3-7 カブール(アフガニスタン) 

<首都カブール>

カブールはアフガニスタンの首都。
ここでも数日過ごす。

カブールは標高ヒンドゥークシュ山脈の合間の、標高1800mの盆地
にある国内最大の都市。
3000年以上の歴史を持ち、古くから”文明の十字路”と呼ばれて来た、
アフガニスタンの経済的・文化的中心地。
ネパールのカトマンズと並んで ”ヒッピーの聖地” とも言われているそう。

私たちも、ヒッピーがよく集まるという中心地の ”チキンストリート” によく
行っては、たむろしたり、これから行くインド方面の情報を集めたりした。







カブールチキンストリート

旅行者が集まるチキンストリート
(中心地の繁華街は爆撃で破壊されたが、その後、新しいショッピング
センターができたらしい)






<悲しみの肖像-バーミヤン>

私の心に鮮明に残り、今も痛みなしでは思い出せない地。
ウイキペディアの説明も交えて、伝えたいことを書いてみるね。



アフガニスタン絵葉書



カブールの北西240キロ、バスで9時間。
ヒンドゥークシュ山脈山中、標高2500mの高地に位置するバーミヤン
は、砂漠のオアシスとして知られた緑豊かな小さな渓谷。

1300年前(632年)、長安からこの地を訪れた三蔵法師は、大唐西遊
記に、「麦はあるが、花や果は少なく、牧畜に適し、羊や馬が多い」って
書いているって。

渓谷の小高い丘、ゴルゴラは、13世紀、ジンギスカンによって復讐の殺
戮が行われた ”嘆きの丘” と呼ばれ、丘全体がそのまま廃墟として残さ
れている。

昼と夜の温度差が30℃あり、一年の半分は冬で、その冬の間は毎日雪
で、青空はめったになく、学校も3か月休みだって。

バーミヤンの石仏については、皆さんご存知だと思う。



バーミヤンの石仏(絵葉書)

バーミヤン 西の大仏 (当時・絵葉書)


三蔵法師も 「黄金に輝く大仏」 と記したように、当時大仏は金色に彩ら
れ、東西の大仏の頭を囲む天井と壁には太陽神スーリヤやギリシャのア
テネ神、菩薩や天女などが、極彩色で、ギリシャ・インド・イラン・中国の
混合的な表現で描かれていた。

大仏横の岩山トンネルから大仏の頭上に行ける天井にも色彩の美しい
壁画が残っていて、それらはインドとペルシャ美術の融合だという。

私たちが行った時には、高さ55mの西の大仏の顔はすでに、偶像崇拝
を禁じるイスラム教徒によって剥ぎ取られていて、絵葉書のような姿だっ
た。

この後、1999年1月、タリバンにより大仏の顔が吹き飛ばされ、胴体と
右足に砲撃を受け、2001年3月には完全に破壊され、現在はわずかに
大仏の右肩の一部を残すだけとなった。

一緒に破壊された高さ38mの東の大仏はね、衣にギシリャ彫刻のような
風にそよぐようになめらかな線の衣紋があったんだよ。
大仏の本体は自然の岩山から掘り出したんだけど、衣紋は綱と泥土を固
めて作られたそうで、綱の固定に差し込んだ杭の跡が残っていた。

仏像も壁画も僧の住居も、大変な手をかけて仏教徒により作られたもの
だったんだ。

2002年春、ユネスコ日本信託基金設立。
修復と保存に日本政府が70万ドルを拠出した。

2003年、世界遺産と同時に、世界危機遺産に登録される。

現在は80年以降の内戦により、周囲には地雷がたくさん埋まっていると
いう。

こうして修復の努力はされてはいるんだけど、破壊されてしまったものは
もう二度と元には戻らないだろうし、素晴らしい遺跡がこんな悲惨な状態
になってしまったことに胸が痛む。

でも、本当に心配しなくてはいけないのは遺跡よりも、今そこに生きてい
る人たちのことだよね。
それについての関連記事を 「追記」に入れておいたので、そちらも読んで
いっしょに考えて。





