3-3 イスタンブール~テヘラン 


トルコのイスタンブールから中距離(?)バスに乗ってイランのテヘランまで
5日かけて行ったんだけど、その距離は何キロくらいあると思う?

何日もかけてトルコというひとつの国を縦断して、そのまま旅を続け、隣の国、
イランの首都まで一気に行ってしまったってわけだ。
このバスでの総走行距離、2400キロ
それって、日本の北海道から九州までくらいの距離。
たーいへんな旅だった。
かよわい女の子が ( 無言、汗 ) よく耐えたと思うよ。

イスタンブールからテヘラン行きのバスは、この後に乗ったアフガニスタンや
パキスタンのバスに比べればまだ結構きれいだった。
なぜかというと、国土の一部がヨーロッパの仲間に入っているということもあ
ると思うけど、この真夏の砂漠道路を何千キロと走るには、お払い箱寸前の
バスじゃ無理だからだと思う。

現に走っている最中に何度もバスはエンコして、タイヤがひとつずつ割れた。
単なるパンクじゃなくて。
町を外れると、土と砂の道になったから。
その上、ガソリンが切れ、他の車が通るのを待ってまる半日炎天下で過ご
した日もあった。
避難するにもバスの中は蒸し焼き釜みたいだし、陽射しをよける場所もない
わけだから、参ったよ。


じゃ、そのことも順番に、数少ない貴重な写真に沿って書いて行くね。



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   黒海の一隅で  泳ぐ 


黒海の砂浜2

イスタンブールの近くの町で、次のテヘラン行きのバスの出発の日まで
滞在した宿屋のおじさんが、宿泊客を車に乗せて黒海の海際まで連れて
行ってくれた時の写真。

海は、たいしてきれいじゃなかったので写真は撮らなかった。
(きっと都会の近くだからだね)

でも、砂漠地帯に入る前に、ちょっとだけでもリゾートの雰囲気ありの海辺で
泳ぎ治めできてよかったかも。


黒海の砂浜

この頃はヨーロッパでも日本でもビキニは当たり前だったけど、これから行
くイスラムの国では、絶対にこんな格好×だよ!



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 イスタンブール テヘラン バスの旅

トルコはまだヨーロッパの面影が多少残っていて、山肌や農村風景の中に
緑も見られたけど、イスタンブールから離れるほど視野の中で乾燥した赤茶
色や黄土色の土や砂の面積が増えて来た。
長い間、そんな無味乾燥な岩山と砂漠の道をバスはただひたすら走り続ける。

最初にびっくりしたのは、一日に数回、決まった時間にバスが止まり、イスラ
ム教の乗客がゾロゾロと降りて、地面に布を敷き、いっせいにメッカの方向に
向かってお祈りをしたこと。

次にびっくりしたのは、川のあるところでバスが止まったのはいいんだけど、
5メートルくらい川上で足を洗っている人がいるのに、
地元の乗客たちがその流れのすぐ下流で水を飲んでいたこと。
中近東やインドには、”水は5m流れればきれいになる”って考えがあるって
聞いたけど、本当だったんだ。

重ねてびっくりしたのは、バスが走り出したあと、バスの通路の真ん中に大
きなドラム缶が置かれていて、さっき汲んだ水がいっぱい入っていたんだけ
どね、バスの車掌が、「水、要る人いますか」って声をかけたんだ。
外国人(ヨーロッパ人や私たち)は、素直に水筒を差し出した。
そしたら、その車掌さん、いきなり私たちの水筒をまるごと、紐もいっしょにそ
のドラム缶の中に入れてボコボコって水を入れて、「はいよ」って返してよこし
たの…

「うぇ~っ…」

そんなことで驚いててどーするんよ、ミヤ!
これからトイレもない砂漠の岩蔭でトイレも済まさなくちゃならないんだヨ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


