2-49 パリで泣く 


夏休みは、最初はパリのオペラ座通りにある大きな免税店でアルバイトをした
んだよー。
夏休みは4か月近くあるから、資金の補充もできるし、それに、憧れのパリに
住めるわけだから一石二鳥でしょ。

宿は、休み中旅行に出るので留守中アパートを又貸ししたいという日本人学生
のアパートを、大学で仲良しになったポーランド人の女の子といっしょにまた借
りした。
(そしてこの年の冬休みには、彼女を訪ねてワルシャワへ行くことになるんだけ
どね)

そのエステラは、もっぱらベビーシッター専門にアルバイトしてたから、私も
時々、手伝わせてもらったんよ。
フランス人の家庭の様子を垣間見ることができておもしろかった。

その時の写真は、イーナトラベルの宣伝 (お気に入り商品の紹介) に入って
いる) を見てね。

私が行ったお宅では、朝はお父さんが近所のパン屋さんに焼きたてのバゲット
(外側がカリカリで中がふっくらしっとりの香ばしいフランスパン)を買いに行くこ
とから始まった。
カフェ・オレのカップの大きさにも驚いた。

メインのアルバイト先は、最初はオペラ座通りの大型免税店。
毎日、日本人用観光バスが店の前のオペラ座通りに横付けされて、お客さんた
ちが降りてどっとなだれ込んで来る。
短い時間内に、ブランド物のバッグやアクセサリーを買って行くんだ。

はじめのうちは、とっても楽しかった。
お昼休みはお花でいっぱいの近くのチェルリー公園のベンチで、ルーブル美術
館を眺めながらお弁当を食べたり、
お休みにまたパリ見物に出かけたりして。

でもね、このパリでのアルバイトは、後半が苦~い思い出になっちゃった。


お話はこんなふう。
その大きな免税店で働いている時ね、オペラ座通りから一本裏道に新しく出店
したばかりの小さな免税店で働いていた日本人女性と知り合ったんだ。
その人は私と故郷が同じで、フランス人男性と結婚していて、お腹が大きかった。
もうひとりの従業員も、フランス女性と結婚している日本人男性だった。

その店のオーナーは、感情の起伏が激しい若い中国人女性だったんだけど、
時々寄っていた私を、
「人手が足りなくて困っているの。こっちの店に来ない?」
って誘った。
何しろ、そのオーナーも妊婦だったからね。

日本人従業員によると、そのオーナー女性はフランス人の公務員の夫を色じ
かけで誘惑し、結婚し、夫は貯金をはたいて彼女に店を持たせた、と、噂され
ているそう。

その夫は噂通り、強烈な個性の彼女に比べると影が薄く、貧弱で冴えない風
貌の男性だったけど、
夫が来ると彼女が 「モン シェリ (マイ ダーリン) 」 と、人目もはばからずに、
体を絡み付けてチュッチュッと熱い抱擁を交わすのには、目のやり場がなくて
参った。

それはそれとして、気に入ってもらえたのが嬉しかったし、小さなお店というの
がよくて、私はそっちに移ったんだ。
裏通りということもあってお客さんは少なく、まだ赤字だそうだけど、私は表を
歩いている観光客に声をかけて店内に呼び込むのが結構うまくて、
それが売り上げにつながると、即、オーナーの機嫌が良くなるから、やりがい
があっておもしろかった。

それでも時々会計の会社の人らしい人が来て、オーナーやダンナさんと深刻
なおももちで書類とにらめっこしていた。
大通りの大型免税店や老舗のブランド専門店に比べればお客さん少ないし、
経営は大変だったと思う。


そんなある日、小さな事件が起こった。
私がたった一人で店番をしていた時、男の客がひとり入って来てさ、ダンヒル
製ライターの陳列棚の品物を事細かに見ながら、「ダンヒルのライターは、他
にもあるか」って聞くの。

私は、「お店にお客さんひとりにして大丈夫かなー…」と、ちょっと迷いながらも、
奥の事務所の棚にある在庫を見に行ったんよ。

そしてね、急いで表に戻ると…

男はいなくなっていて、ライターの陳列箱の一か所が空になっていた。kao05

あっという間のことで、すぐに店の外に飛び出したけど、男の姿は見えなくな
っていた。

あとから考えれば、嘘でも 「在庫はありません」 て言えばよかったんだよね!
店員としても人間としても若くて経験不足な私は、その時はそんな機転を利か
す余裕がなかったんよ。
お客さんを信用してしまった。 涙