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3-8 カブール(アフガニスタン) ~ ラワルピンディ(パキスタン) 


今日はね、アフガニスタンのカブールからパキスタンのラワルピンディまで行くよ。



パキスタン地図

東方観光局 パキスタン地図



命がけの国境越え


カブールから、パキスタンのペシャワールまでの道は砂漠と険しい山岳地帯。
国境の町ジャララバードまでは乗り合いバスで8時間ほどだけれど、その途中の山岳地帯は、道が険しいのと、昔から強盗殺人が多いことで有名なところ。

(この頃は、たとえ崖が崩れても昔ながらの強盗は出ても、まだタリバンはいなかった。
現在はこのあたりで急に武装グループに停車を命じられることもあるそうで、数年前に4人のジャーナリストが殺されたのもこの区間だという)




アフガニスタン周辺地形図2

地形図を、集英社 イミダス2000 別冊付録 2000年ワールド・アトラス
(2000年1月1日発行)からお借りしました。



カイバル峠

そしてその先の、パキスタンへ抜けるために通るカイバル峠の険しさは、歴史的にも有名。
アレキサンダー大王もジンギスカンもイギリス軍も、ここを通るのに難儀したって。 三蔵法師もここを越えたんだよね。

写真を見て。
岩は落ちて来るそうだし、道路にはガードレールもない。
すれ違うの、ハラハラだよ!



                        ↓ここも道路
カイバル峠

                      ↑この白い部分が道路

(現在は戦乱で荒廃し、不通になっているらしい)


パキスタンの国境

アフパキ国境

すっごーく時間がかかったけど、気長に待つ。
やっぱり検査官が、ワイロ集めのために時間を引き延ばすためと聞く。
 


裕さんが言うには、アフガニスタンとパキスタン国境地帯にはたくさんの部族が住んでいるんだけど、国境線は、インド領の独立運動の際にイギリスによって西欧的な視点で勝手に引かれたものだという。 

そしてパキスタンとインドの国境もそうして決められたので、いまだ領地を巡る紛争が絶えないのだそう。 




逞しい顔

日焼けしてすっかり逞しくなっている私。(これならさらわれない)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

いっとき地理・歴史

ところで、パキスタンて、小柄で短足の恐竜が歩いている姿を横から見たような形してない? しっぽもちゃんと付いていて。
今回の旅は、恐竜の肩まわりをなぞって行くみたいな旅。



PakistanTribal.png

トライバルエリア地図 (ウイキペディアより)


トライバルエリア

パキスタンには何とも変わった地域があるんだ。
それは、トライバルエリアと呼ばれる、パキスタンのどの州にも属さず、パキスタンの法律も及ばない辺境の地(つまり無法地帯)で、そこでは武器や麻薬が堂々と売られたり取引されたりしている。(赤い背当て部分)

トライバルエリアは、”部族地域” という意味で、正式には ”連邦直轄部族域” と訳されるけど、パキスタンという国ができる前からこの土地に住んでいる部族制社会の慣習法が、国法を上回っているというわけ。

パキスタン国内北西部のアフガニスタン国境地帯にあり、西にアフガニスタン、東に北西辺境州とパンジャーブ州、南にバローチスターン州と州境を接している。 
面積27,220平方キロ。総人口は2000年の推計で
約3,341,070人でパキスタンの総人口の約2%。
また域内住民の内、都市部に居住するのは3.1%に過ぎない。
パキスタン国内でも最も辺境の地域といえる。

7管区の部族地域と5辺境地区から構成される。
(主な情報は、ウイキペディアより) 

現在は、この地域に入るには役所の入域許可証が必要で、護衛の警察官同伴でなければ通れないらしいよ。
でも、無法地帯だけあって、その警察官が強盗に豹変することもあるらしい。

