第3章 中近東諸国&インド 1 ロンドン~アテネ 

カテゴリーは 「中近東諸国&インド」 だけど、出発点の ロンドンから
書き始めるよ。



1976年夏のこと。
74年のクリスマスにスイスのユースホステルで知り合った多幸さんことタコ
さんが、旅先から私をイギリスまで迎えに来てくれて、
バイクの旅途上だったヒゲさんと、スペインで勉強中だった純さんがアテネで
合流して、中近東・インド経由で日本に辿り着く計画を実行することになった。

- ところで、タコさんは多幸さんだから 「おい、タコ!」 から始まって ”タコ”
ってあだ名になってしまったらしいんだけど、それって、 ”とぼけたあほ”
みたいなイメージない?
”裕二”っていう名前なので、私は 「裕さん」 て呼ぶことにするね。


実を言うとこの旅は観光旅行でなく、”陸づたいに日本に帰る” というのが
一番の目的だったから、写真も少ししかない上、仲間たちに必死でくっつい
ているばかりで、自分ではメモもろくに取らなかったので、
ルートや町の名前とか、後から思い出してもわからないことが多い。

実際、アテネから先は旅行者専用のバスには一度も乗らず、現地の人たち
が利用する乗り物を乗り継いでカルカッタまで行ったんだよ。
だから観光の参考にはならないかもしれないけど、
その土地土地で聞いたこと、見たこと、感じたこと、考えたことを書いていくよ。
インドまではホントに ”通っただけ” という感じだから、10話のうちの後半は
全部インドの話になっちゃうと思う。


ワトソン氏はそれはそれは心配そうだった。
「あなたに何かあったら、マムに何て言い訳すればいいんだ」って。
(マムには、”取り乱すから”って、私が帰国することは伝えないことにしよう
っていうことになっていた。
心残りではあったけど、私は次の目標としてフランスに留学するためにまた
戻って来るつもりだったから)

そして、「困った時はこれを売りなさい」 って、純金の指輪を持たせてくれた
けど、それは中古店で買ったダブダブにサイズの大きい指輪。
それも知らない人の名前が彫ってあるの。
(ほんとにワトソン氏の人柄そのもの…ファッション性は皆無で、実質重視)
セントステファンという、旅行者を守ってくれるという聖人の銀のペンダントも
(どこかの中古屋さんで)手に入れてくれた。

裕さんたちとスイスで 「一緒に陸路で中近東・インドを旅しよう」って話してか
ら1年半、別れてから途切れ途切れに連絡は取っていたけど、
本当に実現する日が来たんだ。

「女の子がオーバーランドで中近東・インドへ? 大丈夫?」
とか、知り合いや友だちも口を揃えて言ったけど、
「”連れては行くけど、女の子扱いはしない” って条件付きなんだ」
って、涼しい顔して私。


そういうわけで出発!

持ち物はまた小さなリュックひとつだったけど、さすがに一応、綿の花柄ワン
ピース一着と、それに合うサンダルに、水着と日焼け止めなど、化粧品一式
は持っていた。 最初はね!

できるだけ安い手段でということで、まずロンドンのビクトリア駅から、
“マジックバス” という名のローマ経由アテネ行きの長距離バスに乗る。 
その時の、突飛もないアイデアは…

「ブーツ型のイタリアのヒールの先っぽまで行けば、ギリシャは海を隔てて
すぐ向こう側だから、もしローマまで行ってその先、海を渡れるようだったら、
船でギリシャへ行こう」 ってものだった。
(日数がよけいにかかりそうなので、結局そのままローマからオーストリアま
で北上して、アテネまで南下したんだけど)

何日もかけていくつもの国々を通過するのに、ロンドンからアテネまで
15,000円という信じられないような格安価格だったので、
廃棄寸前のオンボロバスを想像し、さぞ乗り心地も悪いだろうって覚悟して
いたんだけどね、
目の前に現れたのは、そこそここぎれいな観光バスだったから、他の外国人
若者バックパッカーたちも私たちも、キツネに包まれたようで。

「これぞ本当に天からぼた餅(??)だね。思いがけないところで得しちゃう
もんだ。」
なあんて言い合って、喜んでいた。

ところが、ロンドンから海の際までこのバスで行き、フェリーに乗り換えて向
こう岸のフランスの港で待っていたのは!!

