2-47 祖母とマムとの別れ 


プロフィシェンシーの合格発表を見た時にはびっくりしたさぁ。 驚き
ほんとに。

受験が迫って来た時には焦ってあがいて、大好きな先生宅に個人レッスンを受けに行ったり、ワトソン氏に作文と面接の猛特訓をしてもらったりもしたけど、
こんな高度な試験に、このアホばか天然の私が合格できるなんて。

でもね、そのままの実力だったら3割の可能性も切っていたと思うんだ。
どうにか合格点が取れたのは、やっぱその試験向けの”傾向と対策”訓練のおかげだと思う。
試験に出そうな問題ばっかり、繰り返し繰り返しやっていたんだもの。
過去の問題に照らし合わせ、今年必ず出そうな時事問題とか。
面接のスピーチ課題なんて、「山をかけたらバッチリ大当たり」 だったんだもん、はっきし言って。

つまり、何年間とゆっくり時間をかけて無理なく自然に身に付いた実力だったらいいんだけど、そんなふうに受験用詰め込み式勉強でクリアした合格…
だから、心のどこかに納得が行かない部分があるのは確か。

いっしょに受験した日本人の中で、合格したのは私だけだった。
東大の大学院生や、ドイツ人と結婚してドイツで英/独/日の通訳をしている人も落ちた。
フゥーッ。
ドキドキしちゃう。

嬉しいのは嬉しかったけど、正直な気持ちは、
「ほんとにいいのかなー、こんな実力で…」

謙遜してるんじゃなくて、ほんとにそう思うんよ。
「これから ”プロフィシェンシーに合格した人” って見られた時に、あまりにレベル
低い私はどーしたらいいんだろう…」
なんて心配になってくる。 焦る2

英語で議論とかする前に、社会のことにまるっきし疎い私でしょ。
あー、もっと世界情勢とか歴史とか政治・経済とかに精通しないと、
英語ができても、会話がもたないよー あっ!

証明書の名前に恥じないように、これからももっともっと磨きをかけて勉強を
続けなくちゃ、だよね!


そんなふうにちょっと複雑な気分だったけど、嬉しいことは嬉しくて、応援して
くれたみんなにお祝いされる毎日で、
一応の目標は達成したし、これからどうしようって、考えていた時。
”日本の祖母危篤” の電報が来た。

私は急いで帰国の準備を始めた。
「おばあさん、待ってて!
でも、これから飛行機の切符を買うのではきっと間に合わないよね…」
って真っ青になって、半分は諦めて。

でもね、祖母の霊が不自由な肉体を離れ、身軽になって国境なんて関係ない時空を越えて、私のそばに来てくれているような気がしていた。 (それを物語る心霊体験逸話を <続きを読む> に入れたから読んで)

“取り乱すから” と、マムには私の帰国については知らされなかった。

それからまもなく、祖母の死の知らせが来た。
飛行機をキャンセルして、喪に服す日々。


しばらくこれからどうしようかって考えていたんだけど、お葬式には間に合わな
かったし、今から帰国しても本人とはもう会えないんだもの、

「どうせ帰国するなら、前から行きたかった中近東とインド経由で日本に帰れ
ないかな」

って考え始めていた。
もちろん、女の子ひとりでは無理だから、ちょうどそっちに行く旅人たちにくっついて連れて行ってもらう形になるし、たぶん寄り道なし観光なし、最低限の経費で、ただルートを行くだけの貧乏旅行になるだろうけど。

それで一昨年スイスのユースホステルで出会ったタコさんと連絡を取り、
タコさんを通じて、スペインに逗留していたヒゲさんにも話が伝わり、ヒゲさん
の友人でバルセロナ大学で絵を勉強しているという純さんという人も加わり、
中近東・インド経由で日本に帰る話が実現しそう。

離れ離れになったあとも、結構筆まめな私はスイスで出会ってたいそう気の合った仲間たちとたまぁに手紙のやりとりはしていたんよ。
いつかきっときっとほんとに中近東・インドを一緒に目ざしたくて。

ヒゲさんはオートバイが壊れたせいもあり、またスペインが気に入って、知り合った純さんのアパートに居ついていたとか。
純さんは版画の勉強をしているんだけど、一度日本へ帰国したいそうだ。

そんなこんなで、みんなのタイミングがピッタリ合っちゃったよー。
さあ、どーする?
中近東とインド… 特に頑強でもインテリでもない女の子には勇気が要るね!
(だから深く考え過ぎないでいいのかもしれないけど)