そんな事情でこの地域は現在アルカイダの隠れ家になっていて、9.11の首謀者とされるビン・ラディンや、タリバンの最高指導者、ムハンマド・オマル氏もこのあたりに潜んでいると見られている。
彼らを支援している部族長は、オマル氏の引渡しを拒否した。

トライバルエリアは国境からペシャワールの手前まで、50キロも続く。

PAKISUTAN という国名自体が、五大地域であるパンジャーブのP、北西辺境州に住むアフガーン人のA、カシミールのK、シンドのS、バローチスターンのTANに由来しているそう。
単一民族ではないのだから、パキスタンというひとつの国としてひとくくりして
しまうことに無理があるのかもしれないね。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


パキスタンに入国

次の目的地であるペシャワールは、北西辺境州の行政上の中心地。

また、埃まみれで、屋根まで荷物と人が乗り、車内まで砂埃でいっぱいのバスに揺られて、トライバルエリア内の乾燥地帯を行く。
パキスタンのバスは装飾が派手で、クラクションも騒がしくて、運転手席では地元の音楽をかけっぱなし。
何だか陽気でいいような気もするけど。

もちろん、この国でも1日に5回の決まった時間にはバスが止まって、乗客たちは外に出て地面に敷物を敷いて、メッカの方角に向かって祈りを捧げる。


パキスタン砂漠地帯

途中の景色


パキスタンの川

それでも川があるとほっとするね。


ペシャワール

パキスタンの最初の町、ペシャワールに無事着いたよ。

(命がけって書いたけど、”地形的に危険” て意味だったんだヨ 。
私はこの頃のこの地域は貧しさゆえの山賊はいても、平和だったと思う。
一般の人は誰も銃を持っていなかった。

ところで、映画のランボー3は、この町から始まっているそうだ。)


ペシャワールは、”国境に立つ町”っていう意味で、かつてはガンダーラの中心都市として栄えたんだって。遺跡らしい遺跡はないけど。



パキスタンの通り

ペシャワールの通り。
モンスーンが来た後は、道路もこんなふう。

右のバイク屋さんの看板に、YAMAHAって文字が…。



洪水道路

道路の向こう側に渡るのにもこんな状態。
(おもしろがってない?)



この町では、バザールの中にあるマハバット・ハーン・モスクの中の装飾が、とてもきれいだった。



タキシラ古代都市遺跡

ガンダーラ最大の遺跡、タキシラはペシャワールとイスラマバードの間にあって、仏教を中心とした学園都市、古代インドの数学の中心地で、アショカ王以前から、インドの王子は一度はタキシラに留学するとされていたそう。

世界遺産にも登録されている。

そこから7キロくらい離れたところにもジョーリアン遺跡というのがあって、そこにも素晴らしい仏像の数々がある。


イスラマバードとラワルピンディ

ラワルピンディの北に位置するイスラマバードは、1959年6月にパキスタンの首都に選定され、1961年に開発が始まった人工都市。
街路が升目状のに敷かれ、高層ビルが建ち並ぶ行政の中心都市。
(だから、そこだけアメリカみたい)
北部には、巨大なモスク(ファイサル・モスク)がある。

ラワルピンディは、古くからあった商業都市で、暖か味のある庶民の町。


ところで、アレキサンダー大王の軍は、ぐんぐん東へ進んで行ったんだけれど、どこまで行ったか知ってる? 
インドまでは行っていないよね?

彼はその頃、アケメネス朝ペルシャを蹴散らしてここまで侵入して来たんだけれども、インドのマウリア王とこのあたりで対峙して、西にUターンしたそう。


ラホールのバドシャヒ・モスク  

インド国境に近い、ラホールにあるこのモスクは、タージマハールと同じムガール帝国の時代(1673年)に造られたもので、一度に10万人が礼拝できるともいわれる、世界最大級のモスクだって。


ちなみにパキスタンの首都はイスラマバードだけど、現在、パキスタン最大の都市はカラチ(元首都)で、第2の都市はラホール、第3の都市はラワルピンディだそう。






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