第1章 出国まで 1 行動開始 

            <お断り>

実 はこのお話は、時はさかのぼって1970年台が舞台なんだ。
ずいぶん昔の話みたいだけど、今の時代でも変わらない部分、たくさんある。

誰でも気軽に海外旅行に行ける今と違って、その時代にしかできなかったこともね!

タイムスリップしたつもりで、その時々の私と一緒に、時の流れを進んで行ってほしい。
だって私は、ほんとにそこで実在していたんだもの。
そのため(臨場感ね)に、そのつど実際にそこで撮った写真を載せていくよ。

時空を超えた旅の道づれさん、頼りなく何とも危なげな美弥を応援してやって下さい。 どうぞよろしく!



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第1章 出国まで  1 行動開始!


ここはある私の故郷にある大学病院のがん病棟。
祖母が舌癌で入院し、10か月くらいコバルト照射などの過酷な治療に堪えてきた。

完全看護の病院だけれど、祖母は耳が遠いから通訳(?)を兼ねた付き添いが
許されるということだったので、私は大学の授業を放り出し、叔母さんと交代で祖母の看病をするために故郷に帰っていたんだ。

治療の山場は終わり、今は経過を見ている状態。

白い壁と廊下の病院内に色を添えるものといえば、患者さんたちのスリッパとタオルの柄くらい…
とはいっても窓の外で繰り広げられる自然の芸術・季節ごとの風景はみんなの心を癒してくれているけれどね。

昨日、廊下にたくさんの人が集まっていた。

隣の一人部屋のおじいちゃん、亡くなったんだ。

病気が重くなるとだんだんベット数の少ない、そしてナースステーションに近い部屋に移動して行くんだよ。

祖母も三人部屋に移った。
他の二人の患者さんのうちの一人は30代前半のおねえさんだけど、ふつうに暮らしていたのに、ある日突然、唾液が出なくなったそう。

もうひとりは顎(あご)を切り取る手術をして、顔半分包帯ぐるぐる巻きのおばあちゃん。
この病気になる前は、NHKの喉自慢で特別賞をもらったことが自慢の陽気なおばあちゃんだったって。
そうして10か月近く病院で付き添いをして、私は思ったんだ。


人生は一度きり。 明日何が起きるかわからない。 
やりたいことをやらなくちゃ
」 

って。

じゃあ、私は何がしたいの?
夢は何?

そりゃ、やりたいことはたくさんあるし、
夢だっていくらでも大きく膨らむ。
なりたいものだってある。
みんなそうでしょう?

だからって、夢と現実は違うって納得し始めていた。

でも可能性は少しは残っているよ。
それは、それらの目標のためにやるべきことを実行できるかどうかにかかっている。

叶うかどうか自分の力ではどうにもならないことはたくさんあるけれど、そのために今できることはある。
それをやるかやらないかで、夢実現可能性のパーセンテージはかなり変わってくると思う。


「今、やるかやらないか」だ。

「明日にしよう」
「いつかしよう」

では、事故に遭ったり病気になったりして手遅れになるかもしれない。
「できる時」 がチャンスだ。

病院での付き添いをしていて、そう思うようになった。


私はやるゾー!
夢を実現させるために必要なことを、
今、始めるんだ。


夢? それはね、
いろいろな国に行ってみること。


世界地図を見てごらんよ。

こんなに小さい日本の、目に見えないくらい小さな町の中で、兄、私、弟は、離婚した両親の実家や、実母と父の愛人の間に挟まれて、どこへ行っても居心地の悪い思いをして来たんだ…。

(ゴメンね、メチャ個人的なことで。でもそれが故郷を、日本を離れたい大きな動機だったから)

だから私は、私のことを誰も知らない土地へ行って、「私」 のままで、一 (いち) から始めてみたいんだ。
私の育った背景も知らず、家柄や学歴のレッテルもない…
そういった、先入観が何もない世界でさ。

それに私たちは ”日本人” である前に ”地球人” !

”自分の生まれたこの広~い世界を、美しい地球を、生きて感動できる自分がいる間にこの目で見て歩きたい”

そんな気持ちになっていた。
(かなりある人の影響だけど。次の記事に出てくる)

そんなわけで、
私は祖母が生きているうちに行動を開始することにした。
死んでからじゃ、死ぬのを待っていたみたいだから。
それじゃ、祖母に悪いよ。

「美弥ちゃんにはもう十分やってもらった。 
私のことなんかもう構わずに好きなことをやっておくれ、まだ若いんだから」

祖母もそう言ってくれてるし。
生き生きと夢を実現している私を見守ってもらうよ、病床から。


さぁ、来週から、日本脱出の資金稼ぎの仕事探しを始めるよ。



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パチリ。大学1年生。

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1-2 先発の亮介兄さん 

あれから仕事を探してみた。
ところで履歴書には “大学中退”って書いてもいいのかなー。
中退って、高卒と同じなのかなー…?