私は今、”帰るモード” になっている。
私の中では、
「機は熟した。やるなら今っきゃない。チャンスはそうしょっちゅうは来ないよ」
って感じだ。

ワトソン氏もいつか言っていたよ、
「幸運の女神様には前髪しかないんだ。
すれ違いざまにその前髪を掴まないと、チャンスは逃してしまう。
これ、イギリスのことわざ」
って。

ワトソン氏は、北欧から私を迎えに来てくれたタコさんと会い、まるで面接試験のようにいろいろ問答して、
彼の人間性と、旅人として持っているしっかりとしたポリシーのようなものに感銘を受けたみたいで、心配だからと賛成し兼ねていた態度を和らげてくれた。

死ぬかもしれないって思わなかったかって?
うん。
私は、あの仲間たち (というか、タコさん) とならきっと大丈夫と思ったし、
「”見る前に飛べ” だ」 とか、
「やりたくてもできないまま事故とかで死ぬより、好きなことをしていて死んだ方がいい」
って思ってしまう。相変わらず、ね。
それに、私はリーダー格のタコさんに思いを寄せていたと思う。
彼といっしょなら、世界中のどこへ行っても大丈夫。

そうしてとうとう、計画の実行が決定したんだよ。


私が試験合格に喜び、これからする新しいことにあれこれ思いを膨らませてい
る頃、祖母は天国に旅立ち、
それから中近東・インドへ旅立ったちょうどその頃、ウェールズのマムのところ
へも天国から迎えが来ていたんだ。
私はもう旅の途上にいてその知らせを受けたのはだいぶ後だったんだけど、
マムが息を引き取ったのは、私の出発の4日後だったんだって。

私が帰国の途についたと聞いてかどうかは、心苦しくて今だに聞けないでいる。

私は祖母とマムの両方の死に目に会えなかったけど、ふたりは今でも遠い空の上から私を、私がどこにいても見守ってくれていると思う。
きっと言葉の違いなんか関係なく、いっしょにハラハラしたり笑い合ったりしながらね。

その後ワトソン氏は、マムのお墓参りに行く時は必ず両手に花束を持って行って、「こっちは私から、こっちはミヤからだよ」
って捧げて下さっているそう。
どこにいても、

「あなたに何かあったら、私は天国のマムに何て言い訳すればいいんだ」

って心配してくれる。


マムはこんな遺言を残した。

「ミヤは大切な家族なのだから、彼女の医療費と学費を惜しんではなりませ
んよ。
もし彼女が病気になったら、一番いいお医者さんに連れて行きなさい。
もし彼女が勉強したいというなら、学費を出してあげなさい。
でも、私立はだめ、公立ですよ」

最後がワトソン氏のお母さんらしいでしょ。

それでね、私はその後、ワトソン家に奨学金を出してもらってフランス語を習う
ために1年間、フランスに留学させてもらうことになる。
もちろん、公立大学だよ (国立!)。


イギリスでのお話はここでおしまい。

これから私は中近東・インド経由でいったん日本に帰り、またインドに渡って
そこで働いてお金を貯めてヨーロッパに戻り、フランスでフランス語を勉強する
んだけど、
その1年間の学生生活フランス編を、このヨーロッパ編 の残り3話に凝縮するね。




       ミニアルバム



ステファン君

 夜、遊びに来てくれた近所のステファン君。

 この数ヵ月後、彼は脳腫瘍で亡くなってしまう。
 もうこの笑顔はこの世では見れないんだ。

 「でもきっといつかまた会えるよ。。」

 (ワトソン家のソファーで)




ワトソン兄妹と近所の家で

 この日、揃ってお茶に呼ばれて行った、牧師さんのお宅。

 やっと登場しましたぁっ! 後ろにいるのがワトソン氏とアネッカだよ。

 ワトソン氏は、正装すると別人のよう。
 欲目で言えば、晩年のチャールトン ヘストンって感じかな。




  あとふたつお話を 、下の <続きを読む> に入れてといた。

ひとつは、私のあとに、たっての希望でワトソン家にオペアガール
として入ったけど、うまくいかなかった子からの手紙。

私はここんとこ、運が良くていいことばっかり続いているように見
えるかもしれないけど、実は大変だったこともあって、それを彼女
がちょっぴりだけど代弁してくれている部分もあるので、裏話とし
て追記に入れておくね。


   
もうひとつは、帰国した直後に、亡き祖母が私に会いに来たらし
い話だよ。kao05

信じるか否かは、あなたにおまかせ。 


続きを読む

2-48 フランスのカーン大学へ 

 
ヨーロッパ・中近東・インド経由で一度日本に帰国した私は、しばらく働いてお金を貯めてフランスに渡り、1年間のワトソン家からの奨学金援助も受けつつ大学のフランス語コースに通った。

