを下さい」 なんていうと、何も頼まないうち
 にオードブルかスープで始まってしまうので、それも気をつけてね。



とにかく、言葉が通じず習慣も違う世界に飛び込んで、飲み物食べ物もまともに注文できず、
トイレの正しい聞き方もわからず、私たち、いい年の青年男女は、揃って赤ちゃんに戻ったような状態で。

“ユースホステルに辿り着けさえすれば、ちゃんと夕飯が食べられる”

それだけを心の支えに、再び日暮れの駅に向かうのだった。 






   

         8811946.jpg    



7182814.jpg

          
               写真(FROM PHOTO LIBRARY)





スポット訪問記 Vol.1 すぐ向こうはアフリカ-ジブラルタル半島 


イギリス領


t6.gif


ジブラルタル半島

     ↑向こうにかすんで見えるのは、スペインだよ



ヨーロッパ地図5

           ↑スペインの下の先っぽ、この狭い地中海
            の入口にある。すぐ下はアフリカ大陸。

         


ヨーロッパ最南端、スペインの端にくっついたこの半島は、
地理的にも歴史的にもすごくおもしろい。

地中海への入り口にあるため、過去にいろいろな国が取り合いをして、
何と 14回も占領国が変わった という。
最後にイギリスが勝利を収め、現在もイギリス領のまま。

どうしてもここを通らないと地中海に行けないわけだから、
そこを通るすべての船からお金(関税)を徴収できるでしょ。
すごい収入源になる、どの国にとっても魅力的な位置にある半島なのです。

この半島は、もともとは海中に堆積した貝殻のかたまり
すぎなかったのだけれど、
あるときヨーロッパ大陸がアフリカ大陸に向かって大移動した時、
海底からぐぐぐっと押し上げられて、海の上に現れたんだって。

その後、氷河期に霜吹雪によって峰の高さは1400m削られ、
とがった峰の線は断層の変化によって、
半島の向かって右半分が海底に滑り落ちてしまった時にできたもの。

スペインは今でもこの半島を取り戻したがっているそうだけど、
(そうだよね、どう考えてもスペインの一部じゃない?)

住民たちが、

「嫌だ!イギリス領でいたほうがいい!」

と言うのですって。


ちなみに、アメリカのお金の単位である$は、
アメリカ大陸がまだスペイン領だった頃、生まれたといわれている。

doller300.jpg


Sはスペインの頭文字。
二本の線は、地中海と大西洋を結ぶこのジブラルタル海峡にある岩頭
(ヨーロッパ側とアフリカ側) ”ヘラクレスの柱” を意味する
のだそうだ。

英語の”関税”という意味の単語 ”tariff" も、
ここの町の名前から取られたんだよ。
(ちゃんとそういう名の町が地図にある。探してみて!)

この地形では、まるはだか同然。
外敵から攻められても防衛のしようがなくて、すぐに敗れてしまったため、
ムーア人、スペイン人、フランス人、アラブ人、イギリス人などによって取
り合いされて占領国がしょっちゅう変わったわけだ。

そこでイギリスが一般市民に防衛法を募集したところ、
かじ屋のスミスさんの、

「岩壁に穴を掘って、そこに大砲を置けばいい」 という提案が採用された。

掘ったトンネル内は涼しいため、弾薬庫の役目も果たして大成功。
そしてイギリスが最後の支配者となったのです。

ただ、岩が硬いので、1m掘るのに1週間かかったとか…





2-4 セーヌ河畔のユースホステル 


さて、無愛想なボーイに無理矢理サービス料金を取られ、ユースホステルに向かって郊外電車に乗ると、やがてあたりは緑いっぱいの田園地帯。
森や林が風に乗って飛んで行く。

ショワズィル・ル・ロワ駅は、セーヌ河畔にあった。
ユースホステルは向こう岸。
空が暗くなり、雨が降り始める。

イメージ狂う灰色のセーヌ河を見ながら橋を渡る頃、二人の日本男児は、重い荷物にヒイヒイ。
私は身軽にトコトコ。
7キロのバックパックに、本の詰まった手提げかばんひとつだもんね!

マロニエらしき並木道や狭い路地、家々の角をうろうろして、とうとうユースホステルに着いた頃には、3人共、ずぶ濡れ、へとへと。
まずは入口でひとやすみした。 フー

このユースホステルは、パリにあるユースホステルの中でもわりと大きくて、設備がいいのだそう。
近くにキャンプ場もあるとかで緑が多く、近代的な宿舎もふんだんにとった芝生の敷地内にあり、その建物の暖かい明かりに浮かび上がる緑のカーペットは、小さな白ひな菊の群れのまだら模様。

チェックインを済ませ、ミーティングルームに行くと、いるいる…
日本人旅がらすさんたち。
“何日といると皆、顔なじみになり、行動も共になりがち”
というのが日本人。
外国にいるということから同国人意識がひときわ強くなるのかな、
それとも、日本語が話せる気安さからかな。
さっそく美弥もグループデビューを果し、
シャワーを浴びて、簡素だけれどしっかりした夕飯を楽しんだあと、安くておいしいビールを飲ませてくれるというお店に揃って出かけた。

世界のあちらこちらをさまざまな方法、手段で旅している逞しい人たち。
あー、ワクワク、嬉しいな!!
こんな人たちに世界各地のユースホステルで会うのが夢だったんだ。
いろんな生きた情報が聞けるね!

インド経由で来た、髪、髭もじゃもじゃの仙人ような人。
耳にピアスをした青年。
場所に不釣合いの、三つ揃いスーツを着た自称商社マン。
雪のスペイン山中で、エンジンをかけっぱなしのオートバイにしがみついて一夜を明かし、命をとりとめたという青年。
それに、有給休暇を取ってパリへ遊びに来ているというOLさんたちの聴衆も加わって、旅の自慢話や怪奇談に花が咲く。

ところが、旅行生情報をせっせとノートに書き留める私に、皆、アゼン。
またその覗き込んだノートに、かくも詳しく各国の安宿やアルバイト情報、親日家のお医者さんの住所までが書き込んであるので、再びアゼン。
特にイスラエルの農業共同体キブツについて何ページも裂いてある由、

「キミ! ひとりでアフリカや中近東まで行くつもり??
女の子ひとりでなんか行ったら売り飛ばされちゃうよ!」

「甘いねえ、あこがれと現実は違うんだよ。
女の子は、俺たちみたいに道路のわきで寝るわけには行かないんだぜ。」

フランスビールが入ると皆様の口はますますきつくなり、
私を泣かすまでに至ったのでした。  

「日本へ帰れよ。 悪いこと言わないよ。」

「どういう精神構造や。
何の苦労もせえへんと育ったんとちゃうのん?
わかってるんかいな、知らん奴ん中で生きてくっちゅうことが!」





 


パリのユースホステルで


パリのユースホステルで

仙人さんや商社マンさんは、「写真はごめんだ」
って入らなかった。




☆ 写真がなかなか出ない場合は、少し待つか、他のページへ
   行って戻って来ると、出ていたりもします。