トルコバスの窓から

窓から撮った外の景色


トルコの道

ほとんど草木の生えていない丘陵地帯が続く。
ここは、おしっこに停まったところ。



ずっと同じような景色なので、どこを走っているかわからないので、
道路標識を撮っておいた。



トルコ砂漠地帯

なぜか写真がシミだらけなんだけど、数少ない貴重な写真なので、
選んでいられないんさ kao06 実際のことろ…。 ゴメンよ。



img676.jpg

エルズルム、カルス、イグディールって読める。


アフガンアグリ標識

昔ながらの素朴な村人たちの生活。右端に道路標識が。


アグリ標識

上の写真アップ。”アグリ” って書いてある。



で、どのへんにいたのか地図で調べてみたら、これらの地名の載ってる
地図があったよ。(グーグル地図)


トルコイラン国境周辺地図


上の標識を見たのは、もうすぐイランとの国境ってあたりだったんだね。
トルコとイランの国境からテヘランまでは、直線距離で700kmくらい。
国境からさらに2日かかった。




アララト山

トルコとイランの国境にあるアララト山。
わかりづらいけど、低い山並みの上に空に浮かぶように白い山の頭が
見える。標高5000m以上あるらしい。

この山はあることで有名。
そう、この山の山頂あたりでノアの方舟の破片が見つかったんだって。
見つかったけど、世界の歴史に影響があってはいけないと、考古学者たち
がその発見を隠しているそう。
今はもう、ノアの方舟が漂着した(伝説の?)山として有名だよね。




img662.jpg

これ、何してるところだと思う?
バスのガソリンが切れてしまって、助けを求めるために次の車が通る
のを待っていたところ。
待てど暮らせど来ないので、乗客は川で泳いだり、洗濯して洗濯物を
バスの荷物入れの扉に干したりしていたんだ。
近くに川があったことが不幸中の幸い。

今、通りかかった車(右)に、どこかへの連絡を頼んでいるとこね。



子供と牛と川

川で牛を泳がせているい牛飼いの子ども。
そうやって牛に暑さをしのがせているんだって。
学校へは行っていないのかな…。

帽子やタオルを被っているのは、牛を羨ましそうに眺めながら暑さを
じっと耐えている乗客たち。



img663.jpg

トルコとイランの国境。

国境閉門に間に合わず、夜を明かしたその朝撮った写真。 
遠くに見えるのは雲じゃなくてアララト山だよ。



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国境を越えてイラン国内に入ったとたん、道路が急に立派になったの
で驚いた。
それまでは土と砂の道を、熱くて触れないパイプにつかまることもでき
ずに、大揺れに揺れる座席の上で体のバランスを取りながら汗にまみ
れて何時間も座っていたんだけどね。

裕さんが、「石油があるから金持ちなんだよ」 って。

ヨーロッパ人旅青年はおどけて、
「ウイ アー フライイング!」
(つまり、道路がいいのでバスが滑らかに走って、空を飛んでいるよう
だってこと)
今まで通って来た道とは大違いで、道路沿いには水銀灯の街路灯も。

でも遠くに見える岩山の中腹には洞窟のような穴がたくさん空いていて、
土の家もいくつか見え、そこには貧しい庶民たちが電気も水道もなしで
暮らしているとのことだった。



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イランの道路

国境からすぐの町の道路


イランの岩肌に家

岩肌に穴が開いていて、そこに人が住んでいるのだという。
(旗の右下あたり)


裕さんが言うには、イランはお金持ちの国だけど、一握りの富裕層が
富を独占していて、国民には教育も普及していなくて貧しい生活を強
いられていて、そしてイラン人は、人をだますことが平気なんだって。

えーっ…。
それって偏見じゃないのぉ?
裕さんは、他の国で会ったイラン人によっぽど悪い印象を持っている
んだね、きっと。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ここでちょこっと勉強タイム 

イランとイラクは名前も似ていて隣り合っているから、同じアラブの国って思
われがちだけど、民族はヨーロッパと同じアーリア系。
イランは、1945年に創設された ”アラブ連盟” にも入っていない。

(へーえ…
「アラビアンナイトっていえば、ペルシャだ」って、「魔法の絨毯も、ペルシャの
絨毯だろう」って思ってたけど、ペルシャって、アラブの国じゃないんだ…??)