たったの1年間だから違う町に住んでみたくて、夏休みまではノルマンディー地方にある カーン という町のカーン大学に通い、
夏休みは パリ の免税店でアルバイトして、
残り後半はフランス中部の ディジョン で、ディジョン大学 (現在はブルゴーニュ大学と改名されたらしい) に通った。

それらの地方や町、大学についてなどの情報は、今の時代だから、インターネットを始めいろんな方法で簡単に手に入るでしょ。
だから、ここではそういうのは簡単にして、それにまつわる中心にするね!





フランス地図

(クリックすると大きくなるよ。 
気が付いた? 北には海を挟んでイギリスがあり、
ワトソン家のあるウエールズもすぐそこ。






まず、 どうしてフランス語を勉強しようと思ったか

それはね、英語とスペリングがそっくりだったり、同じだったりする単語がたくさんあるってことがわかったから。

ううん、だからって、英語とフランス語は、同じヨーロッパの国だから似ているんだろうと思うと、それは甘いんよ。
個々の単語はいいんだけど、文法は然違う。
フランス語には男性名詞と女性名詞があって、使う名詞によって形容詞も変わって来たりするし、R の発音が難しいし、H は発音しなかったり、いろいろめんどうではあったけど。

ここで私が見た、
英語の読み書きを長年勉強した日本人がフランス語を学ぶ上での醍醐味
を、ちょっとだけ解説してみるね。 おもしろさが伝わるといいな。


たとえば、「私は美弥と申します」 は、英語では、
アイ アム ミヤ」 あるいは 「マイ ネイム イズ ミヤ

でも、フランス語では、
ジュ スイ ミヤ」 あるいは 「ジュ マ ペール ミヤ

”私” とか ”あなた” とか "BE 動詞” とかの簡単な単語は、全然違うよね。

ところが、難しい単語ほど似ているというか、つづりはそっくり同じだったりするわけよ。 読み方(発音)が違うだけで。

たとえば、
「組織」の organaization は フランス語でも同じ。
でも読み方が、

オルガナイゼーション」(英) と 「オルガニザシオン」(仏)

「大臣」の ministerミニスター」 は、
       ministereミニステア

「環境」の environmentエンヴァイロメント」 は、
       environnementオンヴイロモン

こんな風に、たとえ読み方はわからなくても、見れば意味がわかる。
日本人だったら、わかる単語がたくさんある。
それだったら、初心者のうちはさっぱりわからなくても、レベルが上がるにつれて、難しい単語も簡単に使えるようになるんじゃないかって考えたわけ。


それを裏付けるエピソードをひとつ。
実際、こんなことがあったんよ。

ある日私は文章の中に、 subtil という単語を見つけたの。
あれ? これって、英語の subtle とそっくりじゃない?
英語の「微妙な」って単語だけど、英語では b を読まずに、「サトゥル」
って発音するから、受験用教材に必ず出てて、覚えてた。

それでね、いちかばちかで聞いてみたの。先生に。
「これって、”デリケート” みたいな意味ですか?」って。

そしたらね、先生が、

まあ!! 入門クラスにいるのに、どうしてあなたはこんなに難しい単語を知っているの? 
そうよ、その通り、これは、一種の デリカット って意味よ!」

フランス語では、英語と違って、まん中の  もちゃんと発音して、
スブティル」 だった!

改めて書き出すね。

(英) subtle   「サトゥル
(仏) subtil   「スブティル

フランス語の方が、そのままじゃん、読み方は。

ちなみに、delicate (デリケート) は、
delicat (デリカ = 男性形) delicate (デリカット = 女性形)

table 「テーブル」 は、同じつづりで
table 「ターブル」。

ほんと、そのまま読めば、どうにかなる。

長くなったけど、
そういうわけで、私はフランス語に挑戦することにしたんだ。

その上、フランスといえば芸術とファッションとお料理にも惹かれるでしょ。住んで楽しそうじゃん。


じゃ、そろそろカーンの話をするね。

カーンは、フランス南西部の海岸沿いにある、ノルマンディー地方にあり、イギリス海峡を挟んで、向こう岸はイギリス。
映画 ”シェルブルグの雨傘” の舞台になったシェルブルグや、モンサンミッシェルも近くて、クラスメートたちとお休みに行ったし。