これ以上汚くなれるか、というくらい汚れに汚れたバスで…
車体の色も柄も、全くわからない。
それほどまっ黒に、泥とほこりまみれた物体だったんよ。

みんな口々に、
「えーっ! うっそーー!! 信じられなーい!!!」
「イッツ ア ナイトメアー!!!」
(一緒にいた外国人。「悪夢だぁ!」 という意味)
一様に、唖然とするのだった。
(ほんとに、マジックバス=魔法のバス だった。ドロンと変身を遂げちゃって)

あの、私たちに夢を与えてくれたそこそこきれいなバスでずっと旅するので
なく、あれはイギリス国内用の短距離連絡用で、港まで私たちを送るだけ送
って、さっさと引き返してしまったということらしい。
見かけ倒しとか上げ底って、こういうことだよー。
(ちょっと違うような気がするけど…)

大丈夫なのかなあ…アルプスの山道とか、登って行くんだよねー、これで…

今回は長距離バスなので、目的地へ向かって走るのみ。
トイレ休憩はあっても、途中下車しての観光はナシです。
とにかく、座って窓の外を眺めては眠るだけ の旅。

美しいヨーロッパの町や山村風景を、動く絵本の中に飛び込んだみたいに
楽しんだよ。
揺られながら、ほとんど眠っていたような気がする。
そうして目を覚ました時々に窓から見た風景が、フラッシュバックのように
脳裏に焼き付いている。

ある朝、まぶしさに目を覚ますと、何と外は一面の雪景色だった。
(下界は夏なのに!)
真っ白な林に森に、教会の塔。
本当に、クリスマスカードの絵そのものだったんだよ。
あれはオンボロバスが息切れしながらアルプスの山越えをした時のことで、
標高の高いオーストリアの山中だということだった。



img618.jpg
バスの休憩地で買った、オーストリアの絵葉書


img617.jpg   

   
   その絵葉書を、ユーゴスラビアで投函
   した時に貼った、ユーゴスラビアの切手








またある時、目を覚まして寝ぼけまなこに飛び込んでたのが、ローマのコロ
シウム。
「ほら、ここがあの有名なコロシウムだよ」
と言われ、眠い目をこすると、あの写真やテレビで今まで何度も見たことが
ある円形劇場が目の前に聳え、バスはスローモーションのようにゆっくりと
その脇を巡って通り過ぎた。


ローマコロシウム
走るバスの窓から撮ったコロシウムの一部



また別の時、目を覚まして外を見ると、黒い衣で全身をすっぽり包み、目だ
け出した女性たちが、村の道を歩いていた。
運転手さんに聞くと、そこはユーゴスラビアだということだった。
ヨーロッパの国々を通っているつもりなのに、窓からのそんな景色に、ちょ
っと驚いた。

4つめのフラッシュバックは、アテネのリカピトスの丘。
ここも二度目だけれど、霞のかかった夕焼け空をバックに、遠くあの丘のシ
ルエットが浮かびあがって来た時には、

「とうとうフランスの海際から内陸を抜けて、地中海の港町に辿り着いたん
だ」 っていう実感が湧いたよ。


その足でユースホステルに向かう。
ヒゲさんと純さんは、私たちの到着から2日目に合流した。

ヒゲさんは相変わらず日焼けしていてますます逞しくなって、それとは対照
的に、純さんは知的で静かな感じの人だった。
長いまつげの大きな目でじっと人を見て話すので、男でもドキドキしちゃうん
じゃないかなー…。

この町で、中近東諸国やインドに行くのに必要なビザを取り、予防接種を
受けるんだ。
予防接種は2回、それも間に1週間おいて打たなくてはならない。
それで、指定された場所に1回目の注射を受けに行って、じゃ、その間の
1週間をどうやって過ごそうかという相談になり…
私のミーハーの女の子の権化的切望により、地中海の島のひとつに行くこ
とになった。

私は学校の冬休みにクラスメートとミコノス島へは行ったことがあるので、
じゃ、別の島ということで、イドラ島にしてもらう。

楽しかったナー。
エーゲ海のふたつの島に行っちゃうなんて、夢のようだね。
ひとつは、「ちょっといいな」 って思っている人と…!