アラブ諸国をどうやって区分けするかってことは、イスラム教の宗派で分け
る場合もあるそうだけど、はっきりしていないんだって。

この3年後の1979年にホメイニ師によるイラン革命が起こりパーレビ国王が
追放されたんだよね。
1979年にはアメリカ大使館人質事件が起こっている。
1980年にイラン・イラク戦争勃発。
この戦争は7年戦争と呼ばれ、1988年まで続く。

国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて今日まで続いている。

(続きがもう少し、続きを読む>> の中に) 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


賑やかで大きな都市、テヘランのバスターミナルに着いたけど、
右も左もわからないので、今回はホテルを探すのにタクシーに乗ろうというこ
とになって、地図を指差しながら町の中心まで乗ったらね、
ほんの数キロ乗っただけなのに、そのタクシーの運転手はね、法外な料金を
請求したんだよ。
乗る前に交渉した、”だいたいの値段”の何倍だ。

着いたとたんに、もうイヤ~な感じ。
裕さんの言ってること、間違ってないのかも…。

ガソリンは安いはずだし裕さんは物価も知っているから、すごいけんまくで
抗議したけど、運転手はそ知らぬ顔。
そこでけんかしてもらちが開かないので仕方なく言われた額を払った。
後で他の旅人に聞いたんだけど、イランのタクシー運転手は、最初に交渉し
て合意した料金を、走り出してから高く吊り上げて行くんだって。
乗ってしまったら途中で降りるのは難儀だから、弱みに付け込むわけだ。

裕さんは最初からイランという国が嫌いだと言っていたけど、私もいつの間
にか警戒心で武装し始めている。
そりゃ、いけないことだと思うんだけど…。

イスラムの国では悪いことにはとても厳しくて、嘘をつくと舌を切られ、泥棒
をすると指だか手を切られ、奥さんが浮気をしたら奥さんと相手をその場で
殺してもいいって聞いたけど…
自国民以外の人には悪いことをしても構わないって考えなのかな… 
わからん。

そして喧騒の中に溢れかえる車、車の運転の乱暴なこと。
平気で割り込みはする、信号は守らない、で、歩行者は全く無視だ。
誰も交通ルールを守っているようには見えない。

テヘランでは若い女性は洋服を着ている人もいたけど、年配らしい女性たち
はチャドルという、目の部分だけ網になっている布で体全体をすっぽり覆っ
ていた。
私はイギリスのクラスメートにイラン人の女の子がいたので、イランの女性が
どんな外見なのか少しはわかっていたけれど、
何だか浅黒くて濃い髭を生やしたこの地域の男性に少し感じが似て、精悍な
顔立ちの女性が多く、ひょっとしたら民族衣装で顔を隠している方が神秘的で
美しく見えるような気がしてしまった。
(それって、女性の人権を軽んじてる? スミマセン…)

ある時、アイスクリーム屋さんに入ったら、チャドルを着た女性3人を連れた
男性が入って来た。
女性たちは、店の奥のカーテンの向こうでアイスクリームを食べた。

イスラムの国では奥さんを何人も持てるから、全員奥さんだったんだろうね。
私は、「奥さんを3人持てる甲斐性のある男性ってどんな顔をしてるんだろ
う?」って思って、その男性の顔をまじまじと見てしまった。

誰でもほしい人数だけ奥さんを持てるわけじゃないんだよ。
3人もらったら3人を平等に扱わなくちゃいけないんだ。
大奥みたいに気に入った側室のところにだけ行ってはいけないんだ。

一人に毛皮のコートを買ってあげたら、あとの二人にも同じように買ってあげ
なけらばならない。
もし一人の子どもにランドセルを買ってあげたら他の奥さんの子どもにも同じ
ように買ってあげなければならない。
(あ、例が悪いか…)
3人の奥さんに子どもが3人ずついたらたーいへん!

