1-5 「据え膳食わぬは男の恥」かい? 

長いシベリア鉄道の旅で知り合った、フィンランド人の女の子の家に招待された亮介兄さん。
夕食が終わるとふたりを残して家族全員がいなくなり、しばらくすると兄さんにあてがわれた大きなベッドのある部屋にシャワーを浴びた彼女がバスタオル一枚で入って来たんだって。 Σ(〃▽〃;)

そこで驚いた兄さんが彼女のおでこにそっとキスして、「おやすみ」というと、彼女は悲しそうな目をして行ってしまったのだそう。
ありやー…。

まだまだ古い風習の残る素朴な地方の小さな町で、高校を卒業したあとアルバイトに明け暮れ、お金を貯め、まだ10代のうちに日本を出たばかりのうぶな兄さんには、その種の下心はいっさいなく。

目も覚めるような美しい自然の中で、ふたりで子どもに還ったように無邪気に遊び、けがれなき思い出を得られたことに感動していた矢先の突然の事だった。
引いちゃったのも無理ないさね。(あはー)


さてその翌朝の朝食時、彼女をはじめ家族そろって悲しそうな顔をしていたというのだから、兄さんはよけいこんがらかる。

「北欧のフリーセックスについては聞いてはいたけど、まさかそれらの全然次元の違うように見えるきれいな思い出に、
それが家族ぐるみでこうも激烈に直接つながっちゃうなんて、思ってもみなかったんだ。」

兄さんにしたら彼女を尊敬し大切に思っていたからこその、“おでこにキス” だったんだろうけど、彼女や彼女の家族にとったら拒否や侮辱になってしまったんだろうか?

とにかく風習、物事の考え方は、日本も日本人も欧米化しているとはいうものの、まだまだ、だいぶ差があるみたいだね!

兄さんはあとで日本人仲間たちに、「おめえはバカだなあ」とか「もったいねー」とかさんざん笑われたり羨ましがられたりしたらしい。
(その後そんな場面での大人の男の対処策を身に付けたかどうかは不明)


それから、夏になるとスエーデンでは外国人学生のアルバイトが解禁になり、ストックホルムのマクドナルドで働いているという便りが届いたよ。
スエーデンでは誰もが夏の間、何ヶ月も休暇を取るので、労働者の留守中の埋め合わせに外国人にも許可を下ろして働かせてくれるんだって。
生活水準が高いからお給料は抜群、その上、週末は休みで退職金付き。
夜もアイスクリーム工場で働けば月20万円は楽に貯まるそう。
現地で知り合った日本人仲間と共同で学生下宿を借りれば生活費も安上がりだとか。


その夏が終わるころ、兄さんから祖母に一枚の絵葉書が届いた。

「今、ヨーロッパ最北端、ノルウエーのノースケープ岬に来ています。
ここでは一年中太陽が沈みません。
僕は今その真夜中にも沈まない太陽を見ながらビートルズを聴き、感動に浸っています。

ここまでの1,200キロのヒッチハイクは大変楽しかったです。
これから冬までにスペインに行きます。」

祖母はベッドで、
「へーえ、一年中太陽が沈まないなんて、ずいぶん不思議な国があるもんだねえ。」
としげしげとその絵葉書を見ていたって。


そして兄さんはこの冬を物価の安いスペインで過ごし、旅仲間たちと中古のフォルクスワーゲンを買って今はヨーロッパ放浪の旅をしている。


さて私の方は。
会社のお休みには旅の情報を集め、パスポートや国際学生証の発行のため走り回っている。
後者の作成には日本の学生証が必要なんだけれど、中退を決めている私に新年度の学生証が下りるはずがない。
親にこれ以上世話になりたくないし。

それで3月末日、大学の春休み中に無効になりかけた当時の学生証を持って大学事務局へ駆け込みギリギリセーフ。
一年間有効の国際学生証を発行してもらうことに成功した。
これがあると旅先でもいろいろな割引が効くんだよ。