いつも貧乏旅行だけどさ。


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( この時のミコノス島とイドラ島記事は、"島特集" でこっちに)
スポット訪問記 Vol. 8 ギリシャ/ エーゲ海の島々 フィリピン/ セブ島

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イドラ島見えてきた
日差しが強くて鼻がヒリヒリするので、ハンカチで防御しているとこ


アテネに戻り、残りの日々をパルテノン神殿や、そこに続く坂道にギッ
シリ並ぶ面白いお店を覗いたり、
いろんな広場や、レストラン、クラブ、屋台が並ぶ地区や、港に行って
海を眺めたりしてブラブラ過ごした。



アクロポリスのふもと
アクロポリスの丘のふもと
(また継ぎ当て付き黄色い胸当てジーンズをはいてるー!汗とか




食べ物屋さんではどこへ行っても陽気なギリシャ音楽が流れ、長いお昼休
みや夜は、そこにいた現地の人々が一緒に踊ろうと手を差しのべて来た。
ギリシャ音楽は、ギターの調べに乗って太陽がサンサンと降り注ぐイメージ。
グリークダンスのステップも簡単に真似できてとっても楽しい。

不思議なのは、ギリシャの女性がそういう場所にいないこと。
外で食べたり飲んだりして楽しんでいるのは、男性ばかり。

旅の途上では結構警戒していて知らない人には厳しい表情や言葉遣いを
する裕さんだけど、
私が現地の人たちとしゃべったり踊ったりすると、隅っこで目を細めて笑っ
て見ていた。

希少な裕さん他の仲間の写真は、もう少しあとに登場するからね!
(男の人は、そんなに写真を撮りたがらない)

2度目の注射も済ませ、これからトルコのイスタンブール行き各駅停車の
電車に乗るよ。




    ミニ アテネ案内



アテネからの絵葉書文面

家族への絵葉書文面

「インド方面の為の予防注射に一週間かかるので、地中海の小さな島へ
渡ってのんびり時間をつぶすことにしました」 なんて見栄張って書いてる
けど、ほんとは1泊だけだったんだヨー。 kao06  1泊2ドルのホテル。 




img610.jpg

パルテノン神殿の北側にあるエレクティオン神殿の六体の少女像 (絵葉書)


パルテノン神殿6      パルテノン神殿7


アクロポリスの丘円形劇場

後ろは円形劇場


パルテノン神殿 (世界遺産) メモ

裕さんによると、ここは遺跡ではなく廃墟だって。

そう言われてみれば、大きな円柱などが無造作に転がっている。
ギリシャの人たちは長い間ここを管理せず、19世紀初めまでは誰でも寄って
たかって彫刻を剥いで持ち去り、
残りのものも長い間、風雨に晒されるままになっていたんだって。

そして19世紀の初めに、ほとんどの価値あるものはイギリス人が持って行
ってしまって、本物は大英博物館にあり、ギリシャの博物館にあるものはレ
プリカだそう。

えーっ! そんなことってあるぅ??

そのイギリス人(当時の駐トルコ大使。その頃アテネはトルコの領土だった)
は、文化遺産を強奪したと世界中から非難されているらしいけど、
戦争で破壊されたまま修復もされず、剥いでは持ち去られ、雨風に晒され
ているこの文明の遺産を見るに見かねて、トルコ政府の許可を得て私費で
ここの彫刻等を買い取ってイギリスに運び、買った値段で大英博物館に売
ったっていう話だ。