結納だって、「牛30頭」 とかを嫁さんの実家に収めるそうだから、よっぽどの
甲斐性がなければ何人も奥さんを持つことはできないんだよ。

それに、夜も平等に順番に回らないといけないんだって。
だからそこの日本のお父さん、そこのところをわきまえて、むやみに羨ましが
らないでね!


そうして、イラン人にもいい人がいるのかどうか、あまりわからないうちに、
私たちはアフガニスタン方面行きのバスに乗ってしまった。
裕さんが 「こんな国に長居は無用だ」 って言って。

今度はもっとゆっくり来て、イランの魅力的な観光地を回って、イランのいい
人たちにも出会いたい。
(イランの人には悪いけど、これがその時の実際の状況なのでそのまま書
いとくよ)


さあ、そんなわけで、次回はアフガニスタンのヘラートへ向かうよ。
テヘラン~ヘラートはバスで1200キロ。
私たちはアフガニスタンが気に入ってそこで長居をすることになるんだけど、

そこで私は死にそうになるんだ。
どうなってしまうのか。
(愛のドラマもあるゾ)

次回を楽しみにしててね!





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3-4 テヘラン(イラン) ~ ヘラート(アフガニスタン) 


テヘランは砂漠地帯にあるように思えるけど、実は海抜1200mの高地に
あって、背後(北)には最高5000m余りの高度を持つエル・ブルースの連
峰が聳えているんだよ。
だから ”中近東のスイス” って呼ばれることもあるんだって。

イランは北部のカスピ海沿岸沿いの一部の地域を除いてほとんど砂漠なん
だけど、カスピ海に面したエリアは緑豊なリゾート地なんだそう。
次回はそんな場所も訪ねてみたいよね。



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イラン地図4

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アフガニスタン目指して砂漠の道

テヘランから、その山岳地帯を北西に見送ってイラン中央砂漠(正式には
ダシカヴィール砂漠)を縦断し、東の隣国アフガニスタンの西の玄関口、
ヘラートへ向かう長距離バスの旅は、1200キロの道のり。
走行時間のみなら20時間くらいの計算だけど、そんなわけには行かないこ
とはもう百も承知。
途中で給油したり、長い休憩を取ったり、タイヤがバーストしたり、国境で手
間取ったりで、ここでは予定は未定。

高原地帯のせいか、途中のセムナンあたりまではまだ少しは緑があったけ
ど、それからあとはずっと砂漠地帯が続いてた。
(ほんとは、寝ていたので、ほとんど覚えていないんだけど)

砂と熱風が入ってくるので、窓は閉め切ったまま。
座席はお尻との接点が汗でびしょびしょになるので、片方に傾いては片方
のお尻のほっぺを離してその体勢をキープ。
そうやって、お尻のほっぺを片方ずつ乾かすんだ。

そして眠くなれば、高温設定の電気毛布さながらの座席に体を丸めて寝た
ので、”腰を伸ばす” という動作が長時間ほとんどなくて、いつの間にか
「自分は海老になってしまったんじゃないか」って錯覚に襲われたし。

夜は一応気温は下がるけど、何しろ昼間は40℃を越える猛暑だからね、
余熱はすぐには冷めず、バスの座席も手すりも、しばらくは熱いまま。

どんな粗末なベッドでもいいから、体をのびのび伸ばして寝たいよーぉ…。

アフガニスタンとの国境に近いイランの北東部にある大きな町、マシュハド
を通って、国境の町、ドガルーンに着く。

イラン側の国境の建物は、お金持ちの国らしく結構立派で、出国は割と簡
単にスタンプを押してくれたけど、
ここからイランへの入国審査は、厳しいということだった。

この国境地帯は、マルコポーロ時代にシーア派の一派であるニザール・イヌ
マイル派の暗殺集団が暗躍したところで、彼らが用いたというハシシュの本
場だそう。(それが暗殺者=アサッシンの語源となったらしい)