その後、胸を痛めながらオーナーの出社を待ってそのことを話して謝まったら
ね、彼女は異常なほど取り乱して、

「何てことでしょう!! あなたが盗ったんじゃないの?!」

って、私を泥棒扱いするんよ。 ><;

晴天の霹靂ってこのこと。
何?この豹変の仕方は…
ほんとにあきれた驚いた。

たった一人で店番するってことは、簡単にはトイレにも行けないってことだよー。
店員をそんな状況に置く店の現状に、問題はないの?

それに、もっとよく考えてみれば、被害がひとつだけでよかったとも思うんだ。
だって、箱の中のライターいくつかを、つかみ取りされたかもしれないんだよ。
(ライター1個が保険の対象になるかどうかは、わからないけれど)

「あなたも不注意だったけど、どうしようもなかったわね。次回は気をつけてね」
って、きっと言ってくれると思ったし、
私も申し訳なさから、もっとがんばるつもりだった。


第二の出来事はそれから1週間くらいした頃、起きた。
ある朝、警察官が来て何やらオーナーとそのダンナと話し始めた。
何と、夜間に店に泥棒が入ったのだそうで、倉庫になっている2Fの窓や入り
口などを調べている。

出勤時からいつもと変わりない様子だったので突然何事かと思ったれど、在庫
品の一部がなくなっているとのこと。
窓が壊され、靴の跡があるらしい。
そして閉店後に店の鍵を持ち帰った私も、尋問された。

(鍵を持っているなら、2Fの窓から入らなくてもいいんでは?
表から堂々とでは目立つから、わざわざ壁をよじ登って2Fの窓を壊して侵入
したとか? 誰かを誘導して? … kao06

参考にだとはわかっているけど、何とも言えない気分になった。

その時ね、日本人男性従業員が、日本人の野次馬に私を指差しながら、人
差し指の先を曲げているのを見てしまった。(泥棒って意味でしょう?)
ひどいよね。すごいショックだった。

(後で聞いたんだけど、彼はその時、「あの子はコレだから」 って言ったそう。
指先を曲げながら。
彼が本当にそう思っていたのかどうか、今でも聞いてみたい。
どうしてそう思うのか。
オーナーの言ったことを鵜呑みにしていたの?)

この間のライターのことがあるから、私の立場は超不利。
言葉の通じない国で、まだ信頼関係もできていない人間関係の中だから、こん
な思いをするのかな。     
この時は、本当にくやしくて悲しかったよ。

でもね、私はその時、何かがおかしいと思ったんだ。
だって、オーナーはすごく感情の起伏が激しい人なんだよ。
それなのに、泥棒に入られたのに、全くショックを受けている様子がなくて、何
でそんなに冷静で無表情なわけ?

それは他の従業員も同じで、あとで話したところによると、

「経営がうまく行っていないから思いついた”保険金目当ての茶番劇” だろう」
って。

大きな免税店のただの店員だった奥さんに、店を出すために利用されたとダン
ナさんも気づいて、夫婦仲がうまく行っていないので、奥さんが追い詰められ
て自作自演でやったんじゃないかって。

(不思議なことに、これを言ったのもあの日本人男性従業員。
言う事が、醜いことばかりだと思わない?)


そしてもうひとつ、ひどいことが起きた。

私ね、他の二人の日本人従業員たちはフランス人と結婚して家庭があって子
供がいたり、妊娠していたりしたから、
二人シフトの時の閉店時間になってもお客さんがいた時は、いつも残業を買っ
て出て遅くまで働いて地下鉄に乗って、遅い時間に暗い道を通って帰ってい
たんだよ。
そしてそれはしょっちゅうだった。

そして、給料日が来て、その支払い明細を見たらね、その残業代は全く給料に
入っていなかったんだ。

それでオーナーに聞いたら、

「こちらはあなたに残業するよう頼んだ覚えはない。
それはあなたが好きで勝手にやったこと。 支払う義務はない」

「えーっ、そんな…」 

確かに残業については何も話し合ってなかったけど、必要でそこにいたんだか
ら、当然払ってもらえるものと思っていた。
一生懸命お店のためと思ってやっていたのに、そんな扱いを受けるなんて。