そして、大英博物館にいい状態で保管されるからその方が良かったと考え
る人も多いらしい。

どちらにしろ、今は返還運動が進んでいるみたいだよ。


そんな退廃的な背景や雰囲気を範疇に入れても、やっぱりここの遺跡は、
小さな人間の及びもつかないような神聖さ、おごそかさがあって、そう、ギリ
シャ神話やソクラテス、プラトンさんて名前が浮かぶからかなー、
何か不思議な動悸を覚えたよ。



ギリシャの食べ物

やっぱり高級料理店で高級料理は食べなかったけど、ギリシャ庶民のお店や屋台のお料理は、美味しいものがいっぱいあった。
中でもナスとひき肉を使った”ムサカ” というのが私は気に入った。

それと、ふつうヨーロッパ人はイカやタコを、”ゲテもの” として気持ち悪がっ
て食べないんだけど、同じヨーロッパでも、ギリシャではイカやタコが美味し
いお料理で出て来て嬉しかったよー。
オリーブ油いっぱい使ってね。

日本人とちょっと近いゾ。



小包切手

日本へ送った小包みに貼った切手



どーでもいいことは、追記↓ 続きを読む >> にいれといたっちゃ。


        

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3-2 アテネ~イスタンブール 


そして数日後、トルコのイスタンブール行きの電車に乗る。
各駅停車で、乗り換えと待ち合わせ、国境でのパスポート検査の時間を入れ
て36時間かかったんだよー!
トルコの電車は、今でも何時間も遅れるので有名だそうだから、その時間も
入ってるね。

コンパートメント式電車の座席に座りずくめで、仲間たちや相席になった同
じく貧乏旅行者たちとしゃべったり眠ったり、窓からの景色を眺めたり、途中
で乗り込んできた地元の人たちと微笑み合ったり、英語の通じる人とは片言
の英語で会話をしながら時間を過ごす。

途中の駅の名前、”テサロニキ” が読めた時には感動した。
聖書に 「テサロニケ人への手紙」 というのがあるから。
本当に実在するんだね! 

当たり前かもしれないけど、「聖書の舞台はこの辺なんだ」 と思ったら、急に
キリストの存在が現実味を帯びて胸に迫ってきた。
タイムスリップすれば、イエスキリストにばったり出会えるかもしれないんだ…



テサロニキ駅看板2 

                    テサロニキ駅かんばんアップ

テサロニキ駅の看板。ギリシャ語と英語みたいだね。


その間に、ここ中東地域の歴史について、裕さんに聞いたりもした。
紛争が多いけど、何世紀も前からの複雑な事情があって、平和な日本にい
るとわからないことばかりだ。
裕さんはパレスチナにすごく同情的で、ヨーロッパやアメリカがこの地域にし
て来た自国の利益優先の歴史的事実に批判的だった。

私もこの旅を通して、少しでもわかりたい、いろんなこと。



 ここでちょこっと勉強タイム 

ものすごい勢力で、バルカン半島、東ヨーロッパ、西アジア、北アフリカまで
領土を広げ、約200年間の栄華を極めたオスマントルコだけど、
19~20世紀にロシアやオーストリアとの戦争で次々に領土を失って、
第一次大戦後はフランスやイギリスの占領下に入った。

でも、後に “トルコの父” と呼ばれる勇士ケマル・アタテュルクをリーダーと
する独立戦争で領土を取り戻し、1923年にアンカラを中心としたトルコ共
和国が生まれた。

そのリーダーは西洋との融和を図る政策を取り、スルタン(君主制)の廃止、
アラビア文字からアルファベットへの切り替え、女性の権利の拡大、西洋式
衣服着用の義務付けなどの改革を行ったんだって。

公務員や学校の先生は勤務時に頭を覆うスカーフの着用は不文律に禁止
されているという。
それは、外見がヨーロッパ的であること、つまり “モスレムを強調しないこと
が大事だ” と政府が考えているからなんだって。(インターネット調べ)


すごいね、さすがこの位置で東洋と西洋とつきあって生き残って行かなけれ
ばならない国らしい、思い切った政策ばかり。

政治的には、軍のサイプロス(キプロス)からの撤退、クルド人問題、第一次
大戦中のアルメニア人大虐殺などの問題が障害になり、EUへの加盟がなか
な実現できないでいるという。
(もっと詳しい資料は、“続きを読む” の後半をどうぞ)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


       t12.gif


ボルポラス海峡FLw

ボルポラス海峡 (写真:フォトライブラリーより)


