1-2 先発の亮介兄さん 

あれから仕事を探してみた。
ところで履歴書には “大学中退”って書いてもいいのかなー。
中退って、高卒と同じなのかなー…?

短い間にお金を貯めるために、昼間は正社員で働き、夜は飲食店系でバイトをすることにしたよ。今、新聞の求人欄や、求人誌を見ている。

その私は19才の大学二年生。ひとつ年上で学年はふたつ違いの兄がいる。

その亮介さんは、中学から私立の男子校の寮に入るためにいなくなってしまった。

私も高校から厳しい私立女子高の寮に入ったので、夏休みとかの長い休みに、弟が預けられている祖父母の家で、
やはり寮から数日帰省して来た兄さんと合流するのがとっても楽しみだった。

蚊帳の中に、いっしょに捕ってきたホタルを放して、私と小さな弟にいろんなおもしろい話をしてくれたっけ。
怪談とかもね。

兄さんとも弟とも、もっともっといっしょにいたかったけど、気がつくといつも兄さんはいなくなっていたんだ。


その亮介兄さんは、すでに日本を脱出している。

本当は芸大を受験したかったんだけど、実力からも経済的にも難しかったから、お金を貯めて外国へ行くことに。
そして18才で季節労働者に混じって工場で油だらけになって働いた。時給がいいからって。

「まだきれいなもの素晴らしいものに素直に感動できるうちに、自分の生まれた美しい地球をこの目で見て歩きたい。
社会に出て計算や諦めで、歪んだ見方しかできなくなる大人になる前に」

そんなこと言ってた。
私、かなり影響されちゃってる? (;・∀・)

そうして兄さんは一年間働いてお金を貯めて、去年19才で世界放浪の旅に出た。
それも、“♪横浜の波止場から船に乗って”だよ。
すっごい勇気があると思った。


忘れられないなあ、見送りに行った時のこと…。
埠頭に横付けされた大きな白い客船はね、そこに停泊している間は、まるでひとつの大きな建物みたいだったんだよ。
それがね、ボォ~って汽笛が鳴り響いたと思ったらぐらりと揺れて、そして岸から離れて行ったの。

1m… 2m… 5m… 10m… 30m……

大好きなビートルズのBGMを肩から下げたテープレコーダーから流して、記念すべき旅立ちを自分で演出しちゃったりしてさ! 

だけど、その音がだんだん遠ざかって小さくなり、亮介にいの顔が米粒のようになった。
でもその表情は想像できたんだ。
手を大きく振りながら、「おまえも早く来いよ~っ」って言っていた。

えー? そんなこと言ったってさぁ。
あんたはいいよね、男だもん。
私は女の子だよ。 それもふだんは超ふつうの…。
ふつうって?
 
うん、それはね、成績優秀でもないし、特に何か得意だったり打ち込んでいたりするものもないし、性格もみんなの人気者とかそんなこともないし。

それどころか小さい時から厳しい祖父母の監督下で育てられ、その後も時代遅れと言われる程の厳しい女子寮で過ごしていたせいもあるのか、すっごく堅い。

常識とか人の目とか気にして思い切ったことなんてできないし、嫌われるのがこわくて、いつもまわりの人たちの顔色を見て合わせているだけの退屈な女の子だったんだ。
自分から目立つことをしたりみんなを笑わせるとかなんてこと、全然できなかったし。

だからね、性にもなく芸術学部演劇学科なんか受験したんだよ。
清水の舞台から飛び降りるつもりで。
だって全く違った人生を生きてみたかったんだもの。

幸い補欠で合格したけどそれは受験科目に理数系がなかったせいもある。
あったら完璧に落ちていた。


そしてその日も、船自体が米粒のようになって。
亮介兄さんは紺碧の地平線の彼方に消えて行ってしまったんだ。。。




 私がいっぱい影響を受けてしまった亮介兄さん 紹介コーナー 




身長176センチ。水瓶座。
年はひとつ違いだけど、遅生まれなので
学年はふたつ上なんだ。
これは実際にフィンランドから送って来た写真。



       

         中学時代



高校時代 冬バージョン


写真が出ない時は、少し待ってみて。




1-3.羽ばたきの土台 

ところで、外国に行こうとしたことに関係あるので、
ちょっとだけ家のことを書いておくね。

この記事の最初の部分だけだからつきあって。


祖父母の家は田舎にあるんだけれど、私は大学入学と同時に、父と元愛人の住む都心のマンションにしばらく同居することになった。

元愛人は父より16才年下で、私とひとまわりしか違わなかった。
私が17才の時に東京へ父に会いに行った時なんて、その人まだ20代だったんだ。(◎皿◎)

そこはカップルで暮らすのにぴったりの、都心を見晴らす高層の5階にある1DKだったけど、余分な部屋はないから、突然上京した娘の私は居場所がなくて、
”もっとひろいところを借りるまでは” ってことで、私は廊下と区別がつかないようなキッチンにふとんを敷いて寝てい
たんだよ。