他の日本人従業員たちも、いろいろ口では言って同情もしてくれたけど、私の
ことはオーナーに何も抗議してくれなかった。
生活があるのでクビになりたくなかったし、どうせ私は短期間アルバイトだから、
関わりたくなかったんだね。きっと。
すでに言語面でハンディのある、立場の弱い従業員としては、仕方なかった
と思う。

この二人は労働許可証があるけど、私はもぐりの学生アルバイト。
労働局とかに訴えるわけにもいかない。
結局、残業分については、まるまる泣き寝入りした。


そういうわけで、こんなふうに、
「精一杯がんばってもこちらの誠意が通じないこともあるんだな」
ってことが、この夏のアルバイトの経験を通してわかったよ。
いい顔されておだてられても、相手はただ自分の利益や都合のために利用し
ようとしている場合もあるわけだから、
「自分は好かれているんだ」 とか、甘く考えないことだよね。

(しかし私は現在も変わっておらず、ついセールストークに乗って、あれこれ
買わされている)

こうして、どこの馬の骨かわからない、頼りない立場の女の子は、夢の都・花
のパリで、ちょっぴり苦い経験をしたわけよ。

それでも私にも甘い部分があったし、自分の馬鹿さ加減に気づくのは、悪くない
よね。。。ね!




     ***  ミニアルバム ***



     オペラ座前

エステラオペラ座前

仕事先がオペラ座界隈だったから、よく待ち合わせした。
座っているのがエステラだよ。



   ルクセンブール公園にて

エステラとルクセンブルグ公園

二人とも毎日ケーキばかり食べていたので、
ふっくらしている




トニー   エステラが
  ベビーシッター
  していた男の子。

  かわいいでしょ。













ルーブル美術館 (当時の観光ちらし切り抜き)

ルーブル

この角度でこの花のある景色が、当時いつも見ていたままのもの



パリの住宅街

アパート脇

この左側に、住んでいたアパートがある






ノートルダム寺院裏の小さな公園

ノートルダム寺院裏



ノートルダム寺院の裏側とセーヌ河 (観光ちらし切り抜き)

ノートルダム寺院裏ボート

ふたつ上の写真で、私は上の写真の
木立の間のベンチにいる。

上は夏だけど、下は秋の始まりね。





その免税店


免税店の店先

間口はこんなに狭くて、中も、数歩行けば事務所
のドアに突き当たる、細長い小さな店だった。
30年以上前のことなので、もうここにはないでしょう。

いっしょにいるのが、お腹が大きかったS子さんよ。
元気な赤ちゃん産んだかな。







 お知らせ

「虎屋の羊羹」 の 現代版 続編 が入ってます。
  続きを読む をどうぞ。


続きを読む

2-50 フランスのディジョン大学へ(1) 


今日は、ディジョン大学 (現在のブルゴーニュ大学)でフランス語コースに通った時の思い出を、アルバム形式で紹介するね。




フランス地図2



ディジョン

ディジョンはパリから南東へ300キロ。
ワインで有名なブルゴーニュ地方にあって、マスタードの産地としても
有名。
それはそれは美しい街で、「プチパリ」と呼ばれ、本当に凱旋門まである
んだ。

私はこの街に住んだことを思い出す時、あれは夢の世界じゃなかったの
かって思ってしまう。



dijon99_20090113133800.jpg

Darcy公園と凱旋門と街並み (絵葉書)


↓このあたりに住んでいた。

ディジョンたぶん市役所

これがなんと、市役所の入っている建物なんだよ!!(絵葉書)
元ブルゴーニュ公爵の宮殿だって。
後ろは、ノートルダム教会  




ふくろう  ノートルダム教会入口にある
  ふくろうの彫り物。
  これに触ると幸せになれるというので、
  磨り減ってしまっている。
  
  ふくろうって、日本でも「不苦労」と
  かけて幸運の使者だよね!
  私もタッチしたゾ。





place of liberation

上の絵葉書の手前に半円形の広場があるでしょう?
元宮殿の反対側。

これが、
Place de la liberation つまり、英語でいうと 
Place of the libetation
”解放の広場” かな?