アフガニスタン側の建物はとても粗末で、時間がかかった。
係官が、のんきそうにいろいろ話しかけてくるんだ。
暇なのか、何かワイロとしてほしがっているのか…。


向こう側では、いろんな車の客引きが乗客を待っていた。
トラックを改造したものや、これ以上ボロくなるかというどこかの国の中古
バス。

値段の交渉で、ここでもたいそうな時間と労力がかかる。
私たちは裕さんに任せ切りだったけど。

私たちが乗った塵まみれのバスは、通路や屋根の上まで荷物と男性の乗
客でいっぱい。
屋根まで満員にならないと出発しないから、ここでもまたやたらと時間がか
かる。
ヘラートまではあと120km、何もなければ4時間くらいで着くらしい。


アフガニスタンに入ったら、これが道路かってくらい穴ぼこだらけの、舗装さ
れていない道になり、車が揺れるたびにつかまるところもなく、頭にガンガン
響いて、砂煙がすごくて、鼻と口を押さえるのに忙しい。



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アフガンの砂漠

アフガニスタン 車窓からの風景


窓の風景


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こっちの男性たちがターバンをしている理由のひとつがわかったよ!
あれは、日よけとマスクの代わりになるからだよ、きっと。
ターバンの端っこで、顔を覆ったり鼻をかんだりしていたもの。

もうひとつ、おもしろいことがあった。
イスラムの国では女性はバスの後部座席に乗るんだけど、そのバスには
旅人女性客は、私とヨーロッパ人の女の子の二人だけだったんだけどね、
彼女はノースリーブにショートパンツっていでたち。

そしたらね、荷物を置いた通路を挟んでずらりと座ったイスラムの男性たち
が、私たちを見るんよ。
全く遠慮なく、見たい放題まじまじと。いっせいに。
それも、何人かは口をポカンと開けてよだれを垂らして。

イスラムの男性たちは自由に男女交際ができないどころか、外で覆いをし
ていない若い娘を見る機会もない人がたくさんいるみたい。
そうやって私たちは、ずっとずぅ~っと、見られていた。


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チャドルイラスト

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見渡す限り赤茶けた乾燥地帯が続き、バスはお祈りの時間が来ると止まり、
トイレは砂漠の岩の陰で済ませた。
女性は、別の離れた岩陰で交替でね。

途中で、やっぱりタイヤが破裂した。
(どう見たって、重量オーバーだってばー!)

時々、土壁の家々が点在する小さな村や、羊やヤギの群れに会う。
イランの景色とは違って、どこかのどかで牧歌的。

聞くところによると、イランはお金持ちなのでまだ灌漑とか進んでいるから
砂漠にも少しは緑があるけど、アフガニスタンではそういう整備がされてい
ないし、夏はモンスーンはあっても年間雨量より蒸発する水の量の方が多
いから、ますます砂漠化してるんだって。
それにアフガニスタンには鉄道もないそう。


へラートに着いたぞー

それでね、滞在先に決めた安宿の食堂で、やっとまともな食事ができると思
って、メニューの ”ミート アンド ベジタブル” っていうのを注文したところがね、
(それまでは何を食べていたかというと、ヨーグルトに蜂蜜付きのパンだけと
か、羊の肉をつくね風に串に刺したシシカバブとか、そのサンドイッチとかば
っかだったから)
出て来たのが、日本のおてしょうサイズ(お刺身のしょう油差し皿くらいの大
きさ)のお皿に乗った、肉の断片と野菜を煮たものと、パンだったんだ。

「詐欺だぁ」 と思う前に、私は涙が出てしまった。
砂漠で作物はほとんど採れないって聞いたけど、いくら安宿とはいえ、
”ミート アンド ベジタブル” と名の付く料理がこれ?