トルコ共和国の国土はヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがっていて、
ここイスタンブールが、東洋と西洋の交差するところなんだ。
つまり、海峡のこちら側がヨーロッパで向こう側がアジア。

丘の上から紺碧のボルポラス海峡を白い客船がゆっくりと航行している風景
を眺めた時の感動が忘れられない。
「これからヨーロッパを後にして、いよいよアジアの大地へ足を踏み入れるん
だ」って思うと感慨深かった。

あちら側とこちら側では町の配色も雰囲気も違う。
本当に “東洋と西洋が出会う町” なんだね!

(地理的にはその国土の97%はアジア側で、ヨーロッパ側は3%しかなく、
国民のほとんどがイスラム教信者で、どっちかっていうとアジアに近いと思う
んだけど、なぜかトルコはサッカーのワールドカップでは ”ヨーロッパ予選”
に出場するんだよね)


町は騒音に溢れ、焼きとうもろこし、絵葉書、傘、ガイドブック、Tシャツ、み
やげ品などを手に、小学生くらいの子どもたちまでが物売りに寄って来てま
わりを囲む。
すごく親切に見える客引きらしい男たちがどこへ行っても寄って来たけど、
裕さんはキッパリと断っていた。

-私なんて、国際間の友好を損ねてはいけないという意識もあってそう失礼
な口のきき方をしてはいけないような気がしちゃうけど、
裕さんはそんな時、人が変わったようにそっけなくし無視していた。
さすがだなぁ。

電車の中で知り合ったフランス人旅行者青年がいろいろ情報を教えてくれて、
ブルーモスクの近くで安宿を見つけ、そこからブルーモスクやアヤソフィア、
トプカピパレス、バザールなどに出かける。

ブルーモスクはドーム型の建物のまわりをミナレットとい
う柱が囲んでいて、ホントに宇宙基地のようだよね。
でも中はすっごく繊細な美しさなんだよ、タイルや手描きの壁の装飾、ステ
ンドグラス、天井から吊るされたろうそくの灯りと、そして人々の信仰からく
る敬虔さ、おごそかさ…

キリスト教の教会のように十字架やマリア像があるわけではなく、お参りに
来た人々は、みな同じ方向(メッカ)に向かっていっせいにお祈りをするんだ。



ブルーモスク観光ちらしより  ブルーモスク内部FS
↑ ブルーモスク 現在 (写真:フォトライブラリーより)

↓ タイムスリップ版
  まだ公園の整備中みたいだけど、木はきっと同じだね!

ブルーモスク2

だんだんワイルドになって来ている。
ワンピースを着ているのは、おしゃれのためでなく風通しがいいから。 
だって、メチャ暑いんだヨー!!汗とか  



アヤソフィアはちょっとブルーモスクに似てるけど、歴史の中でキリスト教の
教会だっものがイスラム教寺院に改修されたので、内部の装飾も両方が
混じっている。
両方の信者が時代を隔ててお参りしたんだね。
何か、象徴的。 (今は博物館になっている)


ボルポラス海峡を見下ろす丘の上にあるトプカピパレスには、
オスマントルコ時代の宮殿に財宝が展示されていて、とにかく冠から始まっ
てお茶のカップにまで、ありとあらゆる種類の宝石がふんだんにはめ込まれ
ていた。
有名なのが、超大粒のエメラルド。
怪盗ルパンも盗みに入ったとか(?)。

ハレムもあって、内部には王様の部屋、その妻の部屋、女奴隷用の部屋な
どがあったよ。



トプカピ幸福の門FLw
トプカピパレス 幸福の門 (写真:フォトライブラリーより)