ここにはお店やレストランがあって、時々お昼とか食べに行ったんだ。




dijon2.jpg

また別の、ディジョンの絵葉書。
こんなふうに、中世の建物がたくさん残っている。



 
上の絵葉書右下にある、広場の噴水

ディジョンの路地裏
いつも通っていた路地裏の小路
   
  


ディジョン絵葉書

クリスマスには町中がイリュミネーションで飾られて、
ほんとにきれいだった。(絵葉書)







ディジョン大学国際学生証

 ユニバーシテ ドゥ ディジョン学生証
 住所のところにある F.J.T. は、
「フォワイエー ドゥ ジュンヌ トラバイユーズ」
 文字通り、「働く若い女性の寮」 …まだあるかな?
(もう30年以上も前のものなので、個人情報的問題は
 ないでしょう)
 




ディジョン大学学食への通り 
学食へ続くキャンパスの並木道

img422.jpg
学食の外で


仲間たち3  

img425.jpg

大学学生寮 日本人学生の部屋で(髪、切った!)


マドレーヌと
 大学で知り合って大の仲良しに
 なって、よく行動を共にしていた
 マドレーヌ。
 数年後に日本へも来たんだヨ。








ちなみに、寮費は月 35,000円。
学食では、一食200円くらい。
さすがフランス、何でもおいしかったけど…

私は、「かえるが出たらどーしよう…」 ていつも警戒していた。
でも、他の日本人学生は、
「かえるは高級料理だから、学生食堂では出ないよ」
と言っていた。
学食のメニューは世間の物価の鏡だそうで、その時々に一番安い
食材が出てくるのだそうだ。

ある日、不思議な唐揚げが出た。
衣はとってもおいしいんだけど、中身が真っ白でマシュマロみたい
にふわふわしている。
うーん… なんだこりゃ???

何だったと思う?
ぎゃぁ~っっっ!
羊の脳みその天ぷらだってーーっ !!!!






あのね、大学のフランス語コースに申し込み
に行った時ね、申し込みができたのは良かったんだけど、
「大学の学生寮はいっぱいで、空室なくて入れません」
て言われちゃったんよ。
えぇ

それで、どーしたと思う?
大学の事務局の人が、「町の中にフランス人向けの、
”働く若い女性の寮” というのがあるから、そこへ行ってみれば?」
ってアドバイスしてくれたんだ。

そしてそこへ行ってみたら、空室があるっていうの。
フランス人の女の子といっしょの部屋だけど、って。

フランス人の女の子とルームメイトになれるなんて、願ったり叶っ
たりじゃーありませんか?
ふだんだったら、学校終わって寮に帰った時くらいひとりになりた
いって思うかもしれないけど、
何しろ、限られた短い期間に、生きたフランス語をできるだけ身に
つけようって目標を持ってここへ来ているわけなんだからね!

とっても楽しかったよ。
働く若いフランス人の女の子たちと友だちになれて。

フランスでは、日本のように大学の進学率は高くない。

「どうしてそんなに勉強したいの?
知識ばかり詰め込んでも仕方ないじゃない。

少しでも早く自立した方がずっといいし、フランスにはそう考える
若者が多いよ」

って彼女たちは言っていた。
この寮に入れるのは18才から22才までの年令制限付き、働く
フランス人女性だから、

「若いのにしっかりしているなー。
ちょっと日本の同年代の私たちの傾向とは違うかも…」

と思ったことでした。




D寮の窓から 

”働く若い女性の寮”窓からの眺め


寮の窓から2

結構長い時間、夕暮れ時に町中に響き渡る
教会の鐘の音が、この情景にピッタリで哀愁を誘った。




img427.jpg   寮の部屋2

”働く若い女性の寮” の部屋 
イギリスもそうだったけど、家具付き




カトリーヌ  ジャン

そこで一緒に暮らした、フランス人の女の子たち
毎日、フランス語でおしゃべりしてたってわけさぁ。



寮の友だち





ある日ね、町を歩いていたら、あのF画伯のお孫さんと
知り合ってしまい、お宅に招待までされちゃった。
すごくいい思い出になったよ。



画伯お孫さん 
画伯のお孫さん夫妻

画伯ひ孫さんたち
画伯のひ孫さんたち


(写真にぼかしとか入れなくてすみません。
もう 3decades 前のことゆえ、お許しを)


(2)に続く



周辺の溜息の出る美しい町々でのプチ観光はこちら。
気分を変えて、またあとでゆっくりどうぞ。


 Vol.10 フランス ブルゴーニュ地方(1)