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ミートアンドベジタブル

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それでも私たちはヘラートが気に入って、しばらく逗留して長旅の疲れを癒
すことにした。

何と表現したらいいかわからないけど、アフガニスタンはイランと雰囲気が
全然違う。
古い映画に出てくる日本の何十年前の田舎に姿に似ているというか、すっ
ごく素朴でのどかだったんだよね。
人々の生活は何十年どころか、何百年て変わってないんじゃないかなー。
コーラがあるくらいで。
(中身の量が瓶によって違うので、オートメーションで作られたのかどうかは
怪しい)

宿の人たち、バザールの人たち、そして行きつけの食堂街の人たち…と、
出会った人たちがみんないい人ばかりだった。


地元の人たちは、私たちが日本人であることにまず驚く。
そして、「日本人の女の子と話すのは初めてだ」ってもっと驚く。

たまあに日本人らしい観光客が乗っているツアーバスが通ることはあるけど、
クーラーの効いたきれいなバスの中から外を見ているだけで、日本人がバ
スから下りて来たことはないという。
そしてそういう観光客たちは暑さと下痢にやられているらしく、みんなゲッソ
リへたばって見えるって笑ってた。
(へーえ、アフガニスタンを通るパック旅行もあるんだ…)

そういう人たちが泊まるホテルでは、清潔なレストランで高級料理が出され
るんだけど、それでもほとんどの外国人は下痢をするそうだ。

アフガニスタンでは料理に羊の油をよく使うんだけど、慣れていない日本人
にはそれが下痢の原因になるし、それと飲み水のせいもあるらしい。


古都ヘラートは15世紀にはティムール帝国の首都として栄え、学問芸術の
中心地にだったんだって。
なのでこの町は ”シルクロードの真珠” って呼ばれたこともあるらしいよ。
私には、ただの田舎の町にしか見えなかったけど。

町の中心にあるバザールは、観光客を意識して少しは見栄えがよかった
けど、町外れの地元の人用商店街はみすぼらしいテントのような幌で囲ん
であるだけで、土の道にも品物を並べてた。


私たちはバザールで、最初は客引きのために英語で話しかけて来た若者
や、いつも暇そうにチャイハネや路上の木の下にたむろしているおじさんた
ちと仲良くなって、毎日のように散歩に出かけてはお茶飲みやおしゃべりに
寄っていた。

親しく話した後は、「遠いところから来たんだから大事なお客さんだ」 と言っ
て、いつの間にか私たちのお茶代は誰かが払ってくれていた。
いつも行ってた町外れの食堂では、ラバーブという弦楽器に太鼓を合わせ
る民族音楽を、私たちのためにわざわざ演奏してくれたこともあった。

宿のスタッフも、洗濯のおばさん(顔だけ出して全身にチャドルでない布を
被っていた)と坊やを含め、言葉が通じないのに表情とジェスチャーでのコ
ミュニケーションをはかり、「困っていることはないか」といつも優しく言ってく
れた。


アフガニスタンにはね、日本に好意を持っている人が多いんだよ。
どうしてかって…

一番の理由は、「アメリカ(米国)と戦ったから」 そして、「アメリカに原爆を落
とされたのに、戦後は見事に立ち直って平和な国を築いている から」

アメリカとの関係については 「?」 って感じもあるけど、こんなところでそん
なふうに敬意を表されると、
「ほんとに、もっと平和を大切にしなくちゃ」って思う。


英語を話す若者たちとは、熱い議論をした。
(彼らは観光客相手の商売のために、必要な英語を独学する)

みんなアメリカに批判的で、それに追随する日本にもちょっぴり反感を持っ
ていたけれど、アメリカに原爆を落とされた国としてやっぱり同情的で、
それゆえに被害者意識を共有しているつもりなのか、私たち日本人には
不思議な親近感を持ってくれているようだった。

私は彼らの一人の言葉が忘れられない。
それまできさくに話して笑っていた表情を真顔に変えて、彼は真剣な眼差し
で言ったんだ。

「日本は自由な国だと言うけれど、それはアメリカの管理下でのことだろう。
報道はアメリカや日本政府に都合がいいように操作されていると思う。
それらに騙されず、もっと広く客観的に中東の国の情報を手に入れ、この地
域で何が起こっているのか、事実を知ってほしい」って。



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アフガン人青年と裕さん

英語を話すアフガン青年、ムスタファと、アフガニスタン
の民族衣装を着たわれらが(もとい、私の)ヒーロー、裕さん


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