短い間にお金を貯めるために、昼間は正社員で働き、夜は飲食店系でバイトをすることにしたよ。今、新聞の求人欄や、求人誌を見ている。

その私は19才の大学二年生。ひとつ年上で学年はふたつ違いの兄がいる。

その亮介さんは、中学から私立の男子校の寮に入るためにいなくなってしまった。

私も高校から厳しい私立女子高の寮に入ったので、夏休みとかの長い休みに、弟が預けられている祖父母の家で、
やはり寮から数日帰省して来た兄さんと合流するのがとっても楽しみだった。

蚊帳の中に、いっしょに捕ってきたホタルを放して、私と小さな弟にいろんなおもしろい話をしてくれたっけ。
怪談とかもね。

兄さんとも弟とも、もっともっといっしょにいたかったけど、気がつくといつも兄さんはいなくなっていたんだ。


その亮介兄さんは、すでに日本を脱出している。

本当は芸大を受験したかったんだけど、実力からも経済的にも難しかったから、お金を貯めて外国へ行くことに。
そして18才で季節労働者に混じって工場で油だらけになって働いた。時給がいいからって。

「まだきれいなもの素晴らしいものに素直に感動できるうちに、自分の生まれた美しい地球をこの目で見て歩きたい。
社会に出て計算や諦めで、歪んだ見方しかできなくなる大人になる前に」

そんなこと言ってた。
私、かなり影響されちゃってる? (;・∀・)

そうして兄さんは一年間働いてお金を貯めて、去年19才で世界放浪の旅に出た。
それも、“♪横浜の波止場から船に乗って”だよ。
すっごい勇気があると思った。


忘れられないなあ、見送りに行った時のこと…。
埠頭に横付けされた大きな白い客船はね、そこに停泊している間は、まるでひとつの大きな建物みたいだったんだよ。
それがね、ボォ~って汽笛が鳴り響いたと思ったらぐらりと揺れて、そして岸から離れて行ったの。

1m… 2m… 5m… 10m… 30m……

大好きなビートルズのBGMを肩から下げたテープレコーダーから流して、記念すべき旅立ちを自分で演出しちゃったりしてさ! 

だけど、その音がだんだん遠ざかって小さくなり、亮介にいの顔が米粒のようになった。
でもその表情は想像できたんだ。
手を大きく振りながら、「おまえも早く来いよ~っ」って言っていた。

えー? そんなこと言ったってさぁ。
あんたはいいよね、男だもん。
私は女の子だよ。 それもふだんは超ふつうの…。
ふつうって?
 
うん、それはね、成績優秀でもないし、特に何か得意だったり打ち込んでいたりするものもないし、性格もみんなの人気者とかそんなこともないし。

それどころか小さい時から厳しい祖父母の監督下で育てられ、その後も時代遅れと言われる程の厳しい女子寮で過ごしていたせいもあるのか、すっごく堅い。

常識とか人の目とか気にして思い切ったことなんてできないし、嫌われるのがこわくて、いつもまわりの人たちの顔色を見て合わせているだけの退屈な女の子だったんだ。
自分から目立つことをしたりみんなを笑わせるとかなんてこと、全然できなかったし。

だからね、性にもなく芸術学部演劇学科なんか受験したんだよ。
清水の舞台から飛び降りるつもりで。
だって全く違った人生を生きてみたかったんだもの。

幸い補欠で合格したけどそれは受験科目に理数系がなかったせいもある。
あったら完璧に落ちていた。


そしてその日も、船自体が米粒のようになって。
亮介兄さんは紺碧の地平線の彼方に消えて行ってしまったんだ。。。




 私がいっぱい影響を受けてしまった亮介兄さん 紹介コーナー 




身長176センチ。水瓶座。
年はひとつ違いだけど、遅生まれなので
学年はふたつ上なんだ。
これは実際にフィンランドから送って来た写真。



       

         中学時代



高校時代 冬バージョン


写真が出ない時は、少し待ってみて。