丘の上に古い城跡と近代的なカーン大学がある。
それがすごい特徴的。
だから町に下りて行く時はいつも、城壁の脇を通って行ったよ。



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下の写真右上の城跡の向こうに、近代的な白っぽい建物群があるで
しょ。それが
カーン大学
そこに四角いグリーンの部分が見えるよね。  
                     
   
カーン絵葉書


下の写真で、私たちはその四角いグリーンのキャンパスの上の
部分、橋のような渡り廊下の前にいるよ。



カーン大学日本人学生仲間2 
       
カーン大学にいた日本人学生たち何人かと

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ところで、日本の空港でイミグレーションを通過した時、係官が私の国際学生証を見て、
「ほー、フランスの国立大学ですか。すごいですね!」
って言ったけど、フランスには私立の大学はないので、みんな国立大学なんだよ。

そしてフランス語を勉強したい外国人学生は、国立大学文学部に併設された語学コースを取ることになる。
大学本科に入る前の準備段階的に設けられているのかもしれないね。

カーン大学では、フランス語の入門と初級クラスを修了した。
イギリスで受験のための詰め込み勉強をしたので、フランス語は試験や資格取得には関係なく、のびのび滞在を楽しみながら勉強することにした。

大学の学生寮にも入れたよ。
ここでは隣の部屋の住人、ノルウェー人のオーセルという女の子と仲良しになって、しょっちゅう一緒に食事をしたり買い出しに行ったりした。

学費は、マムの遺言もあり、ワトソン家で援助してくれた。
私の恩返しは、一生懸命勉強すること、そして大学生活の様子をまめにワトソン氏に報告することだった。

ワトソン氏は私からの手紙をとても楽しみにしてくれて、それはワトソン氏が亡くなるまで続いたよ。お子さんがなかったしね。
あしながおじさんだ。

イギリスとフランスに住んでみて感じる大きな違いって、何だと思う?
それは食べ物だよ。

フランスでは何もかもがおいしい。
食器も出し方も場所の雰囲気作りもセンスが良くて、食べることは人間の生活にとって大きな要素を占めているから、つまりはそこで生活していること自体が楽しいってことだよ。
ワインも安くて美味しくて、レストランでは、ランチタイムサービスでさえ、デキャンタに入れた安いワインが水代わりに飲まれていた。

(誰かが、「この1本500円のブルゴーニュワインも、輸出されて日本に行くと2000円になるんだぜ」なんて言ってた。ホントかなー…)

そして、ワインはグラス一杯なら、飲んで運転してもいいんだってよ。
へー、おもしろいね。
ワインを飲むことが、日常生活の一部になりきっているんだね。
日本だったら、人によって一杯でもすごく酔っちゃう人もいそうだけど、きっとフランス人は、一杯くらい何でもないんだ。

それにちょっと関係あるかもしれないけど、フランスでひとつびっくりしたし大変だったのは、水道の水が飲めないこと。
だから、スーパーまで週に何度か買い出しに行く時に、水と牛乳の入った重いレジ袋を持って帰らなくちゃならない。
しょっちゅう行くのは大変だから多少は買いだめするでしょ。
だからその袋の重いこと。

日本で蛇口をひねりさえすれば水道の水が飲めるって、すごいことだよ。

カーン大学キャンパスと寮を、写真でもうちょっと紹介しとくね。
ここから行った、「ノルマンディーとブルターニュ地方そちこちの旅」は、そこそこ枚数があるので、スポット観光編に入れることにするっち。
                                            


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カーン大学キャンパスシンボル

これ、四角いグリーンの芝生にあるカーン大学のシンボルの造形物。
ふもとにいるのが人種多様なクラスメートたち。



img394.jpg

同国人学生たちと。


カーン大学学生

異国人学生たち。遠くに見えるのも大学の建物。
(移動が大変?)





寮入口でオーセル  オーセル

私たちがいた学生寮。(入口にいるのはオーセル)
オーセルは男の子みたいでね、買い物の袋をいつも持ってくれた。




カーン大学寮の窓から

寮の窓辺。まわりには近代的なビル。


カーン大学生証

学生証。「ユニバーシテ」 って書いてある。
日本人なら中学生でも、見ただけでわかるよね!

個人情報ではあるけれど、もう30年以上前のデータなので、
とっくの昔に消滅していて問題ないでしょう。




 この周辺の町のプチ観光は、またあとでゆっくりこちらをどうぞ 

 スポット訪問記 Vol.8 フランス ノルマンディー地方(1)  

 スポット訪問記 Vol.9 フランス ノルマンディー地方(2)