真夜中のノースケープ岬 (兄から来た絵葉書)
 

  

1-6 学校手続きした。切符買った。 

外国へひとりで行くといったって何から始めたらいいのか、
かいもく見当がつかないよね。
世界に飛び出すといったって、世界は広いよー。
いったい最初にどこへ向かえばいいんだろうね。

兄貴のように何週間もかけてシベリア鉄道経由でヨーロッパに行くという手もあるけど、その先へ行ってどうしたらいいのかわかんないよ。
まあ、1か月間、ヨーロッパの鉄道に乗り放題というユーレイルパスを買って行くから、旅先で交通費を使い込んでしまって途方に暮れることはないとしても、頼る人も場所も何も当てがないというのは不安だよ。

亮介兄さんを頼って行くというのも考えたけど、私は放浪の旅っていうのは、あまり性に合わないと思う。根がまじめなんだろうね。

”あてもなく行き当たりばったりで、風の向くまま気のむくまま”
の旅にも憧れるけど、
何だか心の拠り所というか、基盤がないような気がして。
やっぱりある程度目的や期間を決めて、その範囲内でがんばってみるのが好き。

それでね、まず最初は安全と言われているイギリスに行くことにする。
言葉もどうにか通じるだろうし。
中学・高校で習った学校英語は会話には役立たないと言われてはいるけど、全く無駄ってことはないでしょ、辞書引けばいいんだし。

外国の生活に慣れるまで学校に通おう。
そのおかげで簡単な会話ができるようになれば楽勝じゃん。
その間に先のことはまた考えればいい。
現地でいろいろな情報を集めてね。

というわけで、日本国際学生連合 (JISU) のプログラムにあった、イギリス、オックスフォード市での夏期講習&ホームステイに申し込むことにする。

なぜたくさんあった研修地のうちオックスフォードを選んだかといえば、ロンドンのような大都会より静かに勉強に打ち込めそうだったことと、それに、夏期講習プログラムのある学校の名前が気に入ったから。

そんなちょっとした音の響きの感じから来る選択で、行き先での運命が大きく変わって行くんだから、人生は面白いさ。


国際学生証を使ってパリまでの学割切符を買った。
なぜパリまでの切符しか買わなかったかというと、ある格安旅行情報に、
“パリ―ロンドン間、シャンゼリゼにあるダンエアーのプロペラ機切符が安い。
5,800円也” とあったから。
国際学生協会の学割切符は12,000円だったんよ。
それでパリに着いてからシャンゼリゼにその安い切符を買いに行くことに決めた。

えーっ!
見知らぬ土地で切符を買いに行けるのかねー…
それもフランス語の国でさあ…。
…大丈夫。
文明の進んだ国なんだから、聞けばどうにかわかるし、きっと親切な日本人もたくさんいる。
こんなに一生懸命働いて貯めたお金だもの、大事に使わなくちゃ!
節約すればその分長くいられるし。


予防接種も済ませ、ユースホステルカードも作り、日曜日には世界ケチケチ旅行研究会の機関誌や、ヨーロッパが舞台の文学作品などを読みあさり、自分なりの資料ノートを作ったり、一週間分のテレビ・ラジオ講座の復習にいそしんだりした。

もちろん故郷の祖父母を訪ねることも忘れていないよ。
いつの頃からだろう、生まれて初めての顔面神経痛を経験した。
時々目の下の筋肉がピクピク麻痺するんさ。
本人が微笑んでいる最中であろうとおかまいなしに。
よっぽど体の方は疲れているんだね。

さて、出発の日が近づいたので、会社にはお詫びを言い、ボーナスをいただいた直後に辞めさせていただき、親しい人々にもお別れを告げた。

そして夏も終わりに近い今日、羽田へ向かう私のいでたちは、兄のお古のJUNの半袖シャツに、黄色い胸当てのついたジーンズ。
荷物は、ポーチと7キロのリュックサックと本の詰まった手さげかばんひとつ。

引き止めるのをすっかりあきらめた父が、駅まで送ってくれた。