いくら天然の私でもちょっときついよね、こんな環境…。
(はい。身の上話はここまで。(´・∀・`)) 

それで大学で知り合った貧乏学生の女友だちのアパートに転がり込んで、アルバイトをしながら一緒に暮らし始めたんだ。

彼女もアパート代が半分になって助かった。
アングラ演劇に凝ってる子で、訪ねてくる友だちも面白かったなあ。

その後父は東京の郊外に家を建て、元愛人も正式に籍を入れてそこで暮らし始めたけれど、私はそこへ戻ることはなかった。

でもここへきて外国へ行く資金を貯めるため、両親の新しい家に入り、そこを足台に昼も夜も働くことにしたさ。


昼間の仕事見つけたよ!
都心に近い会社の事務員に応募したら、採用になった。

夜は夜で自宅のある駅の近くの割烹でのお皿洗いを始めた。

帰ってから、継母に録音しておいてもらったNHKのラジオ講座の基礎英語もかかさず聞いている。
私、すごくがんばっている。

最初、両親は、”フーテンの兄に影響されたバカな妹だ” と反対してたけど、
「まあ、いいさ。 続くはずないよ。 そのうちあきらめるだろう」
って感じになってきた。

私が朝6時半からの強行スケジュールを終え、割烹の板前さんに送ってもらって帰宅するのは夜の11時過ぎ。
玄関を開ける音を聞いて、父が心配そうにふすまの隙間から様子を伺っていたりする。

目も開いていられないほど疲れ果て、着替えもせずにそのまま床に倒れて眠ってしまう夜もあるけど、
次の朝はまたパッと目覚めて元気いっぱい戦闘開始!

私、今一番輝いているかも。
だって夢は目の前。
働いて必要なお金を作りさえすれば、世界への道が開かれるんだもの!
早起きも満員電車もお皿洗いも全然辛くないよ。

祖母は主な手術や治療を終えたので近くの病院に転院し、祖父と叔母さんたちが世話をしている。
今まで家のことを何もしなかった祖父が台所に立ち、祖母が退院する日のために、柔らかい魚の煮物などに挑戦しているらしい。

年取ってからのこんな夫婦愛もいいかも。

おじいさん、おばあちゃん、ごめんね。
もっとそばにいてあげられなくて。




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事務服

とってつけ事務員ナリ。 とってつけ同僚の皆さんと。


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1-4 亮介兄さんの”スオミの夏” 

まだまだ働いてお金を貯めなければならないので、合間に亮介兄さんからの手紙の話題を入れるね。

兄さんから、

「ナホトカからシベリア鉄道に乗り、ハバロフスクで途中下車、世界一透明度が高いといわれているバイカル湖を見た」という便りが届いたよ。

「こんなにきれいな湖、見たことなかった。相当な深度なのに底が手に取るよう見え、泳いでいる魚も半分透き通ってるんだ。」

彼は車上で、日本に何年も住んで帰還途上の外国人宣教師や、日本語ペラペラの変な外人(表現ごめんなさい(´ヘ`;))に沢山会って、退屈になりがちな二週間の列車の旅を楽しいものにしたみたい。

その宣教師さんは、「そんな英語じゃ世界は渡れないぞ」と毎日英語の特訓をしてくれたんだって。
外の景色は、時々過ぎ去る点在した町村を除いては、どこまで行っても大平原。
そこに沈み行く夕陽と夕焼け空のパノラマは忘れられないそう。

人々の顔は暗く車上の鉄道員も命令調で、一度、昼間から閉められているカーテンの端から外を眺めたら、「よせ!」と怒鳴られ、
振り返って見ると、その鉄道員の手は白い布で包まれた、拳銃らしきものをこちらに向けてしっかり握っていた、なんてこともあったとか。


さて、この旅にまつわるちょっぴりドキドキエピソード。

亮介兄さんはその鉄道の旅で、
グリーンの湖のような瞳を持ったフィンランド人の女の子 と知り合った。
バイカル湖じゃないけれど、
その透き通るように澄んだグリーンの瞳にじっと見つめられると、頭の後ろ側まで見えてしまいそうだったって。
(おいおい、「吸い込まれてしまいそうだった」とか、もう少しロマンチックな表現はないんかい?!!)