 ここでちょこっとまた脱線 

そういえば、裕さんが、トプカピパレスを舞台にした怪盗の映画の話をしてく
れたんだけど、それがルパンだったのかなー。

ちょっとおもしろかったので、書いとく。それはね、

トプカピパレスにあるその超大粒のエメラルドを、完全犯罪を企てて、長い時
間をかけて内部設計書や監視システム情報を手に入れ、完全にすべて危険
の可能性をクリアした上で、主人公の強盗が、このパレスの屋根に穴を開け
て侵入。

床に触れれば警報機が鳴るので、ロープのはしごをつたって、ちょうど超大
きなエメラルドの位置に降りて、はしごにつかまったまま、
どうにかそれを手にするんだけど、さあ、ロープを登ろうとしたその時に、計
画は失敗に終わってしまったんだって。

「どうしてだと思う?」
「うーん… どうしてもトイレに行きたくなっちゃって、おもらししちゃったとか?」

「いいや」

「うーん、なんでだろう???」
(答は一番最後に)

それがどんな名前の映画なのかわからないし、細かい筋書きもよくは覚えて
いないけど、裕さんはこんなふうにいろんなおもしろい話題を提供してくれた。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


バザールには、彩りも鮮やかなでエキゾチックな工芸品や民芸品がいっぱい。
同じ宿にいた他の旅行者は、ジーパンやヨーロッパの洋服と引き換えに民芸
品を買っていた。

買い物は、最初から高い値段を吹っかけて来るので、せりみたいにしてまと
もな適正価格まで下げるのが大変なんだよ。
最後に、「もう要らない」って去ろうとすると、追いかけて来てまた下げる。
ほんとにほしいのに、裕さんがさっさと行ってしまった時は、泣きそうになった。
(どうもそれも、手だったみたい)


どこの町も同じだけれど、こぎれいな高級店の並ぶ町並みの路地裏に入れ
ば、そこには貧しい人々の日常風景が…。
地元の人々の簡素な家や店や工場がひしめき、ここでもギリシャと同じく、
茶屋や食堂にたむろしているのは男性だけだった。

甘いチャイ(紅茶)やコーヒーが、暑い風土に合っているのか、現地で飲む
と結構おいしかった。
トルココーヒーはどろっとしていて、底にカスが溜まっていて、その上澄みを
飲むみたいな感じ。
いいおじさんもそのコーヒーを一日に何杯も飲む。
それも、甘ったる~いお菓子といっしょに。

そういうコーヒーが苦手な旅人用に、”ネスカフェ” という名でインスタントコ
ーヒーがメニューにあったのが、おもしろかった。
インスタントなのに、そっちの方が高いんだよ。



チャイを飲む


ヒゲさんと裕さんといっしょに、宿の裏庭でチャイ(1杯20円、今は95円くら
いらしい)を飲んでいるところ。
着ているのは、バザールで裕さんが最初の値段の6分の1に値切ってくれ
た、民芸品のドレス。
(それでもまだ高かったって、宿の主人が…)



歴史的にも現在の表情も、いろんなものが混在し、バランスを取ろうとして
いる活気溢れる町、イスタンブール。
そういえば、イギリスの学校でクラスメートだったトルコ人の男性は、オスマ
ントルコの末裔のような精悍な顔をしていたナー。

次回はイランのテヘランに向う。







ヤフートルコ地図

ヤフー 地図 (クリックするともう少し大きくなる)

丸印が付いているのが、通ったり立ち寄ったと判明している町。
砂漠があるため、移動は直線ではつなげられないから、実際はどんな経路
だったのかは不明。 
黒海沿いのどこかの町で、黒海の海辺に泳ぎに行ったんよ。(次回ね) 

アララト山を遠くに見ながら国境を越えたので、イラクとの国境近くを通った
のだと思う。






怪盗が失敗した理由は、
エメラルドをゲットして、あとはハシゴを登って逃げるだけって時に、天井の
穴から鳥が一羽入り込んで床の上に舞い降りて警報機が鳴って、御用にな
っちゃったんだって。

その映画、見たいな。





<参考に>

現在はアテネ~イスタンブール行きの列車で、車中2泊で32時間22分
というのがあるらしい。
また国際バスならまる一日、24時間で着くみたい。





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