そして下車駅であるフィンランドのヘルシンキに着く早々その子の家へかれて、おじいちゃんおばあちゃん含む大家族に大歓迎された。

フィンランドは別名 “スオミ” と呼ばれる森と湖の美しい国。
人口の数より湖の数の方が多いんだって。 驚きだね!
なんか先の戦争で日本に助けられたので親日家も多いのだそうだ。
歴史をもっと勉強しなくちゃ…。(教科書で勉強するのは苦手。わかる人、フィンランドと日本の関係についてどなたかわかりやすく投稿解説して下さると嬉しいな。 コメント、よろしくお願いします。)

彼と彼女が森の中を散歩していると鹿が出てきて歩行や車のじゃまをするし、ベンチに座って話していればリスが出てきて手をつっつくそう。
動物が全然人を恐れていないんだね。

亮介兄さんはそうして一緒に森の散歩や、木々の緑映す湖のまん中に船を浮かべて釣りをしたり、向こう岸のスエーデンを見ながら川で泳いだりして一日を過ごし、美しい自然の中でそよ風のような友情を彼女に抱いたのだけれど、さてその夜のこと。

その日はフィンランドではまだぜいたく品だったカラーテレビを買った日であったにもかかわらず、8時になると、二人を残して家族全員が姿を消しちゃったんだって…!!





finland.jpg
フィンランドからの絵葉書

1-5 「据え膳食わぬは男の恥」かい? 

長いシベリア鉄道の旅で知り合った、フィンランド人の女の子の家に招待された亮介兄さん。
夕食が終わるとふたりを残して家族全員がいなくなり、しばらくすると兄さんにあてがわれた大きなベッドのある部屋にシャワーを浴びた彼女がバスタオル一枚で入って来たんだって。 Σ(〃▽〃;)

そこで驚いた兄さんが彼女のおでこにそっとキスして、「おやすみ」というと、彼女は悲しそうな目をして行ってしまったのだそう。
ありやー…。

まだまだ古い風習の残る素朴な地方の小さな町で、高校を卒業したあとアルバイトに明け暮れ、お金を貯め、まだ10代のうちに日本を出たばかりのうぶな兄さんには、その種の下心はいっさいなく。

目も覚めるような美しい自然の中で、ふたりで子どもに還ったように無邪気に遊び、けがれなき思い出を得られたことに感動していた矢先の突然の事だった。
引いちゃったのも無理ないさね。(あはー)


さてその翌朝の朝食時、彼女をはじめ家族そろって悲しそうな顔をしていたというのだから、兄さんはよけいこんがらかる。

「北欧のフリーセックスについては聞いてはいたけど、まさかそれらの全然次元の違うように見えるきれいな思い出に、
それが家族ぐるみでこうも激烈に直接つながっちゃうなんて、思ってもみなかったんだ。」

兄さんにしたら彼女を尊敬し大切に思っていたからこその、“おでこにキス” だったんだろうけど、彼女や彼女の家族にとったら拒否や侮辱になってしまったんだろうか?

とにかく風習、物事の考え方は、日本も日本人も欧米化しているとはいうものの、まだまだ、だいぶ差があるみたいだね!

兄さんはあとで日本人仲間たちに、「おめえはバカだなあ」とか「もったいねー」とかさんざん笑われたり羨ましがられたりしたらしい。
(その後そんな場面での大人の男の対処策を身に付けたかどうかは不明)


それから、夏になるとスエーデンでは外国人学生のアルバイトが解禁になり、ストックホルムのマクドナルドで働いているという便りが届いたよ。
スエーデンでは誰もが夏の間、何ヶ月も休暇を取るので、労働者の留守中の埋め合わせに外国人にも許可を下ろして働かせてくれるんだって。
生活水準が高いからお給料は抜群、その上、週末は休みで退職金付き。
夜もアイスクリーム工場で働けば月20万円は楽に貯まるそう。
現地で知り合った日本人仲間と共同で学生下宿を借りれば生活費も安上がりだとか。


その夏が終わるころ、兄さんから祖母に一枚の絵葉書が届いた。

「今、ヨーロッパ最北端、ノルウエーのノースケープ岬に来ています。
ここでは一年中太陽が沈みません。
僕は今その真夜中にも沈まない太陽を見ながらビートルズを聴き、感動に浸っています。

ここまでの1,200キロのヒッチハイクは大変楽しかったです。
これから冬までにスペインに行きます。」

祖母はベッドで、
「へーえ、一年中太陽が沈まないなんて、ずいぶん不思議な国があるもんだねえ。」
としげしげとその絵葉書を見ていたって。


そして兄さんはこの冬を物価の安いスペインで過ごし、旅仲間たちと中古のフォルクスワーゲンを買って今はヨーロッパ放浪の旅をしている。


さて私の方は。
会社のお休みには旅の情報を集め、パスポートや国際学生証の発行のため走り回っている。
後者の作成には日本の学生証が必要なんだけれど、中退を決めている私に新年度の学生証が下りるはずがない。
親にこれ以上世話になりたくないし。

それで3月末日、大学の春休み中に無効になりかけた当時の学生証を持って大学事務局へ駆け込みギリギリセーフ。
一年間有効の国際学生証を発行してもらうことに成功した。
これがあると旅先でもいろいろな割引が効くんだよ。








真夜中のノースケープ岬 (兄から来た絵葉書)